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仮面の娘  作者: 桜ノ宮
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第八章 再会 その一

「──女神」


 呆然と呟かれた言葉に、ユリアは弾かれたようにそちらを見た。

 そこには、会いたかったシーファスがいた。


「シーファス様!」


 後ろに乗っていた青年がユリアに手を貸して降ろしてくれた。

 ひらりと裾をなびかせたユリアは、シーファスの傍へと近づいた。不審者扱いされ、阻まれるかと思ったが、アルトランディアの兵は夢を見ているかのようなうっとりとした眼差しで彼女を見つめているだけだった。


「ああ、ご無事なのですね……」


 ユリアは、大きな目から透明な雫をはらはらと流した。

 その美しい涙を呆然と見つめていたシーファスは、ゆっくりと口を開いた。


「もしかして、ユリアなのかい……?」

「はい……っ」


 涙を拭ったユリアは、服が汚れるのも気にせず地面に両膝をついた。

 けれど、彼の腕の中にいる人物に気づくと、ハッと表情を強ばらせた。


「オーラント様!」

「僕を庇って矢傷を負ったんだ……。もしかしたら毒矢を受けたのかもしれない」


 いつも快活なオーランが青白い顔でぐったりとしていた。

 大粒の汗が額に浮かび、きつくつむられた双眸が、声に反応してかうっすらと開かれた。どこかぼんやりとした瞳に、小さな光がともる。


「……は、ぁ――っ、は…はっ、今度は、逆になっちまったな。……ああ、だが……、…っ、もう、二度と、………っ、あんなの、ごめん…、だ」


 心臓は逸れたようだったが、危険な状態は変わりない。

 だんだんと荒くなる息は、呼吸を繰り返すのも辛そうであった。

 だが、その顔は晴れ晴れしく、まるでシーファスの身を守れたことを誇っているようであった。敵情視察のとき、シーファスが自分をかばって矢を受けたことを気に病んでいたのだろう。


「ぐっ……、ごほっ」

「オーラント!」


 毒が回ったのか吐血したオーラントに、シーファスが声を上げた。


「これはいけない。シーファス様、お下がりください」


 決然たる態度でシーファスを退かしたユリアは、地面の上に横たわったオーラントの口元を袖で拭った。

 そして、心臓より少し下のあたりに突き刺さった矢に手を掛けた。


「オーラント様、少し痛むかもしれませんが、どうか我慢してください」

「ぐっ、あぁ…、ぁ――――……っ」


 オーラントは意図を察し、歯を食いしばって耐えた。

 一気に矢を引き抜くと、鮮血があふれ出した。

 さすがに周囲が止めようとするが、シーファスが手で制した。シーファスの顔には、周囲と違って安堵の笑みが浮かんでいた。これからなにが起こるのか知っているのは、三人だけなのだ。

 ユリアは深呼吸をすると、真っ赤な血がわき水のようにあふれ出る傷口に手をかざした。


「――バーラントの偉大なる天神よ、どうか私にその御力をお貸しください」


 シーファスの傷を癒したときのように、掌がじんわりと熱を帯びる。

 一心にオーラントの傷が塞がることを祈っていると、それまでわき水のように流れていた血がぴたりと止まった。

 重そうな甲冑が邪魔で傷口がよく見えなかったが、辛そうに荒い息を吐いていたオーラントの顔色が少しずつ良くなっていく。

 しばらくして目を開いたオーラントは、むくりと半身を起こした。


「おっ、もう痛くない! さすがは、ユリア殿。おかげで助かった」


 感嘆と謝辞を述べたオーラントは、面白がるような顔つきで、ぺたぺたと傷口があったところを探った。


「いくら傷は塞いだと言っても、まだ無理はしないでください」

「いやいや、なんのなんの。今ならバル・ドゥーラ兵の中に突っ込んで、なぎ倒せるほど力がみなぎっている。ほんとに、不思議なことだが」


 ユリアの力が解放されたせいだろうか。

 どうやら傷だけでなく、疲労困憊だった体さえも癒してしまったらしい。

 それまで死にそうだったのが嘘のように元気よく立ち上がったオーラントを見て、周囲がどよめいた。

 たったいま目にした奇跡をまだ理解できていないらしい。

 信じられないとばかりの眼差しでユリアを凝視する者やオーラントの具合を確かめる者がいる中、シーファスがユリアに頭を下げた。


「ありがとう、ユリア。君がいなければかけがえのない友であるオーラントを失っていた」

「そんな……」


 ふっと頬を緩ませたユリアは、けれどすぐに緊張した面持ちとなった。


「シーファス様、私はこれから……、」

「僕が、行かせるとでも?」

「……っ」

「君を危険な目に遭わせないために城へ留めておいたのに……。まさか、あのバーラントを味方に引き寄せ、駆けつけてくれるなんてね。アルトランディアの叡知を結集しても、バーラントのかたく閉ざされた門を開けることはできなかったというのに。いったいどのような策を講じたのか気になるところだけど、――これ以上巻き込むことはできない。戦いが終結するまで、こちらの陣営でおとなくし待っていてくれるね」


 それは問いかけではなく、断定であった。

 いつもと違う厳しい顔つきであったが、美しい紫の双眸には、ユリアを気遣う色が見えていた。

 心配なんだ、と言いたげな瞳に、ユリアは、思わず笑みを浮かべてしまった。


「私には、あなたを守らせてはくれないのですか?」

「ユリア……?」

「シーファス様ばかりずるい。私にだって、守りたいと願う気持ちはあるのです。生まれ育ったアルトランディアを――家族やエルファたち、そしてシーファス様を。……私は、あなたを守るためなら、命も惜しくない。だからシーファス様、どうか……どうか、行かせてください。私のためを思うのであれば」

「君が危険にさらされるのをここでのんびりと待っていろと? ユリア、そんなのは耐えられない。わかっているだろ。僕は君を失いたくないんだ」

「──覚えていますか? 心はいつでも側に在るとおっしゃってくれたことを。離れていてもお互いを思う気持ちはひとつ。それはきっと、なによりも強い力となって私を支えてくれます。だがら、私を信じて。私が行かなければ、ここに来た意味がない。私にも、あなたの荷を背負わせてください」

「ユリア……、」

「はいっはぁい~、時間切れっス。天命の君、あちらさんの王が、苛々とお待ちっスよ~」


 突然割って入った緩い声。

 だれもが重装備に身を包む中、バーラントの兵士はみな軽装であった。ひょっこり現れた青年に視線を向けたユリアは、こくりと頷いた。


「シーファス様のことを頼みます」

「はいはい~。すべては、天命の君の御心のままに」


 両膝を折って深く叩頭した青年の横で、シーファスが顔色を変えた。


「ユリア!」


 シーファスが手を伸ばすが、虚空をかいただけだった。

 凛然と立ち上がったユリアは、それこそ近寄るのもはばかれるほどの雰囲気をまとっていた。衣が風になびいてふわりと舞い、光りに当たって煌めいた。

 深い蒼の双眸も、繊細な輪郭でさえ、精緻に整っていた。

 まさか、仮面の下にあんなに美しい顔が隠されていたとはだれも思わなかっただろう。

 高貴というよりは、神気をまとっているようなユリアの姿が、地面を滑るように歩いていくと、離れたところで直立していたバーラントの兵士たちがいっせいに傅いた。

 一糸乱れぬ見事な呼吸に当てられてか、アルトランディア兵もそれにならうように次々と膝を折っていった。

 兵士たちが名前すら知らないユリアのために道を空け、その場に伏していくのは圧巻であった。

 シーファスですらできぬ芸当だろう。


「ユリア……。なぜ君は……」


 行かせたくなかったと、こぼれ落ちる言葉。

 晴れ渡った空とは反対に、シーファスの双眸が翳りを帯びる。


「おんや~、天命の君なら大丈夫っスよ」

「君は先ほどの……」

「総警護副隊長ユートンっス。このたびは、誉れ高い天命の君の警護およびに総指揮官の任を聖巫女より仰せつかったっス」

「聖巫女!? なぜ、バーラントの最高指導者がユリアをそれほどまで気にかける必要が……。我が国が何度協力を求めても一切応じなかったというのに。ユリアはいったいなにをしたというのです?」


 訝しげにシーファスが尋ねると、返ってきた言葉は思いもよらないものだった。


「もちろん、天命の君が次期聖巫女となるお方だからっスよ」

「!」


 シーファスだけでなく、聞き耳を立てていたらしいオーラントも息を呑んだようだった。

 驚愕に凍りつく二人を楽しげに見つめながら、ひょろりとした体躯の青年は声を落とした。


「天命の君の命とあれば、バーラントだけでなく、同盟国も動くっス。天命の君がいなければ、このまま大国に呑み込まれて終わる運命だったというのに、あんたたちはほんと運がいい!」


 シーファスは、思わず掌を握りしめた。


「違うっ。ユリアは……ユリアは……っ」


 庇護すべきか弱い娘だったはず。

 だからこそ余計に守りたいと願ったのだ。

 なのに――。

 それが、大陸中に名を轟かせるバーラントの次期聖巫女であったと知って、シーファスの心は揺れた。

 ユリアは知ってしまったのだろう。自分が手中に収めた権力の大きさを。

 今やユリアは、各国の王侯貴族が欲しがる存在だ。


(ユリアはもう、僕が守らなくとも生きていける……)


 愕然としたシーファスは、震えが止まらなかった。

 大きく羽ばたこうとしているユリアにとって、シーファスの存在など取るに足らないものにのるに違いない。

 今の彼女に心奪われない男はいないだろう。

 忌み嫌われた頃とは違い、万人に愛されることを知ったなら、きっとシーファスのことなど忘れてしまうかもしれない。

 そう考えるだけで背筋が凍った。

 怖いのだ。

 ユリアがこの手からすり抜けていくのが。


(ああ、どうして……だれも君の美しさを知らず、次期聖巫女として敬われず、ずっと僕だけのユリアでいたらよかったのに……)


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