デュラン、鍋パをする
彼らが向かったのは、落ち着いた雰囲気の店だった。
出迎えた、四十代とおぼしき女将に、ルトガーがそっと耳打ちする。
あらまあ、と呟いて、彼女は身を屈めた。
「いらっしゃい。お顔と手を洗ってきましょうね」
少女が戸惑った顔で連れの男たちを見上げる。安心させるように笑顔で頷いてみせると、おとなしく女将の後についていく。
デュランたちが通された部屋には、既に一人の男が待っていた。
「ようこそいらっしゃいました」
笑顔で挨拶を口にするその男こそ、名門と呼ばれた窯元ブラウモントの当主、ホルストだった。
「なるほど、やはり大切なのは土だと」
「そうですね。陶器に向いている土をみつけることが一番です。技術はまあ、学べば身につくものですから」
テーブルについて、デュランとホルストとが和やかに話している。
さほど長く待つこともなく、個室の扉が叩かれた。
まず入ってきたのは、見違えるほど綺麗になった少女だ。
手足や顔の汚れは落とされ、毛先がばさばさになっていた暗い茶色の髪は梳かされ、長い前髪を左右に分けてリボンで括ってある。みすぼらしかったワンピースは、ワンポイントとはいえ刺繍の入った上等なものに着替えていた。
「おお、可愛くなったな」
「娘の子供の頃の服ですけど。サイズがあってよかったわ」
続いて入ってきた女将が、にこにこしながら告げる。
その後から従業員が、子供用の椅子と奇妙な鍋を持って入室する。
女将がテーブルの中央に、縦横三十センチほどの大きさの薄い箱を置く。
上面の中央には複雑な文様が描かれていた。その真上に、鍋が置かれる。
「これは……陶器の鍋、ですか?」
深さはあまりなく、鍋底よりも口の方がずっと広くなっていた。蓋に空けられた小さな穴から、蒸気が噴出し始める。
浅い箱は[加熱]の魔道具だったのだろう。
「土鍋、というものでしてね。シガルクの名産の一つです。じっくりと火が通るので、煮込み料理などに向いていますよ」
隣に座るルトガーの説明に、へぇ、と感嘆の声を上げる。
漂ってくる匂いに、子供用の椅子に座った少女がわくわくとした視線を向けていた。
「では、今日御馳走して頂くのは、煮込み料理で?」
この地方の郷土料理である、とは聞いている。並べられた前菜を口にしながら問いかけた。
「ええ。タヌーク汁というものです」
「うぇえええええ!?」
奇声を上げて、少女が身体をのけ反らせた。
がたん、と音を立てて椅子が揺れる。
「大丈夫か?」
ダインが手を延ばして背もたれを支えた。
「た、たたたた」
しかし、それにも気づかぬように、少女はあわあわと言葉にならない声を上げている。
「タヌーク? というと、門前の?」
デュランは面白そうな顔で尋ねた。
「はい。タヌークという獣が、街の傍の山におりまして。それを、山菜や茸と一緒に煮込んだものだと言われています」
「言われている?」
言い回しにひっかかって、問いかける。にっこりと女将は笑って続けた。
「タヌークは、この十数年ほどでめっきり数を減らしてしまいまして。もう、滅多に姿を見ることができません。この料理に使われているのは、穴熊のお肉ですの」
「なぁんだ……」
安心したように、少女が呟く。
タヌークは街の守護者だと言われているし、それが料理になるのにびっくりしていたのだろうか。
女将が、ミトンをつけた手で土鍋の蓋を開ける。ふわり、と湯気と共に、香りが部屋に広がった。
「おお……」
くつくつと煮立っているスープは、やや白濁しているもののほぼ透明だ。
緑鮮やかな葉物野菜や、山菜、茸などが鍋の中に整然と配置されている。
そして、まだほのかに赤みが残る薄切り肉はくるくると巻かれ、鍋の中心で花開いていた。
女将がトングとレードルを使い、まずはデュランへ取り分ける。
どうぞ、と促されて、フォークを肉へ突き刺した。がぶり、と一口で頬張る。
あ、と女将が呟く。
「……お。お? ……おお?」
最初に噛みしめた時に、僅かに目を瞠る。が、すぐにデュランは不思議そうな顔になった。
「どうした?」
少し心配になって、ダインが声をかける。
連れは困ったように眉を下げた。
「穴熊の肉は、少々固いものですから……。一度に食べてしまうと、噛み切りにくいのですよ」
当主が、とりなすように説明する。
「食い意地が張ってるからだ」
呆れた言葉に、デュランは口の中をもぐもぐさせながら器用に肩を竦めてみせた。
「さあどうぞ」
女将が、ダインの前へ皿を置く。
薄切り肉を一口大に切ってから、口に入れた。
「……お」
舌の上にとろりとした感触が触れると、まず感じたのは、脂の甘味だ。牛の脂身にも似ているが、それに比べるとやや濃く思える。
煮ているのだから、ある程度は脂も落ちているだろうに。かなりの量なのだろう。
そして、ホルストが言ったように、相当固い。何度も噛みしめるが、簡単には切れてくれそうにない。
「これは一口を小さめにした方がよさそうだな」
無理矢理肉を飲み下したデュランが呟く。
続いて、蕪を口にした。旨味の溶けこんだスープが沁みていて、歯を立てるとじゅわりと口腔内にあふれだす。
「おいしい!」
客たちの中で最後に料理を取り分けられていた少女が、目をきらきらさせて声を上げる。
女将を始めとする大人たちは、皆、微笑ましそうな顔で彼女を見ていた。
土鍋の中身があらかたなくなった頃を見計らい、一旦席を外していた女将が再び部屋へ入ってくる。
手にしたトレイには、小さな器と塊のチーズが乗っていた。
「さて、最後の一品です」
器の中に入れられていた米を鍋へと投入する。レードルで軽くほぐし、くつくつと煮立ったところで、チーズを鍋の上で擦り下ろした。
「チーズのリゾットですわ。どうぞ」
一人当たりの量は、数口で終わってしまいそうなほど。
熱々のそれを、スプーンですくい、息を吹きかけて少し冷ます。
肉や茸、野菜の旨味が溶け出し、更に煮詰まったスープとまろやかなチーズが、芯はなく、やや固さを残す歯ごたえの米に絡んでいる。
「うわ……」
ダインは美味を表す語彙に乏しい。何度も、感嘆する声をあげることしかできなかった。
共感したのか、少女がにこにこと見上げてくる。
既にここまででもそこそこの量を食べている。濃厚なリゾットは、少量でも彼らに十分な満足感をもたらした。
「素晴らしい晩餐だった」
微笑むデュランに、当主と女将は安心したような笑みを返した。
「ありがとう! おいしかった!」
店を出て、少女は満面の笑みで礼を言う。
周囲は既にとっぷりと暮れてしまっていた。
「本当に送っていかなくて大丈夫か?」
気遣わし気に、ダインが声をかけた。
「うん、だいじょうぶ! ひとりでかえれるから」
じゃあね、と手を大きく振ると、お下がりとして貰ったワンピースを着た少女は、街路の暗がりに消えていった。
「……それでは明日、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
背後で、なごやかにデュランとホルストたちが握手をしていた。
「……それで?」
「は。数ブロック進んだ辺りで、見失ってしまいました。申し訳ございません、御前」
宿でくつろいだ姿の男は、もの思わし気に視線を空中へと向けていた。