【第二章16】出勤四日目
ここ4日間もかけて作っているのは、監査官としての仕事内容の更新と、引き継ぎ用の説明書だ。こんなことやったこともなかったので全てが手探り、どんなことを書けば良いかも分からないので取り書く椿苑基地の状態、軽い歴史、規則など全て記しておくことにした。そのため必要な資料が多く、更には時間もかかる。ちなみに今日借りてきたのは基地の間取りと規則についての資料だ。
椿苑基地は長い国境を隔てる壁に挟まれている形で建てられた基地であり、長方形の塀に囲まれた敷地の中にL字型に建てられた本館。渡り廊下で繋がっている隊員たちの宿屋。訓練用の大きな訓練場と訓練場から少し歩いたところにある反省室がある。
地図によるとこの反省室は問題を起こした隊員だけでなく、侵入の疑いがある一般人の待機室にも使われるらしい。
さすが攻防戦の最前線というだけあって塀の四隅、一辺の中央辺りに監視塔が計六つあり、常に監視役がついているらしい。正門を六時の方向としたときに、その背面に当たる部分に監視塔がおかれ、その近くに二班から四班の待機所が置かれている。
思うに、この前読んだ資料に二班と四班がすぐに出動出来ていた理由はここにあるのだろう。彼らは緊急事態に対処する部隊に違いない。
「お坊ちゃん線引くのヘッタクソだな。ただ真っ直ぐ引きゃいい話だろ、んでそんなヒョロヒョロな線になんだよ」
「地図を見ながら写すとどうにも手がぶれてしまって、後でもう一枚書き直します」
「紙の無駄だから俺が書いてやる。貸せ」
溜め息とともに良然は紙とペンを取っていき、元の地図も見ずにサラサラと迷いなく筆を動かした。ほら、と差し出された紙を見ると元の地図と寸分たがわず、むしろ元の地図よりよく書き込まれていた。
「へぇ、器用なんですね。ありがとうございます、このまま使わせてもらいます」
「この程度も描けねぇとは驚いた。一体お坊ちゃんはここへ何をしにきてんだよ?」
「良然!いい加減にしないか!」
中将が声を荒げ、良然は肩をすくめてドアの横についた。一方で僕は返す言葉もなく項垂れ首を振る。
「良然の言う通り、僕は椿苑基地のお役には立てていません。事実ですから、どうぞご心配なく」
「な?言ったじゃんか、今日のお坊ちゃんはヘンだって。昨日までなら俺が地図書いてやろうと紙とペン借りた時点でキーキー怒ってるだろ。こんなナヨっとしてなかった筈だぜ」
「だからといってわざと人の神経を逆撫でするんじゃない。お前はいつも考えが足らん、もっと慎重になれ」
長い溜め息と共に立ち上がる音が聞こえて顔を上げると中将が部屋の中央にあるソファーに腰掛け、昨日と同じように座るように促した。
「それじゃ俺も相席を」
「お前は茶を入れてこい」
中将の前に座ろうとした良然を犬でも追い払うかのようにしっしっ、と手を払うと、良然は「ちぇ」と短く言い残して部屋を出た。
「まぁ少し話そう。昨日の今日で一体何があった?良然が問題なら部屋を分けても構わん。監査員殿の自室でも作業はできよう、それとも他の問題があるのか」
「いえ、僕の問題なんです。良然や…他の方々は何も」
「監査員殿の問題とな…なら小白のところで診てもらおうか。精神的な話もあの子は聞いてくれるはずだ。こんな老骨よりよっぽど為になろう」
その申し出に僕は黙って首を振った。今のこの状況が心苦しいといっても中将たちには何のことだかさっぱりだろう。彼らは完全な善であり、勝手に罪悪感を抱いて気まずさを感じているのは僕なのだから、理解されないだろう。もし説明しようとしたら恐らく僕の胃が持たないのでここは体調のせいにして誤魔化すのが最善だろう。
「いえ、慣れない寒さでしたから少し調子を崩してしまっただけです。すぐに戻りますから大丈夫です。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
「迷惑などかけとらん。体調を崩したと言うなら今日は自室でゆっくりするといい。手持ち無沙汰ならその資料を持っていっても構わん。ここだと何かと喧しゅうて疲れるだろう。それか日光でも浴びてくるか。珍しく日差しも強い、少し歩いてシャキッとしてこい」
口を挟むまもなく、僕も良然同様部屋から追い出された。驚く暇もなく廊下に突っ立ち、持たされた外套と借りてきたいくつかの資料を呆然と見下ろし、
「はぁ…」
ため息を付いてがっくりと肩を落とした。




