第12話 恐ろしいものの片鱗
突然ですが、私はいま超人気アイドル様とデートをしてます。
何を言っているのか分からねーと思うが、私も何が起きたのかよく分からない。
話は、昨日の夜に遡る。
学校が終わり、ドラマの撮影以外 芸能人としての仕事などない私は自宅で規則正しく就寝の準備をしていた。
お風呂にも入ったし、宿題も終わった。
ちょっと動画でも見てから寝るか。
そんなことを思って、スマホを手にベッドに寝転んだ時。
突然、電話がかかってきた。
えっ、誰?
と思った時には、この手はうっかり緑色のマークに触れてしまっていた。
『よお』
ディスプレイに現れたのは、“苦賀 綾真”という名前。
「へっ、えっ、はあ!?」
落としそうになったスマホを耳に当てて、思わずそんな声を出した。
『明日、ハチ公前に12時』
それだけ言って、電話は切れた。
……え、何これ。幻聴?
あまりのことにロック画面を眺め呆然とした私だったが、とりあえず電話をかけ直してみた。
『なんだよ、うっせーな』
しかし聞こえてきた声は、やはり苦賀 綾真のものだった。
どうやら夢や妄想ではないようだ。
「あ、あの、さっきのって」
『だから、明日の12時にハチ公前で待ち合わせってことだろ』
あからさまに不機嫌に答えられるが、果たして私が悪いのだろうか?
「あ、あの、それって」
色々と聞きたいことはあったが、その前に再び通話はブツリと切られた。
「…………」
『んだよ、しつけぇなっ』
無言でまた電話をかけ直した私に苦賀が怒鳴る声が聞こえてくる。
聞きたいことはたくさんあるのだが、とりあえず私は一つだけ質問することにした。
「あ、明日は、どんな格好で行けばいい?」
絞り出した声に、スマホの向こう側から鼻で笑う声がする。
『“芸能人とデート”って恰好してくればいいんじゃね?』
そう言って、今度こそ本当に電話は切れた。
デート
デートデートデートデートデートデートデートデートデート
その言葉がゲシュタルト崩壊するほど考え込んだが、やっぱり真意は掴めぬまま。
まるで狐につままれた気分で、私は当日の朝を迎えたのだった。
12時33分、渋谷のハチ公前広場は祝日ということもあり大勢の人で賑わっていた。
ちなみに今でこそ日本中から愛されるハチ公だが、有名になる前は汚い野良犬として町の人々から邪険にされていたらしい。
とある新聞に忠犬としての美談が掲載された途端、周囲から持て囃されるようになり今日に至る。
いつの時代も世間とは現金なものなのである。
時間通りに来るとは思っていなかったが、約束の時間から30分以上が経過しても苦賀は姿を見せなかった。
目の前を幸せそうなカップルや笑いあうグループが次々と通り過ぎてゆく。
……もしや、からかわれただけなのだろうか。いや、私が勘違いしているだけで本当はデートなんかじゃなかった? それとも日にちや時間を間違えた?
段々と自分が悪いのではという不安が湧いてきて、電話でもしてみようかとバッグからスマホを取り出した時。
「おう、早かったな」
まるで当然のように、苦賀は現れた。
一応変装なのか伊達メガネはしているが、そんなものでは明らかに庶民とは違うセレブリティオーラが隠しきれていない。
「あ、ああ、うん」
通行人がジロジロと視線を向けてくる中、向かい合った私はちょっとビビりながら頷いた。
来たら一言文句でも言ってやろうと思ってたのに、いざとなると自分の小物さが恨めしい。
「しっかし、お前それは分かりやすすぎだろ」
そんな私に苦賀 綾真は何故か笑った。
「え?」
「その恰好。いかにも これから密会しますって言ってるようなもんじゃね?」
と指摘された私の今日の服装は、黒のバケハに、白いTシャツ、黒いキャミワンピ。
世間に顔を知られてるこいつを気遣って目立たないよう考えてやったというのに。
「ダメだった?」
少しイラつきながら聞き返した私を苦賀は見下ろす。
「ま、いいんじゃね?」
ふいに そう微笑まれるから つい言葉を失った。
本当に、本当に面だけはいいのが悔しい!
「じゃ、行くか」
そんな私に黒いTシャツの背中が向けられる。
「どこに?」
ずんずん歩いて行ってしまう彼を追いかけると、メガネ越しの目がこちらを見た。
いざ並ぶと、やっぱり かなり背が高い。
「そうだなあ、飯でも食うか」
「じゃ、このへんで解散だな」
その後、私達は渋谷に新しくできたオープンカフェで食事をしてコーヒーを飲んだ。
時間は夕方に差し掛かろうかという頃。
どうしよう、このまま苦賀の自宅マンションに誘われちゃったりしたら……。
なんて思っていた矢先、あまりにもあっさり上記のセリフを言われたのだった。
「あ、う、うん。そうだよね、もうすぐ暗くなるし、夕飯の前に帰らないと!」
妄想していた自分が恥ずかしくなって、思わず小学生みたいなことを口走ってしまった。
「気をつけて帰れよ」
と、送ってくれる気もさらさらないらしい。
そもそも、今日のこの時間が一体なんだったのか未だに私は分からないままであった。
苦賀ならいくらでも有名女優やトップアイドルとつきあえるだろうに、何故 私などに飯を奢ってくれたのか。
「……うん。じゃあ」
そんな疑問が頭に渦巻くが、当然問い質す勇気なんてなく。
トボトボと背中を向けて歩き出した私だったが、ふいに温かい感触が肩に触れた。
「初回は これくらいで勘弁してやる。そのうち良いことあると思うぜ」
渋谷の町、まだ明るい大通り、行き交う人々。
苦賀に耳元で囁かれたのだと気がついたのは、もう彼の後ろ姿が遠くなりかけた頃だった。
「……っ!」
……これは。もしかしたら、もしかしちゃうってやつなのか!?
まだ吐息の感触の残る耳を押さえた私だけが、顔を真っ赤にして その場に立ち尽くした。