ハバリ、スカウトされる
「はっ! こんな腑抜けたドラゴンなんかを氷雪祭りに出せるもんか!」
突然響いた怒声に、その場の一同が顔を見合わせる。
そしてすぐに、案内役たちは慌てたように失礼します、と言い置いてその場を去った。
なんとなく、視察官たちもその後について、ひょい、と雪像の陰から顔を出す。
向こう側にいたのは、壮年を少々過ぎた年頃の男たちだった。彼らに詰め寄られているのは、橇を扱っていた若い男たちだ。
「今更言いがかりをつけてくるなよ」
「じーさんたちじゃ、もうこんなでっかい雪像は作れないだろ」
しかし、彼らも言われっ放しではなかった。異口同音に言い返してくる相手に、壮年の一団は顔をしかめている。
「確かにでかさは大事だが、あのドラゴンには全く迫力が足りん。あんなものでは、客が満足するものか」
そうだそうだ、と同意する声と、それに反撃する声が飛び交う。
「どこの迫力が足りないってんだよ!」
若者の声に、ふん、と鼻を鳴らす。
「一番どうしようもないのは口だな。あんな開き方で牙も殆ど見えていない。喉の奥まで覗きこめるほどでなくては話にならん」
「眼だってまだまだだ。怒りを表現するなら、額の筋肉がもっと際立つ筈だ。あのような造形では生温い」
「それにあの爪の角度が」
ここぞとばかりに口々に言い募る。
それらの指摘には、ある程度心当たりもあったようで、若者たちはやや怯んだように見えた。
「だけど、あれ以上口を開くと、強度的に保たないし」
もごもごと反論する言葉を、
「その通り!」
大声で遮ったのは、護衛の少年だった。
「ハバリくん?」
普段は絶対に主人の後ろに控え、存在感を殆ど消しているハバリの言葉に、ダインが呟く。
「あんなひょろひょろした像をドラゴンだとか認められないな!」
しかし、そんな声も気にせずに、黒髪の少年は言い放つ。
「観光客が何を偉そうに!」
「作る方の苦労も知らないで!」
「ふん、一見の客にも見抜かれとるんじゃないか」
「何だと!」
製作者側も、それに対して怒声を上げる。
「本物のドラゴンっていうのはな、こういうものだ!」
そして、その場の全てを圧倒するように──ハバリは、叫んでしまった。
ざあ、と風が巻き上がる。
小さな竜巻は、まるで吹雪のように、漆黒の闇を吹き散らした。
ひとしきり人々の視界を奪った闇が消えたその場所には。
人の三倍はある高さのドラゴンが立っていた。
「お……」
「う……」
「あー……」
そこここから、呻き声が漏れる。
「どうだ!」
びりびりと空気が震え、ドラゴンの大きく口を開けた奥までが晒け出される。
「すげぇええええ!」
叫んだのは、壮年の男たちだった。
「もうちょっと! もうちょっと脚を開いてくれ! 股関節の動きが!」
「ばっかお前、背中だよ! いかり肩にした時の筋肉だ!」
「手! 手見せて! 爪の裏!」
大声を上げて見上げる彼らに、ドラゴンも勢いを失ってやや尻込みしているように見える。
「うわあ……」
ダインが小さく呟く。
デュランは、長く、溜め息をついた。
「ハバリ」
静かな声が、しかししっかりと耳に届き、ドラゴンはびくりと肩を震わせた。
ぶわり、と、今度はほんの一瞬だけ闇が沸き起こる。その場には、黒髪の少年がばつの悪そうな顔を俯きぎみに立っていた。
「ぎりぎり街壁の外だったからよかったけれど。許可なく無暗に姿を変えてはいけないよ」
「申し訳ございません、御前」
穏やかに諭す主人に、即座にハバリは頭を下げた。
「ええー」
しかし、それに失望の声を上げたのが、雪像職人たちだ。
「こんな機会は滅多にないぞ!」
「もう少し! もう少しだけでいいから!」
「そうだ、発着場の辺りなら、変化も許可されてる筈だ! ほら、ご主人さんも」
騒がしく詰め寄ってきた男の一人が、デュランの腕を取ろうとする。
「触るな」
静かな声で、ハバリはその手を掴んだ。
僅かに、空気が冷える。
「あー、ほら、お詫び! お詫びに御馳走するから!」
他の男が、ごまかすような声を上げると、ダインの肩に腕を回す。
「え、えええ?」
強引に連れていかれる男を、しかし今度はハバリは止めなかった。
「ちょっと、デュラン?」
肩越しに名前を呼ばれ、小さく肩を竦めてデュランは足を進める。
「行こうか」
発着場の片隅には、小さな建物がある。
石造りの頑丈なそれは、管理人のためのものなのだが。
「時々ドラゴンが制御できなくて暴れる時があるから、その時の避難所でもあるね」
「物騒だな」
しれっと説明するデュランに、眉を寄せてダインが返す。
壮年の男たちは、大声で騒ぎながらその管理小屋に押し入った。
すぐに、手に手に鉄板や鍋、レンガに薪、麻袋、木箱などを持って出てくる。
「管理人はこいつだから気にすんな」
不審な顔で見ていたのを気づかれたのか、一人を無造作に指さして紹介された。
雪が踏み固められた地面にレンガを敷き、その上に薪を組む。内部の焚き付けへ小さな火鉱石を押しこむと、すぐにちろちろと炎が上がってきた。
手の空いた男たちは、持ち出した麻袋から土のついたままのじゃがいもを掴みだすと、まだ柔らかな雪の中へ突っこみ、わしゃわしゃと揉み始める。
「ええー……」
豪快にじゃがいもから土を落としていくのを見て、ダインが力なく呟いた。
「ツィーゲンノルトの方は滅多に雪が降らないからな」
「いやそういう問題?」
湯を沸かした鍋に、ごろごろとじゃがいもを入れる。時折ざくざくとじゃがいもに突き刺していた鉄串がすっと通ったところで、空いている鍋へと放りこんだ。
熱い熱いと言いながら、どんどんと皮を剥いていく。大雑把に木べらで潰すと、刻んだベーコンと削ったチーズ、そして油と白い粉を振り入れた。
まんべんなく混ぜたところで、掌より少し小さい、平たい円形に形成する。
ほいほいと口ずさみながら、熱した鉄板の上に並べていった。
「これは、何だい?」
どんな料理なのか推測もできないのか、デュランが尋ねる。
「焼きニョッキだよ」
「やきニョッキ……」
小首を傾げて、視察官たちは繰り返した。
ニョッキは茹でて食べるものだ。
「焼くとな、表がカリっとして、中はもちもちして美味いんだ」
「大体、茹でるとソースを準備しないとならんしな」
身も蓋もない理由を告げて、焼けたぞ、と木皿に乗せられる。
指先で摘まんで、端をかじってみた。
焼かれて僅かに固い表面を食い破ると、もちり、と柔らかな食感がまとわりつく。
チーズとベーコンの塩気がちょうどいい。
「へぇ。こいつは美味い」
「そうだろう! おい、エールだ!」
「ニシンの酢漬けもあったろう。出せ出せ!」
管理人小屋へ数人が走り、木箱から瓶詰の酢漬けが取り出される。
ハバリに渡される皿は山盛りだ。
デュランとダインは、顔を見合わせて小さく笑った。
「ところで」
食べて飲んで騒いでいた男たちが、少し落ち着いた辺りで口を開く。
鉄板には、今、鉄串に刺された腸詰肉が焼かれていた。じりじりと、染み出た脂が音を立てている。
「君たちはハバリに何をさせたいんだ?」
出されたものをぺろりと平らげていたハバリが、きょとんと視線を向けてくる。
この場を取り仕切っていた男の一人が、居住まいを正した。
「俺たちのモデルになって貰いたい」