第一章 魔法と紅茶の設計図
それから山田さんに召喚された部屋とは別の山田さんの書斎らしきところに案内された。
召喚用の部屋は地下にあり、書斎は長い石の階段を上ってすぐにあったため、外の様子は未だ分からない。ただ、階段を上りきった先にあった廊下は紅い絨毯が続き、扉も高級そうな光沢のある木製のもので、何か王侯貴族を彷彿とさせた。都内で同じ規模の家を作ったら、数十億の費用がかかることは確実だろう。
物珍しそうにきょろきょろする俺に山田さんは苦笑していたが、俺は見て見ぬ振りをした。
書斎に入ると、廊下で感じた以上の高級感に目を奪われる。
家具の種類だけでいえば箪笥、ベッド、椅子、テーブルといった当たり前のものばかりだが、どれもが精緻な意匠が施された、素人目にもそれと分かる高級品で、俺の1年分の小遣いでは椅子一脚すら買えないだろう。どうやら山田さんは魔法使いと教師ということに加えて、とんでもない金持ちらしい。こういう世界だから貴族でもあるのだろうか。
そう思っている俺に山田さんは椅子に座るよう勧める。
これまた美しく細かい刺繍が施されたクッション付きの椅子は座ること自体躊躇われたが、立ちっぱなしなのもおかしい。仕方なく俺は慎重に、ズボンを拭いてから座った。
一方の山田さんはテーブルを挟んだ向かいに特に気負うことなく座る。
ちょうど廊下側を背に座ったことで、初めて俺は窓越しからこの世界の外の様子を知ることができた。
とはいえ、この家は郊外にあるのか窓から見える光景は木、木、木、また木の完全な緑一色だった。それにも拘わらず窓にガラスがはめられていないので、虫が入ってこないか心配になる。
さすがに蚊や蠅が居ないとは考えられないので、こういう世界の住人はそういう物には寛容なのだろうか。
「君は何が飲みたいかね?」
出し抜けに山田さんが聞いてきた。
俺が慌てて山田さんの方を向くと、テーブルには今まで無かったティーセットが二つあった。
まるで魔法のように突然現れたのだ。
(いや、普通に魔法か)
すぐに俺はあまりに馬鹿馬鹿しいツッコミを自分自身に入れた。
「あ、じゃあ水で……」
そもそもこの世界にどんな飲み物があるかわかない俺は、無難にそう答えた。
ティーカップで水を飲むのも馬鹿馬鹿しい話だが。
「……失礼なことを聞くかもしれないが、君の世界では普通ティーカップで水を飲むのかね?」
「いえ、まず飲みませんね。それじゃあ紅茶で」
ティーカップという言葉があるのだから、紅茶ぐらいは存在するだろう。我ながらいい機転の利かせ方だ。
「ふむ、分かった、許可しよう」
「ありがとうございます」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
それから男2人が黙って向かい合う。
てっきり山田さんが準備してくれるんだと思っていたが、どうもそうではないらしい。
そうなると、召使いが来るのを待っているのだろうか。
俺がそんなことを考え始めた頃、山田さんは「しまった」と言う表情で、自分の頭を叩いた。
「あの、どうしました?」
「いや、君が魔法を完全に使えないということをすっかり忘れていたんだよ。すまない」
そう言うと山田さんはティーカップを指さす。
すると今まで空だったティーカップに、徐々に液体がわき出てきた。最初のうちは量が少ないので分からなかったが、それが紅茶であると気付くにはそれほど時間はかからなかった。
やがて、俺の前に湯気のたったできたての紅茶がその全貌を見せる。
まさに魔法だ。
いや本当に魔法なんだけど。
「すごいですね……」
俺は素直に賛辞を送った。
その様子に山田さんは喜ぶどころか、難しそうな顔をした。
「つかぬ事を聞くが、君の世界では紅茶はどうやって入れるのかね?」
「えっと、まあ普通にお湯を沸かせて茶葉を入れてそのあと漉してって感じですかね」
ティーパックについて話すと色々面倒そうなので、俺は正式な入れ方の方を答えた。
「お湯、か……。重ねて聞くが、ではそのお湯はどうやって作るのかね?」
「火で沸かしますね」
コンロについて話すとやはり面倒なので、とりあえず俺はそう答えた。
「……さらに重ねて聞くが、ではその火を熾すためにはどうするのかね?」
「……ガスを使います」
そこまで聞かれたら俺もそう答えざるをえない。
原始的な方法を言って「ならば実際試してみろ」と言われたら、どうしようもない。
嘘をついたと思われ、心証を悪くはしたくなかった。
しかし山田さんは、そこでようやく納得したような顔をした。
「なるほど、正直なところそこからさらに魔法を使わず、人間の力だけでなんとかしようという話をされたら、どう反応して良いか困惑するところだったよ。つまりその『ガス』が君の世界の魔法に値するものということだね?」
「……そう単純に答えられる話でもないんですけど」
ガス以外にも、というかガスより電気の方が重要だ。
ただそこまで説明すると、確実にとりとめのないところまでところまでいきそうなので、俺はこの話はあえてそこで終わりにした。
「ふむ、なにやら色々複雑そうだな。だが時間はある。そしてこうして言葉も通じる。理解出来ない単語があるかもしれないが、私も努力するのでできる限り話してくれないだろうか?」
「それは構わないんですけど……でもこっちの世界で今紅茶をどうやって入れたか先に説明してもらった方が、こちらも説明しやすいんですが……」
「なるほど、比較対象をはっきりさせた方が説明しやすいという訳か。それも道理だ。本来この世界なら子供でも知っていることだが、『ガス』について知らない私も君にとっては子供も同然。お互い最初から説明した方がいいだろうな」
「助かります」
教師だけあって山田さんの理解力は非常に高かった。
うちの担任にも見習って欲しいぐらいだ。
「まずこの世界でどうやって紅茶を飲むかについてだが、言うまでもなく紅茶には水が必要だ。どんな魔法でも紅茶をいきなり誕生させることはでいない。そして紅茶を作るためには茶葉も必要。ここまではいいかな?」
「はい、俺の世界でも同じです」
「ふむ。ではどうやってここにその二つをこのティーカップに入れるか、だ。魔法はそこから必要になる。まず魔法で水をそのカップに入れなければならない。それには大まかに二つの手段がある。ここまではいいかな?」
「いえ、その二つの手段というのが既に思いつかないのですが……」
「なるほど、どうやら君らの世界では、既にこの時点で方法が違うようだな……」
山田さんはふむふむと自分に言い聞かせるように言った。本当にそういった何気ない仕草がまさに教師のそれだ。
だんだん俺は授業を受けているような気分になってきた。
自分にとって興味がある分野であることが不幸中の幸いだが。
「この世界では水は別の場所から移動させるか、魔素から再構成させるかの二つの方法がある。前者は移動中に不純物が入る可能性がありまた魔力消費が多いため、今はだいたい後者のやり方が主流だ」
「あの、その『くおりあ』ってなんですか?」
「君の場合はそこから説明する必要があったか……」
山田さんはしたり、と言った顔で頭を叩いた。
この世界の常識を全く知らないのだ。山田さんにとって俺ほど出来の悪い生徒もいなかっただろう。
そう考えると、少し申し訳ない気がしてきた。
「魔素というのは……そうだな、何と言えば良いか……。魔法用の地図というか組み立てるための説明書きというか……」
「つまり設計図ですか?」
「セッケイズ?」
今度は山田さんが首をひねった。
どうらやこの世界には設計図という言葉に該当するものがないらしい。
設計図がなければどうやって組み立てを――。
「あの、まさかこの世界には機械は存在しないとか……」
「少なくともその言葉は聞いたことがないな」
山田さんははっきり答えた。
お互いの言葉が上手い具合に翻訳されるとはいえ、片方の世界でしか存在しない言葉はそのまま伝わってしまうらしい。
ひょっとしたら山田という苗字も、実は俺には理解出来ないような突拍子もない苗字なのかもしれない。
それはそれとして、機械と言っても何も電気で動いているものばかりではない。クロスボウだって日本語に訳せば機械弓だ。
ではなぜこの世界にそういう言葉は無いのか。
そのあたりをはっきりさせないと、話は平行線のまま進まないだろう。
「あの、この世界に魔法を使わないで動く道具は存在しないんですか?」
「ナイフや櫛などは普通の人間なら魔法を使わず動かすが、そういうことかね?
「ああ、そうなじゃなくて、魔法がなくても勝手に動いてくれる道具のことです」
「ふむ、これはまた難解な質問だな」
山田さんは眉間に皺を刻み、深く考え始めた。
その反応で俺にもそういった道具がこの世界で本当に珍しいものであることは理解出来た。
やがて――。
「……私が知る限りそういった道具はないな」
山田さんは断言した。
「魔力が弱いもののためにそれを補う魔具は存在するが、それとて魔力で動いている。子供の遊び道具でそういったものもあるかもしれんが……。もし君の世界のキカイというものに当てはまるものがあるとすれば、魔具が当てはまるだろうか……」
「・・・・・・」
もし当てはまるならその魔具はそのまま機械に変換されたはずだ。
つまりこの世界では、設計図が無いと作れないような複雑な道具は存在しないのだろう。道具は人間ができないことを補うために存在する。ならば魔法があればその必要性自体存在しないのかもしれない。
「ふむ、話が大分逸れてしまったな。ええと、そもそも何の話をしていたのか……」
「紅茶をどうやって入れるかって話で、『くおりあ』がどうのこうのと」
「ああ、思いだした思いだした。いかんな、この歳になると物覚えが悪くなって」
老人のぼやきは世界が変わっても同じらしい。
俺は心の中で苦笑した。
「魔素はこの世界の人間なら誰もが学ぶものだ。水や火といった単純なものの魔素なら自然と覚える。ただその魔素を元に物を構築するやり方は、教えられなければ分からない。とはいえ、水程度なら病気でもない限り、学校に入る前に誰でもできるがね。むしろ後者の移動させる方法はしっかりと習わなければできないだろう。そしてこれもこの世界では常識だが、いくら魔素から何かを構築しようとしても、元になる素材がなければそれは不可能だ。大気に素材が存在する水や火はティーカップに構築することは容易いが、茶葉そういうわけにもいかない」
「まあ確かに空気中に水や火を作るための酸素や水素はありますけど、茶葉の元になる物質が存在するわけでもありませんからね」
水や火と比べて茶葉の構造は複雑だ。その構築に必要な分子の全てを空気中から賄おうというのは、さすがに俺も無茶だと思った。
「……君の話に出てくる単語は理解出来ないものが多々あるが、とにかく構築が難しいことを理解してもらえたことは分かった。それでは、茶葉の構築に必要な素材をどうやって集めたらいいか、君はどう考えるっかね?」
「そうですね……」
だんだん本当の授業のようになってきた。
しかも今質問されたことは、今までの人生で一度も教わったことがないことだ。
俺は頭をひねってその答えを作り出そうとした。
「たとえば茶葉の素材になる魔法的な物質を保管している場所があって、そこから必要に応じて取り出す……とか」
「なるほど、知識のない人間はそういう風に考えるのか。非常に参考になったよ」
「褒められてるのか貶されてるのか怪しいところですね」
「あくまで事実を言ったまでだ。君が気にすることはない。それで正解だが、茶葉を作り出すのだから、そのまま茶葉を利用すれば良い」
「……は?」
俺は呆気にとられた。
だってそうだろう。
なんで元から茶葉があるのに、わざわざそんな面倒くさい方法をとるんだから。
「いやいやいや、だったら魔法なんか使わずに自分で入れればいいじゃないですか!?」
「それは実際に紅茶を飲んでから判断して貰おうか。まずは今入れた紅茶を飲んでみたまえ」
言われて俺は少し冷めかけた紅茶を口に含んだ。
芳醇な香り……とかえらそうに表現できるほど味が分かる人間ではないが、紅茶特有の香りがなんとも心地よかった。
「・・・・・・」
ただ、ミルクも砂糖も入っていないので、正直かなり渋く感じた。
それでもまずいとは思えない。
量はそこまで多くなく、一気に飲める温度まで下がったので全て飲み干す。
「本来ならミルクか砂糖を入れるところだが、比較のために紅茶だけの味を知って欲しかったのだ。まあそこまでしなくても違いは明らかだと思うが、念のため、な。それでは次は直接的な方法で入れよう」
そう言うと一度は空になったティーカップに、再びお湯が沸き始める。
ただ前回と違うのはいつまでたってもお湯のままで紅茶にはならない。
「おお!?」
しばらくするとどこからかふわふわと茶葉が空中を飛んできて、そのままお湯の中に落ちた。
「水がお湯になる魔法や、茶葉を移動させる魔法についても詳しく説明したいところだが、残念ながら今の君にはそれを理解出来る下地が存在しない。なので今回は省かせてもらうよ」
「それはまあ仕方ないですね。いつか機会があれば」
「さあ、それで飲んでみたまえ」
「……このままで?」
ティーカップには未だ茶葉が残っている。
普通紅茶を飲むときにはそれを漉すものだ。
だが山田さんは首を横に振り、そのまま飲むよう強要した。
仕方なく俺は紅茶を飲み、
「……なんじゃこりゃ!?」
思わずそう言った。
茶葉が入っていた時間が短いことを踏まえても、味が薄すぎる。お湯と大差ない。
それもそのはずで、よく見れば茶葉は素の色が紅いだけで全く加工されておらず、色素が蚊ほどもしみ出ていなかった。仕方なくティーカップをゆらし、紅茶を抽出しようと試みたが、無駄な努力だった。
「どうかね?」
「紅茶というか、葉っぱの入ったお湯ですね」
「そう、その通り。紅茶の葉から紅茶を作れば必ずそうなる」
「いや、そりゃ生の未加工の茶葉を使えば誰だってこうなりますよ」
「しかしこちらの世界では魔法を用いず茶葉を加工する技術が存在しない」
「あ……」
俺ははっとなった。
そもそも今の時代紅茶の発酵も人力ではなくほぼ機械が行っている。そして魔法が機械に取って代わる世界では、それを魔法がしないというのも浅はかだ。
「茶葉も紅茶も素材は同じだ。だが魔素は違う。そして色々茶葉をいじくるよりは魔素を用いて組み替えた方が遙かに容易い。そもそも紅茶というのは不味いものだから。先人はよく茶葉を組み替えようなどと考えたものだ」
「・・・・・・」
詰んだばかりの茶葉をそのまま入れてもまずいだけ、それは現実の世界でも同じだ。
同じように先人達が加工する技術を考え、今こうして美味しいお茶を飲めるようになった。その工夫が、この世界では魔法という土台の上に作られただけの話だ。
「まあこの世界の茶葉の品質は分かりませんけど、ちゃんと加工をすれば普通においしいと思いますけどね」
「いや、残念ながらそれはないだろう。君の世界ではそうかもしれないが、この世界の茶葉は素材のみ重視され、茶葉自体の味は無視されてきたからな。では何故まずい茶葉でも魔素から組み替える美味く感じられるか。それは茶葉を紅茶として構築する魔素が一つではないからだ。大昔はただ茶葉を紅茶としての体裁をとるだけのまずいものだったらしいが、時がたつにつれより美味く構築する魔素が組み上げられ、その研究は今なお続けられている」
「へえ……」
俺はここでようやく何故この世界では魔法で紅茶を入れているのか完全に理解した。
そして俺は今まで抱いていた二つの大きな勘違いに気付かされた。
「つまり魔素っていうのは、その魔法に対応した絶対的な一つのものがあるわけじゃないんですね。一つしかなかったら今の紅茶にしても、まずいままだったわけですし」
「うむ、その通りだ」
「そして俺は今までこういう異世界は、完全に停滞した世界だと思っていました。でも考えてみれば同じ人間なんですから、何万年も歴史があれば、そりゃ魔法だって進歩はしますよね。自分の世界だけ圧倒的に優位に立ってるって言う傲慢さに恥ずかしくなりました」
「ほう、なかなか面白い話だ。確かに君とこうして話すまでは、私にも似たような思いはあった。私達の世界がはるかに発展し、召喚する世界は劣っている世界だ、と。そうだ、せっかくだから次に会うときは君の世界の紅茶を持ってきてくれまいか? 非常に興味深い」
「それはまあ……、ていうか普通に戻れるんですか!?」
「ははは、もちろんだよ。もし危険なものを召喚したら、どうすると思っていたのかね。召喚魔法は帰還魔法も使えることが使用際の絶対条件だ」
「この世界でも安全管理はしっかりしてるんですね……」
「それではまた会う時を楽しみにしているよ、鈴木君」
山田さんはそう言うとパチンと指を鳴らした。
その数秒後、俺は一瞬でそれまでいた自分の部屋に戻される。
スマホの時計と部屋の時計をすぐに比べてみると、案の定向こうの世界に居たであろう時間だけスマホの方が進んでいた。
夢ではなかった。
どうやら俺は完全な偶然で異世界への扉を叩き、封印していた中二心を復活させることになったらしい。
そして俺はその日から、常に紅茶を持ち歩くようになった……。