第二章 魔法と見えないガラス
「やあ」
「どうも」
退屈な授業の途中、俺は再び異世界に召喚される。
召喚したのはやはり前回同様山田さんだった。
「約束通り紅茶持ってきましたよ」
「結構。それではさっそく入れてもらおうかな」
「じゃあとりあえずこの部屋から出ましょうか」
今度は俺が率先して召喚部屋から出ようとした。
しかし――。
「ふべ!?」
部屋から出ようとした瞬間、見えない壁にぶつかる。
「ああすまない、周囲に被害が出ないよう召喚部屋には常に障壁を張る決まりがあるのだよ。今解除する」
俺の見た目では何の変化もなかったが、恐る恐る進むと今度は何も引っかからなかった。
俺はほっと胸をなで下ろす。
そんな俺を山田さんは不思議そうに見ていた。
「ところで君は障壁が見えないのかね?」
「え、ああ、まったく」
「ふむ、これは面白い。今回はその障壁に関する話でもしようかね」
こうして本日の話題も決定したのだった。
「……なるほど、これが君の世界の紅茶か。確かに美味い。とても茶葉から直接入れたようには思えない」
俺が適当に入れたティーパックの紅茶を飲みながら、山田さんはそう言った。
ちなみにお湯は山田さんに用意してもらった。ポットがないので例によってティーカップからわき出す感じで。
後々考えてみたのだ、ただの純水ならミネラルがない分ひどく不味くなるはずだが、こうして水道水レベルの水だということは、おそらくこの水の魔素も、先人の知恵が活かされているのだろう。本当に人間の学習力……というか食べ物に対する執着には恐れ入る。
ティーパックはお土産用も含めて何個か持ってきたので、俺も自分の分の紅茶を入れた。魔素の紅茶も悪くないが、やはり慣れている分こちらの方が美味しく感じられた。
しばらく男2人で静かに紅茶を飲む。
豪華な調度である以上に、ここにある家具が魔法グッズであるかもしれないことを考えると、不思議と飽きは無かった。
「・・・・・・」
それはそれとして、やはりこんな豪華な部屋なのに窓ガラスがないというのは気になった。
「……外が気になるのかね?」
「いえ、なんで窓ガラスがないのかなって」
「窓ガラス……そうか、君にはそう見えたのだね」
「?」
俺は多分その時かなり間抜け面を晒していたのだろう。
山田さんの髭が微かに動いたのは、間抜けな俺を笑ったからに違いない。
「ではせっかくだからそのなにもないところに触ってみたまえ」
「はあ……」
言われた通り、俺は窓に手を伸ばす。
すると、空気しかないはずの空間に腕が唐突にぶつかった。詳しく調べてみると、そこに壁があることに気付いた。外に出ないと分からないが、触った感じでは全くぶれていないしかなり厚そうな気がした。
「君には何もないように見えるが、その窓にもちゃんと障壁が張ってあるのだよ。もし本当に何もなかったら虫や泥棒が入ってきてしまうからね」
やはり何もないわけではなかった。
そりゃこんな金持ってそうな人間が、ガラスも買えないっていうのは妙な話だ。まあガラスが超高級品という可能性もあるけど。
俺は素直にそのことについて尋ねてみた。
「山田さん、この世界ではガラスは高級品で窓には使えないんですか?」
「いや、そういうわけではない。ただガラスを窓に使うという考え自体がないのだよ」
「何故です?」
「それは障壁を使った方が色々便利だからだ。ふむ、逆に聞くが、君がそういうからには君の世界では窓にガラスを使うのが当然という訳か」
「はい」
「しかしガラスでは色々不便ではないかね? 透明という点はほぼ同じだが、ガラスは空気も通さないし、汚れるから手入れも必要だ。なによりわざわざ窓に固定してはめるのは、かなり大変ではないかね?」
「まあそれはそうですが、そういうのは専門の職人がしますから」
「職人、か……」
そう言いながら山田さんはあごひげをしごく。
何か一挙手一投足がいちいち魔法使いっぽくて様になっている。見ているだけで消えかけた厨二心がめらめらと燃え上がる気がした。
「職人、という役職の考え方もおそらく違うのだろうな」
「違うでしょうね。こっちは魔法ありきって感じですから」
「私達の世界における職人という言葉は、その道の魔法に精通した者を指す。たとえば先ほどのガラスを例に挙げると、材料さえあれば、魔素からガラスを作ることは私のような門外漢でもそれほど難しいことではない。ガラスの魔素は遍く知れ渡っているからのう」
「簡単なんですか……」
錬金術が常識としてまかり通る世界だ。
「ああ。だができるものはあくまでガラスの固まりで、それ自体には何の価値もない。職人というのは、価値のあるガラスを作ることができる技術を持つ者のことだ」
「『くおりあ』が分かれば誰でもできるんじゃないですか?」
「いいや」山田さんは首を振った。
「魔素が分かっていても実際にそれを構築するのは自身の魔力だ。放っておいて勝手に作られるわけではない。魔力のない君には分からないだろうが、魔力とは第三の手のようなもので、魔法はその手の使い方といえる。自分の思うような結果を発生させるには、絶対に修練が必要なのだよ」
「へえ……」
魔法を唱えれば全自動でそれを作ってくれる、というわけでもないようだ。まあ考えてみれば当たり前な話で、それなら記憶力がいい人間がそのまま優秀な魔法使いになってしまう。
第三の手というからには、俺には理解出来ない次元で魔素という設計図を元に、材料をこねくり回しているのだろうか。
何か今まで漠然と考えていた魔法というものが、どんどん変わっていっている気がした。
「つまり同じ『くおりあ』を参考にしても、作る人によって完成する物は違うってことですか」
「ああ。だが、正確にはそうではない。魔素が同じなら同じ見本で作っているようなもなの、本来出来る物も同じはずなのだ。だが、魔素通りの完璧なものを作れる人間など、この世には存在しない。そこで魔法使いとしての差が出るというわけだよ」
「この世界は全て『くおりあ』次第ってことですか……」
「今の魔法が発達した世の中ならば、そう考えてもらっても構わない面があるかもしれんな」
「・・・・・・」
俺からすれば突飛な世界と思える。
だが、考えようによっては現実世界も、設計図や説明書中心で動いているのかもしれない。設計図がなければ高度なものは作れないし、説明書がなければ動かせない。
ただそう考えると、どうしても気になる点があった。
「ところでその『くおりあ』って、どうやって見たり覚えたりするんですか? 少なくとも今までの山田さんを見てると、どんな魔法を使っていてもその『くおりあ』を利用している感じがしないんですけど」
――そう、説明書や設計図はちゃんと人間の目で見ることができるし、読んでいるかどうかも分かる。しかし、今まで散々話に出てきた魔素は、未だその片鱗すら見ることができていなかった。
いったい魔素とはなんなのか。
俺はどうしてもそれが知りたかった。
「魔素が何か説明するのは難しいな。それは魔力のある人間なら誰でも感じられるものなのだから」
「感じる、ですか……」
「ああ。魔素そのものは本に書けないし、これだと言ってみせることもできない。だがその習得方法は本に記されているし、その通りに行えばやがて感じられるようになる。その感じたものを魔力で表現するのがまさに魔法なのだよ」
「……逆に言えば魔力がなくて全く感じられない俺には、一生『くおりあ』を知ることはできない、と」
「そもそも魔力がない人間など君が初めてだが、理屈の上ではそうなるだろう」
「・・・・・・」
落第通知を出された学生はこういう気分になるのだろうか。
幸いにも留年したことも赤点を取ったこともないが、何か早くも駄目人間の烙印を押された気分だ。
このままこの話題を続けていると、より自分が惨めになっていく気がする。
そこで俺は強引に話を変えることにした。
「ところでさっきの障壁についてなんですけど、水とかとは明らかに違いますよね。障壁なんでもの現実にはありませんし。いったい何を素材にしてるんですか?」
「確かに自然界に障壁そのものは存在しない。だが素材にしているものは、自然に当たり前のように存在するものだよ。素材がなければどんな魔素も役には立たない」
「へえ……」
俺は今の話を現実世界に当てはめてみた。
たとえば原子力の元になる原子は人工的に作り上げられるらしいが、更にその元になる原子を突き詰めればどれも自然界に存在する物だ。人間は魔素の変わりに化学によって本来自然界に存在しない物を作り上げた。それを自分達の専売特許だと思い込むのは傲慢だ。
とりあえずこれで障壁がなんでできているかは理解出来た。詳しい内訳を聞いたところで、どうせ理解出来ないだろうか、今の俺にはこれで充分だ。
その変わり、もう一つ疑問がある。
「あの、障壁に関してずっと出してると魔力を消費したりはしないんですか?」
これも例によって現実世界のファンタジーの知識由来だが、魔法は発動している時間だけ魔力を消耗する……はずだ。
水や火といった自然のものならいいが、魔法でしか存在しないような物質はその分ずっと魔力を使って構築しなければならない……ような気がする。
とにかくそれがとんちんかんな質問だったとしても、俺はどうしても気になった。
そして実際その通りだった。
「なぜ水を気にせず障壁を気にするのか、この世界の常識からでは理解出来んが、永続性に関する質問なら分かる。未熟な人間が途中で物体を四散させてしまうことも珍しくはない」
「じゃあやっぱりずっと障壁を張り続けるのは大変なんじゃ……」
俺がそう言うと山田さんは例によって首を横に振った。
「大変かどうかで言えば大変ではない。世の中には一度構築されればそれで充分という物が数多く存在する。それらは最初にしっかり構築できれば、あとは魔力を一切使わなくともその形状を維持し続けるのだ。今話に出た水や障壁はそれだ。むしろ霧散させるときに魔力が必要になる」
「えっと……」
俺は例によって今の話を現代化学に当てはめる。
たとえば水を作るとしよう。その時熱反応による分離で何らかの化合物から水を抽出したとする。ではその熱を止めただけで、水は元の化合物に変わるだろうか。
答えは当然ノーだ。覆水盆に返らず、一度変化したものは決して元には戻らない。
高校生の知識なので例外もあるかもしれないが、少なくとも俺の知る限りはない。
だったら、山田さんの言うことも至極当たり前のことなのだろう。
「分かってもらえたかな?」
「はい。魔法が予想以上に万能だということが」
「・・・・・・」
山田さんは珍しく何も言わなかった。
俺にはそんな山田さんの気持ちがよくわからなかった。
ここまで聞けば魔法が万能だと嫌でもわかる。効率が悪く、環境破壊と隣り合わせの現代化学など、魔法の前には子供の遊び以下のようにさえ思えた。
「ここにある家具もそのこちらの世界で言う職人が魔法で作ったんでしょう?」
「魔法で、か。確かに製作の上で魔法は関わってはいるが、基本的にこれは彫ったものだな」
「え?」
「確かに魔法はこの世界を語る上で欠かせないが、何も全ての物が魔法で作られたわけでもない。魔法にもできることとできないことがある」
「そうなんですか?」
「ああ、魔法は――」
その時不意に部屋にベルの鳴る音が聞こえた。
「もうこんな時間か。実は君との邂逅は授業の合間の休憩時間にしているのだよ。この話は次に会うときにでもしようか」
「そうだったんですか。ちなみに俺も授業の真っ最中でした」
「それは悪いことをしたね」
「いえ、前回と同じなら消える寸前の時間に戻りますし、あっちは全く面白くない授業ですから」
「そう言ってもらえると幸いだ。それではまた会おう」
その言葉を最後に景色が一瞬で元の教室に戻る。
今度は指を鳴らす動作さえなかった。どうやらあの行為にこれといった意味は無く、ただ格好をつけるためにしていたらしい。
中々お茶目なご老人だ。
そして始まる現実の授業。
内容は化学で、普段なら退屈な授業だったが、この日は珍しく真面目にノートを取った……。