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五寸釘

作者: 棉畑

 自宅アパートの狭い机の上にルーズリーフが並んでいる。わたしは右手にスタンプを持って、一心不乱に押し続けている。とんとんとんとんとん、とんとんとんとんとん、とんとんとんとんとん。超高速でインクが白紙を染めていく。

 もう夜も遅いのに、どうしてこんな事をしているのかって?

 今から説明する。端的に言えば、わたしはむかついているのである。


 わたしは小学校の教員をしている。

 教員になって三年目、毎日ハードすぎて今すぐにでも辞めたいくらいなのだが、そうも言っていられない。一丁前に責任感も芽生え始めてもいる。子どもたちもかわいいし、頑張るか~と思っている。

 この学校に着任して以来、わたしには教育係がついていた。中山という太ったおばさん教員である。主観的だと思われるかもしれないが、わたしは彼女にむかついているし、そうとしか形容できないのだから許してほしい。太ったおばさん教員である。

 彼女からは授業の作り方や宿題の出し方など、いろんなことを教わった。だから恩はある。彼女も担任を持っていて忙しい中、右も左もわからないわたしに時間を割いてもらったことは本当に感謝している。この気持ちに偽りはない。


 ただ、彼女を疎ましいと思うことも決して少なくなかった。彼女は立派な教育理論を持っていて、周りの教師にさんざんそれを吹き込んでいながら、実際のクラス運営はひどいものなのだ。ある時児童どうしでトラブルが起こって、明らかに片方が悪いのになぜかもう片方にも謝らせ、不登校になって保護者から苦情が来たことがある。ところが彼女は憮然とするのみで、保護者に対する謝罪もなかった。結局他のクラスの担任が事を収めることになったが、それ以来彼女の評判は最悪だ。五十代なのに教頭昇進試験を受けている様子がないのも気になった。彼女がわたしの教育係を務めているのも、周囲から疎ましがられて、押し付けられているだけなのかもしれないと思うと、複雑な感情がわいた。

 しかしなんとか二年間の教育期間を終え、わたしは今年から四年生の担任を任されている。四年生担任団の先輩の先生方は親切で、相談もしやすい。本当によい先輩に恵まれていると思う。

 そんな環境で生き生きと仕事をしているわたしのところへ、再び中山がやってきたのだ。


 昼休み、わたしは教室の前方にある机で宿題のチェックをしていた。大半の児童はドッジボールをしに外へ出ていたが、教室に残っている児童もいた。

 今日の宿題は漢字ノートだった。ドリルの書き取りをして、丸付けをちゃんとしていたら「見ました」のスタンプを、できていなかったりあまりにも雑だったら「がんばろう」のスタンプを押す。今日はみんなちゃんとできてるなあ。

 ふんふんとリズムよくスタンプを押していたら、中山が教室に入ってきた。今日の職員会議について連絡事項があったようだ。それを伝えたあと、中山はノートを覗き込むように見てきた。

 「三島先生、このスタンプはなに?」

 「……クロミちゃんですけど」

 わたしが持っていたのはサンリオのクロミのスタンプ。中山は周りにいた児童を呼んで、知ってる? としきりに聞いていた。「知ってる!」「マイメロの友達」女子児童は嬉しそうに声を上げた。「みんな知ってるんだ」「中山先生知らないの?」

 中山は答えに窮したようだった。そしてわたしに向かって、あろうことかこう言ったのである。

 「あまり、子どもたちに媚びないほうがいいと思うわ」


 はあ!???????? なんじゃこいつ!!!????

 今思い返しても腹が立つ。右手に持ったスタンプの勢いが止まらず、だんだんだん、と怒りを帯びた音に変わっていく。クロミのスタンプにはいくつか種類があって、今は「OK」を乱打している。

 あいつ、クロミちゃんを知らないくせに……!! 死ね!! 死ね!!!

 ルーズリーフが埋まった。一度押したスタンプの上に、もう一度スタンプを重ねていく。

 くっっ……と声が出る。もうすこしで嗚咽してしまいそうだ。

 

 どうしてこんなに怒りに震えているのか、わたしにはもう見当がついている。

 それはきっと、図星だからだ。

 今年の春、ロフトでスタンプを探した。ドラえもんやポケモンのスタンプが並ぶなか、わたしの目は自然とサンリオに引き寄せられた。これがいい、と心のなかのわたしが主張して、まんまと買ってしまった。

 そしてこれが仮にハローキティだったとしたら、中山も何も言わなかったはずだし、わたしに何の負い目もなかったはずなのだ。

 判っていた。クロミという選択に、少しばかり、わたしの私欲が含まれていたことを。

 わたしは子どもたちに好かれたかった。でも、それって当然じゃないの?


 回想は再び昼休みへ飛んでいく。中山が去ったあと、女子児童が私に話しかけてきた。

「中山先生って意地悪だよね」

 そんなこと言っちゃいけないよ、と諭しながら、わたしは情けない気持ちになった。子どもに守られてどうする。

 

 放課後の職員会議のあと、職員室で資料作成をしていた。今日も残業だ。中山含め他の先生は帰宅して、わたしだけが職員室に残った。

 ふと、確かめたくなった。

 中山の机へ向かう。雑然とした机上を探したが奴のスタンプはなく、引き出しを開けた。

 中山が使っていたのは、もう擦り切れ寸前のとなりのトトロのスタンプだった。


 あああああああああああーーーーーー!!!!! まじでさあ!!!!!!

 トトロなんか、今の子ども、もう、誰も見てません!!!!!!!

 全員!!!!! YouTubeを見ています!!!!!!!!

 

 となりのトトロは素晴らしいアニメだし、子どもたちはみんな大好きに決まっている。中山はそう信じ切っているに違いない。そしてその信念を、思い込みを、絶対に曲げないまま、理想の子どもたちを夢想したまま、定年まで逃げ切るのだろう。

 

 わたしは発狂した。右腕でルーズリーフとスタンプセットを抱えて、表へ駆け出した。

 わたしはこれから、わたしなりの五寸釘をするのだ。近くに公園があって、丁度いい木もある。わたしはそこへ行って、ルーズリーフを幹に当てて、スタンプを乱打するのだ。殺す!!! 殺す!!!!!!

 奇声を上げながらアパートの階段を駆け下りる。ものすごい力がわたしを突き動かす。だれもわたしを止められない。

 帰路のサラリーマンとすれ違った。ど、どうしたんですか、と怯えて声をかけてくる。

 わたしは適当にスタンプを選んでサラリーマンの額に押し、全速力で逃げた。


 「見ました」のスタンプだった。見るな!!!!!!

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