「デューク」(江國香織)を読む4~センター試験に挑戦!
プールを上がったふたりは、地下鉄に乗り、銀座に出る。女性は、「今度は私が『いいところ』を教えてあげる番だった」と感じる。これは、青年によって、プールで泳ぐ解放感や、快い疲労感、そのあとに食べるアイスのおいしさなどを思い出させてもらったからだ。裏通りにある小さな美術館でふたりは、中世イタリアの宗教画や古いインドの細密画を見る。そこは、裏通りにある小さな美術館だ。目立たずこじんまりとしている、「いい美術館」なので、心を許した相手にしか教えない場所だろう。相手の親切な思いやりやあたたかさに報いようとすることも含め、女性は青年に親しみを感じている様子がうかがわれる。幸い少年もそこを気に入ってくれたようだった。
美術館を後にし、ふたりは落語を聞きに行く。真冬のプール、美術館、落語と、ずいぶん脈絡のないデートコースだ。落語については、「たまたま演芸場の前を通って、少年が落語を好きだと言ったから」なのだったが。しかしこの偶然も伏線になっている。
落語が好きだという少年の求めに応じて演芸場の「中に入ると、私はだんだん憂鬱になってしまった」。それは、「デュークも、落語が好きだった」からだ。
女性はふと、我に返る。「デュークが死んで、悲しくて、悲しくて、息もできないほどだったのに、知らない男の子とお茶を飲んで、プールに行って、散歩をして、美術館を見て、落語を聴いて、私はいったい何をしているのだろう」。少年は落語を楽しそうに聞いている。それに対して「私は結局一度も笑えなかった。それどころか、だんだん心が重くなり、落語が終わって、大通りまで歩いた頃には、もうすっかり、悲しみが戻ってきていた。デュークはもういない。デュークがいなくなってしまった」。
愛する犬の死にあれほど深い悲しみに沈んだはずなのに、気が付くと初対面の少年に心惹かれ、デートまがいのことをして楽しんでいる自分にあきれる気持ち。自分はいったい何をしているのだろう。こんなことをしていてはいけない。デュークの死を本当には悲しく思っていないのではないかと自分を責める気持ちだ。だから彼女は、「デュークはもういない。デュークがいなくなってしまった」と繰り返すことによって、愛する存在の喪失・欠落を、いわば自分に言い聞かせるように言い、意識上に明確化しようとしている。楽しんでいてはいけない。今はデュークの死に沈まなければならない、ということだ。
センター試験問4。「デュークはもういない。デュークがいなくなってしまった」とあるが、この箇所が示している「私」の心理状態はどのようなものか。」
「①「少年」と一緒にいながら、自分の中の喪失感をあらためて意識している。」
これが正解だそうだ。しかし、この正解の選択肢には、大切なことが圧倒的に不足している。彼女が感じているのは、デュークの喪失だけではない。それをまるですっかり忘れてしまったかのような状態の自分を強く戒める言葉なのだ。自分を責める表現なのだ。そうしてこの場面のこの言葉が持つ意味は、そちらの方が強い。従って、正解としては不完全な選択肢だ。また、「「少年」と一緒にいながら」の意味が不明だ。
「②デュークの死後、何をしても気持ちが晴れないまま、変わらぬ悲しみに浸り続けている。」
「気持ちが晴れないまま、変わらぬ悲しみに浸り続けている」が×。青年との交流によって、いくらかの心の解放を感じている。
「③楽しい思いをすればするほど、悲しみにそぐわない場所にいる自分に対して腹立たしく思っている。」
この選択肢は、「悲しみにそぐわない場所にいる」の「場所にいる」が誤りなのだろうが(「状態の」なら〇か?)、①よりもよほど良い選択肢だ。これを選んだ受験生は多いのではないか。ただ、悲しみの記述が不足している。
「④親切な「少年」の気持ちを大事にしようと努力したのに、結局心が通い合わずにいらだっている。」×
「⑤心の中で無理に叫ぶことで、デュークとの決別を前向きに受け入れようとしている。」×
問4の正解の選択肢は、①+③の内容でなければならない。①は不足だし、③はわずかな表現の違いと不足。
やはり不満の残る問題だ。
(つづく)




