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辺境領主の視察旅  作者: 水浅葱ゆきねこ
歌劇の街 ラヅッカ
9/21

ダイン、ランチデートする

 翌日の午後、ダインは〈黄金の猪〉劇場の控室の前に立っていた。

 今日は正装ではなく、こざっぱりとした普段着だ。

 時々通りかかる関係者が、短く声をかけていく。

 やがて扉が開き、若い女性が姿を見せた。

 舞台用の化粧を落とし、地味な色合いの服を身に着けたユリアーナだ。

「お待たせして、すみません」

 それでもダインに向けた笑顔は輝くようで、少々どぎまぎする。

「いえ、大丈夫ですよ」

 二人は、劇場の裏口から外へ出ていった。


 普段は、昼間にはあまり時間がないという。

 夜の公演に向けた準備で、着替えや化粧もそのままに、買ってきて貰った軽食を食べるぐらいだとか。

「わざわざおつきあいさせてしまってますね」

 少し困った顔でダインが言う。

「そんなこと。私の方こそ、無理を言っているのに」

 手を振って、金髪の女優は否定する。

「今日しかありませんからね。しっかり見せつけておかないと」

 そして気合を入れるように、がっしりとダインの腕に手を絡ませた。

「行きましょう!」

 小さく苦笑して、男は頷いた。



 少し歩いた先の広場に、露天が幾つも出ているのだという。

「折角だから、この地方の名物にしましょうか」

 ユリアーナが迷いのない足取りで進んでいく。

 目指したのは、大きな鉄板で何かを焼いている露天だった。頭部をタオルで包んだ男が、それでも額に汗を滲ませながら鉄板に薄黄色の液体を流しこんでいる。

 ジュウゥ、という音と共に、覚えのある匂いが立ち昇った。

「卵……?」

「おじさん、二つずつね!」

 小さく呟いた言葉が聞こえていないのか、ユリアーナは店主に注文する。あいよ、と意気のいい声が返ってきた。

 傍らの器から一掴み何かを手にすると、一つずつ鉄板に落としていく。二センチ程度の物体が薄黄色い液体の中に沈んでいったので、どうやら鉄板にはへこみがあるようだ。

 じりじりと焼けていく鉄板を見つめていた店主は、やがて先の尖った、太く長い(ナーデル)のようなものを手にして、固まりかけた卵液に挿し込み、くるりと回す。

 魔法のように、ころん、と球状になった卵液が回転した。

 続けざまに一枚の鉄板全部のへこみ部分を回転させると、店主は木製の深皿に傍らの鍋から温まったスープを注ぎ入れた。

 そして、鉄板の上の丸いものを幾つか針で刺し、スープの中へ入れていく。

 その皿を二つ差し出され、彼の動きに見惚れていたダインは慌てて受け取った。

「こっちは作りおきでもいいかい?」

 僅かに首を動かして頭を下げるような仕草で問われる。

「もう、折角街の外からのお客様なのに」

「でも時間ねぇんだろ? サービスしとくからさ」

 木製の平皿に、何かが三枚載せられた。

 それはユリアーナが苦笑しながら受け取り、手慣れたように硬貨を渡す。

「あ、俺が……」

 ダインが声を上げるが、生憎両手がふさがっている。

「座ったら、ね」

 物分りよくユリアーナが返すが、こちらに向けた顔は悪戯っぽく片目をつむってみせていた。

 頼んだのは自分だから、と、固辞するに違いない。

 広場の中には、そこここにベンチが設置されている。そのうちの一つに向かうユリアーナの後ろを歩きながら、きっと挽回しよう、とダインは心に決めた。


「それで、これは一体……?」

 ベンチに、多少離れて座り、間の座板の上に皿を置くと、ダインは首を傾げた。

「こっちのスープに入ってるのは、この地方で『たまご焼き』と呼ばれている料理です」

「卵焼き?」

 それでは、卵を焼く料理全般の名前になってしまう。

 笑顔で、ユリアーナは続けた。

「卵に、魚から取った出汁(フュメ・ド・ポワソン)を混ぜて、中に(オクトポーデ)を小さく切ったものを入れて焼いてるんです。ほら、昨夜食べた」

「ああ」

 あの不思議な食感の海産物だ。

「スープも、魚の出汁から作ってます。流石にたまご焼きじゃ紛らわしいから、名前を変えようって言われてて、でも決まらないままもう何年も経ってるんですよ」

 はい、と、こちらも木で作られた細いフォークを渡される。

 ほのかに温かい深皿を手に取って、たまご焼きの一つにフォークを刺した。

 持ち上げると柔らかな卵部分が崩れそうになって、急いで口に入れる。

 とろりと口の中に広がった卵は想像したよりも熱かった。小さく驚きの声を漏らす。

 鼻に、いつか嗅いだ磯の香りが抜けていく。懐かしさに、笑みがこぼれた。

「美味しいな」

「よかった」

 華やかに微笑んで、ユリアーナも卵焼きを口に入れる。見れば、スープの中で半分に割っていた。口が小さいからか、割って温度を下げているのか。

 ダインもそれに(なら)い、半分ほどを食べてしまう。

「こっちは?」

 次いで、もう一枚の皿に乗っているものに視線を落とす。

 形は、八センチほどの正方形だ。小麦粉を溶いて焼いたものだと思うが、中に何か混ぜこんであるらしく、緑や黒っぽい色が透けて見えた。

 片面に、縦横三つ並んだ半円形の膨らみがある。卵焼きの鉄板を使い、分厚く焼いたのだろう。

「これは、ちょび焼きといいます」

「ちょび焼き……」

 やはり聞いたことがない。

「小麦粉と卵を水で溶いて、細かく解した牛肉や香草を混ぜて焼くんです。ちょびっていうのは、ほんの少し、って意味があって、量が少ないからか、値段がお安いからか、どっちかだと思います」

 だから気にしないでください、と、ユリアーナが続ける。

「じゃあ、今夜は俺が出しますからね」

 雇い主から軍資金は渡されている。超一流の店ならともかく、彼が背伸びする程度の店なら充分だった。

 困ったような顔で、しかしユリアーナは笑って頷いた。


 甘辛いソースがかかったちょび焼きは、ダイン好みの素朴な味がした。




「時間はありますし、街を案内します」

 木皿を露店に返すと、ユリアーナはそう申し出た。

 許可は出ているとはいえ、ダインは視察ができないでいる。夜の公演に差し障りがない程度で、と条件をつけてお願いした。


 大通りを進んだ先にあったのは、広大な公園だった。ずっと奥に、三階建ての大きな建築物がある。

「ここが、ラヅッカ演劇学園です。演劇に関することが何でも学べます。俳優になりたい人は勿論、大道具や小道具、衣装や化粧まで」

「へぇ……」

 ダインは学園というものに接するのは初めてだった。

 生まれ故郷では大抵の人間は文字すら読めず、村長や農場主などの少数の人間が全てを取りまとめていたからだ。

 仕事に関しては、親族や親方といった人間から直接伝授される。読み書きや計算も、そのようなくくりになっていた。

 正直、この学園で何をやっているのか想像もつかない。

「この公園では学生たちが演劇を上演することができるんです。目の肥えた観客に鍛えられて、中には劇団に勧誘されたりする人もいるらしいですよ」

 言われてみれば、公園を行きかう人々の年齢や地位は様々だった。それでも何の軋轢もないように見える。


「ユリアーナさんも、ここに通っていたのですか?」

 詳しそうなのでそう訊いてみたが、彼女は笑って首を振った。

「私が役者を目指したのは、生まれた村に、旅芸人が来たのがきっかけでした。よく知られた昔話を、あんなにも活き活きと人が演じることができるのだ、ということに驚いてしまって。すごく夢中になったんです。自分でも、あんな風に演じてみたいと思って。親を何年もかけて口説き落として、旅芸人に加えて貰いました」

 旅芸人の本拠地はラヅッカにあって、戻って来たときにこの地に住むことにしたという。

「どうにも、私には旅の生活は合わなかったようで。団長の伝手を辿って、今の劇団に入れて頂けました。両親も、定住している方が安心だから、と言っていますし」

 それでも、周囲の若者たちを見る視線が少しばかり羨ましそうなのは間違っていないだろう。

 だが、ぱっと顔を上げた時には、楽しそうな笑顔を浮かべている。

「あ、あっちの方で何か演じてるみたいです。行きましょう!」

 彼女は本当に演劇が好きなのだなぁ、と、手を引かれて歩きだしながらダインは考えた。





「広場でランチを摂って、その後学園前公園までデートだと……?」

 部下からの報告を聞いて、フーベルトは抑えられない怒りに拳を握る。

「若様、いい機会でさ。あの女は諦めなせぇ」

 十数歳年上の男が知ったような口をきいてきた。

「うるさい、お前なんぞに何が判る。ユリアーナは、百年に一度の逸材だぞ!」

「前の女の時にもそうおっしゃってませんでしたかね」

 肩を竦めて、返される。

 十数歳年上ということは、それだけ長くラヅッカにいるということで、実はフーベルトよりも演劇界には色々詳しかったりもするのだが。

「それでも、婚約者がいるというのは分が悪い。悪いことは言いませんから」

「婚約者?」

 更に諌めてくるのを、遮る。


「婚約が有効なのは、生きていてこそだろう?」

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