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辺境領主の視察旅  作者: 水浅葱ゆきねこ
歌劇の街 ラヅッカ
6/21

ダイン、痴話喧嘩を止める

 ダインは酷く困惑していた。

「今回一緒に来るのは、俺じゃない方がよかったんじゃないのか?」

 そう告げられたデュランは、呆れ顔で連れを見返す。

「ここまで来ておいて今更何を」

「だって、どうせならクラウ女史とか、そうでなくてもガラックさんなら慣れてるだろ」

「そりゃ、あいつらは何度か観たことあるだろうけど」

「だろ?」

 返答に、縋るような声を上げる。

 だが、デュランは続いて大きく笑みを浮かべた。

「だからこそ、初めてのお前に観せたいんだよ」

 そう言われると、もう二の句が告げられなくて、ダインは長く溜め息をついて(あつら)えたばかりの正装の膝を折った。


「そう気負うなよ。お前は観る方であって、演じる方じゃないんだから」

「当たり前だ」



 夜毎に恋の花が咲き、心を痛め、笑い、泣き、憤り、そしてその全てが虚構。


 歌劇(オペレッタ)の街、ラヅッカに、二人はやってきていた。




 夕暮れの街路には、人が多い。

 夜になってから始まる演目に向かう人々が溢れているのだ。

 彼らは生地や仕立ての質は様々ではあるものの、殆どが正装といえる格好だ。それが慣例らしい。観光でやって来た者たちの為に、貸し衣装屋も繁盛しているようだ。

 つまり、着こなしがぎこちない者もそこそこいて、ダインが悪目立ちするということもない。

 今夜への期待に、人々の顔は一様に明るい。

 それにつられたか、ダインも心なしかそわそわしてきていた。

 プレッシャーには弱いが、元々好奇心は旺盛な男なのだ。

 物珍しげに周囲を見回して歩く。その隣を、楽しげにデュランも進んでいった。

 雑踏は色々な声を混ぜて流れていく。


「離してよ!」


 その中を、ふいに一際高い声が、響いた。



 ざわ、と、周囲の人々が視線を向ける。

「愛しているんだ、ヘンリエッタ!」

「昨日、同じ事を他の女に言っていたのに? もう沢山よ、離してったら!」

 声を上げているのは、一組の男女だ。

 女性は明るい金髪を結い上げ、華やかな薔薇色のドレスを纏っている。首元にレモンイエローのスカーフを巻いていた。眉を寄せ、手首を掴む相手を睨みつけている。

 男の方と言えば、鮮やかな青の上下を着て、濃いブラウンの髪をしていた。こちらに背を向けているので、顔は伺えない。

 その肩に、ぽん、と手が乗せられた。

 振り向いた男は、まだ若い。ひどく整った顔立ちが、軽い驚きを浮かべて見返してきていた。アスコットタイは、女性と同じレモンイエローだ。

 その女性の瞳に、驚愕と僅かな怯えを見て取って、ダインはやや曖昧な笑みを浮かべた。

「ほら、そんなに強く女の人の手を掴んじゃ駄目だろ」

 柔らかく制止したのをどう取ったのか、彼はゆっくりと笑みを浮かべ、空いている方の手でダインの手首を握りこんだ。

 そして、その腕を高々と上げて、叫んだのだ。


「はてさて、ヒルデブラントの恋の遍歴の行方は如何に!? 昼夜二公演、〈黄金の猪〉劇場で上演中!」


「……え?」

 男の向こう側を見れば、同様に腕を持ち上げられている女性が、満面の笑みでもう一方の手を振っている。

 周囲の人垣からは、いっせいに拍手と歓声と野次、口笛が飛んできた。

 呆然としたまま視線を巡らせると、蜂蜜色の髪の連れは、その中に完全に馴染んでいる。

「ええー……」

 力なく呟いて、ダインは眉尻を下げた。



「申し訳ない!」

 とりあえず道の端に寄ると、ダインは勢いよく頭を下げた。

「え、いえ、あの顔を上げてください」

 男の慌てた声が降ってくる。

 ゆっくりと視線を上げて、相手の表情を伺う。困ったような男女の顔からは、怒りや苛立ちといったものは感じられない。

「だけど、ええと、先刻(さっき)のは本当の喧嘩じゃなかったんでしょう?」

 ダインは実際は察しが悪い方ではない。

 予想した通り、派手な上着の男は頷く。

「はい。ラヅッカでは、街頭で公演の宣伝をすることが認められています」

「この、黄色のスカーフやタイをつけているのが、宣伝の役者のしるしになっているんです」

 指先を柔らかくスカーフに当てて、説明される。

 確かに、衣装に似合わない目立つ色ではあった。

「申し訳ない……。それを台無しにしてしまって」

 肩を落として、もう一度頭を下げる。

「やめてくださいって。我々、役者の間では、貴方のように通行人に割りこんで貰えたら一人前、と言われているんですよ」

「え?」

「演技ではなくて、本当のことだと思われた、という意味で。公演の成功を約束された、とも言われます。幸運の象徴ですね」

 ふわりと微笑む女性は、最初に視線を合わせた時の怯えなど微塵も見せない。

「まあ、縁起物みたいなもんさ」

 ゆっくりと近づいてきたデュランが口を挟んできた。

 じろり、と彼を()めつける。

「あんた、このこと知ってたんだろ」

「ああ」

「何で止めてくれなかったんだよ!」

 言っても無駄だと思いつつ、非難する。

「そりゃ、ダイン。お前の初めての経験を無下に潰すなんてできないだろ」

 心底から、邪気のないような顔で断言されて、ダインは今までで一番深く俯いた。


「何かの縁だ。明日の昼なら空いているから、観せてもらいに行くよ」

「ありがとうございます!」

 背後で、彼を放ったまま何やら盛り上がっていたが。




 劇場内部は、非常に煌びやかだった。

 今までの道程でかなり機嫌を悪くしていたダインではあるが、流石にここに至っては目を(みは)って周囲を見回している。

 舞台の幅は、十メートルほど。ずっしりとした緞帳(どんちょう)が垂れ下がり、奥行きまでは判らない。

 その舞台の正面に、椅子が並べられていた。幅は七メートルほど、間に通路が幾つか作られている。列は五列ほどだった。

 そして、天井が高い。三階分の吹き抜けになっている。

 何故階数が判るかと言えば、二階、三階と壁に個室が設えてあるからだ。

「ちょっと意外だな」

 呟きに、前を歩くデュランが軽く視線を寄越してきた。

「あんたなら、あっちを選びそうだったからさ」

 ひょい、と顔を上げて、個室を見上げた。そこに陣取っているのは、遠目に見ても着飾った紳士淑女たちだ。

 吹き抜けの天井から下げられたシャンデリアに照らされて、上品に笑いさざめいている。

 おそらく席の値段も、この舞台前とは全く違うのだろう。

 だが、デュランは僅かに嫌そうに視線を逸らせた。

「あんなところに座ったら、お忍びでも何でもなくなるだろう」

「いや、そもそもあんたがここにいるなんて誰も思わないだろ……」

 地味にお忍びであることにこだわる男だった。

 彼はさっさと椅子に座ると、促すように隣の席の座面を軽く叩いた。

 そして、入場する時に売店で買った紙袋を開く。何かを摘みだして口に放りこんだ。次いで、こちらに袋を向けてくる。

「何だい、それ」

 覗いてみると、茶色い直方体がごろごろと入っていた。一つを取り出してみる。

木の実飴(ヌガー)だよ。砂糖を煮溶かして、木の実を混ぜてるんだ。音を立てないから、観劇中でも食べられる」

 へぇ、と呟いて、口に入れた。ねっとりとした飴の甘さと、木の実の香ばしさがあふれてくる。

 しばらく雑談をしていると、ゆっくりとシャンデリアが暗くなってきた。

 ざわざわとした周囲の声が静まり、皆が期待を高まらせ、舞台を見つめている。

 知らず、ダインの口角も僅かに上がっていた。




 すっかりと暗くなった夜道を歩く。

 そこここにある酒場はまだ営業中で、松明に照らされた人々の姿は未だ多い。

 この街は、深夜になるまでは眠らないのだ。

 やけに静かに、ダインは歩いていた。雰囲気を察してか、デュランも口数が少ない。

 一際騒がしい若者たちの横を通り過ぎる。彼らは、今夜観てきたのだろう演劇の内容について、喧嘩腰に近い勢いで論議していた。

「……すごいなぁ」

 ぽつりと、ダインがこぼした。

「ん?」

 軽く、デュランが返す。

「芝居っていうのはさ、作り事のお話だっていうじゃないか」

「そうだな」

「なのに、こんなに人を動かす力があるんだな。沢山の劇場があって、沢山の話が演じられて、それをもっと沢山の人たちが観に来て。それだけじゃなくて、あんなに熱く話しあえるだけ、心が動くんだ。……俺だって」

 夜空を見上げ、男は長く息をはいた。

 今夜二人が観てきたのは、この国の古典的な演目だ。それだけに出来は安定していて、判りやすい。

 それでも、初めて観劇するダインには、衝撃が強かったのだろう。

「……一杯飲んでいこうか?」

 とん、と広い背中に触れて、デュランは手近な酒場へと足を向けた。



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