その三
それからユリアは、自分の力が必要とされなくなった頃を見計らってディオルン伯爵領を去った。
すでにシーファスと別れてから一ヶ月以上も過ぎていた。
ユートンを筆頭に、ユリアを無事宮殿へ送り届ける任を賜ったのは、数十人のバーラント兵とディオルン伯爵の私兵百人余りであった。ユリアが王都へ向けて出立すると噂を聞きつけた近隣からも人が集まり、まるで花道のような晴れやかさだった。
用意された四頭立ての立派な馬車は、ユリアに手当を受けた公爵家のものだ。黄金の馬車は、歓声を上げる馬車道を優雅に進んでいく。
すでにユリアの功績は国中に伝わっているようだった。
神の加護を受けた聖なる巫女を一目見ようと、街道には多くの人が押し寄せていた。
王都へ近づくほどそれは顕著になり、すでに知らせがいっていたらしい先では兵士や警官が、馬車に近寄らせないよう事前に防いでいた。
「もうすぐ会える……」
ユリアの胸が期待に高鳴った。
出立してから数日が過ぎていた。
王都はもう目の前だ。
周囲を囲う高い塀が見えてきた。
ユリアは、気を静めるように左の人差し指にはめた指輪に触れた。ディオルン伯爵からもらった母の形見をすべて身につけていたのだ。
服もユリアのお気に入りの紺色のものだった。周囲はもっと豪奢なドレスを用意しようとしたが、ユリアが断ったのだ。
そうこうしているうちに、門をくぐった馬車が青々とした芝生が敷かれた前庭を周り、ゆっくりと停まった。
それに気づいてか、重厚な扉がゆっくりと開かれた。
侍従の手を借りて降りたユリアの姿に、辺りがシンッと静まり返った。宮殿中の使用人たちが頭を下げて出迎える中、花びらのまかれた赤絨毯の上を踏みしめた彼女の元へ、華やかな緋色が飛び込んできた。
「ユリア様あぁぁぁぁぁぁっ」
「エルファ!」
輪の中から飛び出して来たのは、涙目のエルファであった。
「よくぞご無事で……っ。ずっと案じておりました」
エルファは透かしの入ったハンカチを取り出すと目の端をそっと押さえた。
「迷惑を掛けましたね」
「ユリア様がわたくしを置いて単身で戦地へと向かわれたときは、ほんの少しだけお恨みしましたが、それもわたくしの身を考えての行動だと思うと胸がいっぱいになりました。わたくしの命など、ユリア様の盾として使ってくださればよかったのに。けれど、もうすんだことですわ。わたくしは、ユリア様にお仕えすることができてとても光栄に思います。──さあ、陛下が謁見の間でお待ちです」
「陛下が……?」
ユリアの体がほんの少しだけ揺れた。また、あのときのように糾弾されるのだろうかと。
それを目ざとく見咎めたエルファは表情を和らげた。
「ご安心を。アイゼ王妃とシーファス王子もご同席しております。お二人の目が光っている場で、無体なことはなさらないでしょう」
「それはもちろんボクも同行していいんスよね~?」
「あなたは……」
会話に割り込んできたユートンに、エルファがひくりと片頬を引きつらせた。
彼にされた蛮行は、まだ記憶から消し去っていないらしい。
「もちろん、そちらに拒否権はないと思うけど~」
ユートンは強気だった。
それもそうだろう。実質バーラントの兵に窮地を救われたのだから、彼らの頼みを国王が断るとは考えにくい。
エルファは、確認をしにいったん下がると、それからしばらくして戻ってきた。
「全員はさすがに難しいですが、数名ならよろしいそうです」
エルファがそう告げると、総指揮官のユートンのみがユリアに付き添うこととなった。
エルファが案内するあとをついていくユリアの表情はどこか硬い。
そんなユリアをユートンが安心させるように、肩をポンポンと叩いた。
「胸を張っていればいいっス。あなたが畏れるものはもうないんだから」
ユリアの事情など知らないはずのユートンは、そう勇気づけた。
その自信がおかしくて、ユリアは小さく笑った。ユートンは後ろを振り向くことを知らない。のほほんとした、どこか抜けているような印象を覚える青年だが、その実頭の回転は速く、ささいな動揺も見過ごさない洞察力がある。
さすがにバーラント国の総警備副隊長という地位に、若くして就いただけはある。聖巫女に対する一途なまでの敬慕と忠誠心は、ユリアでさえ目を見張るものがあった。
もしユリアが次期聖巫女としての証を持っていなかったら、彼はここまで親身になりはしなかっただろう。
いや、彼だけではない。
バーラントの兵はみな、聖巫女を絶対視していた。彼女のためならば、命など捨てる覚悟はできているようだ。
その強い想いこそが、最強の部隊を生み出したのかもしれない。
エルファの足が、重厚な扉の前で止まった。両脇に立っていた兵に何事か告げると、ゆっくりと扉が開かれた。
どこからか銅鑼の音が聞こえてくる。
「ユリア・ローディアン様、ならびにバーラント国、総警護副隊長ユートン・バックル様がご到着されました!」
張りのある低音が、ゆっくりと謁見の間に広がった。
とたん、騒音がぴたりと止む。どことなく緊張感と、奇妙な熱気に包まれる中、エルファが二人に進むよう促した。
言われるまま足を踏み出したユリアは、両脇を陣取る人の多さに驚いた。麗しく着飾った紳士淑女たちは、貴族の連中だろう。そして、上座に近い最前席に座っているのは、この国の重臣たちである。
雰囲気に圧され、足が止まりそうになったユリアの手を取り、優雅に先導するのはユートンであった。
とたん、辺りから感嘆としたため息が漏れた。
「あれがあの仮面の……?」
「なんと美しい……!」
「シーファス殿下のお命をお救いしたとか」
「バーラントの出身らしいぞ」
「これはなんとしてでもお近づきにならねば」
さまざまな思惑が交錯する中、ユリアは玉座がある手前で足を止めると、手を離し一礼した。
さらりと白金の髪が頬にかかった。
「顔を上げよ」
どこか苦々しさと畏れを含ませた国王の命令に、ユリアがゆっくりと顔を上げる。
数段高い位置に座す国王の両隣には、王妃とシーファスがいた。
シーファスは、ユリアに向かって甘く微笑んだ。その顔がいつになく嬉しそうなのは、この服が彼の贈ったものだと気づいているからだろう。
「なんとまあ……これほどの美貌があの仮面の下に隠されておったとは……。我が息子は、先見の明があるようじゃな」
驚いたように目を見開いた国王は、つかの間ユリアの顔に魅入った。
背筋を伸ばし、顔を上げて立つユリアの姿は、王侯貴族特有の気品があり、辺りを払うような侵しがたい雰囲気に包まれている。
蒼い双眸を引き立てる装飾類もまた、魅力を増長させているのかもしれない。大粒の煌めきに負けないほど、ユリアの容姿は際だって美しかった。儚げと称するよりは、太陽のように照り輝く、凛とした面持ちだった。
「どうか、これまでの非礼を許して欲しい」
国王が頭を下げると、周囲から驚いた声が次々とあがった。
しかし、王妃とシーファスの顔は変わらなかったことから、事前に知っていたのかもしれない。
国王の態度の変わりように、ユリアは目を大きく見開いた。
あの冷たい仕打ちはまだよく覚えていた。
ユリアがバーラントの人間だというだけで、仮面を取ったというだけで、ここまで態度を変えることができるだろうか。
「ぜひ、バーラントの巫女殿をシーファスの王太子妃にと考えているのだが、そなたの意向を聞かせてはくれまいか」
どこか必死に感じるのは、大切なバーラントとの繋がりを持つユリアを逃してはならないと焦っているからだろう。
「──陛下」
ユリアが口を開く前に、それまで黙っていたアイゼ王妃が声を発した。
「ユリアの傷心を考えれば、誠意が足りないと思いません?」
「ア、アイゼ?」
いきなり何を言うのかと素っ頓狂な声を上げる国王に、アイゼがそれはそれは麗しく微笑んだ。
「確か風の噂では、ずいぶん心ない仕打ちをユリアになさったとか。それなのに、ユリアに利用価値があると知ったとたん掌を返したようにちやほやと。わたくしは、何度も申し上げたはずですわ。ユリアの身は潔白だと。周囲の戯言を真に受けてはいけないと。けれどあなたはわたくしの言葉には耳を貸さず、身勝手な振る舞いをしたばかりか牢獄に閉じこめて拷問しようと画策していたなんて……! ユリアの寛容な心に陛下はもっと感謝すべきです。こうしてシーファスが無事帰って来られたのも、重体の兵士の命を吹き返したのも、すべてはユリアのおかげなんですから」
「いや、だが……ディオルン伯が裏切っていたのは事実で、よもや演技とは思わず……」
国王は声を落とした。
ユリアは少しだけ眉を寄せシーファスに視線をやった。彼は笑みを深めると、微かに首を振って今は聞くなと視線で諭した。
どうやらユリアのあずかり知らぬところで、ディオルン伯爵の罪はないものとされているようだ。
「いい機会ですから、わたくしから忠告しておきましょう。これまで堂々とユリアを庇うことは憚れましたが、これからわたくしにとっても家族となるならば娘も同然。姑息な考えでやすやすと近づけるとは思わないでちょうだい」
アイゼ王妃がぴしゃりと言ってのけると、聴衆が固まった。
視線を下げている者たちは、やましい感情を抱いているからだろう。
シーファスはその者たちを眇めた目で見下ろしていた。しっかりと顔を覚えておくようだ。
「ユリア。あなたは一番の功労者なのだから、なんでも望みを言いなさい。陛下を退位させたいというのならば、それでもいいわ」
「お、おい、アイゼ!」
国王が情けない声を上げるが、アイゼは一瞥しただけでふんっとそっぽを向いた。
「私は……」
ユリアはシーファスを見た。
彼もユリアを見つめていたようで、二人の視線が交わった。
ほんの少し心音が速くなる。
とくん、とくんと高鳴る胸。
またシーファスのそばにいられるという喜びがユリアを満たしていく。
「お側に……シーファス様のお側にいたいです」
「本当に? 貴女には、バーラントで輝かしい未来もあるのでしょ?」
「バーラントの国民は、私を温かく迎えてくれるでしょう。けれど私は、畏れ多くも天神ではなく、シーファス様をお慕い申し上げているのです。一度は、シーファス様がいらっしゃらない地で身を捧げる覚悟もいたしましたが、それでもシーファス様と離れたくないという気持ちは消えなかったのです。私の心はずっと……初めてお会いしたあのときから囚われたままなのです。私は次期聖巫女ではなく、ただ一人の娘として一生をシーファス様のお側で過ごしていたいだけなのです」
ユリアは白い肌に朱を走らせながら一生懸命、胸の内に秘めていた想いを語った。
なんとも情熱的な台詞に、アイゼ王妃は、まあと扇で口元を覆い、シーファスは嬉しそうに相好を崩した。
周囲も祝福の声を上げる中、ユートンだけはため息を吐いた。
「ボクは今の台詞を聖巫女に伝えなければならないんスね~。はぁ~。荷が重い」
「ユートン……?」
「まっ、いいっスよ。天命の君の幸せ度を聖巫女にお伝えするのもボクの役目っスからね~。ええっと、そこのアルトランディアのやさお……いやいや王子殿」
「なにか?」
ユートンの礼儀を失した態度にも動じることなく、シーファスは軽く小首を傾げた。
「あなたは類い希な幸運を手に入れた。けれどもし、バーラントの至宝が傷つくようなことがあれば、聖巫女の総意によってバーラントの大軍が押し寄せることをお忘れなきよう」
珍しく間延びした喋りではなく、はっきりと言い切ったユートンの顔は真剣であった。
彼は国王にも目を向けた。
「アルトランディアの王よ。天命の君を冒とくした罪は重い」
「あ、いや、その……」
「聖巫女が規律を破ってアルトランディアに味方したのも、すべては天命の君の尽力があってこそ。もし、天命の君がいなければ、我々は手を貸しはしなかっただろう。ボクたちが膝を折るのはアルトランディアではなく、聖巫女と天命の君のみなのだと、胸に深く刻んでおかれよ。天命の君がアルトランディアに留まる限り、我らはいつでも力を貸すことを誓う。それが聖巫女の御言葉である」
おおっ、とどよめきが走った。
バーラントの加護はこれからも続くのである。
アルトランディアがバーラントの同盟国に名を連ねることになったら、周辺諸国だけでなく、大陸全土に多大な脅威を与えるはず。どの国も下手な戦は仕掛けてこないだろう。加えて、外交もやりやすくなるはずだ。
バーラントの名を出せば、これまで相手にされなかった大国でさえ、喜んで交渉してくれるだろう。
アルトランディアの未来はこれで安泰となった。




