第六章 バーラントの聖巫女 その一
「ユリア様、もうすぐバーラントの東門が見えてきますわ!」
エルファの声が嬉しそうに弾んだ。
事情を知ったエルファは自分の命をかえりみず、こうしてユリアについて来てくれたのだった。
ボンワット夫人の先導で宮殿を抜け出してからすでに五日が過ぎていた。途中の村や街で早馬を乗り換え、休憩もそこそこに、ただひたすらバーラントを目指した二人の体力はもはや限界に近づいていた。
本当にバーラントは実在するのだろうかと、不安がよぎる中、目に飛び込んできたのは巨大な塀であった。
森林の中に、まるで緑に抱かれるように建つ城壁は、ユリアの身長の五倍もの高さがあり、圧巻だった。森と同化してしまうかのように蔦が絡まり、隙間からは草が伸びていた。
厳かというよりは、どこか世間から隔絶されたような、世捨て人のような雰囲気がある。
エルファが巧みに馬を操るその後ろで、ぎゅっと彼女に掴まり激しい振動に耐えていたユリアは、ようやくたどり着いたという安堵感に気が緩んだ。
ゆっくりと湯に浸かることもできなかったせいで、髪はぼさぼさで、まるで浮浪者のような格好であったが、そんなことも気にならないほどの興奮が胸にわき出てきた。
「――止まれ!」
ふいに鋭い声が響き渡った。
黒光りする門の前で手綱を引っ張ったエルファは、馬を落ち着けながら降りると、ユリアに手を差し出して降りるのを手伝った。
「通行証を頭上で掲げよ」
淡々と事務的に命じる男の野太い声に、エルファが言葉を返した。
「わたくしたちは、アルトランディア王の使いでまいりました。どうか、聖巫女にお目通りをお許し下さい」
ボンワット夫人から聞いた話では、聖巫女というのがバーラントを統治している存在らしい。彼女には不思議な力があり、そのおかげで国は豊かなのだという。
「去れ。たとえ王族であろうと、何人たりとも神聖な地へ足を踏み入れることは許さん」
一切を拒絶する声に、しかしエルファも負けてはいられない。
「では、こちらにいらっしゃる方の母君が、バーラントに縁のある方と知っても同じことをおっしゃりますか?」
強気な言い放ったエルファは、神妙な面持ちでごくり唾を飲み込んだ。
これは賭であった。
閉鎖的なバーラントの住人ならば、仲間を思いやる気持ちであふれているのではないかと。
それを提案したのは、ボンワット夫人であった。
だが、その証拠を見せろと言われてもユリアたちが困るだろう。なにしろ、手がかりとなるものは、あの不思議な模様しかないのだから。
しかし、エルファの言葉は思ったよりも彼に衝撃を与えたようだった。
「……ッ、にゅ、入国を許可する」
重厚な扉が鈍い音を立ててゆっくりと開く。
あっけなく開かれた扉に、ユリアとエルファは思わず顔を見合わせた。
「なにか裏があるのかもしれませんわ。わたくしの側を離れないでくださいませ」
懐に隠し持った短剣に触れるエルファは、そっと囁いた。
ユリアは、こくりと頷くと、ゆっくりと門をくぐった。
「馬はこちらで預かろう」
突然、男がユリアたちの前に現れた。
屈強な体つきは、兵士として相応しい均整の取れた筋肉のつき方であった。門番として要を守っている割には、装備が軽く、腰に剣を差しているだけである。
「おい、ユートン。客人方を案内してやれ」
「りょ~かいっス」
男に命じられて、そばの小屋から現れたのは、ひょろりとした背丈の青年であった。男と比べるとかなり線が細く、彼ならばエルファでも勝てそうな弱々しい印象があった。
「さ~、天命の君とおまけの使者殿、行きますよ~」
「ちょ、お待ちなさい! その呼び名はなんですっ。わたくしたちにはちゃんとした名が……」
「ああ、いいっスから、どうでもいいっス~」
緩く笑った青年は、そのまま歩き出す。
眦をつり上げていたエルファも、思わず毒気を抜かれてしまったようで、脱力しながら振り返った。
「ユ、ユリア様、あんなのでも油断は禁物ですわ」
「そうね……けれど、バーラントはなんて豊かな国なのかしら」
ユリアは感嘆としたため息を漏らした。
町の中を小川が流れていた。きらきらと清廉な光を放つ川の上に、橋が等間隔につけられて、人々はその上を行き来していた。
服装ひとつとっても、アルトランディアとは全く違った趣はあるが、どの者も華やかな装いだ。美しい縫い取りのされた薄布を幾重にも巻きつけ、それほど身分の高くなさそうな者も金や銀といった装飾品を惜しげもなく身につけていた。
彼らの顔に生活に対する疲れはなく、楽しげに輝いていた。
生きていることを心の底から楽しんでいる彼らの様子に、母国を想ったユリアの胸にちくりと痛みが走った。
(アルトランディアが消えてしまうかもしれないなんて……。そんなのは嫌っ)
シーファスが命を賭して守ろうとした国を喪いたくはなかった。
この豊かさを目の当たりにするたびに、その想いがますます強くなった。
それからどれくらい歩いただろうか。
複雑に入り組んだ道を迷うことなく進んでいく青年のあと遅れないように追いかけるユリアの体力は、すでに限界を超えていた。
「はぁ……はぁ、」
「ユリア様、少し休憩を……」
「ぃ、いいえっ、もう時間がないの。これくらいで休んではいられないわ」
顔を隠せるよう、フードを目深に被っているせいか、外套の中は汗だくであった。慣れない馬にずっと乗っていたせいもあり、ユリアの体調は万全ではない。
その上、長い距離を歩かされたら足取りもおぼつかなくなってくる。
けれどユリアは決して弱音を吐かなかった。
今頃、シーファスたちは戦っているのかもしれないのだ。
多くの命が失われると思えば、この足が使い物にならなくなろうと、進む足を止めることはできなかった。
「ですが……」
さすがにエルファも息切れをしていたが、彼女は日頃から鍛えているのか足取りはしっかりしていた。
ふらつくユリアを支えようと手を伸ばしたエルファは、先を行く青年に声を掛けた。
「そこのおまえ、少しはわたくしたちの身になって速度を落としたらどうです? 気遣いもできないなんて」
「ん~? あぁ、それはすんませんね~」
青年は、底の見えない笑みをへらりと浮かべると、引き返してきた。
「こりゃまた、よわっちぃお姫様っスね。ま、しょうがないからボクが運んであげるっスよ」
「きゃっ」
いきなりユリアを持ち上げた青年は、軽々と肩に乗せた。まるで俵を運ぶかのような背負い方に、呆然としていたエルファは、歩き出した青年に気づいて声を荒らげた。
「な、なにをなさっているのです! なんて野蛮なっ」
「はは~、そんなにノロノロ歩いていたら、日が暮れるっスよ~」
「ま、待ちなさい!」
楽しげに駆けだした青年のあとをエルファが必死に追った。




