【第一章2】赤く滾る血を持つ男
「残方中将様、新しく監査員に任命されました朴久藍と申します」
「入れ」
ゴクリとつばを飲み込み扉を開けて入ると、そこには気だるげに机の上で頬杖をつく5、60代の男性がいた。彼こそが残方中将なのだろう。
短く切りそろえたあごひげは灰色っぽくなっており、同じく白髪交じりの髪を後ろに撫でつけていて鋭く細められた目は歴戦の風格がある。彼の左頬を横断する傷と左目から口元まで走る傷がさらに彼の威厳を引き立てていた。
「おい、儂は入れと言ったぞ。いつまで扉の前で突っ立ってる気だ?」
「はい?僕はすでに入っていますが…」
残方中将はすこし首を捻るとハッとしたように目を見開いた。
「監査員殿よ、右、貴殿からしたら左か、二歩ズレ給え」
訳もわからないまま、言われたとおりに二歩横にずれると中将は満足げに頷いた。
「これでよし、すまんな。なんのことだかさっぱりわからんだろう」
ようやく目線が噛み合った中将は眼の前の椅子に荷物を置いて座るように催促した。
「あらためて自己紹介をしよう。儂は残方、椿苑基地の次席責任者であり第35代目中将だ」
「はじめまして、中将様のような高名な方にお会いできて光栄です。先程も申し上げましたが、監査員に任命されました久藍です。軍に在籍して長くないため、足らぬところもございますが何卒よろしくお願いします」
完璧…これ以上の模範解答は無いだろう。心のなかでそう自画自賛していると再び中将は目を見開いて固まった。
なんでだ!?軍ではこれが無礼になるのか!?なんで誰も教えてくれなかったんだよ!あぁもう!僕の監査員生活はここで終わりだ!
...だが意外なことに、僕の憂いに反して残方中将は口元を緩めて顔を綻ばせた。
「ふ、監査員殿が軍に慣れていないという話はどうも本当らしい。このように堅苦しい、いや、丁寧な挨拶は初めてだ」
「そ、そうでしたか。無礼でなくて安心しました」
「いや、ちっとも無礼などではない。だが本部の上官たちがいる場所、特に天与礼者ではない上官がいるところではその丁寧さを保つべきではない」
「なぜでしょう」
「そうすべきではないからだ」
曖昧にはぐらかさた。何なんだ一体、そこまで止めるなら理由を教えてくれたっていいじゃないか。天与礼者ではない上官の前では中将に対してであろうと横柄な態度をとれとでも言いたいのだろうか。
「まあ細かいことはいいではないか。今日は監査員殿の仕事内容を確認しつつ、午後は小さいながらも歓迎会を行う。そこで初めて隊員たちと顔を合わせることになるだろう。なぁに、監査員殿ならすぐ馴染める」
「はい、ありがとうございます。それと、監査員殿ではなく、朴とお呼びください。中将様に監査員殿などと呼ばれると肝が冷えます」
「はっはっは、素直だなそなたは。前任の影響でしばらく呼び方が抜けんので勘弁してくれ」
中将に殿をつけさせる前任は一体何者なんだと聞きたいのをこらえて頷くしか無かった。なんだか聞いてもはぐらかされそうなそんな気がした。元来、人の勘定の機敏には聡い方だったので自分の勘は信用している。
だからこそ中将が隠し事をしていると確信した。
悪意はない。むしろ僕を気遣っての隠し事のようにも思える。チグハグな言動でなんだか釈然としない。
なんだか、とんでもない世界に足を踏み入れてしまったという不安が拭いきれない…
「さて、長話もここまでにしよう。その大荷物をまずは自分の宿舎においてから詳しい説明をする。宿舎までの案内は孫良然に任せよう。儂みたいなジジイより年の近い良然のほうが話も通じるだろう」
中将が立ち上がるとクロークがすこしめくれて手袋をつけた左手が見えた。確かに落火地方は寒いけど、部屋の中は温かく保たれている。だからこそ厚い手袋をつけたその左手が異様に見えた。
中将は内線を通じて一人の青年を呼び出した。その青年はめんどくさそうにガシガシと頭を掻きながら扉を開けて入ってきた。




