第五章 それぞれの想い その一
その日、およそ、五千人の兵が王都に集まっていた。重い甲冑をまとった騎兵、槍を持った歩兵など、重装備の兵士の中には、まだあどけない子供の姿もあった。彼らは、自ら戦闘に加わることを志願した平民だった。
「──侵略者から家族を、そして愛する者を守るために命ある限り戦うことを誓う。すべては我が国の平穏のためにっ!」
全軍の指揮を執るシーファスが兵士たちに向かってそう宣言すると、彼らの間からワッという歓声が上がった。
闘志を燃やす兵士の姿に、ユリアの胸が痛んだ。
彼らはこれが死に戦であることを知っているはず。
なのにそんな悲壮感を微塵も感じさせず、雄々しいまでの姿勢で戦場へ赴こうとしていた。
すでに各地の領主は、先陣を切って守備兵を擁し、ディオルン伯爵領に向かっている。この国の命運を賭けた戦いに、貴族、平民の境なく多くの志願兵が集まっているという。
ディオルン伯爵領は、確実に戦いの中枢となるだろう。戦渦によって引き起こされる様々な弊害を察し、ユリアの気分は暗くなる。
(ファルファーナ様……それに領民のみんなは無事に逃げおおせたのかしら……)
ユリアにとって良い思い出のない地ではあったが、それでも顔を知っている者たちが死ぬ姿など見たくなかった。
それは、目の前にいる兵士たちにもいえることだった。
無事に帰ってきて欲しい。
薄布を頭から被っていたユリアは、祈るような気持ちで彼らをじっと見つめていた。
ふと、鷹の紋章が描かれた外套を羽織った紅翼騎士団の中にヴァンズの姿を見つけたユリアは、ぁっと呟いた。
「妹君をお助けするそうですわ。まったく、まだ傷も完全には癒えていないというのに……」
ユリアの視線を追ったエルファが、そっと囁いた。
どうやら、周囲の反対を退け、シーファスが加わることに許可を与えたらしい。寝返った伯爵の子息を味方側に置くのは、だれが見ても危険な賭だ。こちら側の手の内が、敵国へすべて流れてしまう可能性があるからだ。
しかしシーファスは、ユリアの一件を水に流し、ヴァンズの熱意を買ったようだった。
確かに、臥せっていたのは二日間だけで、ヴァンズは寝込んでいた遅れを取り戻すかのように完治していない体で、剣を振るい鍛練を重ねていた。
その姿をシーファスは見ていたのだろう。
ヴァンズは、ファルファーナをこれから戦場と化す城から救い出したいと願っているようで、その強い想いがヴァンズを成長させたのだ。
ユリアがヴァンズの凛々しい立ち姿を見つめていると、彼が視線に気づいたかのようにこちらを向いた。
顔を半分ほど布で覆い隠していても、彼にはユリアであることがわかったのだろう。両目をハッと見開くと、次にふてぶてしい笑みを浮かべた。エルファの躾のおかげか、ユリアに対する態度が軟化したといっても、相変わらずの態度である。
それでも、周囲の非難するような視線にも屈せず、自分を貫くヴァンズの姿がユリアにはちょっと眩しかった。
「──ユリア。僕の女神」
ふいにシーファスの声が降ってきた。
白馬に跨ったシーファスは、白い外套をなびかせ、すっと腰を屈めユリアの手を取った。
「これは、永遠の別れではない。必ず君の元へ戻ってくるから。それまで僕を待っていてくれるね?」
「もちろんです」
ユリアは何年でも待つ覚悟であった。
生きてくれてさえいれば、それでいいのだ。
会えない時間が長くとも、シーファスの身が無事であるのならばユリアは我慢できた。
「──これを」
シーファスはユリアの手に指輪を乗せた。大粒のダイヤの周りに、小さな七色の石がはめ込まれていた。
「代々、王妃に受け継がれてきた指輪だ。母上からユリアに、と」
「そんな! そんな大切な物は受け取れません」
「いいや、受け取って欲しい。これを僕の代わりだと思って、大切に身につけていて欲しいんだ」
「……では、私も。指輪よりずっと粗末な物ですが、私が想いを込めて作りました。受け取っていただけますか?」
エルファに聞いたのだ。
貴婦人たちの間では、戦地に赴く騎士に、自分の髪を一房切って、お守り代わりに渡すのが流行っている、と。
だからユリアは、小袋に髪を入れて渡そうと思ったのだ。
天鵞絨の生地で出来た小袋を受け取ったシーファスは、嬉しそうに破顔した。
「ありかどう、ユリア。女神の加護があるのならば、勝利も夢ではない気がするよ」
「シーファス様……」
「愛しているよ、ユリア。だれよりも、君を愛している」
「私も、です」
シーファスは、ユリアの姿を目に焼き付けるようにじっと見つめた。
ユリアは必死に笑みを作ろうとしたが、唇の形はどうしても歪になってしまった。せめて明るく別れを告げたかったのに、気を張っていないと体が震えだしそうだった。
この場で引き留められたらどんなに嬉しいだろう。
「オーラント、行くぞ」
後ろに控えていたオーラントに、シーファスが声を掛けた。
黙ってユリアたちを見守っていたオーラントは、一度だけエルファに視線をやった。何か言いたげに口を開いたが、それが言葉になることはなかった。
エルファはオーラントを見つめ、ぎゅっと唇を噛むと、その両目には薄い水の膜が覆っていた。エルファは気を奮い立たせるかのように、涙目のままオーラントを睨み上げた。
「オーラント、王子をしっかりお守りするのよ。傷一つ負わせたら承知しないから」
エルファがそう軽口を叩くと、硬い表情だったオーラントが小さく笑った。
「お前こそ、ユリア様を危険な目に遭わせるなよ」
「わかっているわよ!」
エルファがそう言い返すと、安心したように唇の端を持ち上げたオーラントは、シーファスの後を追って馬を走らせた。
「オーラントの馬鹿……。死んだら許さないから……っ」
微かに肩を震わせるエルファの手をユリアがぎゅっと握った。
「! ユリア様……」
「大丈夫……きっとお二人ともご無事にお戻りになるわ」
エルファもまたこの世でただ一人の兄を失うかもしれないのだ。
その辛さが、ユリアにはよくわかっていた。
シーファスたちの乗った馬が兵士たちの中へ消えると、ゆっくりと軍隊の波が動き出した。長い列が城門へ向かって伸びていた。彼らが伯爵領に到着する頃には、すでに戦争は始まっているかもしれない。
(戦地へと旅立つ者たちに、創世神ヴォールヴォートのご加護を……)
静かに祈りを捧げるユリアの前に、すっと人影が立った。
「さっさと宮殿から出て行きなさいよっ、この疫病神!」
辛辣な言葉を投げつけたのは、ユリアを目の仇にしているアリッツィ姫であった。
エルファの手がぴくりと動いたが、ユリアは気を落ち着かせるためにぎゅっと手を強く握った。
「反逆者の娘がまだ居座るつもり? 早く伯爵領へ帰ったらいかが?」
エルファは顔色を変えたが、ユリアの心は不思議と薙いでいた。
ここ数日、離宮を訪れる貴族の足がぱたりと途絶えたからだ。
噂が広まったのだと、ユリアは勘づいていた。
それでも心優しい離宮の使用人はこれまで通り態度も変わらずにいたから、どこか安心していたのかもしれない。離宮に身を寄せている限り、悪いことは起こらないと。
「やはり、本当に……」
「この国に災いを運びながら、図々しくも王宮に留まるとは。なんと神経の太い」
「王太子殿下がいなければ、あんな小娘にだれが目をかけるものですか」
ユリアを擁護する声など上がらない。
下手に関わって、自分も仲間だと疑われてはたまらないとばかりに、貴婦人や紳士は遠巻きに窺っていた。その視線は冷ややかだが、アリッツィ姫の突然の糾弾を楽しんでいるようでもあった。
「敵国と通じる内通者がこんなに身近にいたなんてね。最初からこちら側の情報を得るために殿下に近づいたのね! そうに決まっているわ。お優しい殿下のお心を利用するなんて。なんて酷い人! その不気味な仮面といい……、本当に悪魔に身を売った女というのは、あなたみたいな人をいうのよ。あなたのせいで、多くの命が奪われる! もし殿下がお亡くなりになったら、わたしは一生あなたを許さないわっ」
「……」
「──アリッツィ姫、虚言をさも真実のように豪語していては、いつか身の破滅を招きますわよ。まさか、アリッツィ姫が盗み聞きをしていたなんて。なんてはしたない。深窓の令嬢が聞いて呆れますわね。しかも、だいぶ脚色して悪意のある噂を流布したようですわね? シーファス王子のお耳にはまだ入っていないようですが、お戻りになられたらきちんとご報告いたします。それまでの間、部屋に大人しくこもって反省なさったらいかがでしょう」
反論しないユリアに代わり、エルファが毅然と言い立てた。
しかし、アリッツィ姫は悪びれた様子もなく、ふんっと鼻を鳴らした。
「あら、本当のことを申し上げただけでしょう? ああ、よかった。真実が明るみに出て。残念なのは、殿下がこの女の魔術によって心を奪われてしまったことね。わたしが解いて差し上げようと思っていたのに、ついに叶わなかったわ……。悪いけれど、断罪されるのはわたしではないわ。これほど心躍るときはないわね。わたしから王子を一時でも奪った罪は重くてよ! せいぜいこれまでの悪行を悔いることね」
高らかに笑ったアリッツィ姫は、側にいた取り巻きを引き連れて揚々と去っていった。
それを悔しそうに睨みつけていたエルファは、黙り込んでしまったユリアを元気づけるように言った。
「あんなの戯言ですわ。シーファス王子がご帰還になられたら、ユリア様の誤解は解けるはずです。少しの辛抱ですわ」
「迷惑をかけるわね。私のせいで……。感謝してもしたりないわ。ありがとう、エルファ……。心からそう思っているのよ。あなたがいなければ私はきっとここから逃げ出していたわ」
「いいえ……! そんな…もったいないお言葉です」
エルファが恐縮したそのとき、厳めしい顔つきの侍従が姿を見せた。彼は、眉一つ動かさず、ユリアたちの前で足を止めると、慇懃に頭を下げた。
「ユリア・ローディアン様、国王陛下がお呼びです。至急、広間へおいで下さい」




