【第一章1】火も凍え落ちる地で
「あ、朴さんだすね。お部屋の準備はすでにでぎでらがら、3階の突ぎ当りの部屋さ行ってたんせ」
「ど、どうも、遅くなってすみません」
「いえいえ」
宿に入ってから突然掛けられたきつい東北訛りの言葉に一瞬驚いた。方言は何度か耳にするし、そんな変でもない。でもこうして当たり前のように使っているのを見ると、まるで違う国に来たような気がしてむずむずとする。
しかし言われたとおりに3階の突き当りの部屋に向かうと、しっかりと温められて、さらに一人用の火鉢が置かれていて簡素ながらも暖かく気の抜ける部屋だった。
それまでの寒さや疲れとかが一気に吹き飛んで、代わりに抗いがたい眠気が襲いかかってくる。あれだけ列車内で寝ていたのに、それすら無かったかのような強い眠気のせいで、ろくに荷物の整理もできないまま最低限の身支度だけして布団に倒れ込んでしまった。
温かい布団の前でなんと無力な…明日起きられるかなこれ…明日から基地の寮で寝泊まりすることになってるからここの荷物持っていかなきゃだ…あー…なんでよりにもよって中将付き監査官になったんだろ…
「お客さん、お客さん、起ぎる時間だすよ」
「…ぇ、今…何時ですか…?」
「5時半だす、ご予約の際さ5時半さ起ごして欲しぇどおっしゃっていましたがら、時間通りに起ごしに来だ」
「そうでしたっけ…あ、そうでしたね、今起きます。ありがとうございます」
「いえいえ」
やっぱり自分で起きられなかったか。あの親父の助言が役に立ったのは腹立つけど、それを抜きにしても勤務初日から遅刻するよりかよっぽどマシだ。
ぼんやりとしていた頭が次第にシャキッとするにつれて何をすべきかはっきりと考えられるようになった。初めて軍服に袖を通すと固い生地に少し居心地の悪さを感じた。まるで、お前とは相容れない、住んでいる世界が違うんだと嘲笑うかのようだった。最後に軍帽を被り鏡を見ると、鏡の中の僕も引きつったような硬い表情でこちらを見ている。
まあ、初めて袖を通す服はすべからくこんなもんだろう。むしろ初めて着るのに着慣れたような感覚になることはまず無いだろうし、うん。そのうち慣れるさ。
荷物をまとめて宿を出ると、あたりは足首のあたりまで雪が積もっていて朝日を受けて眩く輝いていた。向こうは10月でもこんなに積もることはない。そもそも雪が降らないから積もっているのを見るのは初めてかもしれない。
足の下で片栗粉を握ったときのようなシキシキとした音を立てる雪が面白くて無駄な足踏みをしながら人気の少ない道を進む。時折風が吹いて雪煙が巻き上がるのも物珍しく、初めて落火地方に来てよかったと思えた。でもこれからは髪を伸ばそう。坊主頭じゃ風が吹いても吹かなくても頭がスースーするからどうにも薄ら寒い。
暫く歩くと厳重な壁に挟まれた小さな門の前にたどり着いた。その近くの小屋から老人が小走りでやってきてフサフサとした眉を跳ね上げた。
「つまりおめが新しくやってぎだ朴監査員ってわげだな?ささ、入れ、残方中将がお待ぢだ」
彼は僕の姿を一瞥しただけでガラガラと扉を開けて迎え入れてくれた。あまりにも簡単に入れてしまったのでこれでいいのかと心配になりながらも中に入ると、中では数人ほどがまばらに散らばって雪かきをしていた。隅にはすでに積み上がった雪の山があり、これからもっと高く成長するであろうことは想像に難くなかった。
「こごは訓練場だんて頻繁さ雪かぎ行ってらんだすね、はい、それでああやって雪の小山がでぎるんだすね、落火地方では風物詩のようなものだす、はい」
「へ、へぇ、そうなんですね」
強い訛りのせいで聞き取りづらい…!それに風が耳元で吹くたびにか細い声はあっという間に押しのけられてしまうため、そもそも聞こえない。こうなったらもう聞こえても聞こえてなくてもなんとなく話を合わせるしか無い…!
その後も「はぁ」だか「へぇ」だかと相槌を打ちながら老人の後ろをついていくと、建物の中を通り抜けて案内された先は深い飴色の扉だった。
「こごが中将の部屋だす。ながで中将がお待ぢだんて声掛げでがら入ってたんせ、はい。わしはこごで失礼するすね」
「あっ!道案内ありがとうございました!」
「いえいえ」
ふう…さて、入るか。




