家康の『主魔保(スマホ)』利用実態調査
◇◇
元亀元年(一五七〇年)六月――
姉川の合戦を終えて、浜松城へ戻ってきた徳川家康は、さっそく評定の間に重臣たちを集めた。
そして彼の決意を述べたのである。
「みなのもの! これからは『主魔保を制する者は、天下を制する』じゃ! ということで当家も『主魔保』を活用すると決めた!」
――おおっ!!
あれほど嫌っていた電話を活用すると決意表明したことに、重臣たちの間から驚嘆の声が漏れる。
特に以前からそれを進言し続けていた酒井忠次と石川数正などは、すでに目尻に光るものを浮かべていた。
家康は彼らを見回すと、胸を張って続けた。
「そこでだ! わしはまず何をしたらよいかのう!」
――………。
こうも堂々と『無計画』であることを告げられると、かえって気持ち良いものである。
みな言葉こそ失っていたが、真剣に悩み始めた。
しかしなかなかこれといった意見は出てこない。
それもそのはずだろう。
電話帳こそ多少充実し始めているとは言え、彼らもまだ織田家の人々のように使いこなしているとは言い難いからだ。
徳川家の中では、新しいものに強いと目されている石川数正に自然と視線が集まる。
そこで彼は押し出されるように口を開いた。
「まずは殿自身が電話をもっと使いこなせるようになるべきかと思います」
「わし自身が使いこなすようになるか……」
「ええ。でないと、殿が『何に』電話を使いたいのか、それが見えてきませんから」
「なるほどのう! それは一理ある!」
家康はポンと膝を叩くと、再び胸をそらした。
「では、わしが電話を使いこなすようになるには、何をしたらよいかのう!」
――………。
再び石川数正に視線が集まると、彼は眉をひそめて答えた。
「それは、殿が今、『主魔保』をどのように使われているか知る必要がございます」
「わしが『主魔保』をどのように使っているか、じゃと?」
「ええ、誰に対して、どれくらい電話をかけて、どのような会話をされておられるか、それを『正確』に把握せねば、的確なことが言えませぬ」
「なぬっ!?」
あきらかに顔色を変えた家康だったが、人々が不思議そうな顔をすると、すぐにもと通りの表情に戻した。
「そ、そりゃあ、わしが電話をかける相手は、愛する妻、築山と、乱世の相棒、織田信長殿じゃ! い、一度電話をかければ、まるで時を忘れたかのように会話がはずみ、様々なことを話し合っておる! それはまるで『永遠』の時の中におるような心地じゃ! まあ、ちょっとだけ側室や妾たちにもかけておるがのう。そんな時間は、ほんの一瞬に過ぎぬ!」
――おおっ!!
珍しく長々と述べた家康。
人々から驚嘆の声が漏れると、家康は得意げな顔をして周囲を見渡した。
しかし、そんな中にあって石川数正だけは、冷やかな目で家康の顔を覗き込んでいる。
家康は眉をひそめて彼に対して口を尖らせた。
「なにか言いたそうだのう、数正よ。言いたいことを言わぬと体に毒じゃぞ!」
「……殿。私は『正確』にと申し上げたのですが……」
「な、何を言うか! わ、わしが『嘘』を言っていると、そう言いたいのか!?」
「いえ、そうは申しておりません。……しかし、もしみなの前でおっしゃりづらいということであれば、後ほど私にこっそりとお教えいただいてもかまいません」
「ば、馬鹿を言うな! それではわしがみなを騙しているようではないか!」
「……ならば、よろしいのですね?」
石川数正が、ぬっと体を乗り出して、家康の顔を覗き込む。
家康は、目を泳がせてはいたものの、口だけは強気の姿勢を崩さなかった。
「わしとて三河武士のはしくれ! たとえ火の中であろうとも逃げたりなどせんわ!」
「……かしこまりました……」
石川数正は、「はぁ」と大きなため息をつくと……。
――パンッ! パンッ!
と、手を二度叩いた。
すると、いつの間にか一人の男か部屋の中央に、音もなく現れたのである。
「のわっ!?」
家康は派手に驚いたが、石川数正はまったく姿勢を崩さずに男に言った。
「半蔵殿。調べはついておりますかな?」
「……はい」
「では、披露をお頼み申す」
半蔵と呼ばれた男が、ちらりと家康の顔を見る。
家康はこの時点で嫌な予感しかしていなかったが、引くわけにもいかず、小さくうなずいた。
なお、この「半蔵」という男は、「服部半蔵」という名で知られている家康の家臣の一人だ。
服部氏はもとは伊賀という忍者の郷で知られた場所の出身であり、服部半蔵の下人たちの中には、未だに忍者として働いている者も少なくない。
この頃は『携帯電話』の普及により、『伝達』の仕事が激減したが、その分『諜報』の仕事が増加し、忍者たちの情報収集能力は、格段に上昇していたのだった。
そんな服部半蔵からの報告となれば、非常に正確なものに違いない。
全員が家康の『主魔保』の利用実態に、耳を傾けた。
すると半蔵は、一枚の紙面を取りだすと、すらすらと水が流れるように、そこに書かれた文面を読み始めた。
「某月某日、築山御前様。一瞬で会話終了。同日、おこちゃ様、半刻(約一時間)ほど会話。翌日、織田信長様、一瞬で終了。同日、お愛殿、四半刻(約三十分)。直後、お鶴殿、四半刻。直後、築山御前様、一瞬……」
「や、やめい! やめい!! 細かすぎるわ! まとめよ!!」
『これはまずい』とさとった家康は、服部半蔵に無茶を言って、その場を切り上げようと試みた。
しかし、半蔵は紙面の一番下の部分に目をやると、予め集計したものを読み上げたのだった。
「そう申しつけられると思いまして、おまとめいたしております! 織田信長殿、全て『一瞬』。築山御前様、全て『一瞬』。側室様と妾たち、平均すると『四半刻』! 以上、でございます!」
――シーン……。
「一同、これにて解散!」
家康は大きな声で部屋の空気を震わせると、大股でその場をあとにし始めた。
しかし、石川数正の凛とした声が彼を引き止めた。
「殿、お待ちください」
家康は目にいっぱい涙を溜めて唾を飛ばしたのだった。
「わしは『嘘』はついておらんぞ! 信長殿や築山との電話は、他人には『一瞬』に思えるかもしれんが、わしにとっては『永遠』も同じように長く感じられるのじゃ! 逆に他のおなごたちとの会話は『四半刻』かもしれんが、わしにとっては『一瞬』なのじゃ!! それの何が悪いというのじゃ! わしは怖いのじゃ! 側室や妾以外の者との電話が怖くてならんのじゃ!!」
――シーン……。
家康の心からの叫びが余韻となると、重苦しい空気が場を支配した。
しかし、次の瞬間だった……。
「とのぉぉぉぉ!! 分かります! 分かりますぞ! そのお気持ちぃぃぃ!!」
と、本多忠勝が号泣しながら、家康に抱きついたのだ。
すると熊のようながたいをした榊原康政も涙を流しながら家康にしがみついた。
「俺も怖い! 電話の相手が怒っているのではないかと、ビクビクしてしまうのです!」
「分かるぞ。分かる、分かる」
――殿! それがしも電話は苦手なんです!
――殿だけではございませんぞ!!
次々と家臣たちが家康の周りに集まりだす。
家康ははじめこそビックリしていたが、人々が共感してくれている様子を目の当たりにして感動していた。
「みなのもの、ありがとう。ありがとう」
そして締めくくりとばかりに、上座に立つと、胸を張って堂々と宣言したのだった。
「三河武士たる者、怖いものは怖いと正直に認めるべし! そしてそれを乗り越えられるように、努力を怠ることなかれ!」
――オオッ!!
こうして徳川家康の『主魔保』に対する恐怖を克服する特訓が始まったのだった――
「未来を語る前に、今の現実を知らなければならない。現実からしかスタートできないからである。」
(by ピーター・ドラッガー)
電話って怖いですよね。。。
……って、私だけかしら。