ダイン、陶芸に挑戦する
ブラウモントの窯は、この街の例に漏れず、街壁のすぐ内側にあった。
複数の窯で焼かれているのか、太い煙が幾つか立ち昇っているのが見える。
デュランとダインが通されたのは、それよりもずっと街に近い家屋だった。
目の前の簡素な卓の上に、ことり、と幾つかの皿が置かれる。
左端はざらついた質感の無地のもの、隣には同様の皿におおまかな花の模様が描かれたもの。そしてその隣には釉薬がかけられてつるりとした花柄の皿だ。
「こちらの素焼きの皿に、お好きな絵を描いて頂きます。それを焼いて、後日お受け取り頂くという方法です」
へえ、と声をあげて、ダインは真ん中の皿を手に取った。明らかに高級、という感じはしないので、気が楽だ。
「後日、ということは、焼くのに数日はかかるのですか?」
一方で、デュランはシステムの方を気にしている。
「窯に入れてほぼ一日焼き上げます。窯から出して、冷ますのにまた一日ほどかかりますので、少なくとも三日はご滞在頂かないと直接お渡しはできませんね。うちから商品を卸している店が近くにあればそこまでお届けはできるのですが、途中で破損する可能性はどうしてもなくなりませんので」
「なるほど」
「これが器の形成からとなりますと、更に数日は必要なので、そちらの体験をして頂くのは無理だと判断致しました」
ふむ、と、デュランは呟く。
自領で行うならどうなるか、考えているのだろう。
そろそろ作ってみますか、と促され、二人は素焼きの皿を手に取った。
「カップなどもありますが、曲面は描きにくいですから、こちらで」
絵付の染料や筆なども運ばれてくる。
薄い灰色をした皿を前に、唸った。
「気軽に好きなものを描いてよいのですよ」
「いや、俺はあまり絵というものを描いたことがなくて」
農夫にそんな暇はない。
絵の具や筆などの道具にまず金がかかる上に、絵を売る方法も判らない。
自然、絵画とは貴族や豪商の道楽か、彼らの後ろ楯を持つ者が描けることになる。
デュランといえば、慣れた風に筆を持ち、染料を含ませている。
「それほど固く考えることはないのですが。でしたら、こちらをお使いになりますか?」
ホルストは、卓の上に置かれていた小さな木箱を開く。
その中には、直径一センチほど、長さが三センチほどの木製の円柱が幾つか入れられていた。
そのうちの一つをつまみ上げ、くるり、と、底面を上に向けられる。その面はやたらとでこぼこしており、染料が染みついていた。
「ほう。印章か」
「印章?」
横からデュランが覗きこんでくるのに問い返す。
「こちらの膨らんでいる部分に染料を着けまして、こう、押しつけます」
ホルストが筆で染料を塗りつけ、傍にあったざらついた紙に押しつける。
離した場所には、赤い小花の模様がついていた。
「おお」
「皿に着けた場合はここまで色は乗りませんので、上から重ね塗りをしなくてはなりませんが、柄があるだけでもやりやすいかと」
丁寧に印章についた染料を拭き取りながら、そう説明する。
「どれ」
二人で残りの印章をひっくり返す。
多いのは花の模様で、他には蔦や葉、果実や小鳥などもある。
「これは?」
デュランがそのうちの一つに目を止めた。
下半分に、もこっとした塊があり、その上方に放射線状に四つの楕円、更にその先に小さな線が作られている。
「これ、足跡か?」
ダインには、畑の周囲で見たことのある、狐の足跡のように思えた。
「はい、それはタヌークの足跡です」
「タヌークの?」
なるほど、守り神ならば、モチーフとしてはありだろう。だが。
「タヌークは珍しいのでは?」
想像で図案化したにしては、やたらとリアルである。
「実は、息子が子供の頃、怪我をした仔タヌークを見つけたらしく。こっそり手当てをしていたようなのです」
大人に見つかると怒られる、と思ったのでしょう、と、ホルストは微笑む。
その時に取った足形を元にしているのだという。
へえ、と呟いて、ダインはその印章を手にした。
「後で貸してくれ」
「お前も使うのか?」
「繁栄のご利益がありそうだろ?」
小一時間ほどが経過して、二人は絵皿を描き終えた。
「それでは、こちらに釉薬をかけ、窯で焼くことになります。普通のお客様でしたら、ここでおしまいなのですが、ご覧になりますか?」
「是非」
監察官の言葉に頷くと、ホルストは皿を木の盆に乗せて先に立った。
廊下を奥へと進み、突き当たりに簡素な扉が見えてくる。
「やめて!」
その向こう側から、甲高い叫びと、何かが割れる音が、響いた。
目を見開いたホルストが、慌てて盆を廊下の隅に置く。そして、扉を押し開いた。
扉の向こうは屋外だった。草の生えていない地面が広がり、十メートルほど奥に平屋建ての倉庫のような建物がある。その間に、低めの木製の台が幾つか置かれていた。
台の傍らに、人影が二つ。
見知らぬまだ若い男と、見知った少女だ。
「何をしやがる、ガキが!」
「あんたが悪いことするからでしょ!」
こちらに気づかぬまま、言い合い、揉みあっている。
「おい!」
ホルストの声に、びくりと身を震わせた。
あからさまに、まずい、と言いたげな顔で振り向く男の足元には、台の上から落ちたのか、幾枚かの陶器が破片を散らばらせていた。
「ち、違う、そうだ、このガキが悪戯をしようとしていたから俺が止めようとして、それで」
「何言ってんの! あんたがそこのお皿を落とそうとしてたんじゃない!」
しどろもどろに告げる男に、昨夜夕食を共にした少女が喚く。
「そもそも、貴方がたがどうしてこの中庭にいるのですか」
「それは、だからこのガキが入りこんだから止めようと」
「あんたが先に入っていったんでしょ!」
ぎゃあぎゃあと二人が言い合う。
「この壊れた皿は、お客様からの預かりものです。どうしてくださるのですか」
ホルストは静かに怒りを募らせている。
初老に差し掛かった男の気迫に、侵入者は怯む。
が、すぐに一転して大声を上げた。
「はん、そんな素人の皿に頼らないとやってけねぇなら、潔く窯を閉めればいいんだよ! 薪を無駄に使うんじゃねぇ!」
意外にも、その言葉にホルストは詰まる。
鼻を鳴らし、男は踵を返すと走り出した。見ると、奥に見える通用門が半開きになっている。
呆然としてそれを見送る当主の横を通り、ダインは地面に膝をついた。
「あれ?」
地面に散らばっていた破片を拾おうとしたのだが、見ると、その皿は割れてなどいなかった。持ち上げてひっくり返してみたが、欠け一つ見当たらない。
「なんと……」
背後から覗きこんできていたホルストが、力なく呟いた。
ふふ、と含み笑いが聞こえて、顔を上げる。
いつの間にか、先刻までそこにいた少女の姿は消えていた。
「何かお困りごとがあったのですか?」
他の落ちている皿の確認をしているホルストに、デュランは静かに声をかけた。