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仮面の娘  作者: 桜ノ宮
19/30

その二

 しばらくしてたどり着いたのは、石造りの立派な城であった。国旗が高々と掲げられ、重々しい重厚な雰囲気がある。

 青年が並ぶ跳ね橋を通ると、黄金の扉が出迎えた。

 そこでようやくユリアを肩から降ろした青年は、崩れ落ちそうになったユリアの体を片手で支えた。


「おんや~、大丈夫っスか?」

「……ぁ、りがとぅ、ござい、ます……」


 息も絶え絶えにそう言葉を紡ぐユリア。

 まるで荷などないかのように軽々と走り抜ける青年に、振り落とされぬようずっと気を張っていたユリアはすっかり目が回っていた。


「さ、行くっス」


 ユリアの呼吸が落ち着いたのを見計らってから青年が促すと、それが合図だったように、閉じられていた扉がすっと開いた。

 けれどユリアは気がかりそうに後ろを振り返る。途中ではぐれてしまったのか、エルファの姿はどこにもなかった。


「おまけの使者殿だったら大丈夫っスよ。そのうち来るっス」

「でも……」

「ささ、そんなことより、聖巫女がお待ちっス」


 迷うユリアに、青年は有無を言わせず背を押した。

 思ったよりも強い力に抗うことができずに中へ足を踏み入れると、扉が静かに閉まった。

 玄関口は明るく、陽の光が燦々と入り込み、鮮やかな宝石の影が大理石の上に美しく色づいていた。天井を流れる絹の薄布が、幾重にも重なりながらまるで襞のように広がり、縫い止められた宝石が光に反射してきらきらと輝いていた。

 冷たい石壁だというのに、その灰色と艶やかな色の対比が見事であった。

 思わず見惚れていると、花びらが敷きつめられた上を青年が歩いていく。背中に手を回されていたユリアも、彼と同じように花びらの絨毯の上を歩いていった。

 踏む度に花の匂いが強く香り、むせかえりそうになった。

 その道は、薄布で仕切られた奥まで続いていた。

 ユリアたちが近づくと、侍女らしい女たちが袖で手を隠しながらゆっくりと布を持ち上げ、頭を垂れた。


「天命の君のおな~り~」

「おな~り~」


 小鳥のさえずりのような可憐な声が、彼女たちの口から発せられた。


「あの、天命の君というのは……?」


 ユリアが青年にそう問いかけるが、青年はへらりとした笑みを浮かべるだけで答えようとはしない。

 そこへ、軽やかな鈴の音が空気を震わせた。


  しゃらり、

    しゃらり


 徐々に音が大きくなり、高い天井から下がっていた奥の垂れ幕が二つにわれ、ゆっくりと孤を描いて持ち上がっていく。

 瞬く星空を閉じこめたような天鵞絨生地の幕が厳かに持ち上がると、金箔を織り交ぜた薄布がかかっていた。

 その奥の数段高く持ち上がった場所に、人影があった。

 美しい鈴の音が止む。


「──聖巫女様、天命の君をお連れいたしました」


 青年が緩い口調を改め、その場に両膝をつくと両手を組んで額に当て、叩頭した。


「結構」


 しわがれているけれど、力強さを感じさせる老女の声が薄布の後ろから聞こえてきた。

 ユリアはどうしたらよいかわからず呆然としていたが、相手が聖巫女であると知って、慌てて宮廷式のお辞儀をした。

 壁際では、百人余りの男たちが聖巫女に向かって跪いていた。

 ほかにも数十人の侍女と重装備の兵士の姿があった。

 物々しい雰囲気に、ユリアは指の先が冷たくなっていくのを感じた。


「よくぞ無事に参った。妾は、そなたを歓迎しよう」

「ぁ……、あの、急な謁見の申し出を受け入れていたたぎ、ありがたく存じます。私は、ユリア・ローディアンと申します」

「ご託はよい。本題といこう」

「えっ」

「二日前に天神よりお告げを受けた。すなわち、蒼き大海に囲まれた地より、妾の血を受け継ぐ者を遣わすと。だが、異な事。そなたからは、微かにしか天神の御力を感じぬ。次期聖巫女の器としてはほど遠いぞ」


 聖巫女の言葉が鋭さを秘める。

 ユリアは小さく震えた。

 せっかく会えたというのに、聖巫女の機嫌を損ねたくなかった。すべてはここにかかっているのだ。聖巫女の信頼を勝ち得なければ、アルトランディアに未来はない。


「し、失礼ながら、聖巫女様。私には、聖巫女様のおっしゃる言葉が理解できません」

「なにを、今更」

「いえ! こうして、聖巫女様を頼ったのはひとつに、私の母がバーラントで生まれ育ったかもしれないと聞いたからです。母は幼い頃に病で命を落とし、私は最近まで母がどのような環境で育ったのかまったく知り得ませんでした。ただ、私が唯一覚えていた刺繍の模様を頼りに、知り合いの方がバーラントの出身ではないかと推測なさったのです。ですから、私にはバーラントの知識はなく、聖巫女様の問いかけにもお答えする術はもたないのです」

「──そなた、年は?」

「十六にございます」

「十六……」


 聖巫女の声が微かに震えた。


「名は? そなたの母の名はなんと申す」

「ティーン、と申します」


 ユリアがそう告げた瞬間、息を殺して見守っていた男たちがざわめいた。


「ティーン……おぉ、なんと久しい名か……」


 聖巫女が吐息のように呟くと、話し声がぴたりと止んだ。


「よもや、この年になって再びその名を耳にするとは……。生きておれば……いや、清らかであったのならば、歴代の聖巫女の中でも類い希な力を継いだ者としてその名を刻んだろうに……。おぉ、なんと憐れで、愚かな娘……」

「母を、ご存じなのですか?」

「そなたの母は、本来ならば妾のあとを引き継ぐ立場であった。だが、ティーンは好奇心が強く、近隣諸国のことを知りたがった。そして聖巫女としての地位を受け継ぐ前に、勉強と称して物見遊山に出かけたのだ……」


 聖巫女の言葉の端々に哀愁が漂う。

 きっとその頃のことを思い出しているのだろう。


「だが一瞬の油断が悲劇を生んだのだ。護衛兵がティーンを発見したとき、すでに彼女の力は失われていた。そなたには、わかるか? この意味が」

「いえ……」

「穢されたのだ! 聖巫女はその身を一生天神へと捧げなければならぬ。その身に恥辱を受ければ、天神の加護は消え失せてしまう」

「!」

「たとえ次期聖巫女といえど、穢れた巫女をバーラントに置くわけには行かぬ。そなたは、妾を冷たいと思うか?」

「──い、いいえ、思いません」

「なぜ? 妾の助けがあれば、そなたの母は死ぬことはなかった。この国で豊かさを享受できたのにか?」

「母は、私にバーラントのことを一切口にしませんでした。ということは、バーラントの手を借りず、自分の力だけで生きていこうと覚悟していたからに他なりません。慣れないアルトランディアで、必死に毎日を生きようとした母のことを私は心の底から尊敬します」


 今だからこそわかる。

 母の苦労が。

 次期聖巫女として守られた生活を送ってきた母にとって、村での生活はとても大変だったはず。それでも愚痴一つこぼさず、いつも明るい笑顔でユリアを愛し、育ててくれた母のことを──。


(呪いをかけられたとしても、私は……愛してる。そう、愛しているわ)


 ユリアの心がふわりと温かくなった。

 これまで複雑な感情しか抱けなかった母親であったが、どうしても嫌いにはなれなかった。どんな仕打ちを受けようと、やはり大好きだったのだ。母のことが。


「近ぅ。そなたの顔をよく見せておくれ」


 聖巫女が促すと、ユリアは戸惑いつつもゆっくりと階段下まで足を進めた。


「もっと近ぅ寄り。それでは顔がよく見えぬ」


 ユリアは一歩上るたびに、不安と恐怖が胸をよぎった。

 仮面を見たら、なんと言われるだろう。

 怯えるユリアを嘲うように、二人を隔てていた薄布がゆっくりと上げられる。

 そこにいたのは、皺が深く刻まれた優しげな顔立ちの老女であった。長い数珠をいくつもつけた平たい帽子を被った彼女は、涼やかな目元を柔らかく落とした。


「なぜ、被り物を取らぬ? 顔が見えぬではないか」


 微かに震える手を強く握りしめたユリアは、大きく深呼吸をすると、覚悟を決めたようにフードに手をかけた。ゆっくりとフードを後ろへやると、聖巫女がハッと息を呑んだ。


「これは異な事よ。アルトランディアの者は、そのような奇妙な面をつけるのが流行っておるのか?」


 しげしげとユリアの顔を見つめていた聖巫女の顔つきが、しだいに固くなる。


「いや、天神の力を感じるぞ。これは、ティーンのものじゃ」


 聖巫女がそっと手を伸ばし、仮面に触れた。


「母が亡くなる前に、私にこの仮面をつけたのです」

「なんと……! やはりティーンは、歴代の聖巫女の中でも一、二を争うほどの逸材であったか。喪われたはずの天神の力をその身に宿していたとは。しかし、ティーンは何故このような真似を……。そなたも辛い思いをしたのではないか? 天神の御力が宿るこの面を、常人の手で外すことは不可能」


 気の毒そうに首を振る聖巫女に、ユリアは思わずすがった。


「ぁ、あの、もしや、この仮面をとる方法をご存じなのでは? たたき割ろうと石をぶつけても、無理やり剥がそうとしても、まるで皮膚のようにぴったり張りついて……。どんな方法を試しても、この仮面に傷をつけることはかないませんでした。もし、外す方法をご存じなら、教えてくださいっ。この忌まわしい仮面から逃れる方法を、どうか……っ」 


 必死に訴えるユリアに向かって、聖巫女は案ずるなとばかりに優しく微笑み、仮面に触れる手に力をこめた。

 とたん。

 仮面にヒビが入り、二つに割れた。するりと頬を滑り、落ちた欠片は、床につく前に粉々に砕け散った。


「ぁ……」


 目を大きく見開いたユリアが、風通しの良くなった顔に触れた。外気にさらされた己の顔は、手よりも冷たかった。震える指先が、柔らかな感触を楽しむかのように額へ、鼻へ、目へと流れていく。

 呆然と、立ちすくむユリアは、静かに喜びを噛みしめた。

 言葉にできない歓喜が体中を駆けめぐっていった。


「──そうで、あったか」


 十一年の年月を経て、ようやく呪いから解き放たれたユリアの顔を見つめていた聖巫女が、ぽつりと呟いた。

 聖巫女の痩せた指先が、ユリアのあらわになった白い額をすっと撫でた。


「ティーンは、隠そうとしたのだな」

「隠す……?」


 不思議そうな顔をしているユリアに、聖巫女がもう一方の手で己の額をかき上げた。ちょうど眉間の上辺りに、花びらを重ねたような不思議な赤い印があった。


「これは、聖巫女の印。聖巫女となる宿命を背負った者に与えられる、天神の加護の証じゃ」

「証……」

「ティーンにももちろんあった。そして、それはそなたに受け継がれたのだろう。ティーンの封印が解かれた今、そなたにも天神の御力が宿っているはず。感じぬか? 天神の息吹を」


 ユリアの澄んだ目が、揺れた。


「……私は、傷の治りが早く、人の傷を癒す力をこの身に宿しております。これは、私が魔女でも……まして、悪魔の力を借りているからでもないんですね」

「そなた、力を封印されていながら……。はっ、これは異な事! まったく愉快じゃ。ティーンを凌駕しおったか。まこと、そなたの力は天神のものじゃ。案ずるがよい。それは決して畏れるものではない。そなたを守り、導くものじゃ。力が解放された今、そなたの身の内にどれほど強大な力が宿っているのか、妾にもうかがい知れぬ。けれど……おぉ、感じるぞ。強く、はっきりと──太陽のごとく目映く、猛々しい御力の輝きを」


 ほぅっと感嘆としたため息かを漏らした聖巫女は、目を眇め、ユリアを眩しそうに見つめた。

 皺の刻まれた頬に赤みが差し、この僥倖に心から喜んでいる様子の聖巫女に、ユリアはひたと眼差しを彼女に据えた。

 強い意志を宿した双眸が、聖巫女を射る。


「聖巫女様、このようなときに不躾な願いを口にするのは、とても心苦しく感じますが、どうか……どうか、私に力を貸してくださいっ。今、私の生まれ育ったアルトランディアが窮地に陥っているのです」

「アルトランディアとバル・ドゥーラが膠着状態にあるそうだな。アルトランディアの使者は頑強であったが、まだ諦めておらなかったか」

「私はアルトランディアを救いたいんですっ。どうか、お力添えを! もう、ほかに道はないのです」

「大国バル・ドゥーラ相手に、アルトランディアが敵うはずもない、か。ふむ」


 聖巫女はしばし考えるように目を閉じた。

 祈るような気持ちで見守っていると、ふっと聖巫女が目を開いた。


「そなたが妾の提示した条件を呑むのなら、――」


 その願いを聞き届けよう、と。

 表情を明るくさせたユリアは、しかし聖巫女が示した条件を聞いて瞠目した。

 つかのま逡巡する素振りを見せたが、受け入れるしか道はないと悟って、その条件を受け入れたのだった。


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