第七章 戦渦 その一
「シーファス殿下、状況は好ましくないようですな」
渋い表情で卓を囲む、十人の長。
尖鋭部隊を率いる彼らの顔色は冴えない。
なにしろ、猛進していった先発隊がバル・ドゥーラ軍の手勢に返り討ちにされたのは記憶に新しい。
すでに、何百という命が失われていた。
至る所で死者があふれかえり、傷を負った者たちが次々と天幕に運び込まれていた。
ディオルン伯爵領を居城とし、高く囲った塀の上から矢を次々と放つ敵兵に、アルトランディアの軍勢は攻撃を仕掛けるいとまもなく敗れていくのであった。
試合では有能な力を発揮する兵士たちも、実践となれば勝手が違うのか、大軍を目の前に雰囲気に呑まれて実力の半分も出すことはかなわなかった。
「ヴァーラス将軍は、この窮地をどう脱する?」
「まずは、領内へ入り込まなければ難しいかと」
「だが、ディオルン伯爵領には、まだ領民が多く残っていると聞く。彼らを巻き込むのか?」
「致し方あるまい。このまま手をこまねいていれば、アルトランディアに明日はない」
「ディオルン伯は我らを裏切ったのだ! ならば、領民とてもはや敵ではあるまいか?」
次第に各部隊の長たちは白熱した口論を繰り広げ、声を荒らげる場面が多くなってきた。
それを黙って聞いていたシーファスは、ため息を吐いた。
「──ニレック団長。少し、口が過ぎるのでは? 領民にはなんの罪もない。彼らは、アルトランディアの国民。庇護すべき対象だ」
「ですが、殿下。このままでは埒があきません。無闇に突っ込むだけでは、死者の数が増えるだけです」
「相手は戦に慣れた百戦錬磨の強者ばかり。いかに武芸に秀でようと、平穏にふぬけた我らが、真正面にぶつかって勝てる相手ではございません。今はまだ、敵兵の数も我々と同等ですが、その後ろには三倍以上の兵士が今か今かと待ちかまえているのですよ。彼らが一丸となって攻め入ってくれば、我らなどひとたまりも……。今はただ刺激せず、相手の出方をうかがうのが得策かと」
「なにを弱腰な!」
慎重にと迫る長たちに、将軍が一喝した。
「いいか、いかにバル・ドゥーラ軍が強大だろうと、つけいる隙はきっとあるはずだ。塀が邪魔ならば、打ち破ってしまえ!」
「それは無鉄砲かと……」
「いや――、面白そうだ」
ついに気が狂ったかと呆れかえる周囲とは反対に、賛同の意を示したのはシーファスただ一人であった。
「で、殿下? 将軍の戯れ言ですぞ」
「けれど、このまま手をこまねいていても先に進まない。現状を打破するには、敵軍も慌てふためくくらいの奇策が必要だろ。──敵将の首を取れば、我々の勝ちだ」
シーファスが曇りなき目で宣言したそのとき、天幕の外が騒がしくなった。
「ええい、うるさいぞ。重要な会議の最中であることがわからんのかっ」
「そ、それが、シーファス殿下にお目通りを願いたいと、ヴァンズ・ローディアンが……」
その名に、緊張が走る。
彼の名を知らぬ者はいないだろう。
「オーラント、彼をここへ」
影のように後ろで控えていたオーラントに、シーファスが命じた。
「仰せのままに」
「正気ですか! ヴァンズ・ローディアンといえば……」
声を荒らげた長の一人は、シーファスの鋭い視線とぶつかり、途中で言葉を飲み込んで口を閉ざした。
シーファスの怒りを買うのを恐れてか、彼に続いて異を唱える勇者は現れなかった。
どことなく気まずい空気が流れる中、オーラントの後に続いてヴァンズが姿を現した。
敬礼をした彼は、その場に跪くと深く頭を下げた。
「殿下にお願いがあって参りました」
「願い?」
「我が妹、ファルファーナを救出することをお許し下さい」
「ファルファーナ……ああ、あの」
確か、ユリアの異母姉の名だったか。
ファルファーナには、シーファスも助けてもらった記憶がある。彼女がいなければ、密やかにユリアを連れ去ることはできなかっただろう。
しかし、理由は理解できるとしても、領民だけでなく、伯爵の家族や使用人まで捕らわれている中で、ヴァンズ一人が立ち向かうには難がある。
「はい。このままでは、ファルファーナも争いに巻き込まれてします。その前になんとか……!」
「殿下、騙されてはいけませんぞ。この者は、我々の情報を敵国に流すつもりです」
「わ、わたしは、塀の外から領内へと侵入できる秘密の地下通路を知っています!」
形勢が不利と悟ったヴァンズが声を張り上げると、みなが一様に息を呑んだ。
「父も知らないので、バル・ドゥーラ軍に気取られず領内へと潜入できます。わたしは幼い頃に遊び場として弟と使用していただけなので、記憶は曖昧なところもありますが、うまくいけば城へと入り込むことも可能です」
「ヴァンズ、願ってもいない情報だ」
シーファスはにっこりと微笑んだ。
「ヴァーラス将軍、至急使える兵士をかき集めてくれ。ヴァンズ、通路は広いか?」
「いえ、多分、大人では少し背を屈めないと無理かと。幅は、ひと一人がなんとか通れるほどだったと記憶しています」
「では、体格のよい者は除外し、残った者は巨大な丸太を作り、城壁を壊す。内と外、両側から攻めれば、さすがに統制も崩れるだろう。国境の境で待機している大軍が異変に気づき、大挙してくる前に先導している国王を捕らえる。異論がある者は、挙手を」
シーファスがそう問うと、沈黙が落ちた。
「では、早急に取りかかれ」
「御意ッ」
首肯した彼らは、顔を輝かせて出て行った。
ヴァンズは、感謝を伝えるように深々と一礼すると彼らの後に続いた。
残されたシーファスは、深く背をもたれ、ため息を吐いた。
「オーラント、これからもっと多くの血が流れるぞ」
「──それが、戦だ」
「僕は、大切な者を守れるだろうか」
「なにを弱気なことを」
先ほど各部隊の長の志気を高めた者とも思えぬほどの弱々しさに、オーラントが苦笑した。
「この策が失敗すれば、アルトランディアの地は容赦なく蹂躙される。もし、ユリアが危険にさらされたらと考えるだけで、恐ろしくてたまらないよ。側にいられないのが、こんなにも辛いとは思っていなかった。彼女は元気だろうか、病に伏せってはいないだろうかと、それだけが気がかりだよ」
シーファスはゆっくりと目を閉じた。
ユリアの声が聞きたい。
触れて、その存在を確かめたい。
それは餓えにも似た気持ち。
(君さえ守れたら僕は……)
きっと、国民の命をないがしろにしているシーファスは、次期国王としては失格だろう。
それでもシーファスはユリアさえ無事にいればほかはどうなろうとよかった。
(会いたいよ……ユリア。君も、少しは寂しがっていてくれるだろうか。僕が死んだら、少しは悲しんでくれるだろうか)
ユリアを無理やりさらってしまった感のあるシーファスは、思いが通じ合った今でも不安が消えなかった。
彼女がシーファスを頼ってくれるのは、シーファスしかいなかったからだ。人を愛することを知らなかった彼女につけ込んだのはシーファスのほう。
ユリアが欲していた優しさを与え、自分に心が向くよう仕向けた。
ユリアはそのことに気づいていないだろう。
「それほど、僕は……」
「シーファス……? なにか言ったか?」
「いや、なんでもない」
(僕は、君の心が欲しかったんだ)




