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第1話「ひとりだけの魔女」

 東京都の大手企業に数年も務めているひとりの女性・氷川 彩(ひかわ あや)

 彼女にはこれまで誰にも見せずにずっと隠してきた能力がある。いや、能力というよりも、彼女自身が地球にいる人間と全く違う存在であることを隠し通してきた。

 彼女自身も、どうして他の人間と違うのか全部理解できずにいる。

 そんな氷川 彩はなるべく平凡に毎日を過ごしているのだが、不意に発動してしまう”魔法”をうまく制御できずにいる。


 今日も平凡に日々を過ごそうと大手企業の事務作業をこなしていると、いつも食事に誘ってくれる同僚の遠藤 瑠衣(えんどう るい)がかけてきた。


「氷川さん、仕事終わった後に食事どう?」

「うーん、今日はお腹が調子悪くてムリかも」

「えー。じゃあ、鍋でもどう? 鍋ならそんなにお腹に負担かからないと思うよ」

「今日は酷くて。最近さ、気温差が激しいじゃん。実はさ、今朝胃薬飲んできたの」

「あぁ。さすがにダメだねぇ」

「ごめんね。また今度、一緒に食べよ?」

「おっけー。じゃあ、また今度いこ」

「あっ……。トイレ行ってくるわ」

「大丈夫? ムリなら早退したら?」

「検討するわ」


 上司から頼まれていた仕事をしている最中だったが、急にお腹が痛くなり出したから足早にトイレへと向かった。

 2024年のこの年はいつもより気温差が激しい。入社してきた後輩に仕事をアドバイスをするのも大事な時期だから、なるべく早退とかしないように心掛けていた。それでも数年前よりは随分と業務の負担が軽くなり、自分だけが担当する仕事はだいぶ減って身体は楽になれてきていた。

 ただ病気がちな氷川 彩にとっては、今年は風邪気味な日々が多くて辛い日々であった。





 トイレにかけこんで少し落ち着けた後、仕事に戻ると遠藤 瑠衣が席を外していた。

 代わりに伝言がパソコンのモニターに付箋が貼られている。簡単にまとめると、忘れかけていた仕事があり急遽席を外すことになったから、電話応対などきた場合は宜しくお願いします。とのことだ。

 よくあることだから慣れている。

 付箋をつけたまま、遠藤 瑠衣が戻ってくるまで経理の仕事をすることにする。

 この会社では事務が経理系の仕事も兼任しているから、デスクに座っていることが多い。他場所から頼まれる業務もいくつかあるが、事務員は他にも先輩と後輩を含め10人くらいはいる。

 だから1人あたりの仕事量は数年前に比べたら軽減されているのだ。残業になる時間も減っているし、業務効率化を図るためにAI化も進んでいる。

 ChatAIは特に業務遂行で時間短縮の貢献が高い。

 コロナ禍で一時はどうなってしまうのかと不安が強かったが、この3〜4年間で自動化がかなり進み楽ができた。

 出社せずとも自宅で在宅勤務もできるのだから、この業務に勤めて良かったと思うことが度々ある。


 氷川 彩の場合は自宅でも勤務できるのだが、出社した方だと感じている。

 自宅というよりもアパートにいる場合、光熱費や食費が高くなる傾向にあり、機材が壊れたら買い替える手間があるからなるべく出社したいのである。

 風邪が酷い場合は在宅勤務せず有給休暇を依頼している。

 そういう事もあり、会社では事務が全員いる日は少ないが、遠藤 瑠衣とは毎日のように来ているからコミュニケーションがとりやすい関係でいる。

 ベテランや先輩達は人それぞれで考えも違い、各々で判断して出社してきている。繁忙期はほとんどが出社してきているものの、数人は在宅勤務している。

 氷川 彩も遠藤 瑠衣も、その数人と会う日も少なく名前と顔が一致しない事がしばしばあった。

 そんな数人のひとりが、珍しく今日はいた。


「お疲れさん。今日は……少ないねぇ」と呑気に男性社員が声かけてきた。

 その人は忙しくない日に出社してくると噂されている人物である。

「そうですね。土曜日ですから、在宅勤務したい方がいらっしゃるのではないですか?」

「土曜日も休みにして欲しいものだね。全くだ。さて……いま大変な仕事ある?」


 馴れ馴れしくその男性社員が隣に座りデスクを覗き込んできた。

 遠藤 瑠衣に頼まれている仕事は振らないでおこう。中途半端にしてしまったら困るから、代わりに雑用でも頼むか。


「では、これをお願いします」

「彩ちゃんの頼みならなんでもする。まっかせな!」


 とは言っても、非常に簡単な業務である。日頃から使う書類の補充や、ゴミの清掃とか。そんな雑用なのに自信満々に任せろと言うほどでもない。この人とはあまり関わりたくないのが氷川 彩の本音。

 

 そんな彼はものの数分で仕事を済ませてしまって、次は何をする? と目で訴えてきた。

 黙々と自分の仕事をやればいいのに。

 不機嫌面で訴えると、へらへらしたいつもの調子を変えずに何か別の作業をし始めた。

 何をするのかわからないけど、今は仕事に集中したいから放っておいて欲しい。そう思いながら作業を再開する。

 仕事量はそうでもないけど、日々の入力作業や経理の業務をする。金銭に関わる業務は特に慎重にしなければいけないから、今日のようにお腹の調子が悪い時とかは特に気をつけなければならない。

 というか、今日はなんでこんなに調子が悪いんだ? と考える。

 単純にここ数日間の気温差が激しくて、お腹が冷えて痛んでいるだけだと思っている。自分の場合は胃腸よりも大腸が調子悪くなることが多い。だから整腸剤をよく飲んでいる。

 と、そういえば昼食後に何も飲んでいなかった。

 1時間以上は過ぎているけど飲んでおこう。


「あの、少し席離れますね」

「了解だよ~!」


 デスクの下に置いてあるバッグから整腸剤の小瓶を取り出して、ズボンのポケットに入れて共用の洗面所に移動した。

 洗面台の右横に設置されている紙コップ入れのボタンを押して、落ちてきた紙コップを手に取る。

 手にした紙コップに水を入れて、小瓶から3錠取り出して口に含み飲み込んだ。

 これで少しは落ち着くだろう。小瓶のキャップを閉めて……という時に、ふと目を疑う数値が書かれてあった。

 今2023とかいう数値あった?

 小瓶に書かれているその数値は使用期限で、おもいっきり2023年と明記されており、しかも3月と、1年以上も前の薬を飲んでいた事に今更気が付いた。

 だからお腹の調子が昨日から悪化してたのか。このお腹の痛みがいつもと違う理由はおそらくそれだろう……。

 思わず溜め息をもらした。

 とりあえず仕事に戻ろう。


 デスクに戻り席に着くと、さっきの男性社員がそっと温かい白湯を持ってきてくれた。


「お腹でも痛いの? 温かいの飲むと楽になると思うよ」

「あ、ありがとうございます」

「あとこれ。休憩室から持ってきたこれをお腹あたりにあてるといいよ。最近って気温差が激しいよね」

「すみません」

「いいよいいよ。ちなみに、どんな薬を飲んでるの?」

「……これなんですけど、実は使用期限が切れてるの今更知ったんですよね」

「どのくらい? えっと……1年!? これ売ってる所知ってるから、今すぐ買ってくるよ」

「えっ、いいですよ。帰りに買います」

「いいよ、気にしないで。金も気にしなくていいから」

「助かります」


 その彼はすぐに自分のデスクに置いてあるバッグを手に取って、足早に事務部から出て行った。そのすれ違いに、遠藤 瑠衣が戻ってきたところだった。


「あっら、珍しい動物がいますねぇ」

「俺は動物じゃあねぇよ。しっかりした人間だ!」

「よく氷川さんにワンワンって言ってるじゃないですか。構ってよ~、構ってよ~って」

「だから俺は……って、まぁいいや。すぐ戻ってくるから」

「どこまで行くんです?」

「薬局」

「あっ。私用に買ってきて欲しい薬あるんですけど、いいですか?」

「俺は雑用係かよ」

「雑用係でしょ。たまにしか出てこないんだから、今日くらいいろいろ頼まれていったら株あがるかもね~」

「ち」

「今、なんて?」

「なんでもない! その薬ってなんだ?」

「ロキソニンです。よろしく」

「自分で買えよ」

「え? 今、なんて?」

「買ってくるから」とイライラしながら返答しだす。

「ロキソニンで高くないやつなら何でもいいから。それじゃあ、よろしくお願いします」

「はいはい」


 本当に彼はわかりやすい人間だ。

 すれ違いに入ってきた遠藤 瑠衣は、席で表情のよくない氷川 彩を見てすぐに心配しにきてくれた。


「大丈夫?」

「うーん。ヤバイ」


 実は2023年3月の使用期限切れの薬を昨夜から合計3回飲んでいるから、身体へのダメージが大きい。

 数分前はまぁまだ大丈夫だろうという調子だったが、締め付けるような痛みと座っているのも辛いくらいに辛く感じてきた。

 普通に座るのも辛くなってきている。


「ソファーで少し横になるね」

「本当に大丈夫?」

「実はさ……、さっき気が付いたんだけど、整腸剤が2023年で去年のだったの。もう3回飲んでる」

「もう帰りなよ。さすがにそれダメだって」

「とりあえず、さっきの人が戻ってくるまでは。新しい薬買ってきてくれるって言ってくれたからさ」

「あ、あぁ、そういうことだったんだね。わかりました。あとは私が仕事引き継ぎます」

「ごめんね、中途半端で」

「全然いいよ。むしろ、私が仕事増やしちゃったんだし。氷川さんは横になってて」

「ありがとう」


 早めに遠藤 瑠衣が戻ってきてくれてよかった。

 お腹を温めるように使っているタオルと白湯のコップを持って、ソファーまで歩い――。


「氷川さん!?」


 激痛が走って体勢を崩し倒れていた。

 コップは割れる事なくコロコロ転がっているが、一番動揺しているのは氷川 彩の本人で、身体の異変が起きているのに気が付いた。

 身体が燃えるように暑くて、視界がぼやけて、足の指先から頭まで全身が痛んでいく。

 すぐにハッとして、慌てて起き上がってトイレに逃げ込もうとした。


 けど、トイレに行く手前でまたしても激痛が起きて倒れ込み、遠藤 瑠衣は目を疑って尻もちをついた。


 今まで隠してきていた魔女の力が、こんな時に発動してしまっていた。

 身体がみるみるうちに変形していき、黒猫へと姿を変えてしまったのである。


「え、え? え? え……?????」


 もちろんパニックになった。

 黒猫は慌てて起き上がって足早に逃げ去った。


「えっ!? ま、待って!!!」


 遠藤 瑠衣は思考停止していたが、咄嗟的に黒猫を逃がしたらもっと状況が悪くなってしまうのではと察して追いかけた。

 幸いにもドアは閉まっているから、黒猫は逃げる場所がなくてあたふたした。

 これなら捕まえられる。

 けど非常にタイミングが悪く、別の女性社員がドアを開けて入ってきてしまった。

 今だとばかりに黒猫が逃げ出してしまった!


「え? 猫?」


 タイミング最悪!

 説明する暇なんてない。猛ダッシュして黒猫を追いかけると、またタイミングが悪くエレベーターが閉まろうとするギリギリで入っていく。


「待って! ドア開けて!!!」


 中にいた人が慌ててドアを開けて、別の人が黒猫を瞬時に捕まえた。

 黒猫にとっては不覚だった。


「はぁ……はぁっ、あ、ありがとうございます」

「俺、この黒猫よく見てるよ。今回はどこにいたの?」

「え?」


 今回が初めてでないという事を遠藤 瑠衣を知り、さらに混乱し始めた。


「私もよく見るわ。この会社が好きらしいよね」

「え」


 黒猫も遠藤 瑠衣も固まってしまって、男女のふたりは慣れた手で頭を撫でたりし始めた。


「どうかしたの?」

「……だって、ひ、あ、いや、なんでもないです」


 男に抱かれている黒猫の反応は悪くなく、なんだか気分が落ち着いているようだった。

 その黒猫の正体は氷川 彩だという事をつい口に出してしまいそうになった。自分自身も半信半疑であるけど、目の前で身体が変わるのを目撃してしまったのだから、間違っているはずがない。

 なんて、考えていると、1階についてエレベーターが開くなりすぐに黒猫を逃げ出した。


「待って!!!」


 思考する暇もない。黒猫は猛ダッシュで広い会社ビルの中を走り入り口まで走る。追いかけるように遠藤 瑠衣も走るが、追い付くどころかどんどん距離が開いていく。

 

「誰かその猫を捕まえてください!」


 周りにいる人達は慌てたが、まず先にひとりの男性が入り口の自動ドアを止めてくれた。

 もちろん自動ドアは開くことなく、黒猫は止まれず勢いよく体当たりしてしまい気を失った。身体がぴくりとも動かなくなり、捕まえるどころか返って逆効果になってしまったかもしれない。


「あ……。ヤバかったな」

「とりあえず、ありがとうございます」

「いえいえ。でもその猫、よく見るからさ」

「そんなに?」

「君は始めて?」

「え? えっと……」


 遠藤 瑠衣は思考を整理する余裕がなく、世界がなんだか回る錯覚すらもし始めてきた。

 他の人達はいつも通りに会社から出たり、受付に用を済ませようとし始めた。

 

「まぁ、その猫に何されたのかわからないけど、悪い猫じゃないからね。優しくしてあげてね?」

「はい。わかりました」

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