第三章 魔法と素晴らしき芸術の世界
「やあ鈴木君」
「どうも」
「その右手に持っている物はノミかな」
「ああ、やっぱりこちらの世界でもあるんですね。ちなみにノミではなく彫刻刀ですがまあ同じようなものでしょう」
今回異世界に呼ばれた俺の右手には、美術の授業で使っていた彫刻刀が握られていた。タイミングが悪かったら、そのまま手を滑らせ思いっきり指を切っていたかもしれない。彫っていないときに呼び出せれたよかった。
「君は彫刻家志望なのかね?」
「いえ、俺の世界だと学校の授業で誰でも習うんです」
「なるほど……」
山田さんが顎に手を当ていつものポーズを取る。
俺はどうやって歳を取ったらこういう人間になれるのか羨ましく思いながら、その様子を見守った。
「今回は逆に私の方から聞きたいのだが、今までの君の話から君の世界には魔法に変わる物として『キカイ』なるものがあるらしいが、その『キカイ』は絵画や彫刻も作るのかね?」
「いえ、まあ道具として使われることがあっても、機械自体が芸術品を生み出すことはないですね」
「ほう、それは何故かね?」
「えっと……」
理由は色々考えられる。
まだ機械にそこまで精巧な作業はできないとか、プログラミングが対応してないとか。
ただそれ以上に、
「機械は全く新しい物を作り出すことには向いていませんから」
それがこの場では最も相応しい答えのように思えた。
「ふむ、それは芸術作品が魔法で作られないのと同じ理由でもあるな。魔法で作られる物は必ず魔素を元にしている。そして魔素を理解すれば出来る物はだいたい想像がつく。――いや、構築後が理解出来ていないと魔素も理解することはできない。そうして出来上がるものは全て既知の物となるわけだが、我々人間はそういったものに、心から感動できるかね?」
「できないでしょうね」
「それが彫刻家や画家がこの世界から無くならない理由だよ。またこういう点において魔法は便利ではあるが万能ではない」
「確かにそこらへんは機械と同じでしょうね」
たとえばミロのヴィーナスがある。
今ならデータと3Dプリンターがあれば、全く芸術の素養がなくても限りなく本物にかぎりなく近い物を作り出せる。
しかし、そうして作られた物に、果たしてどれほどの価値があるだろうか。本物と同じぐらい人間を感動させることができるものなのだろうか。
芸術的な価値で言えば、それより若い無名の芸術が心血注いで一から自分の力だけで作り上げた物の方が、上なのかもしれない。
少なくとも俺はそう思った。
……俺自身は芸術的なセンス0だけど。
「そうだ、せっかくだから君もこの世界の芸術品を見てみたらどうかね。私としても是非別の世界の人間の感想を聞いてみたい。魔法のない世界の人間と魔法があるこちらの人間ではどう感性が違うのか、非常に興味がある」
「えっと、多分似たようなものだと思いますよ。少なくとも山田さんの部屋にあった家具は俺の目から見ても素晴らしい物でしたから」
「ああ、そのあたりは共通なのか。どんな世界でも人間の本質は同じと考えると、それはそれで素晴らしい感想だ」
山田さんはしきりに感心した様子を見せた。
俺からすれば過大評価も良いところだ。
ここは誤解を持たれないうちに、はっきりさせておいた方がいいだろう。
「あの、言っておきますけど俺は向こうの世界でも下から数えた方が早いくらいセンスありませんよ。俺を基準に考えられると、かなり程度が低い世界になるので……」
何かかっこよさそうな漢字を並べて、かっこよさそうなカタカナの送り仮名をつけていた頃を思いだしながら俺は言った。もしあの頃使っていたノートを目の前で読み上げられたら、俺はその場で死ねる。もちろん証拠は隠滅したのでその心配はないが……。
「ははは、それは謙遜しすぎだろう。もっとも、むしろそういう人間の方が大いに参考になるものだ。私が知りたいのは卓越した一握りの芸術家のセンスではなく、一般的によしとされる共通のセンスだ」
「・・・・・・」
ピカソのゲルニカの良さがわかる人間は、世界中でごくわずかだ。しかしミケランジェロやダビンチは素人目に見ても上手いと分かる。そういう素人目しか持たない大部分の人間の感覚を知ることの方が、学術的には意味がある。つまりそういうことなのだろうか。
ここに居る現実世界の人間は俺だけで比較対象が0なのだから、むしろ突飛なセンスは混乱の元になるかもしれない。
そう考えたら確かに俺のような人間の方が適しているとも言える。
とはいえ限界はあるかもしれないが。
「それで、改めて聞くが是非美術品を見て感想を言ってくれないかな?」
「……分かりました」
そんな事情を抜きにしても、個人的にこの世界の芸術に興味があった俺は、考えを改めて山田さんの頼みを聞くことにした。
山田さんは満面の笑みで頷くと、先に廊下を歩き、初めて別の部屋まで案内する。
山田さんの部屋と召喚部屋以外の部屋を行くのは言うまでもなくこれが初めてだ。
特に罠がまっているわけでもないというのに、少し緊張する。
建物の中は予想以上に広く、廊下を一分ほど歩いた。
その際俺はある違和感を抱く。
そのことを目的地に到着したと同時に俺は口にした。
「ここが美術品を保管している部屋だ」
「あの、それはいいんですけどここ学校ですよね。今まで誰とも会わなかったんですけど……」
――そう、山田さんの話しぶりからここが学校であることは明らかなのに、今まで生徒らしき人間どころか誰とも顔を合わせなかったのだ。
学校にしてはいくら何でも人が少なすぎる。
授業の合間と言っているあたり、今が長い休みのようにも思えない。
「ああ、他の教員は皆たいてい自室に閉じこもっているからね。会わないのも不思議ではない」
「じゃあ生徒の方は?」
「生徒?」
山田さんは俺の言葉に不思議そうな顔をした。
そして少し考えてから、逆に質問をする。
「君らの世界では学生は、どうやって授業を受けているのかね?」
「え、そりゃほぼ毎日学校に行って教室で先生の話を聞くんですけど……」
「なるほど。ならばこの状況を君が不審に思うのもしようがない話だ。とはいえ、その話はまた別の機会にしよう。その件について話すと、それだけで休み時間が終わってしまう。今はこの部屋にある美術品を見てその感想を教えて欲しい」
「は、はあ……」
ここで反対するほど気になっているわけでも無かったので、俺は言われた通り部屋に入る。
中は予想通り、絵画や彫刻、壺などが所狭しと置かれていた。部屋の割に物が多く、さらに雑然と置かれ、あまり大事に扱われているようには思えない。まあ俺のような素養のない赤の他人に見せるあたり、実際にそれほど価値もないのだろうが。
俺は気軽な気持ちでとりあえず絵画から見ていった。
「……どうかね?」
「上手い下手で言えば、俺の目から見てもだいたい上手いと思います。ただそのテーマが理解不能なものが多くて……」
風景画や肖像画ならまだいい。
多少衣装や建物に違和感を覚えはするものの、そこまで突飛な感じはしない
だが、日常生活や道具がテーマとなると、何が何だかさっぱり分からない。全員で輪になって手を繋いでいる中央で桶が空中に浮いていたり、真っ青なゲル状のライオンの置物のような物が描かれていたり……。
昔の絵画で今の視点で見ると何をやっているのか分からなかったりする物もあるが、それでもある程度は推測がつく。
俺が今見ているものはその推測すら全くつかなかった。
「テーマか……。言われてみれば魔法が使えない以上、ギルギアンの祭が分かるわけもないか……」
「はい、完全に初耳です」
「ふむ、だがここではそれはあまり重要な問題ではないだろう。この世界でも私の知らない祭事は少なくない。とにかく、君の視点から見て、良いか悪いかだけ教えてくれたまえ」
「あー、そのことなんですけど、何点かは俺の感覚だとよく見えないものがあります。とりあえずこれとこれと……」
俺はいくつかの極彩色で描かれた意味不明の絵――おそらく抽象画だろう――をピックアップした。
それでもこれらの絵が理解不能だ思わなかったのは、こう言ったものは現実の世界にも存在し、それらが多くの人間にとって理解不能であることを既に理解していたためだ。
ただ、単純に上手い下手で考えれば、自分でも描けるように思えたが。
俺が指摘した絵を山田さんは見て、またいつものように考え出す。
山田さんでもやはりこの絵の良さは分からないのだろうか。
――そう思ったが、どうやらそれは俺の完全な思い違いだった。
「……君が示した絵は全て魔素について描かれたものだ。魔素は文章で説明できるものではないと言ったが、今まで何人もの画家がそれを絵で表現してきた。これがそれらだよ」
「じゃあやっぱり抽象画なんですね」
「チュウショウガ?」
「抽象画の概念はこの世界にはないんですね……。えっと、現実に見えたものじゃなくて、心象風景というか、心の中に浮かんだものというか……。とにかくそういったものを強引に絵にした者が抽象画です」
「ほう、だがそういう話ならそれは当てはまらないな。この絵は現実に見えたものをそのまま写し取ったのだよ」
「え、そうなんですか!? 『くおりあ』ってこんな極彩色なものなんですか?」
「ああ、見え方は人によって違うが、少なくとも彼らは見えたものをそのまま表現したのだ。しかし、君にはこれが完全に空想の産物に見えるのか。非常に興味深い」
「これが、ねえ……」
俺はそれを踏まえて改めて絵を見る。
・・・・・・。
……。
やはり意味不明だ。
むしろ何故この出鱈目な画から魔法を生み出せるのか、全く理解出来なかった。
「これはもう頭の構造が元から違うと考えた方がいいかもしれませんね」
「そうだろうな。魔法が使えないということは、おそらく君達にとっては産まれながらに目が見えないのと同じようなものだ。そんな状況で育った人間が、全く同じ感性を持てるとも思えない。根源的なところは同じだとしても、だ」
「ですね」
生まれつき目の見えない人は絵画の素晴らしさは理解出来ない。
生まれつき耳の聞こえない人は音楽の素晴らしさは理解出来ない。
そして生まれつき魔力のない人には魔素の素晴らしさは理解出来ない。
いい悪いではなくそういうものなのだ。
それから俺は他の美術品も見た。
やはり絵画以外でも魔法をテーマにしたものは理解できなかった。色以外に形も表現できるらしいが、それがどうしてそうなったのか、推測さえできない。
まあ芸術のセンスがある人が観たら、それなりの評価をしたのだろうが。
そして一通り見た後、俺はあることに気づき、自分の考えが逆だったことを知った。
「とりあえずこちらの美術品は、魔法に関する物以外俺が見ても上手いと分かる物ばかりでした。……不自然なほど」
「不自然? それはどういう意味かな」
「絵のタッチなんかから、ここに集めた美術品は一人の人間によって作られたものでないことは、俺にも分かります。ただ俺の世界ではそうだった場合、たいてい素人には意味不明な抽象画があるんです。それが魔法関係を覗くと一切ありませんでした。そもそも言葉すらなかったわけですけど。それで思ったんですが、これはさっき山田さんが言った話と関係しているんじゃないかと」
「私が言ったこと? 歳を取ると物覚えが悪くなってね。いったい何のことかな」
「『くおりあ』に関することです。おそらく『くおりあ』に似たようなものも俺の世界にもあるんでしょうけど、それをはっきり認識して、さらに利用することは誰にもできませません。だから感じたことを漠然と表現することしかできない。でもこっちの人は、そういったこちらの世界では感じることしかできないものをはっきり知覚できるから、それを抽象……というか、想像する余地がないんですよ」
「つまり君の世界よりこちらの世界の人間の方が想像力がないと?」
「悪く言えばそうです。思ったことがそのままできることの弊害と言いましょうか……。俺からしたらそれほど魔法は強力なんです」
「なるほど、非常に興味深い話だ。魔法は基本的に頭の中で行われる。ならばそれだけ私達の方が様々な点で発達していると思ったが、それは傲慢だったらしい。できる故にできないこと、か……」
山田さんが納得したところで、再びチャイムが鳴る。
どうやらこれで時間切れのようだ。
「ふむ、今回も非常に興味深い話が聞けた。しかしあれだな、まるで休憩時間も授業をしている気分だよ」
「俺も補習を受けてる気分です」
「それでは次回はその授業に関することでも話すかな。学生にとってはあまり面白い話でもないだろうが」
「その点はどの世界も同じみたいですね」
「それでは失礼するよ」
「はいさようなら」
そして再び俺は元の世界に戻る。
目の前には制作途中の木の塊が。
テーマは自由だったので、とりあえず俺はあの世界で見た魔素を元に彫ってみたが、結局俺の技術ではただ木がより小さくなるだけだった……。