その三
夜が明ける前、まだ辺りが薄暗闇に包まれる中。
静寂を打ち破る轟音が轟いた。
「何事だ!」
バル・ドゥーラの王が跳ね起きると、素早く枕元に置かれていた剣を手にした。
だが、王の声に反応がない。
舌打ちした王は、手早く支度を整え、外套を羽織ると剣を腰に差した。そのまま主寝室を飛び出す。
城内は静まり返っていた。
外からは怒号が響き渡っているのと対照的だ。
すぐに王は、壁にもたれ座り込んでいる兵士の姿を見つけた。近づいた王は、彼がいびきをかいて寝ていることに気づいた。
「目を覚ませ、馬鹿者っ」
王が蹴飛ばすが、彼は目を覚まさなかった。
訝しげに眉を寄せた王は、彼のそばに転がっている瓶を発見して、手に取った。鼻を近づけ、匂いを嗅ぐと、すぐに壁へと投げつけた。
「アノ、女狐めっ」
強烈な睡眠を誘う薬草でも混ぜたのだろう。
独特の香りが、微かに匂った。
王が寝る前に、ファルファーナが葡萄酒を持って現れた。そのときは断ったが、もらっていたらよかったのだ。
そうすれば事前に策略に気づき、その場で始末していただろう。
だが、今はファルファーナに構っている暇はない。人気のない回廊を駆けだした王は、城を飛び出した。
「陛下!」
「状況説明を」
駆け寄ってきた兵士に王が短く説明を求めると、彼は膝をつき、叩頭した。
「そ、それが、まだ把握できておりません。爆音とともに、領民が襲いかかってきたのです。昨晩見張りをしていた兵士は、前後不覚に眠っており、目を覚ます気配がありません。ここは、危険ですので、どうかバル・ドゥーラへとご帰還くださ──ぐ、…ぅ」
「馬鹿か」
嘆願する兵士の胸へなんのためらいもなく長剣を突き刺した王は、冷めた目で崩れ落ちる兵士を見下ろした。
「たかだか領民になにを手こずる。──馬を用意しろ。少し、遊びすぎたようだ。一気に叩く」
王が命じると、威勢のよい声が次々と返ってきた。
王は、馬に跨ると、城門へ向かって走り出した。そのあとを、多くの兵士がついていく。
町の中は、まさに戦場であった。
王は、敵味方関係なく、目の前に現れた者たちを切って捨てていった。
「どけ、どけえぇぇぇぇ────……ッ」
王の雄叫びに、人々が混乱して右往左往していた馬車道が二手に割れる。
城門へとたどり着いた王に、詳しい状況説明がされる。
「壁を壊した、だと? ふんっ、面白い。負けるとわかっていながら、まだ刃向かうか。お前たち、周辺諸国からも畏れられた真の実力を見せてやれ!」
王が高々と命じると、まだ統制がとれていなかった兵士の群れが、徐々に落ち着きを取り戻した。
王も彼らの波に乗り、城門の外へと馬を走らせた。
そこはすでに血の海であった。
明るみはじめる空の下で、血だまりと屍が無数に転がっていた。
奇襲に、最初こそ押されていた彼らであったが、国王の登場にまとまりを取り戻しつつあった。
アルトランディアの軍が勢いに押されて後じさっていく。
「さあ、指揮官の首を取ってやろう」
王は、にやりと笑った。
視線の先に、王よりも若い青年の姿があった。
彼はまだ王の姿に気づいていないようだ。細い腕で、必死に戦っていた。その体は返り血で濡れていた。
「弓をここへ」
「はっ」
一人の兵士が恭しく王に弓と矢を差し出した。
王は、狙いを王子に定めると、一気に弦を引いた。優雅な孤を描き、狙い定めた場所へと降下していく。
しかし、矢に気づいたらしい傍の兵士が、庇うように前へ出た。矢を受け、馬から転落する男の姿に、王子も動揺したようで馬から降りたようだった。
「まだ甘いな」
王は嘲った。
兵士など使い捨てでしかない。自分の命を守るために、兵士の犠牲など厭わない王は、王子の優しさを皮肉った。
戦場では一瞬の油断が命取りになる。
王子たちを取り囲むようにアルトランディアの兵士が集まったようだが、王は情け容赦なく矢を構えている兵士に向かって命じた。
「あの塊へ向かって矢を放て!」
王の号令と共に無数の矢が放たれる。
しかし彼らも矢が降ってくることを知ると、盾で防御した。まるで亀の甲羅のような鉄壁であった。
だが、わずかな隙間に入り込んだ矢を受け、その鉄壁はわずかに崩れる。
王はその隙を見逃さなかった。
「取り囲んで、突っ込め──!」
だが、次の瞬間、彼の顔は強ばった。
「あの旗は……」
地響きとともに、馬に跨った軍勢がやって来た。
彼らが掲げる国旗に、王は見覚えがあった。
後方から現れた軍に、バル・ドゥーラの統制が乱れた。止まることもせず、突っ込んでくる兵を率いているのは、黄金の馬に跨った人物であった。
その馬を守るように、ぴったりと二頭の馬が張りつき、襲いかかるバル・ドゥーラの兵士をなぎ倒して行った。
アルトランディアの兵を取り囲もうとしていたバル・ドゥーラの軍が、後退し始めた。
カッと怒りに顔を染めた王が馬の腹を蹴って、駆け出した。
「なにをやってる! 戦わないかっ」
しかし、新たに味方として現れた軍勢は、人数こそ少ないものの強者揃いだった。たった一人で百人を斬り殺す姿は、もはや同じ人間業とは思えなかった。
一瞬にして雰囲気を変えてしまう、圧倒的な威力を前に、バル・ドゥーラの猛者たちが怯えていた。
お下がりください、と訴えてくる兵士を次々と切り捨て、前へと躍り出た王は、昇った太陽に照らされて輝く人物に目を細めた。
黄金の馬に乗り、白金の髪をなびかせているのは──女だ。しかも、まだ若い。
その後ろには、ひょろりとした体格の青年が、後ろから支えるように同じ馬に跨っていた。
「中立国バーラントがなぜ、アルトランディアに味方する!」
烈火のごとく沸き起こる激情をあらわにしながら、王が吠えた。
「――私が、アルトランディアの者だからです。無駄死にしたくなければ、生き残った兵を引き連れ、即刻アルトランディアを離れなさい」
外見を裏切らない、凛とした美しい声が響き渡った。
透明感のある、けれどどこか侵しがたい声音は、まるで天から降り注いでくるような崇高さがあった。
大海よりもなお深い色を映した双眸に、すっと伸びた鼻。ふっくらとした唇は淡く色づき、その頬も薔薇色に輝いていた。
薄布を幾重にもまとったようなバーラントの民族衣装が、風にあおられなびくと、朝日に透けた布地がまるで羽のようにも見えた。
触れてはいけない、そんな神聖さを感じる白皙の美貌を前にした王は、彼女の額にある印に気づいた。
アレは、聖巫女として天神に選ばれた者が持つ印。
ということは、彼女にも神の力が宿っているのだろう。
面白い、と彼は乾いた唇を舐めた。
彼女を手に入れたならば、バル・ドゥーラは無敵だ。
「貴女は、聖巫女殿とお見受けした。よろしければ、二人きりで話し合いませんか? その間、一時休戦といたしましょう」
「──わかりました。アルトランディアの兵に手を出さないと誓うのならば、その条件を呑みましょう」
「ちょっ、」
後ろの青年が何か言っているようだったが、彼女は聞く耳を持たなかったようだ。
王は、笑い出しそうになったのを必死に堪えた。
聖巫女であっても、しょせんはまだ若い娘。こういうはかりごとには縁がなかったのだろう。普通ならば、一対一で望むなどあり得ない話だった。
これで、聖巫女は手に入れたも同然、と彼は暗い光を双眸に宿した。




