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百木禄太郎の姿が見えなくなってから、響は改めてその周囲を見回した。
一つの建物が目についた。
そこは何年も前に閉鎖されたであろう古びた工場だった。金網でグルリと周囲を囲まれてはいるが、さほど高さもなく一部は破れている。
響は金網を越えて、建物へと近づいていった。
鍵が壊れているらしく、ドアノブを引くと軋んだ音とともにドアが開く。
(間違いない)
暗闇の奥にハッキリと生命の存在が感じられる。
窓からはいってくる月明かりでうっすらと工場内を見渡すことが出来る。古い機材がそのまま残されている。
そこをゆっくりと進んでいく。その片隅に小さな人影が見えた。
「君は?」
「私は……志乃です」
集中しなければ聞き取るのが難しいほど小さな声で少女は答えた。オーバーオールに少し大きめのコートを着込んでいる。
「ここで何をしているの?」
「待ってる」
「誰を?」
「ううん……なんでもない」
志乃はハッとしたように首を振った。
「誰かと一緒だったの?」
「違う」
それはどこか嘘っぽい感じがした。だが、周囲を見回すが他に誰の姿も見当たらない。
「君は……自分がどういう存在なのか知っているの?」
志乃は小さく頷いた。
「もう私は死んでる」
「そう……知っているんだね」
それは生きた少女ではない。だが、幽霊のようなものとも違う。言ってみれば身体を持った魂だ。
さっき感じた異質な生命はこの子に間違いはないだろう。
危険なものは感じない。
「私をどうするの? 帰るところなんてない」
「大丈夫。とりあえず一緒に行こう」
そう言って、響は志乃の手を握った。小さな冷たい手がわずかに震えている。「ねえ、君はどこから来たの?」
「わからない」
「わからない?」
「……そんな昔のことなんて憶えてないから」
昔のことーーそうこの子は言った。
おそらく、この子が生命を失ったのはずっとずっと前のことだ。この子は今の時代に生きてきた子ではない。
工場を出た時――
ふと誰かの気配を感じて振り返った。だが、そこには暗闇が広がっているだけだ。
気のせいだったのだろうか。
再び前を向いて歩き出す。
そこへーー
「おやぁ、見つけられたのですね」
電柱の陰から出てきた伽音に声をかけられ、響は思わず身体をビクリとさせた。
「脅かさないでよ。伽音さんはどうやってここを? 伽音さんならボクよりも早く彼女を見つけ出せたんじゃないの?」
「いえいえ、私が居場所を見つけられるのは草薙さんだけですよ。草薙さんのいるところなら、私はすぐにやってこれるのです」
「どんな能力なの?」
「きっと『愛』という能力ですね」
「嘘ばっかり」
「嘘ではありませんよ。私はちゃんとあなたを想っています」
伽音が響のことを近しい存在だと思ってくれているのはわかる。だが、それはどちらかというと親が子を思うのに似ている気がする。
「それより、この子のこと、伽音さんはわかる?」
「わかるというより、この子は全てを話しているじゃありませんか」
伽音は志乃の顔を見てから言った。
「どういうこと?」
「ほら、覗いてみなさい」
伽音は響の頭を両手でグイと掴み、志乃の顔へと近づけた。
途端に頭の中にどこかの映像が飛び込んでくる。
雪に閉ざされた村。
貧しい家。
幼いながらに両親と別れ、売られていく少女の姿。
遊廓に買われ、必死で働く毎日。そんななかでも恋をし、その恋のために逃げようとして殺される最後の夜。
胸が締め付けられる。
「今のはいったい?」
「今さら驚くことではありませんよ。あなたはもともと死者の魂を通じて、その人を知る力があるのですから」
「それじゃ、今のはこの子の?」
「そうです。この子が生きていたのは300年以上も昔。幼い頃に家族のためにわずかな金を得るために売られ、遊廓で恋を知り、恋に裏切られ死んでいった。よくもまあ長い間、この状態で生きてきたものです。いや、何者かに実体を与えられたようですが」




