その二
謁見の間としても使用される楕円形の広間は、それこそ贅を尽くした造りだった。
頭上に燦然と輝く巨大なシャンデリアをはじめ、黄金の壁に花や鳥の彫刻が施され、一つ一つに丁寧な細工が凝らされていた。
しかし、ユリアにはそんな広間を感嘆と眺める暇はなかった。
緊張に倒れそうになるのをなんとか耐えながら、ごくりと唾を飲み込んだ。
薄布を取り払われ、仮面姿の素顔をさらすユリアに、好奇な目が四方から突き刺さった。
(怖い……)
ここから逃げ出したくなる。
見られていることが、苦痛でしかたないのだ。
エルファと引き離されたユリアに味方となる者はおらず、扉の脇に佇む兵士たちも、壁際に着席している白髪が目立つ身分の高そうな男たちの姿も、すべて自分を嘲笑する敵に映った。
「──そなたが、ディオルン伯の娘か。ふん、噂通り奇妙な容姿をしておる。そなたは、王子を惑わせ、謀ったそうだな?」
心労からかやや疲れた表情の国王は、それでも声に張りがあり、身にまとう雰囲気は侵しがたい威厳があった。
階段上の玉座に腰掛ける国王は、シーファスと違いがっしりとした体躯をしていた。たるんだ腹は窮屈そうに服を押し上げ、動くのも億劫そうだった。
下がった眉毛に、長い口ひげが人の良さそうな印象を与えるが、さすがに目の奥には逆らいがたい鋭さがある。
ユリアは裾をつまみ、腰を落とすと、ゆっくりと口を開いた。
「恐れながら申し上げます。私はなにも存じません。ディオルン伯爵が血の繋がった父であることは紛れもない事実です。けれど、父の命を受け、間諜のように内部情報を探っていたという噂は、全くのでたらめです」
「ええいっ、嘘を申すな! 証言はとれているっ」
「ぇ……っ」
ユリアは弾かれたように顔を上げた。
「幾人もの使用人が、宮廷内でそなたの姿を見かけたと言っておったぞ。こそこそと嗅ぎまわりよってっ。最初から余はそなたを信じていなかったのだ。ふんっ、余の勘は当たっていた。王子もはやく目を覚ませばよかったものを」
憎々しく吐き捨てる国王に、嘘を言っている様子はない。
あぁ、謀られたのだ。
察しのよいユリアは、すべてを悟った。
(ここで私が真実を申し上げても、だれも信じないわ)
ユリアの心に絶望が広がる。
ユリアに不利な証言者がいる以上、それを覆す証拠を提示しなければ、国王の考えはひるがえらないだろう。
しかし、ユリアには名案が浮かばない。
この場をうまく切り抜ける方法など思いつかないのだ。
「さあ、その娘を捕らえて牢獄へぶち込んでおけ。いいか、ディオルン伯の企みをなんとしてでも聞き出すんだ。白を切るなら、拷問でもなんでもして、吐かせろッ」
国王が冷酷に命じると、待ちかまえていた兵士たちがユリアを捕らえて引きずっていった。
「──……っ」
「とっとと歩けっ」
恐ろしさのあまり力が抜け、崩れ落ちそうになるユリアの腕を兵士たちが容赦なく引っ張る。
痛みに耐えながら、これからのことを考え、目の前が真っ暗になった刹那、回廊の外からかな切り声が聞こえてきた。
「ぁン? なんだ?」
「だ、だれか、お助けくださいませ! あぁ、イヤッ……ヒッ、ヒィィィィィィッッ。だ、だれかっ」
「おい、頼む」
ユリアの腕を掴んでいた兵士の一人が、その尋常でない様子に放っておくのはまずいと判断したのか顔色を変えて駆けだした。
残された兵士も眉を寄せ、心配そうに仲間が去ったほうを見つめていると、後ろで物音がした。
「……? なん……ぅ、がぁっ、」
ぎくりと肩を大げさに跳ね上げた兵士が振り向いた瞬間、彼の顔にべちゃりと何かが当たった。透明な液体のようであったが、それが目に掛かると彼は悶絶した。
「ぐぅっ、アァァァァァァッ」
ユリアを突き飛ばした兵士は、顔をかきむしりながら、その場でのたうち回った。
「あら、よく効くこと」
兵士に液体を投げつけた人物が、すっと柱の影から姿を見せた。
「! あなたは……」
なにが起こったのか理解できていなかったユリアは、見知った顔に安堵を滲ませた。
「さ、今のうちに行くわよ」
「けれど、」
ユリアは気がかりそうに兵士を見つめた。
このまま放っておくのは気が引けた。
「……心配することないわ。時間が経てば痛みも引くから。あなたって呆れるくらい優しいのね。彼らに乱暴されたでしょうに」
「あの、なぜ、ここに……?」
ボンワット夫人がユリアの腕を自分の肩に回して引っ張り起こした。
「今は答える暇がないわ。騒ぎに気づいて、ほかの兵士がやって来るから急ぐわよ」
ボンワット夫人に連れて行かれたのは、広間からかなり離れた薄暗い部屋だった。複雑な構造をしている宮殿の仕組みをよく理解しているらしいボンワット夫人は、人気のない回廊を選びながらだれともすれ違うことなく、目的地へと到着してしまった。
窓を分厚い布で遮り、燭台に火を灯したボンワット夫人は、長いすの上に乱雑に置かれた本の山を床に投げ捨てると、ユリアが座れる空間を作った。
「さ、お座りなさい。あらあら、なにがなんだかわからないって感じね」
ユリアが身を縮めながら浅く腰掛けると、ボンワット夫人は行儀悪く、机の端に座り、足を組んだ。
「実はアイゼに、あなたに困ったことが起きたら手を貸すよう頼まれていたのよ。もっとも、頼まれなくとも手を差し伸べたでしょうけどね。あなたを好ましく思っているせいもあるけど、今回こんな危険を冒してまであなたに手を貸したのは、あなたに一縷の望みを託したいからよ」
「望み、ですか?」
ユリアは小首を傾げた。
「覚えている? この間お邪魔したとき、あなたの部屋に掛布があったでしょ。確か、あなたの手製だと言っていたわね。とても珍しい図柄だったから、少し記憶に引っかかっていたの」
「あれは、幼い頃、母が刺繍していたものを真似したもので……」
「ええ、そうね。そう言ったわね。それでわたし古文書や大陸史など読みあさってみたのよ。前に、似たような図柄をどこかで見た気がして。時間はかかってしまったけど、……当たり前ね。ようやくたどり着いたのが、あの中立国バーラントなんだから」
「バーラント……?」
「耳にしたことはない? ……そう、残念ね。あなたのお母様は、もしかしたらバーラントの出身ではないかと思ったのだけど」
ボンワット夫人は、微かに失望したように肩を落とした。
しかしすぐに、口の端を軽く持ち上げると瞳を煌めかせた。
「わたしの推論は間違っているのかもしれない。けれど、こんな偶然の一致はそうあるものではないわ。ねぇ、ユリアさん。わたしはね、わずかでも可能性があるのなら、それに賭けてみたいの」
ユリアにはボンワット夫人の考えが、さっぱりわからなかった。
自分一人だけ置いてきぼりをくわされているようで、ユリアはおずおずと口を開いた。
「ぁ、あの。母がバーラントの出身だと、なにかあるのですか?」
「大ありよ! ――でも、そうね。これはわたしの身勝手な考えからよ。アイゼが知ったら、怒るでしょうね。あたなをとても可愛がっているから。今回の件だって、アイゼには知らされていないはずよ。もし知っていたなら、陛下を止めたでしょうから」
そこで言葉を切ったボンワット夫人は、すっと視線を淡い光りを放つ蝋燭へと向けた。
「アイゼはね、あなたをこの国から遠ざけ、戦乱のない地で幸せに暮らしてもらうことが望みなのよ。あなたには幸せになって欲しいと思っているわ。けれどわたしは、これからアイゼの意志に反することを行おうとしている」
「ボンワット夫人……?」
彼女の声が泣いているように聞こえて、ユリアは思わず名を呼んでいた。
ハッと我に返った様子のボンワット夫人は、苦笑すると真っ直ぐユリアを見つめた。
「バーラントは、特異な国よ。数多の国がバーラントの類い希な力を欲したけれど、彼らはどの国にも味方することのない中立という立場を守ることで、不可侵の条約を結び、これまでその地を荒らされることなく平穏に過ごしてきたの」
「あなたは、それを覆そうとしているんですね」
「さすが、察しがいいわね。この国が危険にさらされているとわかってから、陛下も特使を幾度も送り、バーラントに同盟と援軍を求めたけど、受け入れてもらえなかったわ。けれど、バーラントの血が流れているかもしれないあなたなら、もしかしたら彼らの頑なな態度を溶かすことができるかもしれない。陛下ですら成し遂げられなかったことを、あなたなら」
「け、けれど、それは……ただの憶測に過ぎません」
「っ、憶測でも!」
ボンワット夫人が珍しく声を荒らげた。
その両の目がきらきらと光っているのは、薄い水の膜が張っているせいだろうか。泣き出しそうな顔で、辛そうにぎゅっと眉を寄せ呻いた。
「もうっ、もう…その可能性にすがるしかないの……っ! わたしだっていろいろ考えたわ。現状を打破できる策はないかと。けれど、文献をあさってもなにも出てこない……っ。ねぇ、女は、この国が蹂躙されるのを黙って受け入れろというの? 男は大切な人のために、この国のために雄々しく散ることができるのに……っ。わたしだって守りたいの! 愛するあの人をみすみす死なせたくないのよ――……っ」
その言葉に、ボンワット夫人の夫も従軍したのだと思い至ったユリアは、渇く唇をきつく噛みしめた。
彼女の気持ちは痛いほどよくわかっていた。
(私だって……私だって、守りたい……。シーファス様を守りたいわ)
自分が動くことで、運命が変わるのだとしたら、喜んでこの身を差し出しただろう。
けれど相手は、強敵だ。
彼らが長い歴史の中で守り続けてきた信条をユリア一人で変えられるとはとうてい思えない。
(それでも最初から諦めるよりは、ずっといいわ)
ユリアでは力不足かみしれない。
それでも、シーファスのためになにかしたいという強い想いが、ユリアを突き動かした。




