デュラン、パジャマパーティーを目論む
連れて来られたのは、見るからに高級宿だった。
街路から奥まったところに建物があり、その間に前庭が作られている。それだけでも、贅沢な土地の使い方だ。
「また高そうなところを……」
ダインが溜息をつくが、かと言って彼が旅慣れている訳でもない。代わりにお膳立てができるなどということもなく、大人しく連れの後に続いて宿の戸口をくぐった。
内装が、また金をかけられていた。床には一面に絨毯が敷かれていたし、壁には上品な壁紙が貼られている。板が剥き出しのところなどない。
しわ一つないお仕着せを着用した初老の男が近づいてくる。
「いらっしゃいませ」
「二人部屋を用意して欲しい。とりあえず二泊ほどだ」
悠然と告げるデュランとその連れを上から下まで一瞬で値踏みすると、男はうやうやしく頭を下げた。
「承りました。こちらで少々お待ちくださいませ」
そう言って案内されたのは、一階にある小部屋だ。ソファセットが置かれ、飾り棚や油絵なども設置されている。
ダインが住んでいた村に一軒だけあった宿屋などは、一階は騒がしい酒場になっており、床に撒かれた藁が嫌な匂いを発していたものだ。
紺色の髪の男が少しばかり遠い目をする。
遅れて姿を見せた召使いの女性が、ソファに座っている二人を見て、少しばかり怪訝な表情を浮かべていた。
紅茶と菓子でもてなされつつ十数分ほど待たされてから、初老の男が戻ってくる。部屋に案内する、と、廊下を先に立って歩き始めた。
デュランはやけに上機嫌でその後ろを歩いている。
「楽しみだな、二人部屋」
そう囁いてくるのに、ダインは肩を竦めた。
「青の間でございます」
二階の部屋の扉を開いた男に、促されるまま中に入る。
「おお……」
入ってすぐは、居間だった。先程待たされた部屋と似たような家具が、少し広めの部屋に配置されている。
その奥は、寝室だ。幅が二メートルほどはありそうな寝台が目を惹く。天蓋から流れ落ちる布は、僅かに奥が透けて見えた。
落ち着いた雰囲気で、ベッドカバーやクッションなどが青を基調にして作られている。
「おい」
しかし、デュランは先程までの上機嫌っぷりが嘘のような低い声を出す。
「俺は二人部屋、と言った筈だが?」
寝室の中には、確かに寝台は一台しかない。
デュランの言葉に、宿の男は不思議そうな顔になる。
「そちらの方のお部屋でしたら、こちらに」
居間に戻り、横手の扉を開ける。
その先は、やや手狭な部屋だった。寝台が一台に櫃もあり、清潔で不自由はなさそうだ。
色調は青ではなかったが。
廊下に通じる扉があるのも確認して、更にデュランは眉を寄せる。
「これは使用人部屋ではないか!」
宿の男とダインは、揃って首を傾げた。
「何かおかしいか?」
初老の男が戸惑っている気配を感じて、ダインが問いかけた。
「私は二人部屋を頼んだのだ。二人部屋とは、ベッドが隣りあっていて、寝る間際まで語り合える、そういう部屋だと言ったじゃないか」
「あー、うん、言ったけど」
でも二人部屋にも色々あると思う。
二人の話を聞いて、ようやく宿の男は得心したらしい。おずおずと口を開く。
「申し訳ございません。ご夫婦でもなければ、お一人様一部屋を望まれますので、そのような二人部屋はご用意しておりません」
夫婦、と婉曲に言ったが、おそらく男女の仲である二人だろう。寝台は一つしか必要なさそうだ。
流石は高級宿だなぁ、と、ダインが感心する。
「そうか。では、二人部屋のある宿を都合して欲しい」
宿の従業員に他の宿を探せという無茶振りをするデュランを、思わず止めそうになる。
が。
「承りました。……ですが、本日は時間が遅うございます。おそらく、めぼしい宿はもう空いてはおりますまい」
あっさりと相手はそれを承諾した。空室のある時間なら、しっかり確保しそうな態度である。
むぅ、と、デュランが呻る。
「いや、ここで充分だろ。一緒に食事もできるし、話すことだってできる。寝る時に部屋が別れるだけじゃないか」
できるよね? と問うように、従業員に視線を向ける。勿論です、という表情で、頷き返してきた。
「しかし、二人……」
「それにここ、部屋に温泉があるんだろ? そっちの方が嬉しいよ」
「おお、左様でございますか。では温泉にご案内致しましょう」
まだごねそうなデュランに、更に畳みかける。それに宿の男はがっつり乗ってきた。
すれ違いざまに、お執り成し感謝致します、と丁寧に囁かれる。
そのまま滑らかに寝室に引き返し、扉を開く。
控えの間の先の扉を更に開けると、むっとした空気が満ちていた。
一礼して男が部屋を辞する。
まだ少しばかり不満そうな顔をしていたデュランだが、大きく息をついて気持ちを切り替えた。
「よし、じゃあまず、夕食前に一度温泉に入るか」
「おお……」
ダインは先ほど見た光景に、期待半分尻込み半分といった様子だ。面白げに笑って、蜂蜜色の髪の男は先に立った。
浴室内は、やはり蒸気でむっとしている。床や壁は滑らかな石が貼られ、所々設けられた青い色硝子の向こう側に光鉱石がぼんやりと灯されていた。部屋の名前の由来がここにもあった。だが、他の場所から白い光も放たれており、浴室は青一色ではない。
ざっと身体を洗ってから、浴槽に近づく。
縁が石で作られたそれは、中まで同じように貼られていた。洞窟のように見せたいらしい。
壁際には、こぽこぽと音を立てて泉が湧いていて、湯気の立つその湯が階段式水路を流れて浴槽に注がれていた。
ダインがそっと爪先を湯に沈める。じん、と痺れるような感覚に、ちょっと及び腰だ。
「足湯より熱いな……」
「あっちは外だしな。冷めるのだろう」
デュランは隣でさっさと両脚を入れ、座りこもうとしている。
覚悟を決めて、えいや、と、肩まで沈んだ。
「一気に入ると、心の臓がびっくりするぞ」
「先に言えよ!?」
人の悪い笑みを浮かべると、デュランは湯船の中を壁際へと移動した。
壁に作られた小さな扉を開く。ひやり、とした空気が流れ出す。中の棚にはデキャンタとグラスが幾つか入っていた。
「これはワインだ。温泉に浸かりながら飲むのがまたいいんだよ」
「夕食前だろ」
デュランは、意外と酒に弱い。すぐに赤くなってしまう。まあ、楽しんでいるようなので構わないが。
「水も冷えてるぞ。まあ、今はそれはいいけど」
他の棚の上に置かれた網を手に取る。そして、湯船の傍、床から十五センチほど高くなった場所にある木の蓋を外した。
むわり、と濃い湯気が立ち昇る。
深さ三十センチほどの枡の中には、暗渠から湯が注がれていた。なるほど、枡の縁が床より高いのは、湯船からこぼれた湯が中に入らない為か。
底に溜まった湯の中にそっと網を沈め、口を絞っている紐を蓋の外に出しておく。
「何をしているんだ?」
蓋を戻すデュランへ、不審そうにダインが尋ねる。
「なに、夜のお楽しみだ」
あまり長湯をすることなく部屋に戻る。
居間への扉を開けると、女性の召使いが一人、壁際に控えていた。
「お食事の準備が整いました」