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オカマママの回想録がメインです。
テロリスト序
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最近、頭痛持ちになった。
ペットボトルの飲み物で頭痛薬を飲む。黄色のややすっぱい飲料が気持ちよい。休憩室のテーブルには同様のペットボトルや封の開いたお菓子が散乱している。多分、スタッフのものだ。皆もこの飲料にハマっていたはずだ。
あたしの正面にはTVがあって、イケ面君とカワイ子ちゃんが「守って!」とか「あたし達の絆!」とか叫んでいる。なんだ?と見ていると、兵隊さんの募集CMだった。こういうCMは一部地域には流れているようだけど、全国ネットでは珍しい。あたしはドラマ仕立てのCMが好きなので、つい見てしまう。“若いっていいなあ”と思っていると、「ニューハーフ・でIN・でGO」のタイトル表示。主人公に共感できるお気に入りのドラマ。あたしは欠かさず見ている。今夜も記憶を失う程夢中になった。ハッとすると、煙草の灰がごろりと膝に落ちていた。「アチッ」ってあわてて払ったけど、黒いドレスに少しお焦げが出来てしまった。周囲に白い灰の痕が見える。あ~あ、と白くなった部分を爪で弾いたけれど、やっぱり元に戻る事は無かった。
お焦げを戻す魔法、時を戻す魔法、魔法なんてものは存在しない事は分かっているけど、治らない傷はやっぱり辛い。
お焦げを隠す様にポーチを持ち、フロアに戻ると、あたしに指名があった。
うちの店は銀座にある。高額料金、世界各国の美人を揃えた敷居の高いクラブだ。その為、お客様はとんでもなくハイレベルの人たちに限られる。そんな中で、オーナーのあたしを指名する人は超が10個ぐらい付くエリートか、風変わりなオジサマしかいない。あたしはちょっと加算されてしまった頭痛を紛らわすつもりで、お客様の名前を訊ねた。
「はい、桐谷様と伺っております。」
その名前を聞いた途端、眉毛がキリリとなった。奇麗に眉毛の整った黒服君はそんなあたしの変化に気づかずに、キビキビと案内してくれる。軽やかに動くお尻を見ながら、6年前、隣にジュリアスがいた事を思い出した。
店内はジュリアスのいた時から変わりは無い。オレンジ色の反射光を利用し、ぼんやりと浮かび上がらせる照明、その中を、たまに青や赤い光が走る。
「レーザー光は下品な感じがするけど、興奮する。」
そんな事を言いながら、これらの光によって作り出される空間をジュリアスは気に入っていた。なぜだろう、今日は切り替えがうまくいかない。いつもより多くジュリアスの事が思い出されてしまう。
中央のボックスシートに桐谷はいた。
西瓜のような球体の頭、サイドに残った髪の毛。黒ガラスの丸眼鏡を掛け、鼻の下にちょび髭がある。時間を感じさせないほど以前と同じ姿が一瞬あたしを混乱させた。あたしに気がついたのか、軽く頷く。あたしも軽く会釈を返し、隣のスペースに腰をおろした。
薬の効き目が遅く、まだ頭痛がする。
しかし、ズキズキとした痛みが不快な感じで無くなった。むしろ、頭が冴えてちょうどいい。鼓動は早くなり、体もそれに相応しく熱い。軽く息を吸い、ピアノの曲を聴く。店内にはいつもの通りのメロディーが流れていた。
「遅れて申し訳ありません。ようこそおいでくださいました。」
あたしは、にっこり微笑んだ。
「お久しぶりでございます。桐谷様。」
「こちらこそ、お久しぶりです。」
「すみませんでした。お一人にしてしまいまして。」
「大丈夫です、こちらがお願いしたのですから。」
「申し訳ありません。」
あたしは深々とお辞儀した。
「奥の方に、テーブルを変えましょうか?」
奴との同席をアピールするのはあたしにも都合が悪い。ここは目立ちすぎる。
「いや、ここで結構です。」
『別格』の貫禄が感じられる言葉で桐谷は答えた。“内面は以前と違うようだ。”チラリと思う。
「そうですか。」
あたしも腹をくくる。
チラリチラリとあたし達を探る目。その中に、対立組織の人間もいる事は間違いがない。この間に黒服君は消え、水割りのセットを手に再度、現れた。
「これでよろしかったですか。」
「はい。」
オープン以来、あたしは来店したお客様の氏名、サービス内容の記録を徹底させている。ついでに、ホステスや黒服君達にはお客様の雰囲気や好み、会話の内容までも記録させている。こうして集められた情報はサービスの向上につながるし、営業面でも活用できる。
これはサービス業として当然の事であり、店が銀座に残れる理由でもある。しかも、この顧客リストは様々な面で役立った。ホステスたちが集めてくる話は、中にはとんでもない情報があったり、お客様の隠された素顔も確認できる事があるのだ。
ルール無用の世界では、ウチのリストを欲しがる組織は非常に多く、RSTTの重要な資金源となっている。だから止められない。止められる筈が無い。
桐谷は上着の内ポケットから封筒を取り出した。黒いスーツにはシワ一つ無い。さらに、隣にビニールの袋を置く。
「これ、初めにお渡しします。」
「なんですの?」
あたしは封筒の中を確認する。プラスチックの板にナンバーが記載された鍵が一つ見えた。
「以前と同じコインロッカーに入っています。場所は覚えていますか?」
桐谷の名前を聞いた時に既に想像はしていた。桐谷に対する記憶は忘れるはずがない。いや、忘れる事は出来ない。
あたしの体はさらに熱くなり、喉が渇きまくる。あたしは許可を得てちょび髭野郎の分も併せて水割りを2つ造った。ロックグラスに氷を落とし、ウイスキーを2センチほど注ぐ。水を注ぎ、軽く混ぜ、ちょび髭野郎に渡す。
吐き気がするほどの媚びた態度だが、グラスに桐谷が口をつけるのを確認してから自分用を一口飲む事にする。
少しの沈黙。頭はカッカ。それでも冷たい液体が喉を過ぎ、体を内側から冷やしてくれるのを感じる。ふーとした意識に手にしたグラスから氷の冷たさが伝わる。そうだ、あたしのグラスには、少し多めに氷を入れておいたんだっけ。
「どのようなご依頼でしょうか………。詳しく教えて下さいますか?」
礼儀として、すットボケた。
桐谷は水割りを無表情で飲む。グラスを傾け、チャップリンに似た口髭をおしぼりで拭いた。おしぼりをくるくるっと丸め、言った。
「可能な限り情報はお伝えします。当然な事です。」
感情を感じさせない桐谷の言葉。
あたしも体温を感じさせないように振る舞う。
ジュリアス、あたしは上手くできている? できていると思う? ジュリアスがいなくなってから、あたしは独りで生きてきた。だけど、RSTTはこんな状態………。あたしはただのバーのママになってしまった。あたしの6年間はどうだったと思いますか?
桐谷は黙っている。奴にテレパシーがあるならば、あたしの心が読めただろう。殺したいほど憎んでいる心が。
「6年前はありがとうございました。良質なサンプルの入手を感謝します。その後、TTKで量産化に成功しました。海外で非常に素晴らしい評価を受けています。」
あたしはこの時、大切なものを2つ失った。
「あたし達にも仕事でしたからお礼は結構です。そんなことより、あの件とは関係ないのではありませんか?あたし達は、指示どおりに行動しただけです。サンプル奪って、チルチルミチルのライターで、浄水場をどっかーんて爆発させて………。只、それだけです。」
もう少し詳しい説明があれば、あたしが実行した。そして、ジュリアスは桐谷を殺してくれたと思う。
「そうですか、ただ、今回の依頼はこの事件が発端なのです。」
桐谷は感情無く言った。
「どうゆう事でしょう?」
あたしはさらに険しくなった寄り眉毛を感じた。
「あなた方の活動で、計画していた実験は行われませんでした。しかし、少し歯車が狂ったようです。」
丸眼鏡が光る。
「違う実験がおこなわれていました。」
爆破事件の犠牲者の中に満の名前を見つけた時と同様の衝撃があたしを襲う。
「この薬には多少、薬品臭がありました。山間部の良質な飲料水と比較すると“匂い”が目立ちます。あの爆破がその“匂い”を克服する実験を可能にしてしまったのです。」
「どんな?」
「給水車です。給水車からの飲料水に多少、薬品臭がしてもあまり気にしません。消毒済みの飲料水ということで、住民は納得したと報告がありました。」