第5話「注目の的」
遠藤 瑠衣と氷川 彩は別行動をとりお台場で落ち合うことにした。
日曜日の天気のいい日だが彩にとってはバイクはあまり乗りたくなかった。電車に乗れない彩にとっては唯一の高速の移動手段ではあるが、免許取得後から運転するようになると全く別の問題が起きてしまうのである。
HONDAのCBR650R E-Clutchを所有しており、購入時はかっこいい見た目と快適性に惹かれていた。
実際に購入して走行すると、確かに走行性と安定性は非常に高く、ドライブするのも楽しく感じられるほど。
ただし問題なのはバイクではなく、場所によっては注目の的になってしまいひっきりなしにナンパされてしまうし、過去には有名事務所からスカウトされることもあったのだ。
東京はどの曜日も人が多い。
瑠衣とそのような会話をしたのだが、日曜日は特に人が多いからバイクで出かけるのは億劫であった。
瑠衣から与えられたひとつのミッションは、お台場駅まで来ること。
ヘルメットをしていれば駅まで行くのはまだ大丈夫。体調面はなんとかできても、人だかりができる可能性が高くて怖く感じていた。
そして、実際にお台場駅に着くと――。
思っていたとおり、たくさんの人がいてすぐに視線が彩の方に向けられた。
一瞬くらっとしたが、電車・モノレールに乗るつもりは微塵もないからまだ気持ちは楽な方だ。
けど、このような空気感はやっぱり好きになれない。
どうやら瑠衣よりも先に着いたようで、指定の場所についてもいなかった。
どのくらい待てば来るのだろう。そう考えている瞬間にも、結構な人が近づいてくる。そんなタイミングで、瑠衣から電話が来た。本当はヘルメットを外したくない。
仕方がなくヘルメットを外して電話に出た。
その瞬間に数人が驚いてすぐこっちを見てくるし、複数の学生グループや社会人グループもちらちら見ては何か話し出す。
「どうしたの?」
「やっぱりね。彩にバイクは最高だよ。見てる私も男になれちゃう」
「ちょっとっ、どういう意味?!」
「男なら黙ってはいられないって意味」
とか言いながら、見かけないと思っていた瑠衣が手を挙げて近づいてきた。
「わかってここに誘った?」
「それもあるけど、この画角が最高にベストショットなんだよね」
「はい???」
嫌な予感しかしない。
瑠衣が近づいてくるなり、他の男達も寄ってくる。しかもスマホを片手にする人がいるから、正直今すぐ逃げ出したい。
「ねぇ、そういうのムリだってば」
「少しだけ。少しだけだから」
そういう少しだけが凄く不快にも感じる。
「あの、俺達も……撮らせてもらってもいいですか?」
「いいよいいよ!」
「よくない!!!」と彩は叫ぶが効果がない。
「怒ってるのもいいねぇ」
どっちかといったら瑠衣は男なのかもしれない。怒ってる顔もいい、とか言うのは男性の方が多いし、同情する余地は微塵もないのか? と疑いたくなる。
とか思いながらも、既に結構な男性陣が近づいてきている。10人は軽く超す。さらには女性も含む。
だから嫌なのに……。逃げたい気持ちしかない。数十人以上も集まってくると、それにつられて来る人も結構いる。
というより、この後にイヤホン店に行くと瑠衣は言ってたけど、覚えているのだろうか?
調子に乗って瑠衣はいろんな指示を出してくる。取りたい画角があるようで、いろんな体勢を要求してきて、側にいる男性陣がさらに瑠衣を経由させて、好きなポーズとかも頼まれる。
そうこうしていると、人垣をかきわけて一番前に40代後半くらいの髭を生やした男性が現れた。無精髭ではなく整っており、キリッとした目付きの大柄男だ。
「イベント?」
「あ、いえ、違います」とひとりの男が怯えながら答えた。
「気にしなくで。私は……こういう者です」
「それなら、彼女の友人があの方です」
「……君が?」
大柄の髭男が瑠衣に近づいた。
「え。あ、はい?」
「彼女の友人だと聞いて」
「そ、そうですが」
何も知らない瑠衣は違法的な事をしてしまったのかと驚いて挙動不審になる。
けど、周りの男性陣達が事務所の名前を言いながら何か話し始めている。
「こういう者です。失礼ですが、お時間いいでしょうか」
「!!? あ、彩! こっち来て!」
周りにいる人達の小話と雰囲気でもう既に察した。
だから嫌なのにと内心思いながらも、バイクを寄せて停めた。ヘルメットをバイクに置いて大柄な髭男から名刺を受け取ると、周りにたくさんいた人達は散り散りになっていった。
「ファッションモデルや雑誌掲載に興味はありませんか?」
「いえ、それは結構です」と彩は即答するが……。
「有名事務所さんですよね?! 断るなんて勿体ないよ」
「私は元々事務所に入る予定はないんです」
「そうですか……。残念ですが、あなたのような美しい方はあまりおりませんよ。なのでもし機会がありましたら、と思ったのですが、ダメでしょうか」
「注目されるのが苦手ですので――」
「少し聞きたいのですが、1枚の写真だけとか、可能なんですか?」と瑠衣は非常に乗り気で割り込んでくる。
「ちょっと。そんな気なんてないって」
「今って他人の写真をインターネットに公開する事が可能だよね。もし不快に感じるのなら、肖像権の侵害で訴えたり削除要請すればいいだけだし」
「確かに仰る通りです。インターネットを変に使う方が多いのが困りますね」
大柄な髭男がそう言うと、まだ側でスマホで何か話している数人の集団が反応して逃げようとした。
「撮るのは自由だけど、悪用したらタダじゃ済みませんよ? 実際に肖像権の侵害で裁判沙汰になったケースもあります」
声を大にして言うと、まだ残っていた数人のグループが一瞬にして消えていった。
「ちなみにですが、事務所に所属した場合、肖像権の不正使用などが発覚した場合は通報及び削除申請を容易にできます。注目されやすいあなたなら、事務所に入っても損ではないかと」
「そう……言われましても」
「個人的にですが、あなたはトラブルに巻き込まれる可能性があるかもしれませんね。不快に感じさせてしまったら申し訳ございませんが、事務所所属の有無に関わらず、何かありましたら気軽にご連絡ください」
「……ありがとうございます」
トラブルに巻き込まれやすいのは昔からよくわかっていた。
トラックに轢かれて一度死にかけたのもいい例だ。トラック以外にも何度かあったし、守ってくれる事務所があったら確かに助かる。いま勤めている大手企業に勤めながら所属できるのかはわからないけど、企業が彩をどこまで保護してくれるのかは正直わからない。
今の時代、インターネットは便利ではあるが脅威も非常に高い。
事務所という後ろ盾があればどれだけ強いか、想像するまでもない。でも、有名になる可能性だってある。だから直ぐには答えられないから、彩は今は断って後日考えようと思い至った。
「彩?」
「いつ連絡できるかはわかりませんが……、お声掛け頂きありがとうございました」
「いえいえ。貴重な休日の時間の中、唐突にお声掛けしてすみません。それでは、私はこれで。失礼致します」
「ありがとうございました」
彩も瑠衣も声をそろえてお礼を言うと、大柄な髭男はペコっと頭を下げて駅へと戻っていった。
「で。どうするの?!」
物凄い勢いで瑠衣が聞いてきた。唾が顏にかかるほどの勢いで、慌てて手で拭いた。
「あっ、ごめんごめん」
ポケットからティッシュを取って瑠衣が拭いてくれるが、彩は複雑なまま即返答できないでいる。
「うーーん。今はいいかな」
「今は、ね! 確かにその言葉聞いたからね?」
「……うん。話変わるけど、店、行くよね?」
「もちろん!」
「後ろに乗れないけど、また別行動にする?」
「どうしよう。もし仮にタクシーでついていくとしたら……」
瑠衣はスマホで「お台場から秋葉原まで タクシー」で検索してみた。
すると約5千円と表示がされて「うう~ん」と声を出した。
「5千円出すよ。500円持ってなかったかもしれないし」
「いいの?」
「貯金いっぱいあるし。大丈夫」
「それじゃ、お言葉に甘えて。へい、タクシー!」
いやいや。そう簡単にタクシーなんて呼べないから!
なんて彩はつっ込もうとしたのだが、完全に予想だにしなかった展開が起きた。
へい、タクシー! ともう1回叫ぶと、タクシーではなく一般乗用車が近づいて止まってきた。
しかもその乗用車には信じられない人が乗っていた。
「おやおやおやおや?!」
まさかの、会社でたまに出勤してくる馴れ馴れしいアイツだった。
「会いたくないわ~!」と瑠衣は声を大にして心の声を漏らした。
「失礼だなぁ!!!」
「ってか、いい車に乗ってるね。レクサスの……」
「レクサスのIS350。ざっとだけど700万くらいするやつ?」と彩が言うと、アイツはにやけながら親指立ててきた。
「700万はしないけど。中古で財布叩いて一括だ! どうよ!」
「「バカ」」
「おい!!!」
「冗談」と彩が言うと、瑠衣はええっ!? と言い出した。
「こんなやつに脈ありなんて言わないよね?!」
「ない。それより、この車は私は好きだよ」
「そこはありって言っとけよ!!! 傷つくわ!!!」
「日頃の行いだよ。でも、乗ってみたいなぁ……」
「いや、俺も、彩さんが乗ってるバイクを乗ってみたいよ。なんていうか、お互いに価値観合いそうじゃん?」
「……否定は、しない」
「お、おおおお!?」
「やめた方がいいよ」
「今度、乗させて。運転はしないからさ」
「こんなやつだよ!? しかも、軽いよ、絶対!!!」
瑠衣は凄い勢いで本人が傷つくようなセリフを簡単に叫んだ。
「今度、いつ空く?」
「じゃあ来週!」
「ダメだよ、絶対に! こんなやつダメだよ!」
「ねぇ、瑠衣。さすがに言い過ぎだよ」
「いいや。ダメ!」
「ダメと言っても、私は乗ってみたい。というより、店に行くなら、この車に乗ってった方がタクシー代も浮くよ」
「そ、そそそそ、そう……だけど」
「いいよ。全然。毒舌言う女に手を出すつもりなんかないよ」
毒舌を言われまくった本人は結構傷ついているようだ。
さすがにいつものようなテンションでないのを見て、瑠衣はさすがに言い過ぎたと感じたようだ。
「……言い過ぎて、ごめん」
「もういいよ」
「ねぇねぇ! 来週に行く場所だけどさ、前から気になってた温泉の熱海とかどうかな?」
「あたみぃ!?」
毒舌を浴びるように言われて傷ついた男でも熱海温泉と言われたらテンション上がること間違いない。
ただ瑠衣は激しく動揺して彩を静止させようかと思ったが、さっきまで酷い毒舌を言っていたから何も言えない。ぐうの音も出せない。
「もちろんさ!!!」
「それじゃあ、来週、泊まりでね」
「えっ!? 彩?!」
「泊まりもいいの?!」
「うん。それじゃあ、その日、また後で詳しく日程調整しよ。いま連絡先交換いい?」
「も、もちろん!!!」
「瑠衣は?」
「私は、いい……」
「じゃあ2人で。あ、ちなみに、秋葉原のこの店まで瑠衣を連れてって」
「了解さぁ!!!」
なんでか2人の距離が縮まっているのを側で見ると、瑠衣は気分が悪くなって仕方がない。
魔女で天涯孤独で辛いと言っていた彩に不満はないけど、自分だけには特別にカミングアウトしてくれたのが嬉しく感じていたから、正直気持ちのいい展開ではない。
後部座席に乗りながらぶすっとしてそっぽを向いていた。
「それじゃ、夜頃にまた連絡するね。ちなみに今日の予定は?」
「凄く残念だけど、空けられない予定があるんだよね」
「残念……。来週に乗れるから、それまで我慢するね」
「その日は存分に堪能しちゃって!」
「ありがとっ」
不意に舌打ちしそうになった瑠衣だが慌てて口をすぼめた。凄い複雑な気分になって、このあとのオーディオ専門店で楽しめるのかわからなくなってきた。
「私さきに行くから、その店の近くまで宜しくね」
「そのバイクって、CBRだよな?」
「そうだよ。650R」
「えっと、行く前にバイク見させてよ」
「もちろんっ!」
瑠衣はもっと複雑な気分になっていった。
彩はとてもニコニコしていてて、バイクを人に見せる良さがわからない。でも、ホンダのCBR 650Rは確かにいいバイク。バイク初心者の瑠衣でも、スタイリッシュな見た目に見惚れるのは間違いない。
2人がどんな話をするのか。後部座席から下りて後ろから聞いてみる。
「マジで見た目いいなぁ。まさか彩さんがこんなにかっこいいバイク乗ってるなんて知らなかったよ」
「でしょ? 見た目がいいのもそうなんだけど、足の所のメタリックな外見もいいんだよね」
「たまらないねぇ。ここも良くない?」と言いながら、後輪の白く光るパーツを触りながら熱く語っている。
「そこもいいよね。八方美人な見た目がとにかくいいの」
「確かに!」
2人はとても楽しそうに話していた。
少し以上に気分が悪くなってしまい、瑠衣は少し距離を置こうと思って「トイレ行ってくるね」と言い、2人は頷いて、ひとりでトイレまでゆっくりと向かっていた。
少し歩いて駅近くに辿り着くと、ふと、聞いてはいけない会話を耳にしてしまった。
「ずっと探してた女って、あの人じゃない?」と、彩を見ながらガラの悪い2人がなんだか話している。
「確証はないな。病院で緊急治療中に脱走したっていう女だろ?」
「聞いてた話と似てはいるだろ?」
「違うだろ。遠くから見ただけじゃ顔がよくわからないしな。確かにボスはずっと探していて見つからない見つからないって言ってはいるけど、所詮は噂話だしな。もう過ぎた話だ。忘れろよ」
「そうか? 俺の勘はそう感じるんだけどな」
「……………」
ボス?
話を聞いてしまった瑠衣は悪寒がして、早めにトイレを済ませようと思った。
このことは彩には言わないでおこうと思うのだが、とてもじゃないが心がざわついて穏やかでいられない。
一応だけど、瑠衣はトイレに入る前にガラの悪い2人の雰囲気を忘れないようにしようと写真で撮ろうと、ちょうど2人が背中向けている所を気付かれないようにした。
その瞬間、さっきいた大柄な髭男がスマホを奪った。
「ちょ、ちょっと!」
「君は首を突っ込むな」
「え、あっ……、さっきの……」
「さっきは悪かったね。俺の正体は……この通りだ」
「警……察……?」
「さっきは確認のためにも近づいてみた。事務所というのは、ある意味で嘘じゃない」
「え」
「ちょっと、場所……、変えようか」
ただの警察の人じゃない。
もらった名刺によると階級は警部であるが、瑠衣にとってはまだ何か隠していることがあるのではと思い警戒心を抱いた。
瑠衣が大柄な髭男こと警部についていくのを、彩は実は見ていたし、しかも瑠衣のバッグにこっそり入れた小型マイクで話も実は全部聞いていた。
「彩さんどうかした?」
「ちょっと、だけね。ねぇ、店に行く前に、ちょっと、いい?」
「あぁ、いいけど……」
さっきまで楽しく話していた彩の雰囲気がガラッと変わって、手を軽く引っ張られながら駅に向かっていった。
すると2人のガラの悪い男で、勘づいている人がすぐに彩を察した。
「なぁ。やっぱりさ……」
「もう関係ないだろ。さっさと行くぞ」
「ちょっとだけ」
でも、彩には感づかれている。
ガラの悪い勘づいている男がさり気なく彩に接近する。会社の先輩と仲良く手を握って駅へ行くところで、彩はすれ違いざまにそのガラの悪い男にある魔法をしかけた。
それは記憶を忘れさせる魔法で、目を合わせた瞬間に「あれ? 俺、なにしようとしてたんだっけ?」と言い、元に戻っていった。
「だから、さっさと行くぞと言っただろ!」
「悪い!」
でも彩が一番に気がかりなのは、警部と名乗る髭男が瑠衣をどこに連れていくのかである。
会社の先輩は何かあった時にうまく利用すればいい。
そう思いながら、彩は警部にばれないよう瑠衣に追いかけ始めた。