【第二章19】借り物の部屋
与えられた部屋に戻った後にどうしたのかはよくわからない。けど、猛烈な気持ち悪さがあったのだけは覚えている。
でも窓掛けの隙間から橙色の光が漏れているのを見ると、どうやら僕はメガネをかけたままにして随分と長く寝てしまったらしい。床を見ると脱ぎ捨てられて片方が倒れている靴と、中途半端に開いたまま、背表紙を上にして床に落ちている天命礼記。
ぼやけた視界に眉を寄せて、ぼやけている原因、メガネの硝子に寝ている間に付いてしまった顔の皮脂を布団で拭いて掛け直す。
しばらく寝ていたから、感情も落ち着いて気持ち悪さも少しは引っ込んだ。部屋を片付けようと靴を履き直し、布団を整える。最後に深呼吸してから本を手に取り、本棚の一番端にそっと置く。また燃やそうとか捨てようとしたりしたら橙恩に見つかる恐れがあるかもしれないと思うと、中々手放そうとは思えなかった。
もちろん機会があるなら今すぐにでも捨てたい所存ではある。
もしよだれを垂らしていたらいけないと思い、顔を洗おうと部屋を出るとドアがなにかに突っかかったような異物感がある。恐る恐るドアの横を見ると不満げな顔で僕を睨む良然が居た。
「なんでそんなところに座ってるんですかあんた…怖いんですけど」
「蘭慶に謝りに行けって言われたんだよ。ったく…蘭慶もお前も考えすぎだっての、男ならうじうじしてねぇでシャキッとしろよな」
「はぁ?蘭慶さんがなんですって?」
全く話が読めない。良然が僕に謝るようなことは(日々の嫌味を除けば)ないのにどうしてこんな唐突に…
「だぁから、今日の朝っぱらからお前の様子がおかしいし、蘭慶と話してたときもキレたかと思いきゃ顔真っ青にして逃げたんだろ?だから蘭慶が俺がなにかイヤミを言い過ぎてお前が気を悪くしたんだろって怒ったんだよ」
どっこいしょ、とつぶやきながら良然は立ち上がりグッと腰を伸ばす。
「まぁ、なんだ。俺も大人だし、よく考えてみりゃお前は『しんにゅーせい』ってことになる。俺の態度が大人げないっつうのは認めてやるよ」
「はぁ…」
「ッチ、勘鈍いんじゃねぇのおまえ。俺が謝ってるってのに反応それだけかよ」
「え、今ので謝ってたんですか」
「じゃなきゃなんなんだよ」
本当に謝ってるなんてこれっぽっちも気づかなかった。ぽかんと呆気にとられていると良然は顔をしかめて部屋に入ってこようとした。
「は?ちょ!何勝手に入ろうとしてるんですか!」
日々訓練している良然に力で押し負けて、あっさりと部屋への侵入を許してしまった。ズカズカとまるで自分の部屋かのように遠慮なしに歩いていく良然は本棚の前で立ち止まり、例の本をつまみ出した。
「天命礼記…んだよ。おまえがヘンだったのこいつのせいか。道理でなんかクセェと思ったよ」
「な、何を…」
「おまえこれ読んだろ」
「そんなことは!…いえ、読みました。全部ではありませんが」
否定しようとするが良然がまっすぐに見てくるもんだから、なんだか嘘をつくにつけず、本当のことを言ってしまった。
「全部読んでねぇならマシだな。まだ礼物の効果は出てねぇはずだ」
「礼物?その本に礼物が関係しているんですか?」
「知らねぇで読むのやめてたっつうのかよ、運がいいのか悪いのかわかんねぇな。この本は天与礼者によって書かれたやつだ。中将を含めてここの連中は全員この礼物の効果に掛かってる。はぁ、説明は苦手だってのに面倒くせ」
肩をすくめてため息を付いてどっかりと椅子に腰掛ける。そして僕にベッドに座るように顎で指し示す。不本意ながらもベッドに座ると、良然は本を適当に振り回しながら説明の続きを話し始めた。
「この本を書いたやつはこの本の内容を何の疑いも抵抗もなく信じさせる礼物をこの本に施し―…」
「ちょっと待ってください、そこからおかしいですよ。その本を書いたのは僕の父ですが、彼には礼物がありません。天与礼者ではないんですよ」
「ほーん、他のやつに書かせたんじゃね。まぁでもちょっと納得はした。だって天与礼者なら自分たちを貶す本なんざ書かねぇだろ」
「な、なるほど…?でも良然は礼物に掛かってないように見えますけど」
「俺読んでねぇから。こんなクソ長いもん読んでたら余裕で寝るね」
そうきたか。でも言い換えれば良然はその怠惰な性格に助けられたとも言える。




