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辺境領主の視察旅  作者: 水浅葱ゆきねこ
温泉の街 ツサーク
3/21

ダイン、温泉を満喫する

 夕食は非常に美味だった。

 ダインはテーブルマナーには自信がなかったが、給仕についた女性は、それを非難する素振りなど一度も見せなかった。

 むしろ、赤身の魚のムニエルは一口サイズで作られ、骨付き肉の煮込みは丁寧に骨が外されてさえいた。

 デュランの不快を取りなした男に、感謝と敬意を表しているのだろう。

 当のダインは全く気づかないまま、少し緊張した面持ちで立ち向かっているが。



「さて、じゃあ、もう一度温泉に入るか」

 メイン料理が終わったところで、デュランはさっさと席を立つ。

「もうか?」

 先刻(さっき)出てから一時間ほどしか経っていない。少しばかり驚いてダインが尋ねる。

「お世話を致しましょうか」

 給仕をしてくれた召使いが静かに声を発し、ダインはそれにもまたぎょっとする。

「自分たちでできる。いい夕食だった。ありがとう」

 軽く返すのに、深々と召使いは頭を下げた。


「あー……」

 二度目となると、流石にダインも慣れてくる。ゆっくりと湯に身を沈めて、小さく呻き声を上げた。

 デュランはざばざばと湯をかき分けて、真っ直ぐに壁へと向かっている。

 まず出してきたのはワインのデキャンタとグラスだ。慣れた手つきで白ワインを注ぎ、一客をダインに渡す。

「旅の無事に」

「まだ着いたところだけどな」

 苦笑して、グラスを小さく掲げた。

 棚の中には冷鉱石が入っているのだろう。冷えたワインが喉を通り、また一段と身体が温まった気がする。

「これ、すぐのぼせるぞ」

「水も出しておくよ」

 控えめにしておけ、と言いたかったのだが、デュランは別のグラスの準備をする。

「さて」

 そして枡の木の蓋を取り、沈めてあった網を引き上げた。

「何だったんだ、それ?」

「まあちょっと待て」

 ダインの問いかけに、意味ありげに笑いながらいなす。

 棚の中から、蔓で編まれた籠を出す。目は粗めで、中に何か白いものが入ってるのが見えた。籠の底面は十五センチ角程度だが、深さが二十センチほどはある。それを、空いたばかりの枡へゆっくりと沈めた。再び枡に蓋をする。

 次に、棚から今度は掌に乗るような大きさの碗を二つ手に取った。先に湯から上げた網の中から、そっと取り出したのは。

「……卵?」

 碗の中に、かぱりと割り入れられたそれは、見慣れない姿をしていた。

 白濁した白身がとろりと崩れ、オレンジ色の黄身が薄っすらと見えている。

「まだ茹で足りないんじゃないのか?」

「いいんだよ、これで。……ほら」

 蜂蜜色の髪の男は、ぱらりと塩を一摘みかけ、スプーンを添えて渡してくる。

 柔らかいが生ではない、不思議な固さの黄身を割り、口に含む。

「……え?」

 茹で卵のようにぱさつくことなく、とろりとした食感の卵が舌に、歯に絡みつく。

 その濃厚さは、飲みこむのが実に惜しい。

「美味いだろ?」

 デュランは行儀悪く碗に口をつけ、つるりと一口で嚥下した。

「次な。オリーブオイルに塩と胡椒をほんの少し」

「うわそれ絶対美味い」

 慌てて残り半分も食べてしまい、器を手渡した。

「温泉ぐらい、マナーとか人目とか気にしたくないからな」

 鼻歌を歌いだしそうな機嫌の良さで、次の卵を割る。

「あ、ひょっとして先刻(さっき)の人が言ってたの」

 お世話、とは、ここの給仕のことだったのだろう。

「この程度のこともできない奴が多すぎる」

 軽く憤慨したように、しかし少しばかり得意げに、デュランは返す。

 どう考えても、彼はできない側の立場の人間なんだけどな、と次の卵を手渡されながらダインは思った。


「よし、そろそろかな」

 デュランが、枡の中から籠を取り出す。ざばざばと籠の中から湯が溢れ落ちる。

 それがおさまると、すぐに壁に作りつけの棚へと戻してしまった。

「どうかしたのか?」

「ちょっと熱いからな。しばらく冷やす」

 その時はさほど気にもかけず、またワインを飲みつつ雑談を続けていた。

 十数分ほどして、デュランが棚の扉を開けた。

 籠の中から出てきたのは、白い蓋つきの碗だった。一つはダインに渡し、もう一つは自分の手に残す。

 慎重に蓋を外すと、ふわりと甘い匂いが立ち上った。

「これは?」

プリン(フラン)ってデザートだよ。卵を甘くして蒸したものだ」

 スプーンを差しこむと、優しい薄黄色の表面がふるりと揺れた。

 そっと口に含む。

 柔らかな塊は、舌の上で溶けるように消えていく。

「うっわ……」

 元々、農夫のダインは甘いものなど余り食べられない。自宅用にこっそり作った干し果物程度だった。

 ここしばらくは待遇がよくなったこともあり、ジャムなどの砂糖を使った加工品も口にすることが増えたが、それでも菓子はまだ珍しいのだ。

「底まで(すく)ってみろよ」

 楽しげに、デュランが教えてくる。

 言う通りにすると、スプーンの縁に、じわりと黒い液体が染みた。それを絡めて食べると、また甘みが強い。

 散々堪能して、ほう、と息をつく。

「……だけど、うちの領地に温泉はなかっただろ? 凄く美味しかったけど、参考にはならないんじゃないか?」

 ふと、目的を思い出して問いかける。

 彼らは、自分たちの領地を豊かにするための施策を探して旅に出たのだ。

 垂れ目気味のダインは、不安そうな顔をすると、やたら頼りなさげに見えてしまう。

「大丈夫だ、抜かりない。明日はその為に動くから」

 しかし胸を張って、デュランが請け合った。

「……今日は?」

「初日ぐらい、ちょっと楽しんだっていいだろ?」

 全く邪気のない顔で、男はそう断言したのだった。




 翌朝は少し早めに起床する。

 ダインは仕事柄もっと早く起きているが、デュランは少々朝が弱い。

 朝風呂に入ってやっと覚醒した彼らの前に、朝食が並べられた。

 卵料理は、昨日温泉で食べたものと同じだった。だが、ハニーマスタードのソースがかけられていて、また感じが違う。

「チーズのソースとかでも美味そうだ」

「卵が合うものなら大体いけそうだよな」

 柔らかな白パンで、皿に残った黄身を拭う。



 広場は朝市で賑わっていた。

 新鮮な野菜や魚、香辛料が山と積まれている。食品以外にも衣類や靴などの店が出ていた。

 ダインはどうしても見たことのない野菜に目が行きがちだが。

「人を待たせてるからな。帰ってからか、明日の朝にまた来よう」

 苦笑して、デュランが促した。


 広場の端に、一台の馬車が停まっている。

 荷物を運ぶ為のもので、荷台には分厚い幌が掛けられていた。

 傍に、一人の少年が立っている。長めの黒髪を一つに束ね、動きやすそうなシャツとズボンを穿いていた。

 近づいていく二人に気づいたのか、ぱっと顔を明るくさせた。

「デュラン様ですか?」




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