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夕暮

 美姫を共通の妻としたパーンダヴァに、再び試練が訪れた。

 ドラウパディを嫁として迎えることにより生存が露呈したパーンダヴァであったが、そのおかげかドゥリタラーシュトラ王によって国土の半分を渡され、統治することになった。

 パーンダヴァ五王子の長兄ユディシュティラは優れた統治をしていた。そのおかげか、彼らの治める街はこの世で最も美しい街として知られていた。ドラウパディという妻を迎えて、パーンダヴァ五王子たちはその名声をほしいままにしていた。

 しかし、そんな彼らは大きな失敗をした。それはドゥルヨーダナとサイコロ賭博をしたことである。

 ドゥルヨーダナはイカサマによって多くのものをユディシュティラから奪った。金品から始まり、衣服、武具、国土、兄弟、そして彼ら自身の身まで賭けの対象とした。

 そして最後という最後に、ドラウパディまでを賭け負けてしまったのである。

 ユディシュティラは実直な男だった。賭博が身を滅ぼすものと知っていたが、勝負を投げ出すのはクシャトリヤとしてあるまじきことだと思っていた。その結果が敗北だった。

 これはパーンダヴァに大きな屈辱を味わわせることになったが、ドゥルヨーダナの父であるドゥリタラーシュトラ王が仲裁したことでことなきを得た。

 しかし賭けの勝利はドゥルヨーダナである。最後にもう一度、彼らは賭けをした。その結果はパーンダヴァの負けであった。彼らは誰にも見つからないように、十二年を過ごさなければならなかった。

 十二年の間、カルナはカウラヴァの戦士として戦い続けた。多くの国を屈服させ、ドゥルヨーダナを王の中の王にしていた。カルナの武勇には誰も敵うことはなかった。

 多くの者は不思議に思った。どうしてカルナほどの戦士がドゥルヨーダナに従うのか。ある者は、カルナがヴァイシャの生まれであり、ドゥルヨーダナとともにいなければクシャトリヤでいなくなるからではないか、と言った。


「確かに、ドゥルヨーダナの統治はパーンダヴァに遠く及ばず、その手も卑劣と言うほかないだろう。しかし、彼は決して弱者を嘲ったり、見下したりはしなかった。それはお前たちもよくわかっているだろう」


 それもまた一つの王としての在り方でありやり方だ。カルナは語るのだった。

 そうこうしているうちに、約束の十二年が経った。ヴィラータ王という寛容な王がおり、彼に庇護を求めたパーンダヴァであったが、そこへドゥルヨーダナが攻めてきた。パーンダヴァはカウラヴァに戦いを挑むと言った。ドゥルヨーダナは、パーンダヴァに国土は渡さぬと言った。平和を望むクリシュナが説得に来たが、五つの村もくれてやるかと言った。約束は反故にすると。

 ここに、進退は極まった。戦争が始まると、誰もが予感した。



   *   *   *



 クリシュナはカルナと出会った。

 平和を望むクリシュナは、もはや戦いを止めることはできないと思い、せめて自分が味方するパーンダヴァの被害を減らそうと考える。そして、その最大の障害がカルナだった。

 カルナはカウラヴァ随一の戦士。今や、追放されている間に天界に最も近い神々の国で修行を積み武具と知識を備えるアルジュナや、神の如き智恵を持つクリシュナが束になっても、カルナを破ることはできないだろう。

 彼の武勇、そして黄金の鎧の守りは、それほどまでに強大なのである。

 カルナは敵であるにもかかわらず、クリシュナを迎えた。彼の寛大さに驚くクリシュナだったが、一つの打算が生まれた。

 クリシュナはここで、真実を告げた。


「なあカルナ。お前は実は、パーンダヴァの母クンティーの子なのだ。パーンダヴァとは種違いの兄弟なのだ」


 カルナはそれを聞いて、目を見開く。千里を見通し、人の心の奥底まで覗くことのできる彼であったが、その真実までは見抜けなかったようだった。そして、クリシュナの言葉が嘘でないこともわかった。

 あらゆる嘘を見抜くカルナの瞳。クリシュナは、真実を紡いでカルナを説得することにしたのだ。優しく慈悲深いカルナなら、最後はわかってくれると信じて。


「クンティーは神と交わり、子どもを宿すことのできる術、マントラを使うことができるのだ。しかしその術が本物か確かめたくなった。そうしてスーリヤと交わり生んだのがお前なのだ。お前の黄金の鎧はその証。そしてパーンダヴァはお前の弟なのだ」


 クリシュナは、カルナに返事をさせる隙を与えない。これこそが彼の話術だった。


「兄弟で戦うのは正しいことなのか。本当は血の繋がった兄弟だぞ。そしてお前は、本当の長兄だ。であるならば、お前には弟たちを守る義務があるはずだ。家族と手を取り合い、世界の覇権を得ることこそが、クシャトリヤとしてあるべき姿ではないのか」


 クンティーが実の母である以上、ドゥルヨーダナに依存することなく、カルナは名実ともにクシャトリヤだ。クリシュナは言っているのだ。ドゥルヨーダナを裏切り、パーンダヴァの側へと回れと。

 カルナはそれを理解していた。その上で、あえて言った。


「否だ、クリシュナよ。お前の言っていることは確かに正しい。偽りもなかった。だが、兄弟であれば、俺の味わった屈辱は許されるのか。そして、そんな俺を救ったドゥルヨーダナはどうなる?」

「ドゥルヨーダナは正しくない。戦いというのは、常に正義が勝つのだ。そのままでは、カルナ、お前は死ぬぞ」

「いいや、それは違うぞクリシュナ。クシャトリヤとしてお前の理念は正しい。だが心がない」

「心だと」


 クリシュナは絶句する。カルナは燃えるような瞳を、クリシュナへと向けていた。


「なるほど、お前は勝利という結果のみを考えている。その上で、お前の言葉、手段は実に合理的だ。正解と言っていい。それゆえに、俺には敗北の運命が待っていることだろう」

「ではなぜ戦うのだ」

「そのような運命に打ち勝つべく戦うことこそがクシャトリヤだ。例え運命が相手だろうと、逃げることは許されない」


 カルナの理論は完璧だった。クリシュナの理論の正当性を示した上で、クリシュナの考えに乗って語ってみせたのだ。

 最後まで戦う。己の義に従って、負けると言われてもなお。それは確かに、戦士としてあるべき姿であった。

 己の義と恩を果たすためならば、悪の汚名を被ることも辞さない。いいや、大勢を見ていれば、忘れてしまうだろう。カルナのみを見れば、それは誠に正しいと言うほかない。

 カルナは優しく、慈悲深く、聡明だった。ただ一点、己への欲の薄さ。それこそがカルナの欠点であり、美徳だった。何よりも、クリシュナが知っている美しさだった。


「そして俺は決着をつけなければならない」

「決着? まさか」

「アルジュナだ。俺はまだ、あの競技会の決着をつけていない。それこそが俺の望みだ。ゆえにクリシュナ、お前の頼みは聞けない。すまないな、傲慢だとは承知している」

「いいや、カルナ。お前は……戦士なのだな」


 クリシュナはカルナの説得に失敗した。


 そして彼が去ったあと、入れ替わるようにやってきたのはクンティーだった。

 自分の実の母、クンティー。そして宿敵の母でもある。

 彼女はカルナが川沿いで修行をしているときにやってきた。


「カルナ、ああ、私の子、カルナ! どうしてパーンダヴァと戦う必要があるのです。貴方は彼らの長男なのですよ? 確かに、私は貴方を捨ててしまった……。けれど、それは私には耐え切れなかったからなの。でも今は違う。カルナ、帰ってきて」


 クンティーが涙ながらにそう言った。クンティーがマントラを行い、スーリヤの子としてカルナを産んだのは、結婚する前だったのである。マントラへの不安感と好奇心からだった。しかし結婚をするにあたって、カルナの存在が邪魔だったのだ。

 そしてその後、クンティーはユディシュティラ、ビーマ、アルジュナを産んだのだった。五王子のうち、名高い三人はクンティーの子だった。

 カルナは母を迎えて言った。


「母よ、貴女の言葉はこのカルナ、よくわかりました。しかし今になって俺に、息子である責務を果たせというですか。だとすれば、競技会のときに俺の母として名乗り出ればよかった。そうすれば、こんなことにはならなかったのに」

「それは……」 


 クンティーは言い返すことができなかった。そんなクンティーに、カルナはさらに言葉をかけた。


「それに対して、ドゥルヨーダナは俺の友としていてくれた。貴女の息子たちに俺が屈辱を味わわされようと、俺の味方であり続けた。貴女たちが卑しいヴァイシャと言った、俺の養父もだ。それでもなお、貴女が帰ってこいと言うのなら、俺は帰ろう」


 カルナがそう言うと、クンティーはいよいよ泣き崩れた。

 自分が生んだ子たちが相争うというのは、どういう感情なのだろうか。名乗り出ることはなくとも、カルナのことをクンティーは忘れることはなかっただろう。しかし、自分の子だと言ってしまえば、三人の兄弟を追い詰めてしまう。一人と三人であれば、当然三人を選ぶだろう。

 それが察せないカルナではない。


「母よ、俺は貴女に感謝している」

「恨んでいるのではないのですか? 私は貴方を一人にした。貴方を捨てた。実の母親のことも知らないまま育ってしまった。この腕で抱くこともなく……」

「いいや、俺は決して恨んでなどいない。俺に生があるのは貴女のおかげなのだから。そして、こうして母と名乗りでてきてくれたことが、俺は嬉しい。子として貴女と話せて、俺はこの上なく嬉しいのだ、母よ」


 そしてカルナは、クンティーの涙を拭う。


「母よ、それでは貴女に免じて、ユディシュティラ、ビーマ、ナクラ、サハデーヴァの四人とは戦っても、生きて返しましょう」

「アルジュナは……?」

「俺は奴と決着をつけなければならない。戦士として、あの競技会以来、お預けとなった戦いを終わらせなければならない。その果てにどちらかが死ぬだろう。だが、どちらが死んでも貴女の子は五人だ。これで不足はあるまい」


 それがカルナのできる精一杯だった。クンティーは悲しんだ。しかしこれ以上、できることはなかった。カルナとアルジュナの戦いを止めることはできない。

 カルナは母を見送った。これがきっと、今生の別れになると知っていたから。

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