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辺境領主の視察旅  作者: 水浅葱ゆきねこ
歌劇の街 ラヅッカ
10/21

デュラン、学園へ行く

 昼食後は、ユリアーナを劇場まで送ってから宿に帰る。

 ダインが彼女に貸し出されている間も、デュランは視察に行っている。戻った時には、宿の居室で羊皮紙に何かを書きつけていた。

「ただいま」

「お帰り。楽しんできたか?」

 にやりと笑って揶揄する男に、肩を竦める。

「そっちは?」

「うん。また一軒の劇場を見てきた。午後からは演劇学園の見学をしようと思ってる。時間はあるか?」

「ユリアーナさんが夜の公演を終わらせるまでは」

 頷くが、本来、視察が彼らの仕事だ。自分を貸し出すことを決めたのは当のデュランだとはいえ、少々申し訳なさが残る。

「お前は本当に人がいいな」

 その気配を察したか、僅かに呆れたように、しかし嬉しげにデュランは苦笑した。




 学園内は、ざわめきで満ちていた。

 机につき、歳嵩(としかさ)の男の話に聞き入る部屋。

 見たことのないほど大きな鏡の前で優雅に踊る男女。

 様々な楽器を共に奏でる人々。

 材木を組み立て、壁を立ち上げる若者たち。

 だが、静寂に支配された場所も存在する。

 その中の一つ──演劇図書館。


「うわぁ……」

 気圧されたように、ダインは呻く。

 領主館と遜色ないほどの大きさの建物。

 正面入口をくぐると吹き抜けになったロビーがあり、それを囲む三方の壁は、一面に本棚となっていた。

 ぎっしりと詰められた書籍に目眩がする。

「この本全部に文字が詰まってるんだよな……」

 まだ読み書きを習い始めて間もない男が、驚嘆した口調で呟いた。

 デュランと、案内役の初老の男が小さく笑む。

「こちらに所蔵されているのは、演劇論や脚本などが主ですが、そればかりではございません。音楽に関するもの、楽譜、または舞台を作り上げた際の図面などもございます」

 大掛かりなものなら、家を一軒建てることもあるという。

 尤も、公演が終われば壊してしまうため、石造りではなく、木造の壁に薄い石材を貼るなどしている。当然内装もないので、そういう意味では簡単なものだ。

「そういえば、面白いものがありましたな」


 その部屋はあまり人が入らないのか、やや埃っぽかった。

 立ち並ぶ棚は、本棚よりも一段の高さが大きい。

 その棚に整然と並んでいるのは、木箱だった。

 そのうちの一つを、案内人が取り出そうとする。

「俺が」

 彼の枯れ木のような身体にその木箱は不安で、ダインが申し出る。

 箱の大きさは、長辺が身幅よりやや大きい程度。短辺はその半分といったところだ。

 机の上に箱を乗せると、案内人はその蓋を開けた。中には、布に包まれた何かが入っている。

 それを取り出して、布を開く。

「絵……?」

 箱の内寸とほぼ同一の大きさの板に、絵が描いてあった。随分と古いものなのか、色褪せ、ところどころ剥がれ落ちてしまっている。

「これは、もう随分と昔、物語が吟遊詩人だけのものだった時代の終わりにあったものです。板に物語の場面を描き、それを聴衆に見せながら物語を語るのです」

 こんなふうに、と、男は一枚の板を視察官たちへ向けて、とん、と立てた。

「吟遊詩人のように旋律に乗せて歌う必要はなく、(のち)の俳優のように全身で演じることもない。板の裏に書かれた文字を、少々感情を籠めて読み上げればいい。かなりの勢いで広まった、と言われています。朗読劇の一種ですな」

「なるほど、判りやすいな」

 板に描かれた絵は、色数が少なく、形も簡略化されている。

 子供や学のない者たちには理解しやすかっただろう。

「『板芝居』、という名前で呼ばれています。一つ、見てみますか?」

「是非」

 デュランは想像通りに食いついた。




 夜の公演が終わる頃、ダインは幾度目か、〈黄金の猪〉劇場の控室の前に立っていた。

「今夜はフーベルトは来なかったよ」

 こそりと、通りすがりの青年が教えてくれる。

 諦めてくれたのだろうか。半分ほどは役得だとは言え、効果が出ているなら勿論いいことだ。



 今夜、ダインが夕食に予約していた店は、ランクとしては中の上というところだった。庶民が少し奮発して入れる程度の。

 ダインは勿論、ユリアーナも庶民の出身である。いい選択であると言えた。

 暗い中、松明(たいまつ)(くすぶ)る街路を、小声で話しながら二人で歩く。

 と、突然、ぬっと行く手を塞がれた。

 びくり、と二人が警戒する。

「あー、すまん。この先で馬車が横転してな。後片づけに少しかかるから、悪いが他の道を通ってくれんか」

 しかし、相手の男は申し訳なさそうな声でそう告げてきた。

「そうか、判った。ええと……」

 頷いたものの、ダインにはそう簡単に代わりの道など思いつかない。

「あっちに出ましょう」

 ユリアーナが、小さく男の袖を引いた。

 そして二人は、暗い路地に足を踏み入れる。


 そこは、二人並んで歩くのがやっと、という幅だった。裏路地らしく、左右の建物には時々裏口があり、その横には小さなカンテラが下がっている。その弱々しい光で、彼らは何とか足を進めていた。

 しかし、路面の全てが見える訳ではない。

「きゃ……」

 何かを踏んだのか、ユリアーナがよろめいた。

「っ、と」

 反射的に、その肩を支える。

「すみません」

「いや、気をつけて。暗いからな」

 近づいたせいか、彼女の身体からふわり、と香水が立ち昇る。裏路地は少しばかり空気が悪かったせいもあり、その香りが強く心に残った。

「見せつけてくれるじゃねぇか」

 ふいに、暗がりの中からがらからとした声が響いた。


 路地の進行方向、数メートル先に、ぼんやりと人影が伺える。正確な人数は判らないが、路地を塞ぐには充分だった。

 慌てず、ユリアーナの前に立つ。

「そっちのお嬢ちゃん、ちょっとつき合ってくれねぇかなぁ」

 おざなりにそう告げると、一番前にいる男が手を伸ばしてきた。

 ぱし、と、それを払いのける。

「お?」

 僅かに意外そうな声が上がった。

 これでもダインは肉体労働者だ。単純な力比べなら、そこそこ自信がある。

 武器の扱いなどはからっきしだが。

「おいおい、兄ちゃん……」

「茶番はよせ」

 静かにそう告げる。

 これが、フーベルトの差し金であることは予想がついた。

「ユリアーナさん、戻って」

「は、はい!」

 小声での指示に、ぱっ、とユリアーナが身を翻す。

「待て!」

 男たちは、ダインを押しやってその後を追おうとする。が、婚約者は両手を広げ、それを押し留めた。

 路地を抜けさえすれば、人通りはまだある。

 そう目論んで、小走りに進んでいたのだけど。

 二人が入ってきた方向から、一人の影がこちらへ向かってきていた。


「大丈夫ですか、お嬢さん」

 落ち着いた声は、聞き覚えがある。そう、先刻(さっき)「馬車が横転した」と告げた男の。

 ユリアーナは、足を止めた。ゆっくりと近づく男から、じり、と後ずさりする。

「さあ、こっちへ。安全な場所へお送りしますよ」

「来ないで。叫ぶわよ」

 女優である彼女の声量は大したものだ。石壁に囲まれた路地では、更に反響するだろう。

 しかし、新手の男は、あっさりと肩を竦めてみせた。

 そしてゆっくりと、追い詰めるように手を伸ばす。

 そのまま、引くも進むもできないユリアーナの肩を、掴んだ。

 背後から(・・・・)

「ダインさん……!」

 男たちを足止めしていたダインが、踵を返し、ユリアーナの元まで走ってきていたのだ。

 その細い身体を抱き竦め、ダインは無防備な背中を晒す。

 彼を追って来たのか、路地に置いてあった木箱や桶に突っこみ、散らばらせる音が響いた。

 ユリアーナを捕まえようとしていた男が、腕を上げる。

 手に、角材を握って。

 振り上げた際の空気の音に、何か得物を持っていることだけは判って、ダインは身体に力を籠めた。

 ばき、と角材が割れる音がする。


 ……しかし、衝撃などは襲ってこず、数秒待ってからダインは顔を上げる。

 右手で角材をへし折り、左手を襲撃者の腹に埋めた少年が、静かな目でこちらを見下ろしていた。

 短い黒髪に、黒い瞳。

 感情のないその顔に、ダインがほっと身体の力を抜く。

「……ハバリくん。ありがとう」

御前(ごぜん)(めい)だ。一旦、宿に戻れ」

 ぶっきらぼうに告げると、少年は男の身体を無造作に溝の上に放り出した。

 振り返ると、道を塞いでいた男たちは、こちらも残らず路地に倒れ伏していた。



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