【第二章17】返却期限はまだだけれども
まぁため息を付いても仕方がない、と思い直して外套を着る。少し散歩と称して遠回りしつつ、情報管理部へと地図の原本を返しに行くとしよう。僕の手元にあるのは簡易版で大雑把なことしか書いてないが、原本は、手元におくのも怖いぐらい細かい出入り口や武器庫などが細かく記されているのだ。この地図が万が一外部に流出したら防衛上大変なことになる。
ついさっき通ったばかりの道を辿り、再度情報管理部のドアを開けて中を覗くと本棚を整理していたらしい蘭慶とばったり目が合う。僕は咄嗟に言葉がでず、お互い何も言わないのでひどく気まずく、僕は手持ちの地図を白旗のごとく掲げて、これを返しに来たのだという意図を伝えようとした。
幸いなことに意図は正しく伝わったらしく、蘭慶は一度大きく頷いて手に持っていた本を近くの机上においた。
「使い終わりましたか。俺が預かりましょう」
「お、お願いします」
「任されました、ところで随分と肩に力が入ってますね。この地図にインクでも垂らしましたか」
「いえ、地図には何事もありません、全く元のままであるはず…です」
とんでもない疑いをかけられそうになって慌てて身の潔白を主張する。しかし僕が新しい折り目を作ってない保証もなく、尻切れトンボに声はしぼんでしまった。
「左様で…はい、問題ありませんね。他の資料は入り用ですか、ついでに貸し出しましょうか。逐一ここに来るのも手間でしょう」
「あ、じゃ、じゃあ少し見てもいいですか」
「どうぞ。隣は仮眠室なのであまりうるさくしないでくださいね」
もちろんだと頷き、部屋に足を踏み入れて本棚の間をゆっくりと歩く。それぞれ分類された本棚にはぎっしりと本と書類が並べられていて、本棚の高さも相まって無言の圧力を感じた。
ある本棚には過去の戦歴が細かく書かれた報告書と、それらを5年毎にまとめた本がいくつかあった。それらを流し見していると、ちょうど僕が生まれた年の記録があり、こんなこともあるんだなと思いながらそれを手に取る。
「おや、奇遇だね朴の坊ちゃま。坊ちゃまも書類の提出に?」
「ぉわっっ!?はっ…!?」
話しかけられるとはこれっぽちも思っていなかったので、思わず大声を上げてしまい、隣が仮眠室だというのを思い出して慌てて口を塞ぐ。しかし口を手で抑えたことによって持っていた本を落とし、床に落ちる寸前ぎりぎりのところで掴んだ。
その一連の流れを見た橙恩は「おぉ」と感嘆の声を上げて小さく拍手するが、僕からしたらそれどころじゃない。なにが「おぉ」だ!誰のせいで落としかけたと思ってるんだ!こちとら本を落とさなかったことにホッとしつつも心臓がバクバクしているんだぞ!
だけれども僕の心中を知る由もない橙恩は悪びれもせずに小さく笑って頭を掻いた。
「へへへ、こんなに驚かれるとは予想外だったんだ。すみませんねぇ朴の坊ちゃま」
「何事です…って李さんでしたか、報告書の提出は良いですが騒がしくしないでください」
物音に釣られて蘭慶がひょこっと顔をのぞかせた。
「申し訳ないね、本当にわざとじゃなかったんだよ?次からはちゃんと気をつけるさ。あそうだ、報告書を持ってきたよ蘭慶くん」
「はい、いつも通りすっからかんな報告書ですね。もう少しなんとかなりませんかこれ」
「そこはほら、いい感じに付け足してくれないかな?お願いだよぉ蘭慶くん」
「今回だけですからね」
「ありがとう!もちろんお礼はするからさ」
「当たり前ですよ」
「それは良いですが本当に突然話しかける癖どうにかなりませんか…!?」
未だにバクバクと破裂しそうな心臓を抑える僕の頭上で交わされる会話に無理矢理に割り込むと、橙恩がへへっと笑いながら僕の顔を覗き込んできた。
「あんなに驚かれるとは思っていませんで、失敬失敬。心臓は大丈夫ですか?」
「破れたので予備の心臓が稼働中です」
「そりゃ大変」
想像はしていたが、相変わらず飄々として読めない態度に肩を落とす。事前に注意していたのに結局大声を出してしまったことを蘭慶に謝ろうと顔を上げると、彼は本の整理をしていたらしく、いくつか積まれた本を抱えていた。その中でもある一冊の背表紙にに目が釘付けになり、息が止まる。




