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仮面の娘  作者: 桜ノ宮
4/30

その三

 翌朝、まだ夜が明けきらない前に起き出したユリアは、くるまっていた厚手の毛布を退けた。手探りで燭台を探し当てると、慣れた様子で火を灯す。

 淡い蝋燭の炎が薄暗い台所を浮かび上がらせる。石造りの冷たい壁が、暖かみの色を帯びるのをぼんやりと見つめたユリアは、吐き出した吐息が白いのに気づくと、毛布を体にきつく巻きつけた。

 今朝はいつもより冷える。

 芽吹きの季節になったとはいえ、しばらくの間は寒さも続くだろう。こうして台所の隅で生活をしているユリアには、寒さが天敵だ。陽隠(ひ がく)れの季節には、あまりの寒さに眠れないことも多々あった。持っている布をすべて集めて体を覆っても、すきま風が容赦なくユリアの体温を奪っていくからだ。

 せめて蝋燭の温かさにすがろうとも、消耗が激しければ伯爵夫人の怒りを買う。

 極力、使用時間を控えねばならなかった。


「あぁ、暖かい……」


 ほぅっと吐息を漏らしたユリアは、かじかむ指先を炎に近づけた。小さな炎の温かさが、救いだった。

 もう少しこのままでいたかったが、時間を無駄にはしていられない。太陽が碧き山脈の端から顔を覗かせる前に、やっておかねばならぬことは山ほどある。

 今が客人のいない頃でよかった。

 もし城に客人が宿泊でもしていたら、朝方まで宴は続いたことだろう。そうしたら、台所は戦争さながらの慌ただしさだったに違いない。こうして眠れるだけ有り難いのだ。

 ユリアは、毛布を隅に畳んで置くと、燭台を持って地下の食物保管庫に行き、足りない物を確認した。今日も賓客は来ないが、いざというときのために、多めに用意はしておかなければならない。

 棚に並ぶ食糧を見て回ったユリアは、台所へと戻ると籠を手に取った。

 すでに辺りは白みはじめたようだった。蝋燭を吹き消したユリアは、フードを目深に被り、外へ出た。薄手の外套一枚では少し肌が冷えたが、陽が昇れば温度も上がるだろう。

 途中、夜番の兵士とすれ違うが、ユリアが挨拶をしてもだれも返してこない。

 いつものこととはいえ、小さく胸が痛んだ。仮面を被ったユリアなど、呪いが伝染するのを恐れるかのように、だれも好んで近寄ろうとしなかった。

 裏門横の小さな戸から城の外へと出たユリアは、不思議な色合いとなった空を見上げ、口元に笑みを浮かべた。薄い紅色と白と水色が混じり合い、それは美しい光景だった。どこまでも続く空は、狭い世界に囚われているユリアの心を簡単に解き放ってくれる。

 今、この場にユリアの邪魔をする者はいないのだ!

 自然と浮き立つ足であったが、それも賑やかな人の声が聞こえてくるまでであった。緩やかな坂を下り、領民の暮らす町が見えてくると高揚としていた気持ちが急激にしぼんだ。

 町の朝は早い。

 商売人の威勢のよいかけ声が、通りを駆け抜けていく。

 大きな籠を腕に下げ、もう片方の手で首元に布をきゅっと引き寄せたユリアは、人目をはばかるように背を丸め、目的の店へと急いだ。


「すみません」


 ユリアが肉屋の店主に声を掛けると、愛想良く振り向いた男の顔がとたん青ざめた。伯爵が好む鹿肉を城へ届けてもらうよう頼むと、引きつった顔のまま男が頷いた。お得意様であるユリアを真正面から邪険にはしなかったが、一刻も早くこの場を離れて欲しいのが見て取れた。

 礼を言って離れたユリアは、周囲の人間がみんな自分を見ている気になって居心地悪くなった。


「見て、ほら……」

「アレが、領主様の……」


 噂好きの領民が好き勝手に囁き合う声が聞こえてくるかのようだった。

 俯き加減で歩いていると、突然、頭に何かがぶつかった。弾ける音がすぐに消えていく。


「や~い、化け物め、ざまぁみろ!」

「こ、こらっ」


 頭に手を当てたユリアの手に卵がべっとりとついていた。

 顔を向けると、小さな男の子が、誇らしげに叫んでいた。側にいるのは男の子の母親だろうか。

 ちらちらと怯えた顔でユリアに視線をやりながら、男の子を叱っていた。


「ご、ごめんなさいね」


 母親は息子の代わりに謝罪すると、不満そうな彼の手を引っ張って人混みの中に姿を消してしまった。

 ため息を吐いたユリアは、汚れをどうしようか考えた。洗っていたら、また遅れて怒られるだろう。だからといってこのまま台所に入ったら、汚い!と怒られるに決まっている。

 どちらにせよ叱られるのだから、深く悩むこともないのかもしれない。


「──大丈夫?」


 ふいに優しげな声が落とされた。

 目の前に佇む人影に気づいたユリアは、退こうとしたが、その人影はユリアに向かって近づいてきた。


「酷いことをする……」


 悲しげな声とともに、何かが頭に触れたような気がした。

 フードの陰から窺ったユリアは息を呑んだ。

 目映い黄金の髪が陽の下で金粉のように輝き、まるで美神のごとく風貌であった。すっと伏せられた長い睫毛の下に、見事な紫水晶の双眸があり、見たこともない色合いにユリアを自然と目を奪われた。


(なんて綺麗なの……。奥様が身につけていらっしゃる宝石だって、彼の瞳には勝てないわ。まるで生きた至宝のよう)


 穢れを知らぬ、というのは彼のためにあるようだった。

 ファルファーナで耐性のあるユリアでさえ、彼の美しさには魅入ってしまう。

 彼が神の御使いであるといわれれば、そのまま信じてしまうだろう。

 そんな青年が、ユリアについた汚れを丁寧に拭ってくれていた。


(夢を、見ているのかしら……?)


 ぼんやりと夢見心地に、なすがままになっていると、周囲がざわめきだした。


「近づいているわ」

「大変なことが起こるぞ」

「よそ者は、あの娘のことを知らないのか!」


 領民たちに動揺が走る中、渦中の人物であるユリアは身を縮めていた。

 視線

 視線

 視線

 遠慮のない不躾な視線が、俯いても突き刺さるようだった。


(やめて、見ないで!)


 嫌悪の視線に常にさらされてきたユリアは、注目されるのが苦手だ。騒ぎを聞きつけて、ますます人垣が大きくなるにつれ、呼吸も苦しくなってきた。

 悪意に満ちた言葉の一つ一つが、喉を締めつけるようだった。


「……──っ」


 耐えきれなくなったユリアは、青年の手を払うと、とっさに走り出した。

 見物人たちは、ユリアに触れるのを恐れるようにさっと道を空けた。それに胸を痛めながら、ユリアは、優しい青年から、集まった人たちの目から逃れるように足を進めた。

 しばらくすると喧噪も落ち着き、広場へと出た。

 息苦しさが和らぎ、ほっと息をついたそのとき、腕を掴まれた。驚いてびくりと体を震わせると、「っ、すまない」と謝る声が聞こえた。

 腕を掴まれては逃げ出せず、ユリアは渋々と口を開いた。


「……何か、ご用ですか?」

「僕のことを、覚えてない?」

「……」


 黙り込むユリアに、答えを察したらしい青年が肩を落とした。


「そうか……。だとしたら、僕はずいぶん思い上がっていたようだ。あんな衝撃的な出会いをしたのだから、君の心にも深く刻まれているだろうと。恥ずかしいな。きっと君にとってはありふれた行為の一つで、僕のことなんて気にも留めていないんだろうね。こんなにも胸を高鳴らせ、君に会いたいと願っていたのは僕だけだと思うとちょっと切ないな」


 悲しげに双眸を曇らせる青年。

 憂えた瞳で見つめられ動揺しない女性などいないだろう。


(私を知っているの……? でも、)


 ユリアには知り合いと呼べる者はいない。

 だれかと間違えているのかと訝しんだが、ふっとユリアの脳裏に三日前の情景が浮かぶ。ユリアが力を与えた青年は、彼のような輝く金の髪色をしていたはず。


(あんなに美しい人が二人もいるはずないわ)


 目を閉じていたときも、それは美しい容貌をしていたが、こうして目を開けた姿を見ると神々しささえ漂うようだった。


「あなたは、森で倒れていた……?」

「思い出してくれた? ああ、よかった。ずっと…、お礼が言いたかったんだ」


 ぱぁっと顔色を明るくさせた青年とは対照的に、ユリアの声は固かった。


「もう一人の方は、約束を破られたのですね」

「彼は悪くない。僕が無理やり聞き出したんだ。だって、どうしても会いたかったから。僕の命の恩人に――」

「シッ! 静かにっ」


 ユリアは慌てて彼の口を塞ぐと、周囲を見渡した。

 幸いにも人影はまばらなためか、聞き耳を立てている者はいなかった。

 ホッと胸をなで下ろしたユリアは、人気のない細路地の裏へと彼を引っ張っていった。


「ここで、二度とそのことは口にしないで下さい」

「なぜ?」

「なぜ……って」

「悪いとは思ったけど、君のことを少し調べさせてもらった。ずいぶんと辛い境遇にあるようだね」

「っ!」


 ユリアの顔から血の気が引いた。


(知られた!)


 目の前が真っ暗になるようだった。

 よそ者である青年に、ユリアの惨めな生活のありさまを知れられてしまったのだ。

 それは、とても喜ばしい状況ではなかった。

 領内で、ユリアを使用人のように働かせる伯爵のことを悪く言う者はいない。呪われたユリアを、実の娘であるからという理由だけで教会から匿う伯爵を評価する声は高い。

 だからユリアを庇う発言をする者は、目の前にいる青年を除いていなかった。


(私は、どれだけ辱めを受ければいいの?)


 たとえ青年が好意的に想ってくれても、ユリアからしてみれば、よそ者に事情を把握されるほうがよほど恥ずかしかった。


(あぁ、泡のように消えてしまいたい……)


 あかぎれだらけの自分の手と比べ、青年の手は白く細長い。ファルファーナのように、大切に育てられた証拠だろう。

 それが余計にユリアの心をさいなんだ。


(きっと、心の底では嗤っているんだわ。貴族の血を引きながら、使用人と同じ扱いを受ける私のことを)


 胸に小さなトゲが刺さる。

 青年が信じられず、ユリアは数歩後じさった。

 それに気づいた青年が、ゆっくりと間合いをつめるように歩を進める。


「もし、困っている状況にあるのなら、僕が手を貸してあげる。これは、僕を救ってくれたことへの感謝の気持ちだ。お金でも、宝石でも……欲しいものを言ってごらん? 伯爵の支配から逃れたいのなら、それでもいい。僕が君の憂いを取り除いてあげる」

「憂い?」


 フードの下から唯一見えるユリアの口元が、嘲るように歪んだ。


(あぁ、なんて無邪気なの。まるでファルファーナ様のよう……。私がどんな風に過ごしてきたのかご存じのはずなのに、そんな甘い言葉を軽々しく囁くなんて。――私の憂い。そんなもの決まっているわ。お金も宝石もいらない。私の望みはいつだって一つだけ)


 きゅっと首元の布を強く握っていたユリアは、何かを決心したように手を緩めた。人目のあるところでは、一日中でも被っているフードをゆっくりと持ち上げる。


「──ならば、私の顔に張り付いた忌まわしき仮面を取って下さいますか?」


 青年が瞠目するのを小気味よく思いながら、ユリアは仮面の奥から青年を見つめた。

 顔の半分を隠す真っ白な仮面がユリアをことさら不気味にみせていた。色素の薄い髪もそれに拍車をかけ、まるでこの世の在らざる者のようであった。

 ほっそりとした卵形の顔に、形のよい唇だけが歪であった。仮面舞踏会の出で立ちというには、あまりにも仮面が無機質過ぎるのだ。飾りも装飾もない仮面は、ユリアの表情をすべて消し去ってしまうほど存在感を放っていた。

 動けない青年を余所にフードを目深に被り直したユリアは、心を落ち着けるように深呼吸をした。


「もう、構わないで下さい。それが、私の願いです」


 これで彼が二度とユリアに近づいてくることはないだろう。

 溜飲を下げたユリアは、ほんの少しだけ後ろ髪引かれる思いでその場をあとにした。



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