桜の下で
この作品は、秋月忍様のエッセイ『ネタの細道』にヒントを得て書いたものです。
「桜祭り晴れてよかったね」隣の男性に、満面の笑みで語り掛ける女性。
「リア充なんて爆ぜてしまえ」聞こえないようにそっと毒づいてみた。地元で桜の名所と言われている場所ではあるけれど、地元商工会主催の桜祭りに来なくたっていくらでも行くところはあるだろうにと思ったが、意外と遠くからの観光客なのかもしれない。
甘ったるいカップルを見ながら、こちらは絶賛アルバイト中だ。商工会議所から地元のお祭りに出店してほしいと、バイト先のコンビニの店長さんが頼まれたらしい。店舗では通常通り営業しているわけで、普段真夜中の要員が引っ張り出される結果になった。店長さんに、日当に色を付けてお昼に焼き肉弁当、夜に高級幕の内弁当を用意するよと言われたのが理由では・・・ない。
「ニホンジンハ、サクラスキデスネ」そう話しかけてきたのは、アルバイト仲間だ。彼の出身は雨季と乾季しかないはずだ。そんな国で、やれ花が咲いた木々が色づいたといって国中で騒ぐ習慣があるとは思えない。
日本人はいつから花見をしていたのだろう。花見の始まりは、梅だったと聞いた事がある。それが平安時代には、桜に移り変わったとか。この頃は上流階級だけだったろうけれど。豊臣秀吉が盛大な花見大会を開いているけれど、あの時代に一般庶民は花見なんてしていたのだろうか。落語に花見のネタがあるから、江戸時代には庶民も桜の花の下で宴会をするようになっていたのだろう。 それから何代にもわたって、春は桜を見て騒ぐとすり込まれてきたのだ。平成の世が終わって十数年たったところで、そう簡単に花見の遺伝子が消えることはないだろう。
色の少ない季節から、淡いピンクの塊が出現すればそりゃぁ騒ぎたくなるのもわかないではないが、すこし騒ぎ過ぎだと思う。そなんことが頭をよぎりながら、
「全く」と短めに答えを返しておいた。
彼は、国費での留学生だという。以前、国の税金で留学させてもらっているのにバイトなんかして大丈夫なのか、心配になって聞いてみたことがある。帰ってきた答えは、
「アルバイトモ、シャカイタイケンデス」だそうだ。たくましい。
正午が近づくにつれて、出店は忙しくなってきた。お祭りでおなじみの様々な屋台も出てはいるのだから、使い慣れたコンビならお祭り値段ではないだろうという安心感からか、そこそこ人が集まってきた。昼食時が過ぎ客足が減ってきたところで、交代で休憩に入った。
「1時間の休憩」そう言われて渡されたレジ袋の中には、約束通り見切り品でない焼き肉弁当とパックの・・・野菜ジュースがはいていた。ここはお茶でしょう、落語のネタでお茶けで花見をする話があるのに、と突っ込みたかったけれど心の中にとどめておいた。これも店長の優しさなのだ、きっと。
アルバイトの面接の時のことを思い出した。履歴書を眺めながら
「無断で休まないように。休むときには事前に連絡をしてね。急な発熱でも連絡してから休んでね。熱出して店に出られても困るか。それから学校行事でシフトには入れないとわかってるのなら、できるだけ早く言っておいてね。入学したばかりで学校の様子もわからないかもしれないから、シフトは週に3回にしておくよ。これで大変なら減らすし、もっとできるのなら考えてみるよ。バイトを理由に留年されちゃたまらないから」厳つい顔して、厳しい口調で言われていると説教されているように聞こえるけれど、もしかして学業がおろそかにならないか心配してくれているのがわかる。続けて、
「社会に出たら、報・連・相が大切だからね。困ったことがあったら、何でも言って」厳しい口調ではあるけれど、やっぱり優しいんだよね。
1年生の夏休みの前のことだった。
「夏休みに実家に帰りたいなら、小遣いはやれんが休みならやれる」と、笑えばいいのか、突っ込めばいいのか反応に困る言葉をかけられた。昔の丁稚奉公じゃあるまいし、21世紀に入って30年も過ぎようかというときに、盆の里帰りに小遣いなんて期待してませんって。この店長さん、いったい何歳なんだろうと、思うことがある。
みんなでシフトの調整をして、夏休み気分を味わってほしいということらしい。俺が実家に帰ると、食費やら何やらの負担が実家にかかるから帰るつもりはなかった。その分稼がせたほしい位だ。その旨を伝えた。すると、昼間の時間帯のシフトが少し増えた。普段は子育て中の主婦の時間帯なのだが、子供の夏休中は時間を短くしてほしいのだそうだ。そこに俺が入った形だ。
いろいろと心配りをしてくれる店長さんなのだ。急に人手が必要になったのなら、シフトに入っても文句はない。俺の休日の食事を心配して、弁当を二つ用意してくれる位の人なのだから。
桜の下にあいているベンチを見つけて座った。桜の下でお昼を食べるなんていつ以来だろうか。小学校の頃桜の季節に、お花見給食なんてものがあった。みんなで校庭の桜の木の下で給食を食べたのだ。それが俺の花見の記憶の最後かもしれない。
制服がなく徒歩で通学できるからと選んだ高校は、地元で有数の進学校だった。家庭の事情を考えると高校に進学する気にはなれなかった。それでも高校も出ていないとこれから先大変だからという周りの勧めでの進学だ。経済的なことが心配ならと、担任は返済無用の奨学金制度の資料をいくつか用意してくれた。未成年の俺がそれを見て判断するものでないので内容は覚えていないけれど、俺にも進学の可能性があるのかとうれしくなったことを覚えている。
高校に入った俺は、アルバイトの毎日だった。公立で学費がかからないとはいえ、制服がないとはいえ、学校指定の体操服や副教材費なんかもかかる。留年しない程度の勉強はしていたがそれは公務員試験のためで、大学進学のためのもではなかった。1年の3学期の進路希望調査票には、公務員試験受験と書いて提出した。
それから数日後のこと、担任から話があるから放課後進路指導室に来るように言われた。バイトをさぼると生活が出来ないのだ。バイトのない日にして欲しいと頼むと、簡単に了承してくれた。 担任が切り出した言葉は、
「経済的な理由で進学をあきらめているなら、進学できる方法はあるぞ」というものだった。地方公務員を受験するにしても、高卒で中級や初級を受けるよりも大学を出てから上級職になった方が、長い目で見ればいいのではないかという。またまた御冗談を、アルバイト先の見切り品をもらって帰って何とか生活しているような身分ですよ、奨学金があっても何とかなるもんではないと思うのだ。
そんな俺に担任は、
「君はまだ未成年だ。僕の教え子には夢をもってもらいたいんだ」というと、奨学金やら給付制度のある大学やらのパンフレットを取り出した。 長い目で見れば大学卒の方が生活は安定するのかもしれない。でも先立つものがないのだ。
「経済格差や地域格差が、学歴の差になってはいけない」そんなのは理想のお題目だ。俺がバイトしてる間中、普通の受験生は勉強しているのだ。俺の生活費と同等かそれ以上の金額を塾代にしている受験生は、ざらだ。そんな受験生たちと競って、勝てる気がしない
地域格差だってそうだ。
新聞で『子育て支援行政のその後』なんていう記事があったので、なんとなく目を通してみた。「平成の中ごろから都市部での保育園の不足が叫ばれていた。それに対して人口を増やしたい市町村では、積極的に子育て支援をうたい若い世代の移住を促進した。保育園を充実させ住宅や営農を希望する家族には、農地あっせんや農業指導も行われた。その後都市部で待機児童問題が改善されると、そういった地方に移住する家族も減少する。加えて、地方での教育に不安を感じた家族は、子供の中学受験や高校受験をきっかけに都市部に戻ってしまう傾向にある」といった内容だった。結局、子供の子育てが終われば便利な都市部に戻ってしまうのだ。
隣には、『駅前大学、運営の危機』なんて見出しも載っていた。十数年前に駅前の大型スーパーの撤退した後に、薬科大学を誘致した市があった。その大学が、運営の危機に陥っているというのだ。福祉看護系の大学なら需要もあったかもしれない。なのに何で薬科なのだ。「少子化が叫ばれていた中での新設校開校に、運営の見込みの甘さがあったのではないか」記事はそう締めくくられていた。素人だってわかる事だ。
この大学に限らず、ここ30年ほど前から地域活性化のために私大を誘致した市町村がいくつかあった。学生数が少なくなっているのがわかってるのに、私大を誘致したがる自治体もどうかしてると思うけれど、許可を出す国も国だと思う。
三学期の終わりころ、また担任に声をかけられた。勉強しておいて損はないだろうから、2年生になったら私大文系のクラスに入れておくというものだった。その時に手渡されたのが、今の大学のパンフレットだ。大学独自の様々給付金が用意されている。大学自体の偏差値は驚くほど高くはないのではと思う。だが4年間の学費免除と学生寮費の免除の特別待遇性の試験を通過するには、かなり偏差値が高くないとダメなようだ。
「お前なら楽勝さ」と、にやりと笑いながら渡すんじゃねぇよ。
子供の頃の思い出は、公園の隣の子ども図書館しかない。その頃のそのころの俺にとって子ども図書館は、天国だった。「はたらくくるま」や「きょうりゅう」に「こんちゅう」の本。絵本読み聞かせ会や紙芝居も見に行った。図書館内であれば、アニメ映画も借りてみることができた。子供のころから本になじんでいた俺の脳は、人様よりも少しだけ物覚えがいいようだ。でなければ、宿題しかやっていない俺が進学校で片手に入るわけがない。子供の頃に本の面白さを教えてもらったことに感謝だ。
考えてみれば、元々進学校だったのだ。就職用のクラスなんて用意できなかっただろし、大大進学率を少しでも上げたかったのではないだろうか。おせっかいな担任のおかげで、俺は今大学生をやっている。
大学に入って変わったことといえば、深夜のバイトができるようになったことと、ただで珈琲が飲めるところができたことくらいだろうか。前期後期の試験だけでなく、各科目の提出レポート質が下がったり、講義への欠席が目立つと、特待生から外れてしまう。そんなプレッシャーから、入学当初は人と交わることが少なかった。ところが担当教授が、昼休みもしよければ研究室に来るように声をかけてくれた。行くところもなく、おそるおそる中をのぞくとそこは学生のたまり場になっていた。みんな勝手に教授のインスタント珈琲に手を伸ばし、なにやら難しそうな議論をしたり参考書籍を読んだりしているのだ。マイマグカップを教授の研究室にキープしておくなんて、信じられないような状況だった。
担任教授のゼミには、俺と同じような立場の学生が集まる傾向にあるようだ。似たような立場の学生たちを集めて、少しでも気が楽になればという教授の心遣いだったようだ。
桜を見上げながら、人との関わりを思い返していた時だった。
「お祭りに来てぼっちでお昼? 」もう一人、おせっかいがいた。声をかけてきたのは、同じゼミの子だ。
「お前だってぼっちじゃねえか。バイトの休憩を交代でとってるんだよ」コンビニの制服を脱いで弁当を食べようとしていれば、一人で祭りに来たように見えるかもしれない。
「あら奇遇、私もバイトの休憩時間なの。ぼっちで食べてると哀れだから、隣で食べてあげる」そういうと、勝手に隣に座ってサンドウィッチをほおばりだした。
それからしばらく他愛の無い話をした。というより、彼女が勝手に話、俺が適当にうなづいていただけだ。女ってのはどうしてどうでもいい話をしている時でも、キャッキャと擬音が付くような話し方をするのだろう。何が楽しいのか、全く理解できないが、楽しそうに話しているのを見るのは、悪い気はしない。休憩時間が終わりに近づいてのか、話すのに飽きたのか、
「またゼミでねぇ」と手を振りながら行ってしまった。
俺たちのことを見て
「リア充、爆ぜろ」とか思わないでほしい。ただの同級生だ。
俺もベンチを立って、アルバイトに戻ることにした。




