普段とは違うドレス
ただの庶民ですら引越しは大変なのに、命辛々の引越しなんて……
「アキナ様お目覚めですか?」エンジュの声で、目をあけた。
ベッドに戻った後、取り止めのないことを思案しているうちに眠ってしまった様だ。
「エンジュ、おはよう」体を起こしながら挨拶をすると普段の侍女服ではなく
藍色の光沢のある身動きはしやすそうなドレスを着ていた。
「さぁ、お支度をいたしましょう。30分後に出発です」緊張した面持ちのエンジュ。
シンプルな首元まで覆うグリーンのドレスにいつもより低い白のブーツ、髪もシンプルに結い上げ
フードが目深に被るケープマントを羽織った。
「カティス様がもうすぐお見えになりますわ。ご一緒に馬車へ移動いたします。
あ、お腹は空いていませんか?少し召し上がりますか?」
「ありがとう。大丈夫よ。怖いとは思わないのだけれどなんだか胸がいっぱいで」
そう笑顔で返すと、少しエンジュの表情が柔らかくなった。
「エンジュ…これから大変な日々だと思うのだけれど…気持ちは変わらない?今ならまだ間に合うのよ?」
「私は何があってもアキナ様をお守りします。いつまでもお側におりますわ」
「ありがとう。改めて、よろしくね。エンジュ」
ちょうどお互いが笑いあった辺りで、青い転送陣の光と共にカティス様が現れた。
「支度はできたか?」
カティス様もいつもの柔らかな表情とは違い、緊張した面持ちだ。
「えぇ、カティス様。今日はよろしくお願いいたします」
出来るだけ笑みを絶やさずに、今日を過ごそう。私が怯えたりするとみんなが益々緊張してしまうもの。
「あぁ、そうだ。コレを」差し出されたビロードの小箱に入っていたのは
エメラルドの様な石が幾重にも連なり牡丹を思わせる銀細工の指輪。
「お守りだ。昔、ティターニアが身に付けていたものだから、きっとお前を守ってくれる」
部屋から出ると、ヴィクトール様と数名の騎士団の方々。
簡単に挨拶を済ませて、玄関ホールへと向かう。
ホールには、私に似た背格好の人が4人もいた。
「まぁ、念のためだ。ユリウス殿下が少しでも安全に移動できる様にと用意された」
「お心遣いに感謝いたします……けれどあの方たちに万一の事があれば…」
申し訳ないとヴィクトールを見上げると「中身はお前よりよほど強い奴らだ。気にするな。……それより、怖くはないか?」
「えぇ。これだけ大勢の護衛の方々がいらしゃいますし、何よりヴィクトール様が居てくださるもの。心強いです」
緊張した面持ちのヴィクトール様も少しだけ口許を緩めてくれた。
玄関には白い豪奢な馬車二台、それより少しシンプルだけれど立派な馬車二台
シックな黒い馬車二台が止められて居た。
荷物の移動は後日と聞いて居たのに、こんなに?と驚いていると、
「アキナはコッチだ」とカティス様に手を引かれた。
馬車の後方には6頭の馬が居た。
一頭だけ生まれて初めて見る白銀の毛色をした美しい馬。
カティスが近付き手を伸ばすと嬉しそうに鼻先を擦り付ける。
「ほら、アキナもこちらへおいで。俺の愛馬、ネージュだ」
「とても美しいですね。ごきげんようネージュ。この様に輝く馬を初めて見ました。でも、どうしてここに?」
ニカっと笑うと颯爽とネージュに騎乗し、私も用意された踏み台とカティス様に引き上げられ抱っこされる形でネージュの背に…。
「私、乗馬はほぼ初めてなのですが……どうしたら……」
急な高さに少しだけ恐怖心が顔をのぞかせた。
グッと体を硬くすると「大丈夫。ネージュは賢い馬だ。お前を落としたりは絶対にしない。安心して俺に身を預けていろ」「はい、カティス様…。ネージュ、新しい邸までお願いね?」と鬣に触れると任せてと言わんばかりに小さく嘶いた。
ヴィクトール様と護衛の方々も騎乗し、馬車が門から出たのを合図に邸の横手にある森へと向かった。
「俺たちはしばらく森を進んで、帝都の反対側まで出る。丁度皇宮の裏あたり。そこから邸までは直ぐだ。お昼頃までには着きたいから途中、休ませてやれるかは分からんが…」
「構いません。今は一刻も早くお引越ししなくては」
「それでは出立しましょう」ヴィクトール様の合図で前後左右に護衛が付きヴィクトール様は一番後方に。
私を気遣ってかネージュはゆっくりと歩き出し20歩過ぎたあたりで、スピードを上げた。
初めて感じる風を切って走るその感覚はとても気持ちが良い。
森を少し走った所で、カティス様が片手をあげ合図を出した。
ここからは舗装された広い道に出る様だ。
途中休憩は挟まなかったが、定刻通り特に事件もなく新しい邸に到着した。
ネージュにお礼を告げると鼻先で挨拶を返してくれた。
その時の私は気づきもしなかった…カティス様の何かを懐かしむような表情に。
人生で一度くらい乗馬して見たいのですが、運動音痴でもイケるものなのか。