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辺境領主の視察旅  作者: 水浅葱ゆきねこ
温泉の街 ツサーク
1/21

ダイン、はじめてツサークに行く




「はー。やっとついた……」

 はるか道の先に見える囲壁に、ようやくあと十数分歩けば辿り着けると思える距離まで来ると、デュランは年甲斐もなくげんなりした声を上げた。

「だから、門前まで乗りつければよかったのに」

 隣を進むダインが、呆れた顔で告げる。

 デュランが目に見えて背を丸め、疲れた素振りを見せているのに、彼にはそんな様子は微塵もない。

 森の出口近くからここまで、二人とも同じ距離を歩いてきているのだが。

「そんなことしたら、目立って仕方ないだろ」

 眉を寄せて言い返す道連れに、小首を傾げた。

「あれ、珍しいのか? こっちだと普通なのかと思ってた」

「流石にそれはないよ……」

 二人はのんびりと会話を続けながら、道を進む。


 その道の先に続く、エアシュタオ国の街、ツサークを目指して。



「はい、次ー」

 あまりやる気のない声で、門の衛士が顔を上げる。

 目の前に立つ、二人の男を胡散臭そうに見つめた。

「名前と、何をしに来たのか言って貰えるか?」

「私はデュラン。こっちがダイン。目的は観光だ」

「観光?」

 衛士の眉間のしわが深くなる。

 デュランと名乗ったのは、三十を幾らか過ぎただろう男。明るい蜂蜜色の髪に、黄緑色の瞳が自信あり気にきらめいている。体格はやや細身だが、虚弱な印象はない。

 ダインと紹介されたのも、同年代の男だ。暗い紺色の髪に、赤茶色の瞳。体格はがっしりしているが、やや垂れ目がちなせいか、隣の男に比べて少々気弱そうに見えた。衛士の視線に、困ったように柔らかく笑う。

「おかしいのか? ここは観光の街だろう?」

 デュランが、不審そうな声音で尋ねる。

 確かに、この街の主な産業は観光だ。事実、彼らの前に通っていった老夫婦も、嬉しそうに観光と申請していった。

 しかし、いい歳をした男二人だけで来るものでもない。

 改めて『観光客』を見定める。

 ダインは平民のよく着る簡素な服装だ。上着の片襟に施された小さな刺繍は、見覚えのない意匠(デザイン)だが。少し泥汚れのついたブーツは使いこまれている。

 デュランの方も、平民の服に見える。生地も、さほど高いものではなさそうだ。だが、明らかに新しい。そして、仕立てがいい。

 平民は、大抵家庭で服を縫い上げるものだ。しかし彼の服は、おそらく仕立て屋が作っていた。

(貴族の傍系か裕福な商人が、使用人を連れてお忍びでやってきたのか?)

 ひょっとすると、他の使用人たちは遅れて来るのかもしれない。ならば、二人だけで歩いて来たというのも判る。

「いや、おかしくはない。デュランとダインだな。ようこそ、温泉の街ツサークへ。楽しんでいってくれ」

 人を見る目がなければ、門衛など務まらない。来訪者名簿に名前を走り書きして、衛士は二人を囲壁の中へと送りこんだ。



「ほらな! 心配なかっただろ?」

 ものすごく得意げに、デュランが胸を張る。

「あー……うん」

 しかし、ダインは曖昧に視線を逸らせた。

 不審そうに見返してくるのをごまかすように、大きな声を上げる。

「ほら、案内してくれるんだろう?」

 ぐるり、と門の奥に広がる広場を見回す。

 そこには大勢の人々が賑やかに行き交っている。

「そうだな。ではまず、宿まで行こう!」

 意気揚々と、デュランは歩き始めた。



「あれはなんだ?」

 広場の端に四阿(あずまや)のようなものを認めてダインが呟く。

 幅は三メートル程度のようだが、奥行きが長い。十数メートルはある。その中では、外に背を向けて大勢の男たちが地面に座りこんでいた。

「ああ、あれか。行こう」

 楽しげに、デュランは進路を変える。

「ちょっと説明してくれればそれでいいのに」

「わざわざ私達が、何をしにきたと思ってるんだよ。見て、経験して帰るためだ。そうだろ?」

 後ろから呼び止めるダインに肩越しに笑いかけると、さっさと男は四阿へと近づいていく。

 次第に、もわり、と空気に湿り気が混じってきた。

 四阿の中には、石造りの水路のようなものが設えられていた。幅はひと一人の身幅よりも少し広い程度。その両側に、ずらりと人々が座り、湯気を上げる水路に足を浸していた。

「これは、足湯だ」

「足湯?」

 得意げなデュランの言葉を繰り返す。

「ああやって足を湯につけて、疲労を取るんだ。街に着くまでに歩き通しで疲れるだろう?」

「あー、うん、普通はな」

 何故か僅かに遠い目をして、ダインは同意する。

 空いている隙間に近づく。靴紐を緩めて足を抜き、靴下も脱いだ。ズボンの裾を捲り上げる。

 そして、そろり、と爪先を水面に触れさせた。さほど熱い訳ではなく、ダインは安心して脚を漬ける。

 足湯の深さは脛の半ばまで。縁に腰かけて、ふぅ、と息をつく。

「靴磨きはどうだい、旦那方?」

 背後から声をかけられて、振り向く。

 そこには、十歳になるかどうか、といった年齢の少年がいた。頬に靴墨らしき汚れがついている。

「ああ、頼むよ」

 デュランが軽く返す。あいよ、と答えて、少年は靴を手に取った。

「いい靴だね。手入れがちゃんとされてる。あまり汚れてないけど、馬車で来たのかい?」

 靴の中に片手を入れ、ざっと視線を流してそう尋ねてくる。

「まあな」

「他の街の磨き方と違うんだな。そっちの方が楽そうだ」

 ダインの言葉に、少年は頷く。

「あちこちから靴を見られるからね。汚れとか傷がよく判る。ずっと俯いてることもないし、お客さんを立たしておかなくてもいい。ここだけの話、上からじっと見下ろされてるの、落ち着かないんだ」

 気安げに、僅かに声を潜めて返してきた。

「他所でもやってたのか?」

「足湯での仕事が取れればいいんだけど、人数が決まってるんだ。街路で客を待つことも結構ある」

 他所、とは、他の街という意味だったのだが、流石に違ったらしい。

 すぐに一足を磨き上げ、デュランから二人分の代金を渡されると、続いてダインのブーツにとりかかる。

「お客さんのは結構()きこんでるね。傷もついてるし、泥汚れもある。この辺の土じゃないみたいだな」

「忙しくて手入れできなくてね。俺は農夫だから、それは畑の土かな」

「農夫!」

 言い訳に驚いたような声が上がる。周りの男たちも視線を向けてきて、ダインはびくりと肩を震わせた。

「それじゃ、慰労の旅行で来たのかい? いい雇い主なんだね」

「この際だ、温泉でゆっくり疲れを取るといいよ」

 しかし笑みを浮かべて、皆は口々にそう言ってきた。

 靴を磨き終えた少年は、また遊びに来てくれ、と言い残して立ち上がる。

 ぽかんとした顔で、農夫はそれを見送った。

「……心配ないって、言っただろ?」

 デュランが、穏やかに告げた。



 その後、ぶらぶらと街を歩いているうちに、すっかり時間が経ってしまっていた。

 夕闇の落ちる中、肩を並べて歩く。

「宿を楽しみにしておけよ。部屋に温泉が湧いてるんだ」

「へえ」

 旅慣れていないダインには、その凄さが今一つ判っていないようだったが。



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