ダイン、ジェットコースターに乗る
「これではよくないと思うんだ」
飛行する黒いドラゴンの背中の上で、憮然としてデュランは言い放った。
「……何が?」
続きを待ってみたものの、沈黙が続いたためにダインが促す。
「うん。私はそもそも君と一緒に気楽な旅がしたかったんだが、最近は色々問題続きで旅を楽しめていないと思うんだ」
「いや視察だろ。仕事しないと」
生真面目な顔で返してくるのを、半ば呆れて諭した。
「だから今回はできる限り楽しむつもりでいる」
しかし、デュランは聞く耳を持たないという風に言い切った。
「……ガラックさんがまた怒るんじゃないかなぁ」
困った顔で、視察官の片割れは呟いた。
全く振動というものを感じさせずに、ドラゴンが大地に降り立った。
同時に、彼らを保護していた風の防御魔法が解除される。
二人はぶるり、と身を震わせた。
「うわ、流石に寒いな」
「外套出そう外套」
鞍の後ろに設置されていた木箱を開けて、一番上に詰められていた厚手の外套を引っ張り出す。
身を低くしていたドラゴンの背から滑り下りると、ブーツが雪に埋まる。
呼吸を白く染めながら、彼らは灰色の空を背にした堅牢な街壁を見上げた。
雪と氷の街、サロッポを視察官たちは訪れていた。
大通りとその先に広がる広場には、うっすらと雪が残るばかりで、街の外だった発着場とはかなりの差があった。
「街の中は頻繁に雪を運び出してますので。発着場を除雪したのはしばらく前でしたかな」
冬場は、祭りの間以外は訪問者が少ないので、と、案内役の役人は微笑んだ。
「その祭りは、二日後でしたっけ?」
広場に作られた舞台らしきものを眺めながら尋ねる。
らしき、というのも、それは押し固められた雪で造られていたからだ。
「はい。殆ど準備は終わっておりますから、視察されるにはいい時分でしたね。まだ人も少ないですから」
広場を抜けて進んでいく街路にも、建物に沿って小さな雪像が立っている。モチーフは動物や鳥、花籠などが多い。
これらは、街に住む人々が個人、あるいは少人数で作っているものらしかった。
「光鉱石を底に仕込んであります。夜にはぼんやりと光りますよ」
にこにこと、役人が言葉を添える。
三人がたどり着いたのは、北側の街壁だった。
「うわ……」
頂部へと登る階段の先を見て、感嘆の声を上げる。
高く持ち上げられた純白のドラゴンの頭が、街を睥睨していた。
「こりゃ凄い」
街壁の上へ登り、改めてダインは感嘆の声を上げた。
大人が両手を広げた程の幅があるドラゴンの頭は、全て雪で造られていた。怒りの為に吊り上げられた目尻や、剥かれた牙が恐ろしい。
「子供とか泣いちゃうんじゃないかな」
楽しげに笑いながらデュランが見上げた。
「本来はこちらの階段から登ってきます。先ほどの街の中からの階段は、メンテナンスや緊急避難用ですね」
案内役は、街壁の向こう側、二層になった下り通路の外側の雪で作られた広い階段を示した。
「緊急避難?」
物騒な言葉に首を傾げる。
「滑り下りたくない、とおっしゃる方もおられまして」
「ああ……」
納得して、彼らは背後を振り向いた。
二層になった内側には、街壁の外側に沿って、雪で長い斜面が造られている。
「こちらが、サロッポ氷雪祭りの最大の目玉。『ブリザードドラゴンコースター』です!」
「これが橇か?」
用意されたのは、二人掛けの席が前後二列設置されている木製の橇だった。座席には太い革のベルトが取りつけられている。
「はい。走行距離が長く、高さもありますので、安全性を考慮してベルトをつけて頂きます。コースよりも縁を高くしてますので、橇ごと落下することはありませんが、転倒の末飛び出してしまうことはありえますので」
「転倒するのはよくあることなんですか?」
眉を寄せて、ダインが尋ねる。
「速さを怖がって、強引に降りようとか止めようとかなさるお客様が時々いらっしゃいまして。ベルトをつけていれば、そういう方も無理はできません」
なるほど、と呟いて、斜面を見下ろす。
「よし、じゃあ乗ってみるか」
見るからに浮かれた様子で橇に乗りこもうとしたところを。
「お待ちください、御前」
突然背後に現れた黒髪の少年が止めた。
「え? あれ? どなたですか?」
突然現れた少年に、案内役の男が混乱する。
「ハバリ……」
苦々しい顔で、デュランが向き直った。
「えーと、うちの護衛です。すみません」
その傍でダインが案内役を宥める。
「このようなところを滑り降りるなど、危険過ぎます。見過ごせません」
「これも仕事だよ。視察官なんだから」
堂々と言い返すデュランを、何とも言えない顔で連れが見つめていた。
「でしたらそっちの男だけでも充分でしょう」
「経験は多人数でした方がいい。色々な意見が出る」
「そろそろ名前ぐらい憶えて欲しいんだけど……、と、そうか」
口を挟みかけたダインが、ふと思いつく。
「ハバリくんも一緒に乗ったら?」
「基本的に、コースの真ん中を走るようになっていますので、変に動いたりせず、そのまま乗っていてください」
最後の注意に頷くと、案内役の男は橇から離れた。若い男が三人ほど、橇の後ろに手をかけて掛け声と共に押し出す。
橇が斜面を滑り出すと同時、ぐぅ、と腰が浮く感覚に襲われる。
冷たい風が、ひゅうひゅうと鋭く耳を弄る。
滑り降りるコースの左右に、ドラゴンやグリフォン、ガーゴイルなどの雪像が設置されており、それらが一瞬で彼らに迫っては通り過ぎていった。
速さと視界の狭さ、左右に揺れる重心移動のせいで、背筋が粟立つ。
「わぁあああああああああ!?」
「あはははははははは!」
奇声を上げつつ滑り終えるまでは、ほんの数秒のような気も、数分かかった気もした。
雪原にゆっくりと止まった橇の上で、三人はしばらく言葉もなかった。
「いかがでしたか?」
外の階段を下りてきた案内役の男が声をかける。
「いや……はは、これは……」
「凄いですね……」
心なしかぐったりとして、視察官たちが返答した。
ハバリは、ひょい、と、身軽に橇から下りている。
「この後は、橇を乗り場の方へ運んで、最初の作業に戻る感じですね」
「引いて上がるんですか?」
あの坂を橇を引っ張って登っていくのは、いささか大変そうだ。
「いいえ、階段を一番上まで上がったところの奥に、引き上げ機を作っています」
一方通行にしないと危ないので、との説明に感心する。
デュランたちも、そこでようやく橇から下りた。膝がやや笑っている。
橇を押し出してくれた若い男の一人が、太いロープを手に近づいた。輪っかになった先端を橇の前面にある鉤に引っ掛けて、雪に覆われた地面を歩きだす。
一行はその後からついていった。
階段の横を通り抜け、巨大なドラゴンの雪像の裏へ回りこんで。
外からは見えないようになっている場所に、木材を組んで作られた装置があった。
滑車に通されたロープに引いてきた橇を移す。
そして二人ほどでロープを引けば、コースターの上まですいすいと四人乗りの橇は運ばれていった。
「ほほぅ」
感心した顔で、デュランはそれを見上げている。
「大体、祭りの間にどれほどの人数が訪れるのですか」
「そうですね、ここ数年ですと」
「はっ! こんな腑抜けたドラゴンなんかを氷雪祭りに出せるもんか!」
突然響いた大声に、彼らは背後を振り向いた。