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辺境領主の視察旅  作者: 水浅葱ゆきねこ
陶器の街 シガルク
14/21

デュラン、鍋パをする

 彼らが向かったのは、落ち着いた雰囲気の店だった。

 出迎えた、四十代とおぼしき女将に、ルトガーがそっと耳打ちする。

 あらまあ、と呟いて、彼女は身を屈めた。

「いらっしゃい。お顔と手を洗ってきましょうね」

 少女が戸惑った顔で連れの男たちを見上げる。安心させるように笑顔で頷いてみせると、おとなしく女将の後についていく。

 デュランたちが通された部屋には、既に一人の男が待っていた。

「ようこそいらっしゃいました」

 笑顔で挨拶を口にするその男こそ、名門と呼ばれた窯元ブラウモントの当主、ホルストだった。



「なるほど、やはり大切なのは土だと」

「そうですね。陶器に向いている土をみつけることが一番です。技術はまあ、学べば身につくものですから」

 テーブルについて、デュランとホルストとが和やかに話している。

 さほど長く待つこともなく、個室の扉が叩かれた。


 まず入ってきたのは、見違えるほど綺麗になった少女だ。

 手足や顔の汚れは落とされ、毛先がばさばさになっていた暗い茶色の髪は()かされ、長い前髪を左右に分けてリボンで括ってある。みすぼらしかったワンピースは、ワンポイントとはいえ刺繍の入った上等なものに着替えていた。

「おお、可愛くなったな」

「娘の子供の頃の服ですけど。サイズがあってよかったわ」

 続いて入ってきた女将が、にこにこしながら告げる。

 その後から従業員が、子供用の椅子と奇妙な鍋を持って入室する。

 女将がテーブルの中央に、縦横三十センチほどの大きさの薄い箱を置く。

 上面の中央には複雑な文様が描かれていた。その真上に、鍋が置かれる。

「これは……陶器の鍋、ですか?」

 深さはあまりなく、鍋底よりも口の方がずっと広くなっていた。蓋に空けられた小さな穴から、蒸気が噴出し始める。

 浅い箱は[加熱]の魔道具だったのだろう。

「土鍋、というものでしてね。シガルクの名産の一つです。じっくりと火が通るので、煮込み料理などに向いていますよ」

 隣に座るルトガーの説明に、へぇ、と感嘆の声を上げる。

 漂ってくる匂いに、子供用の椅子に座った少女がわくわくとした視線を向けていた。

「では、今日御馳走して頂くのは、煮込み料理で?」

 この地方の郷土料理である、とは聞いている。並べられた前菜を口にしながら問いかけた。

「ええ。タヌーク汁というものです」


「うぇえええええ!?」

 奇声を上げて、少女が身体をのけ反らせた。


 がたん、と音を立てて椅子が揺れる。

「大丈夫か?」

 ダインが手を延ばして背もたれを支えた。

「た、たたたた」

 しかし、それにも気づかぬように、少女はあわあわと言葉にならない声を上げている。

「タヌーク? というと、門前の?」

 デュランは面白そうな顔で尋ねた。

「はい。タヌークという獣が、街の傍の山におりまして。それを、山菜や茸と一緒に煮込んだものだと言われています」

「言われている?」

 言い回しにひっかかって、問いかける。にっこりと女将は笑って続けた。

「タヌークは、この十数年ほどでめっきり数を減らしてしまいまして。もう、滅多に姿を見ることができません。この料理に使われているのは、穴熊のお肉ですの」

「なぁんだ……」

 安心したように、少女が呟く。

 タヌークは街の守護者だと言われているし、それが料理になるのにびっくりしていたのだろうか。

 女将が、ミトンをつけた手で土鍋の蓋を開ける。ふわり、と湯気と共に、香りが部屋に広がった。

「おお……」

 くつくつと煮立っているスープは、やや白濁しているもののほぼ透明だ。

 緑鮮やかな葉物野菜や、山菜、茸などが鍋の中に整然と配置されている。

 そして、まだほのかに赤みが残る薄切り肉はくるくると巻かれ、鍋の中心で花開いていた。

 女将がトングとレードルを使い、まずはデュランへ取り分ける。

 どうぞ、と促されて、フォークを肉へ突き刺した。がぶり、と一口で頬張る。

 あ、と女将が呟く。

「……お。お? ……おお?」

 最初に噛みしめた時に、僅かに目を(みは)る。が、すぐにデュランは不思議そうな顔になった。

「どうした?」

 少し心配になって、ダインが声をかける。

 連れは困ったように眉を下げた。

「穴熊の肉は、少々固いものですから……。一度に食べてしまうと、噛み切りにくいのですよ」

 当主が、とりなすように説明する。

「食い意地が張ってるからだ」

 呆れた言葉に、デュランは口の中をもぐもぐさせながら器用に肩を竦めてみせた。

「さあどうぞ」

 女将が、ダインの前へ皿を置く。

 薄切り肉を一口大に切ってから、口に入れた。

「……お」

 舌の上にとろりとした感触が触れると、まず感じたのは、脂の甘味だ。牛の脂身にも似ているが、それに比べるとやや濃く思える。

 煮ているのだから、ある程度は脂も落ちているだろうに。かなりの量なのだろう。

 そして、ホルストが言ったように、相当固い。何度も噛みしめるが、簡単には切れてくれそうにない。

「これは一口を小さめにした方がよさそうだな」

 無理矢理肉を飲み下したデュランが呟く。

 続いて、蕪を口にした。旨味の溶けこんだスープが沁みていて、歯を立てるとじゅわりと口腔内にあふれだす。

「おいしい!」

 客たちの中で最後に料理を取り分けられていた少女が、目をきらきらさせて声を上げる。

 女将を始めとする大人たちは、皆、微笑ましそうな顔で彼女を見ていた。


 土鍋の中身があらかたなくなった頃を見計らい、一旦席を外していた女将が再び部屋へ入ってくる。

 手にしたトレイには、小さな器と塊のチーズ(ケーゼ)が乗っていた。

「さて、最後の一品です」

 器の中に入れられていた(ライス)を鍋へと投入する。レードルで軽くほぐし、くつくつと煮立ったところで、チーズを鍋の上で擦り下ろした。

「チーズのリゾットですわ。どうぞ」

 一人当たりの量は、数口で終わってしまいそうなほど。

 熱々のそれを、スプーンですくい、息を吹きかけて少し冷ます。

 肉や茸、野菜の旨味が溶け出し、更に煮詰まったスープとまろやかなチーズが、芯はなく、やや固さを残す歯ごたえの米に絡んでいる。

「うわ……」

 ダインは美味を表す語彙に乏しい。何度も、感嘆する声をあげることしかできなかった。

 共感したのか、少女がにこにこと見上げてくる。

 既にここまででもそこそこの量を食べている。濃厚なリゾットは、少量でも彼らに十分な満足感をもたらした。

「素晴らしい晩餐だった」

 微笑むデュランに、当主と女将は安心したような笑みを返した。



「ありがとう! おいしかった!」

 店を出て、少女は満面の笑みで礼を言う。

 周囲は既にとっぷりと暮れてしまっていた。

「本当に送っていかなくて大丈夫か?」

 気遣わし気に、ダインが声をかけた。

「うん、だいじょうぶ! ひとりでかえれるから」

 じゃあね、と手を大きく振ると、お下がりとして貰ったワンピースを着た少女は、街路の暗がりに消えていった。

「……それでは明日、よろしくお願いします」

「こちらこそ」

 背後で、なごやかにデュランとホルストたちが握手をしていた。




「……それで?」

「は。数ブロック進んだ辺りで、見失ってしまいました。申し訳ございません、御前(ごぜん)

 宿でくつろいだ姿の男は、もの思わし気に視線を空中へと向けていた。


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