黎明
ある日のことだった。クル族の重鎮が、王子たちの武芸を披露する競技会を開いた。
場所はハスティナープラ。そこに暮らす民に、王子たちの輝かしい姿を見せるのが狙いだった。
クル族の王子たちは、パーンダヴァとカウラヴァという派閥に分かれていた。二つの派閥は父が兄弟である従兄弟同士であった。二つの派閥の王子たちは互いの武芸を披露しあった。
それでもパーンダヴァ五王子の武芸は圧倒的であった。その中で一際、視線と喝采を集めたのは三男であるアルジュナである。
アルジュナの武芸はこうだ。まず空に、燃えている矢を放つ。その矢は炎神アグニのものだった。矢が放たれたとき、アルジュナの周囲を炎が包んだ。
炎に抱かれたかのようなアルジュナは、続いてもう一本の矢を空に放つ。その矢は水神ヴァルナのものだった。矢は炎を鎮めると同時に、空の雲までを払ってみせた。
観客の多くはアルジュナの神業に拍手を送った。今や、アルジュナがクル族の中で一番の武芸を持っているのは疑いようのない事実だった。
カルナは観客の中で、その業を見ていた。そして内に沸き起こってきたのは、未だかつてないほどの欲であった。
「アルジュナよ、見事な武芸だった」
気づけば、カルナは観客の中から歩み出ていた。観客の注目はカルナに集まる。アルジュナもまたカルナを見ていた。
カルナは自前の弓をつがえる。
「だが俺は、その悉くを打ち破ってみせよう。我が武芸が何にも劣らぬことを証明するために」
カルナが弓を放つ。それは炎に包まれていた。それも、アルジュナが放ったよりも眩い光だ。小さな太陽を放っているのではないか、そう思うほどに。
続いて、カルナが二本目の矢を放つ。二本目の矢は鋭い矢だった。一本目の矢を追い、ついにはぶつかる。
そのとき、天は光に包まれた。観客も、王子たちも目を閉じた。アルジュナだけが目を見開いて、カルナを見ていた。
カルナが見せた業は、アルジュナに勝るとも劣らない神業であることは疑いようがなかった。そしてカルナの纏う黄金の鎧と、彼の澄んだ瞳が、観客たちを圧倒する。口々にカルナを褒め、彼の身元を問う声がざわめいた。
「アルジュナよ、ここで決闘を申し込む。どちらの武勇が上か、決めようではないか」
修行の折、ずっと優遇され、師から奥義を授かったアルジュナに対し、カルナは正々堂々とした勝負を所望した。
理由はわからないが、カルナはアルジュナと因縁のようなものを感じた。あるいは運命か。戦い、雌雄を決せなばならない。そんな使命感に駆られた。
間に入ってきたのは審判役を務めた者だった。
「アルジュナはクシャトリヤである。クシャトリヤと戦えるのは、存じていると思うが、クシャトリヤだけだ。お前の生まれを聞こう」
「俺はカルナだ」
カルナは毅然とそう答えた。武芸を競うのに、身分など関係なかろう。そう考えていたのだが、まかり通らなかった。
「残念ですが、クシャトリヤでなければ私は勝負を受けません。そうであるよう言われているのです」
アルジュナが言った。
周囲の視線が刺さっているのを感じた。身の程知らずと、辱められている。
カルナにとってそれはどうでもいいことだったが、このままでは己と父スーリヤの面目が立たない。生まれを理由に勝負をしないというのも気に入らない。
そう口を開こうと思った矢先、王族の一人が躍り出た。
その男にカルナは見覚えがあった。ともに修行した仲であるドゥルヨーダナである。ドゥルヨーダナは、アルジュナのいるパーンダヴァと対立するカウラヴァの長男であり、一同を率いる者でもあった。
そして何よりもパーンダヴァを憎む者でもあった。
「よかろう、ではカルナにアンガ国を授けようではないか。するとどうだ、カルナはクシャトリヤだ。しかもアルジュナ、お前は王子だがカルナは王だぞ! ここで受けねば、お前は王の威光を恐れ、逃げた男であるという悪評を背負わねばならぬ。それでよいのか?」
安い挑発だ。カルナはそう思った。ドゥルヨーダナは平凡な男である。武芸も知略もとうていパーンダヴァ五王子には勝てない。
しかし、ドゥルヨーダナのおかげでカルナの面目は守られ、さらにアルジュナへの正当な挑戦権を得たことになる。
カルナは一歩、前へと出た。アルジュナもまた、退くつもりはないようだ。
一触即発の空気が流れる。誰もが固唾を飲んで見守っていた。
そんな中である。カルナの養父が、息子が競技会へと飛び入り参加したと聞いて駆けつけていた。まさにカルナが王位についた場面を見たのである。
「あれこそ我が息子であるカルナだ!」
それは息子の栄えある姿を見て自慢したのか、あるいは出世した息子にあやかろうとしたのか。どちらにせよ、失敗であることに違いはなかった。
パーンダヴァ五王子の次男であるビーマが、カルナと養父を指差してこう言った。
「カルナの父は卑しいヴァイシャだ、そしてカルナは御者の子だ。クシャトリヤにはなったが、そんな“借り物”の戦士が、どうして我ら正当なるクシャトリヤに挑むことができるわけがねえだろ。恥を知れ恥を!」
観客はビーマの言葉に頷いた。ビーマは幼少の頃から怪力と豪胆さ、そして他者を嘲ることで有名だった。このときもまた、彼の性格がよく出ていた。
カルナは怒りに震える。己はいい。否定することはできない。卑しい身であり、ドゥルヨーダナがいなければここにも立てぬ者であるのだから。いくら辱めを受けようと甘んじる。
しかし、カルナが許せないのは養父を侮辱したことであった。
どのような意図があったのか、下賎な企みを抱いたのかもしれない養父であったが、自分を育てたのは彼である。その事実を差し置いて、非難するのは許されることではなく、クシャトリヤとしての振る舞いではない。
「愚かなり、パーンダヴァ!」
そう言ったのはまたもドゥルヨーダナだった。
「優れた戦士とは、己の力で以って証明するものだろう。であるならば、その生まれで批難し、己の血で他者を嘲るのがお前たちのやり方なのか! 答えよ、汝らは優れた戦士か如何や!」
それは正論であり、暴論だった。
誰よりも血で守られているのはドゥルヨーダナ自身である。そう責められれば、彼は否定することはできないだろう。
にも関わらず、カルナの前へ出てくるのには、打算があるからだ。
パーンダヴァを糾弾し、カルナを自陣につけようという狙いがあるからに他ならない。なにしろ、カルナ自身がドゥルヨーダナならそうすると確信しているのである。
日が暮れてきた。競技会は原則として、日没までとなっている。そのため、そろそろお開きにしなければならない。
「ここはお前たちの父に免じて退こう。これ以上、恥をかくのはお互いに不本意だろう。だがパーンダヴァよ、ドゥルヨーダナの言葉を胸へ刻め。いつか貴様たちの驕りが、足を掬うだろうよ」
カルナの言葉は忠告であり、予言でもあった。
相手を立てるようにして引いたカルナの言葉こそが、彼の優れた徳を持った者であることの証左であった。
ここで競技会はお開きとなり、パーンダヴァとカウラヴァの対立が明らかになった。パーンダヴァはその圧倒的な武勇で以ってカウラヴァを圧倒しているが、しかしカウラヴァにはカルナがいる。彼の存在感は、五王子にも匹敵するものとなった。
「ドゥルヨーダナ、俺はお前に感謝している」
カウラヴァ勢の一人となり、今や王に名を連ねるようになったカルナはそう言った。
「お前がいなければ、俺は恥をかくだけだった」
「いや」
ドゥルヨーダナは言葉に詰まっていた。彼はカルナを味方につける打算の上であの行動をしていたが、あの場の勢いで多くを語りすぎていた。
それは己の理想と現実の差である。
パーンダヴァとの実力の差である。
そしてカルナとの差である。
輝かしい者とそうでない者。その違いを棚に上げて、前へ出てしまったことをドゥルヨーダナは恥じた。
「お前の考えはわかっている。しかし、俺が救われた事実には変わりがない。ましてや、あれだけの観衆の前で、御者の子である俺を助けるのはよほどの勇気と覚悟を要しただろう。俺はお前に報いたい」
カルナはドゥルヨーダナに問うた。なにを俺に望むのかと。
その輝きに、ドゥルヨーダナは目を奪われた。そして彼は言った。
「恥ずかしながら、余には友というものがいない。もしよければ、余の初めての友となってくれないか」
それは王子として生き、矮小な誇りに縋って生きている男が見せた甘さであった。
カルナもまた、ドゥルヨーダナに光を見出していた。それはパーンダヴァも、そしてカルナも持っていないものであった。
「……良いだろう。このカルナ、お前の終生の友として名を刻もう。尤も、俺なんぞでよければだがな」
「はっはっは、今やお前はカウラヴァきっての勇士だ。そんなお前を友と持てるならば、それはこの血以上の誇りよ!」
「ふん、気の良いことを」
そう言ってカルナは笑った。これから多難な道があるだろう。
パーンダヴァとの対決は避けられまい。
特にアルジュナ。パーンダヴァの三男であり、ともに弓を得手とする者。
奴とは決着をつけなければならない。カルナは確信を持っていた。
いずれまた、どこかで相見える。日が沈み、また昇るように。