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虹のたもと  作者: ミズノ
6/8

イルカの湖

 ニジコは大股に草原を歩いていく。僕の方なんて振り返りもしない。湖の先には小高い山が見え、その中腹から虹が伸びている。

 ニジコは、湖をぐるりと回って向こう岸に渡るつもりだ。

 どれくらいの距離だろう。時間はかかりそうだけれど、ニジコとは離れられるのは少しだけほっとした。

「湖の向こうにいくつもりかい?」

 口元に白い髭を蓄えた老人だ。木の影から現れて、手元には銃を抱えている。僕らを安心させるためか、老人は穏やかな笑みを浮かべた。

「オオカミが出るんでな。たまには脅かしてやるんだ」

 ますます怖いことを言う。

「湖の周りを歩いて回ろうと思います」

 ニジコの声には決意がこもっていた。

「それでもいいけど、それだと一晩では足りない。この湖は、もともと川だったんだ、だから、横に長く伸びてる」

「虹のたもとを目指してるんです」

 老人は、湖の向こう、山の中腹から伸びる虹に目を凝らした。

「それなら、急がないといけない。あそこに船があるんだ。君たちに、一隻貸してやろう」

 老人は銃を肩に載せて、小屋に向かって歩き始めた。僕らの方を向いた銃口に、ニジコはたじろいでいた。けれど、ためらいを抑えて老人の後に続く。

「カタツムリも、湖も、前に来たときにはありませんでした」

「次に来たときはなくなってるかもしれないな」

 老人は小屋に入ると、二本のオールを持ってきた。僕が受け取ろうとしたのを、ニジコが横からかっさらう。

 重そうに方に櫓をかけて、ずんずん桟橋のほうに歩いていく。

「気丈な子だね。友達かい?」

「僕はそう思っていたんですけど、つい、一番あいつの触れられたくないことに触れてしまって」

「あの子は君のことを信じているんだ」

「なら、どうしてあんなに」

「人は、自分の信じられる人にしか、怒ることができないんだ」

 納得できなかったけれど、老人にとってはそれが真実のようだった。

「さ、ロープを解いてやろうか。気をつけて行きなよ」


 船はゆっくりと岸を離れた。座席は向かい合って座る形になっていて、気まずい。ニジコは無言のまま、オールを引いては押してを繰り返している。

「僕が漕ぐよ」

「いらない」

 ニジコは頑なに僕から何か受け取ろうとしない。

「疲れたら言ってくれよ」

 ニジコは、視線を落として船底をじっと見ている。僕のことは視界にさえいれない、という強い決意を感じる。

 オールの先が水をつかみ、船を押し出す。水が跳ね、船の裏側で音を立てる。

「ボートなんで初めて漕ぐよ」

「ミキトくんは何もしてないじゃん」

 確かにそうだけど……! 

「あのさ、さっきのこと、怒らせたなら本当に」

「怒ってない」

「怒って……」

「なんでそんなこと聞くの?」

 やっと顔を上げたと思ったら、きっと釣り上げた眉が怖い。今にも噛み付いて来そうな雰囲気だ。

 ニジコは黙々と船を漕ぎ続ける。僕の方からは、湖の向こうにはっきりと虹が見えた。風もなく水面は穏やかで、空の景色をそのまま水に写したようだ。

「にじ……」

「なに?」

 声には苛立たしげな調子が混じっている。

「虹が、湖に映ってる」

 漕ぎ手は、進行方向に背を向けないといけない。ニジコは手を止めて、後ろを振り向いた。しばし景色を眺めて、また手を動かし始める。何も感想を言うつもりはないらしい。けれど、やっと反論意外のやりとりを引き出せた、

 単調な景色が続いていく。先に進んでいるはずなのに、立ち止まったまま打開策が思いつかないような気持ちだ。

 オールが水をうち、船が進み、水滴が跳ねる。穏やかな水面がずっと続く。平和そのものの景色の中にいるけれど、僕は動揺しっぱなしだ。

 と、ニジコの手が止まった。ほっと息を吐く。

「僕にも漕がせてくれよ」

 ニジコは頷いた。目は合わせてくれなかったけれど。

 狭い船内で席を入れ替わり、僕はオールを握る。思い切り力を込めると、ニジコがわっ、と声を上げた。

「まだ立ってるじゃん。待ってよ」

 僕は何をやってもうまくいかない感じがする。

 気を取り直してオールを引く。水を掴む手応えに、船がぐっと動きする。リズムよく腕を動かし、船をぐんぐん加速させる。ニジコのときよりちょっとだけ早い、

 オールの先から水しぶきが上がる。ニジコにかからないかと思って、ひやっとした。

力を込めてオールを引き、水から上げ、再び水を掴んで引く。腕だけだとうまく引けなくて、足から体幹、自分の体の重さを全部使って船を押すイメージだ。

 意外と、この単調な動きが楽しい。船の速度がよりいっそう速くなったと感じる。

「速いね」

 と、ニジコが言った。

 進行方向に背を向けているから先の様子が見えにくいけれど、広い湖には障害物が

ないから安心だ。ほんの少し後ろを確認して、再び漕ぐ。この繰り返した。

 慣れてくると順調だ。風もなく、波もない。船はどんどん前に進む。

「あれ?」

 と、ニジコが僕の肩越しに前を見る。

「どうかしたの」

「ミキトくん止まって」

 オールを止める。けれど船は慣性で動き続ける。ごっ、と、船底に硬い衝撃が伝わるのを感じた。

 船の先には、岩が突き出ている。座礁したのだ。ニジコは何を言うだろう。もう、失態は許されない気がしていたから、僕は絶望的な気分だった。

 恐る恐るニジコを振り向く。

「前を見てないからだよ」

 ニジコは面白そうに笑った。恐怖に引きつった僕の顔が、よっぽどおかしく見えたのかもしれない。

「悪かった。全然、見えてないことばっかりで」

「いいよ。気にしてない」

 ニジコの表情は晴れやかだ。

「僕にはわからなかったんだ。その、学校を出ていきたい人が、どんな気持ちでいるのか」

「私もそうだよ。わからなかったんだ。友達がたくさんいて、毎日楽しく過ごしている人が、学校を出ていくときにどう思うかってことを」

 僕らは、お互いに正反対を向きながら同じことを考えていたのかもしれない。

「オールで押してみようよ」

 僕は片方のオールを水から引き抜いた。先っぽで岩を押す。ガガガ、と船が削れる嫌な音と振動が伝わる。けれど、なんとか船は着水した。方向を変え、再び虹の見えるほうへ進路を取って漕ぎ出した。

「私も、代わるよ」

「まだ余裕だよ」

 体力には余裕があった。前よりも、腕に力がみなぎっているような気さえする。けれどなぜか、あまり速度が出ないような感じがしていた。

 進めば進むほど、船が重くなっているようだ。がくん、と、船首の部分が大きく沈んだ。

 水の跳ねる音は、船の外ではなく中から聞こえた。そこまで来てようやく、僕は足元が水に濡れていることに気がついた。

 ニジコも気がついたみたいだ。青白い顔で船底を見ている。僕は船首側を確認した。さっきぶつかった場所に亀裂が入っていた。

「浸水してる」

「早く! 岸までたどり着かないと」

 頭の中で発火したみたいな気分だった。僕はがむしゃらに腕を動かした。荒い水しぶきが立ち、ニジコの背にかかる。ニジコは文句を言わなかった。船底にたまった水を、手で掻き出すのに必死だったからだ。

 オールが重くなり、水面が高くなる。僕らが沈んでいるのだ。

 後ろを振り向きたくない。岸までの距離を見てしまったら、もう何もできなくなってしまう気がした。

 船の外を見る。水面に、何かがヒレのような形が現れて消えた。

「サメかも」

 ニジコの声は震えていた。

「ここは湖だ。サメなんているわけないだろ」

 サメの生態なんて僕は知らなかったけれど、ニジコの考えには絶対に同意したくなかった。

「どうしよう」

 途方にくれた声に、僕も絶望の縁に叩き落されそうだ。

 こつん、とお尻の下に衝撃を受けた。船が揺れる。ニジコは肩をびくりと震わせた。ぱしゃりと水が跳ねる。僕らの周りに、何かの生物が集まってきているみたいだ。

 さっきの岩場まで戻るか? そうすれば、沈没しても溺れずに済む。それで、岸に合図を送ればいい。ここからなら、なんとか老人まで合図が届くだろうか。

 それとも、全力で向こう岸を目指せばいいか。どちらのほうが遠いだろう。

「このまま行こう」

 行くしかない。岩場に戻っても、二人分の足場にはならないし、助けが来てくれる保証もない。ニジコは、泣きそうな顔で頷いた。

 船を進める。浸水は止まらない。一センチでも、一ミリでも、とにかく遠くへ。大きく体を前に倒して、水を掴み、思い切りオールを引く。推進力を得た船の先端に、再び硬い衝撃を感じた。

 船底の裂ける音がした。広がった裂け目から、勢い良く水が流れ込んでくる。水を塞がないと。僕は立ち上がった。けれど、水に重くなったスニーカーに足を取られて、バランスを崩してしまった。

 ニジコが叫んだ。右腕を取られる。体が反転し、視界が揺れた。船は反転し、僕らは水の中に叩き落された。

 穏やかな水面が僕らを飲み込んだ。体勢を立て直し、水面に顔を出す。船は船尾を水面に出してゆっくりと沈んでいく。

 ニジコの姿がない。

「ニジ……」

 叫んだ拍子に、思い切り水を飲み込んでしまった。

 どん、と、反転した船の内側を叩く音がした。僕は船の下に潜り込んだ。ニジコはがむしゃらに手足を動かしている。僕はニジコの腰を掴んで、水面に引っ張り上げた。

「暴れちゃ駄目だ、力を抜かないと」

「私泳げな……」

 一人ならなんとかなったかもしれない。けれど、二人はでは重すぎる。身動きが取れない。

「先に行って」

 息も絶え絶えに、ニジコは呟いた。

「できるわけないだろ」

 体をぐっと強く固定してやる。もう片方の腕で水をかき、バタ足で前進を試みる。けれど、全然進まない。

 力を抜くと、ニジコは水に沈んでしまう。

 駄目だ。このままだと、僕も一緒に溺れてしまう。遠くに見える岸は、永遠の距離を持っているみたいだ。

 ニジコが耳元で何かを叫ぶ。僕はなんとか後ろを振り向いた。水の上に、魚の背びれが二つ見えた。

 水中に潜んでいるのは、大きな口と並んだ牙だろうか。二つの背びれは、気まぐれに蛇行しながら僕らのほうに近づいてくる。

 僕は、その場で沈まないようにするので精一杯だった。

 ぱしゃり、と水が跳ねる。水中から、背びれの持ち主が宙へ飛び上がった。

 突き出た鼻先に、流線型のなめらかな体。小さいけれど、どこか知性を感じさせる優しげな瞳と、一瞬だけ目があった。

 イルカだ。

 イルカは再び水中に姿を消す。と、次の瞬間、腹部に柔らかい衝撃を感じた。おおう、と思わず声が漏れる。手の力が抜け、僕らはばらばらになって水中に投げ出された。

 水中で目を開ける。綺麗な水だ。白いあぶくの向こうで、イルカは僕をじっと待っていた。僕が水中に顔を出すと、再び突進してくる。

 イルカの体にしがみつく。イルカは僕のことなんて構わず、なめらかな動きで先を進んでいく。なんとか振り落とされないように、背びれを掴んで背中に乗る。

「ニジコ! 背中を掴むんだ」

「私は大丈夫!」

 向こうのイルカは僕のよりおとなしかったらしい。ニジコを背に乗せ、振り落とさないようにかゆっくりと水の上を進んでいる。片や僕の方は、「振り落とされないように捕まってな!」とでも言いたげな、まるでアトラクションに乗っているような航走ぶりだ。

 僕らの船なんて比較にならない。イルカは水面すれすれを走る。時折、楽しくて仕方がない、と言った風に宙を舞う。僕は力の限り背びれを握り、背中を抱き、急な加速に備える。内蔵が飛び跳ねるような浮遊感。

 ふっと重力が掻き消えて、着水の衝撃でお腹を打つ。イルカは何度も跳ね、時折水中に潜り、まるで僕をからかっているみたいだ。

 あっという間に岸が近づいて、僕は浜辺に投げ出された。遊びは終わりだ、とでも言うように、イルカは尾を返して水中に戻っていく。ニジコも遅れて浜に上がってきた。

「うわっ、砂だらけじゃん」

「僕のほうは乱暴だったんだ」

 ニジコは肩で息をしていた。顔は青白く、体は震えている。けれど、声は安心と喜びに弾んでいた。

 薄手のワンピースが肌にぺたりと張り付き、布地をすけて肌の色が見える。目のやり場に困って、僕はつい目をそらした。

 岸には、いろいろなものが打ち上げられている。浮き輪に、サッカーボール、船の残骸、椰子の実……僕らのすぐそばに、誰かが気がついたのはその時だった。

「今回は面白いものを拾ってきたなあ」

 ほほ、と横領な笑い声を上げたのは、先程の老人にそっくりな風貌な男だった。

 ニジコは、ぱっと跳ねるようにして、僕の後ろに隠れた。


 岸から少し離れた場所には、庭付きの大きな家があった。

 老人は親切にもお風呂を貸してくれ、しかも着替えまで用意してくれていた。

「子どもたちが泊まりに来るときのために置いてるものでね」

 衣服を乾かしている間、僕らはリビングで温かいお茶を飲んでいた。

「いろいろなものがありますね」

 リビングは奇妙なもので溢れていた。

 古い大きな振り子時計、糸で編んだ蜘蛛の巣と、人力飛行機の模型も天井から吊り下がっている。奇妙な形をした壺に、岸に流れたものをそのまま置いているような流木。

 めちゃくちゃ光景なのに、なぜか整理されているように思えるのが不思議だった。

 足元のカーペットは、材質はわからないけれど、凄く高そうだ。足をつくたび、僕らの体重を柔らかく受け止めて凹む。ソファもそんな風で、一度座ったら二度と立ち上がれなくなるかもしれないと思った。

 お茶も美味しい。濃い緑は苦そうに見えたけれど、口をつけると、かすかな甘味が口の中に広がった。確かにお茶の味なのに、顔をしかめるような苦味は全く無い。

「ここで何をされてるんですか?」

 ニジコも興味津々といった様子だ。

「コレクションさ。彼らが、いろいろ運んできてくれるんでね。例えば、君たちみたいな子とか」

 イルカが運んでくるのは難しい品々もあるように見えるけれど。例えば、壁にかかった鹿の頭部とか。もしかしたら、どこかに銃なんかもあるかもしれない。

「君たちは何をしに来たんだ?」

「虹のたもとに何があるのか、確かめに来たんです」

 不思議と、この老人になら何を言っても受け入れてもらえる感じがした。

「それは興味深い。それで、何があると思うんだい?」

「わからないんです」

「なんでもいいんだ。適当に言ってみると良い」

「宝物が埋まっている」

「ほかには?」

「階段がついていて上に登って行けて、虹の上には高性能な望遠鏡がある」

「それはユニークだ」

 ユニーク、なんて言われてしまった。僕の思いを察したのか、老人はくしゃりと笑みを受けて、小さく手を振った。

「それは新しい仮説だ」

「知ってるんですか? 何があるのか」

「私には答えられない。ただ、私の役割は、だな」

 老人はもったいぶるようにお茶に口をつけた。ニジコは身を乗り出す。僕も同じようにしていた。

「君らの興味を駆り立てて先を急がせることだよ」

 リビングの外から電子音が聞こえた。老人は湯呑みを持ってゆっくりと立ち上がった。乾燥機に突っ込んだ僕らの衣服はようやく乾いた。

 ガラス張の壁からは空が見え、僕らのゴールはまだそこにあった。

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