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仮面の娘  作者: 桜ノ宮
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第二章 決別 その一

「はぁ……」


 窓の外を見つめ、物憂げにため息を吐く青年。伏せられた長い睫毛が陰影を作り、薄く開かれた唇から吐き出される息は、どこか艶が滲む。

 憂えた顔で頬杖をつく姿は、なんとも絵になったが、あいにくとそれを目にしたのは幼馴染みのオーラントだけであった。

 美の女神の寵愛を一身に受けたような青年を前に、オーラントは気むずかしい顔でがしりと頭を掻いた。


「はぁ~、シーファス。いい加減ここを離れるぞ。……まったく、あの恩人殿に会いに行ってから、お前の心はここにあらずといった感じだな。くくっ、まさか、あの娘に魔術でも使われたか? ずいぶんと黒い噂があるらしいじゃないか。魔術を使えば、人の心を捉えることくらい容易いだろうさ」


 オーラントが冗談混じりにそう言った刹那、青年──シーファスの顔色が変わった。切なげな表情から一変、きつくオーラントを睨みつけるその顔は、静かな怒りをはらんでいた。


「口が過ぎるぞ、オーラント。二度と、彼女を貶める言葉は口にするな。もう一度、僕の怒りを買うことをすれば、その口を僕が塞いでしまうよ?」

「これまた、物騒な台詞だな。おいおい、本当にどうした? 今の発言は俺も思慮が足りなかったと謝るが、お前だって知っているだろ。あの娘が事実、忌まわしい悪魔の力を宿していることを」

「病を治す力を持つ者が、悪魔に心を売っているはずがないだろ。戯言に惑わされるな。噂話がすべて真実であるとは限らない。その身に受けた忌まわしい呪いのせいで、不遇を強いられる彼女を僕は守りたいと思ってしまった」

「! シーファス、お前……」


 オーラントが虚を突かれたように目を見開いた。

 開け放たれた窓から入り込む風に、髪の毛を遊ばせながらシーファスは、ゆるりと柔らかな笑みを浮かべた。


「一度、会えればよかったんだ。そうすれば、この胸のざわめきは落ち着くのだと。……でも、駄目だね。どんどん貪欲になってしまう。また傷ついていないだろうかと、そればかり気に掛かって……」

「シーファス……、お前がようやく女性に関心を持ったことを俺は素直に喜ぶべきなんだろう。だが、相手が悪い。いくら貴族の血を引いていようと、悪評がついて回れば価値などない。お前の命を救ってくれたことには感謝しているが、それとこれとは別だ。お前の隣に並ぶのならば、それなりの容姿に秀で、正統な血筋を持った姫君ではないと」

「わかっている。そんなことは。けれど、理性と感情は別なんだよ、オーラント。これまで、この両肩にかかる重圧を重いと感じたことはなかったけど、──今は、この身に流れる血が恨めしい。もし、僕が平民であったなら、すべてを捨ててでも彼女をさらってしまえたのに」


 切なげなため息を零すシーファスに何かを感じ取ったらしいオーラントが、ぐっと息を詰まらせた。


「――本気、なのか? 遊びではなく?」

「あの子を大切にしたいという想いは本物だよ。……はは、馬鹿みたいだ。こんなに悩んで。考えなければならないことは山ほどあるというのに、愚かしくも彼女のことばかりに心を囚われてしまう。あまりよく思われているのはわかっているのにね……」

「なぜ、そこまで……。あのときお前は気を失っていて、」

「覚えていないだろって?」


 オーラントの台詞を奪ったシーファスは、くすりと笑った。

 シーファスがあのとき感じたのは、温かさだけだ。すべてを包み込むような光が傷口から全身に広がり、痛みを鎮めていくかのようで……。

 苦しさの中で、ちらりと霞む目を開くと、女神がいるのだと思った。死神ではなく、美しい女神が。白金に照らされた美しい人。

 夢か現か定かではなかったが、シーファスの胸に強い印象を残したことは確かだ。

 そしてその感情は、実際に彼女に会ってみて深まった。たとえ仮面を被っていようと、ボロをまとっていようと、彼女の周りで光が踊っているように見えたのだ。


(この地の住人の目は節穴だね。彼女が災厄をもたらす張本人のように振る舞っているけど、こんな逆境の中でも己を見失わず、凛とした輝きを持った彼女が魔女のはずない)


 シーファスにしてみれば、よく心が壊れなかったと感心したほどだ。

 独りでも生きていけるその強さ。

 自分にはないユリアの魅力に気づくたびに、心が惹かれていくのを止められなかった。

 知らず、シーファスの笑みが柔らかくなる。

 めったにない穏やかな表情を目にしたオーラントは、頭をがしがしと掻くと、深くため息を吐いた。


「はぁ~~っ、しかたねぇな」

「オーラント?」

「好きなら、きっちり射止めてこい。お前の初恋を俺も応援してやる」

「いいの……?」


 シーファスの双眸が不安げに揺れた。


「だが、この先の責を負えないのなら止めておけ。あの娘の運命をいたずらにかき乱すだけだ。だが、どんな状況になろうと、あの娘を守り抜くと誓えるなら、俺は俺なりに力を貸す。お前が歩くのは茨の道だ。そこに巻き込むんなら、相応の覚悟が必要だぞ」

「――ああ、わかっている。この情勢が不安定なときに、恋愛にうつつを抜かしている場合じゃないのかもしれない。けれど、僕は一時でもいいから姓を捨てたただのシーファスになりたいと願ってしまう。僕を救ってくれたように、今度は僕があの子を窮屈な檻の中から救い出してあげたいんだ。きっと、これは僕のわがまま……。決してこの先にある未来が明るくないとわかっていても、手放したくないんだ。オーラント、僕は間違っているだろうか?」


 オーラントは答える代わりに、地味な外套をシーファスへと投げつけた。

 それを片手で受け取ったシーファスは、不敵な笑みを浮かべるオーラントを見上げた。


「最初から、諦めるつもりか? あの娘を守りたいと願うなら、希望を失うな。俺はあのとき……絶望したあのとき、奇跡を間近で見たんだ。望みを捨てなければ、いつか夢が叶うと思わないか」

「まったく……軽々しく言ってくれる」


 苦笑したシーファスは、それでもどこか晴れ晴れとした表情で外套を羽織った。

 そのまま宿を後にすると、二人は馬車通りではなく、森へと続く獣道に入っていった。鬱蒼と生い茂る緑が、行く手を阻むように突き出していた。それをかき分けながら、さらに奥へと進んでいく。

 間近に迫った城を横目に、先導するオーラントは城とは反対側を示した。


「この時間帯は、小川に水を汲みに行ってるはず」

「毎回のことながら、君の情報収集能力には恐れ入るよ。この短期間で、よくそこまで細かな情報を引き出せたものだ」

「俺の魅力のおかげだろ」


 茶目っ気たっぷりに片目をつむったオーラントは、男慣れしていない城の侍女を相手にいろいろと聞き出したのだろう。

 肩をすくめたシーファスは、困ったやつだとばかりに苦く笑った。

 オーラントがその気になれば落ちない女はいない。

 均整の取れた鍛え抜かれた体躯に、整った甘い顔立ちは、うら若き娘の視線を奪うには十分だった。女の影などなかったシーファスとは違い、数々の浮き名を流すオーラントに抗える娘などいないだろう。

 オーラントの言葉通り、森の中にある小川へと近づくと、この前と同じボロ布をまとったユリアの姿が見えた。

 思わず笑みを浮かべたシーファスであったが、すぐに顔を強ばらせた。

 どこか様子がおかしい。

 桶を放り、小川の側でうずくまるユリア。その体はぴくりとも動かなかった。


「ユリア!」


 シーファスは慌てて駆け寄った。

 抱え起こすと、彼女が意識を失っていることに気づいた。フードを払うと、あの無機質な仮面が現れる。真っ白な肌は病的なまでに透き通り、唇を強く噛んだのか血が滲んでいた。

 それを指の腹でそっと拭うと、痛ましげに眉を寄せた。


「……っ、」

「シーファス、ぼさっとするな。早く医者に診せるぞ」


 頷いたシーファスはユリアを慎重に抱き上げると、オーラントとともに急いで町医師の元へと向かった。

 馬車道の通りに面した、二階建ての建物の一階に診療所はあった。診療所の印である薬草の絵が描かれた看板が、風に吹かれて揺らめく。

 古びた扉を押し開いたシーファスは、息せき切って駆け込んだ。

 いささか乱暴な物音に、奥から老齢の医師が驚いた顔で現れた。


「おや、またあんたたちかね。今度はどうした? また貧血か」


 からからと笑った老医師は、しっかりシーファスたちのことを覚えていたようだ。

 あのとき、傷が癒えたシーファスを抱えてオーラントが訪れたのがこの町医者だった。服についたおびただしい血の跡を見て顔色を変えた老医師は、急かされるままシーファスの診療に当たったが、肝心の傷口はどこにもなく、単なる貧血と片付けたのだ。

 大の大人が気を失っただけで息せき切って駆け込んでくるとは、と老医師は呆れはてていたものだ。


「いや、僕ではない。この娘を診て欲しい。小川の側に倒れていたのを見つけて……」


 シーファスがそう告げると、老医師の視線がシーファスの腕の中にいるユリアへと移った。


「! これは…また、厄介を運んできたな」


 老医師は、渋面を作って気を失っているユリアを見つめた。


「……なに、心配はいらぬ。ソレにとって痛みなど一時のこと。しばらくすれば目を覚まし、傷も癒えよう」


 真っ白になった髭を撫でた老医師は、難しい顔でシーファスとオーラントを見つめた。


「旅人ならば知るまい。……あぁ、今からでも遅くない。発見した場所へと戻し、ソレのことは忘れるがよい。でなければ、災いが降りかかるぞ」

「──馬鹿げている。この地の領民はそれを信じているのか?」

「シーファス、落ち着け」


 オーラントがなだめるが、シーファスの表情は固かった。


「困ったものだ。ワシの言葉を信じぬと後悔するぞ。いいか、よくお聞き、旅の方。ソレには、呪いがかけられている。母親は魔女で、娘を厭い一生外れぬ仮面をつけたのだ。それに、ソレは変わっておる。普通の者より優れた治癒力を有し、幼き頃は、魔術を操っていた。人ではない魔物の子を忌んで何が悪い?

 お優しい領主様がソレを保護しなければ、きっと生きてはいまい」

「それは父親の役目ではないか? 仮にも伯爵家の血を引く娘が、あのような小間使いのような仕事をさせられているなんて、伯爵に道理はないのか!」

「旅のお方。ソレは伯爵様の温情に感謝しなければならない立場だ。それに実の娘をどう扱おうが、それこそ人それぞれ。魔女として裁かれないだけ有り難いと思わなければ。伯爵様の懇願がなければ、とうの昔に裁判は開かれ火あぶりにされていたのだからな。さあ、帰っておくれ。捨て置くのに抵抗があるのなら、伯爵様に預ければよい。うちで厄介事はご免だ」


 無理やり彼らを追い出した老医師は、無情にも扉を閉めた。


「なんだ、あのクソ医者は! 病人を放るなんて、医師の風上にもおけないぜ」


 先ほどはシーファスを押しとどめたオーラントも、さすがに癇に障ったらしい。舌打ちしながら扉を睨みつけていた。


「いい、行こう。まずは休ませるのが先決だ。あの医師の言葉を信じるのならば、少し経てば治るようだし」

「シーファス……俺たちは無力だな。彼女から受けた恩を返せないなんて……」


 オーラントが悔しげに唇を噛みしめた。


「機会ならこの先にいくらでもあるさ」


 シーファスは、ユリアを抱く腕に力をこめた。


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