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剣の血族(5)


 オラフにとってリズィーが新都で見てきたものは「当然」と言えるようなことだった。重要なのはリズィー自身そう思っているということだろう。思っていたよりも強い子に育っている。


 隻腕であり、生まれ持っての武器を扱うだけの力を持たないリズィーは、蔑みの対象だった。オラフがそうであったように、一人前の戦士としては認められないのだ。

 具体的な戦功を挙げるまではずっとそういった不当な評価が付き纏うことになるだろう。単純に足手纏い、弱い奴だと馬鹿にされているというより、不吉な奴、不気味な戦士と見られることが多いのが厄介な点だ。


「私が剣評会に出場しようとしたとき、受付の人間と一悶着ありました。イングリッドさんが父上の名を出すと、騒ぎは収まりましたが……」


 淡々とリズィーは言う。悔しいのか、悲しいのか、怒っているのか、それとも本当に何とも思っていないのか分からなかった。もっとも、オラフも周囲の人間からは感情の読み難い人間と見られているだろう。娘を見ていると自分を取り巻く人間の気持ちが少しだけ理解できる。


「その騒ぎを見ていた何人かが私を挑発してきました。同年代の男子でした。会場の控え室の隣に稽古場があったので、そこで手合わせをすることとなりました」


 手合わせ。それを聞いたとき嫌な予感しかしなかった。剣評会に顔を出すような男子なら相当厳しい訓練を受けているだろう。リズィーが圧倒できるような相手ではないが、気迫が違う。

 すなわち技倆が同等でも、最初から相手を殺すつもりで挑んだ者と遊びに興ずるつもりで戦闘に臨んだ者とでは、致命的な差が生ずる。


「……それで?」

「相手に怪我をさせてしまいました。彼らも剣評会に出場する予定だったらしく、相手方の親御さんが出てきて、苦情を……」

「まあ、それはそうだろうな。それでどうなった」


 一瞬だけリズィーが目を伏せた。


「実行委員の方が仲裁に入ってくださり、喧嘩両成敗ということでおおごとにはなりませんでした。一部始終を証言してくださった方も何人かいたので、その場はそれでおしまいです」


 オラフは頷いたが、まだ話が終わっていないことには気付いていた。


「その場は、な。その後何かあったのか」

「はい。怪我をさせてしまった男子の仲間が、剣評会の後に因縁をつけてきて、揉め事が起こりました。私一人に、四人ほど突っかかってきて」


 オラフは苛々と太腿を叩いた。


「イングリッドは何をしていた?」

「私が表彰をすっぽかしたので、その対応に追われていたようです」


 イングリッドを伴につけたのは、そういう雑事をさせる為ではなく、揉め事を未然に防ぐ為だったんだぞ……。オラフは呆れた。


「相手は相当に殺気立っていて、危険な臭いがしました。それに相手が持っているのは演習用の木剣ではなく、真剣でした」


 リズィーはなおも感情を込めずに話し続ける。



   *



 リズィーは四人の同年代の男子に囲まれ、剣評会の会場の裏手にある空き地に連れ込まれた。そこは人通りが少なく、周囲を高い建物に囲まれており、まるで私刑を行う為に用意されたかのような場所だった。


 デリックと名乗った男子が、一回り以上小さなリズィーを見下ろしてにやりと笑う。


「覚悟は出来ているんだろうな、隻腕!」

「何の覚悟ですか」


 デリックは後ろに控えている三人を見渡して怒声を発した。


「卑怯な手を使って、俺の仲間をいたぶりやがって! 腕をもう一本ぶった切れば、もうそんな生意気なことは言えなくなるよな?」

「……どうですかね」


 リズィーは常日頃帯剣している木剣を構えた。


「確実な方法とは言えないですね。相手を黙らせたいなら相手の腕を切断するのではなく、頭部をかち割ったほうが確実かと」

「ふざけた女だ」


 デリックは真剣を構えた。扱い慣れているのか、剣先が真っ直ぐリズィーの心臓の位置を狙っている。全身から伝わってくる圧迫感は本物だった。この男は戦場に出たことがある。リズィーは直感でそれを知った。


「デリックさん、あなた成人しているのですか」

「それがどうした。今更怖気づいたのか」

「いえ。もし私にやられたら評判に響くのではないですか。さすがにこの状況、稽古だったという言い訳は通用しませんよ」


 デリックは本格的に怒ったようだった。構えていた真剣を容赦なく突いてくる。それほど機敏な動きではなかった。少なくとも父とやり合っているときと比べると、欠伸が出るような鈍さだった。

 しかしそれでも真剣の圧迫感は凄まじく、躰が震えるのが分かった。リズィーはこのとき、自分が剣士に向いていないのではないかと心配になった。


 自分に向けられている殺意、悪意、害意。それをまともに受け止めて躰が震えている。戦場に立てばこういった荒々しい感情が横溢している。果たして耐えられるのだろうか。


 そんなことを考えながら相手の攻撃を躱した。冷静に太刀筋を見極めれば避けられないことはない。危ないと感じたときは軽く木剣を合わせて軌道を逸らし、あるいは誘導した。

 すぐに相手が苛立ち始めた。デリックの動きが大雑把になり、剣の軌道が直線的になった。リズィーは相手の隙を突いて、肩の辺りを思いきり打擲した。デリックが悲鳴を上げて地面を転がった。


 少し離れて様子を見ていた三人が、急に物々しくなり各々の得物を取り出した。リズィーはさすがに焦った。同時に四人を相手にするのはまずい。逃げたほうがいいだろうか。しかし退路は限られている。脱出するのも容易ではなかった。


「待て、お前ら! 手を出すんじゃねえ!」


 デリックが呻いた。立ち上がり舌なめずりする。そして真剣を構える。


 ぞくりとした。リズィーはこれまで味わったことのない圧迫をデリックの全身から感じ取った。これは殺傷能力を有する真剣を前にして感じた先ほどの圧迫とは種類が違う。


 リズィーは全身の力が抜けるのを感じた。気のせいではなく、事実膝から崩れ落ちた。デリックが残酷に笑む。


「な……、何を……?」

「心配するなよ。殺しはしねえさ。ただ、さっきも言ったが腕の一本は覚悟しろよ……?」


 リズィーには理解できなかった。何が起きているのか。だが、デリックの背後に立つ三人が慄いている様子を見て、漸く事態を察した。


 これはデリックの有する武器の天稟ファカルティだ。戦士の血族に生まれ持った者全てが有する特殊な能力……。


 戦士は自らが扱うべき武器と共にこの世に生まれ出る。そしてその武器は優れた殺傷能力を提供するばかりではなく、正しい遣い手には超常的な特殊能力を与える。


 ある剣士は雷光を纏うという。ある射手は自らの姿を影に溶け込ませるという。ある斧遣いは大地を叩き割るという。ある双剣遣いは水上を自在に駆けるという。


 武器によってその能力は変わり、戦士の血族に生まれた者はその能力を駆使して一騎当千の勇者として戦場を駆ける。戦士の血族が傭兵として周辺国に畏怖されているのは、その武器の能力が絶大な戦功を齎すからだ。


 この特殊な能力を天稟といい、父であるオラフが持ち得なかったものだ。自らの武器を持たない父には、天稟がなかった。五体満足であるのに『不具なる英雄』と綽名されていた所以だ。


「で、デリック! 天稟を使うのはまずい。ばれたら処分されるぞ」


 誰かが言った。しかしデリックは剣を構えたままリズィーに接近した。


「ばれやしない。お前らが密告しない限りはな」

「で、でも、そこの女が言っちまったら……」


 そこで三人は口を噤んだ。残酷な想像をしてしまったのだろう。リズィーもそうだった。殺されることはないだろう、だが二度と剣を持てない躰にされるかもしれない。あるいは女として屈辱的な行為を受ける可能性もある。


「てめえが生意気なのが悪いんだ。片腕がない分際で、いっちょまえに剣評会に出やがって。その綺麗な顔を滅茶苦茶にしてやる」

「……あなたの天稟は」


 リズィーは脂汗を毛穴から噴き出しながら言った。


「相手を脱力させる、というものですか……? 随分とちゃちな能力ですね」

「てめえ……! まだそんな口を利くか! 泣いて許しを乞え! 半人前が俺のような本物の戦士に楯突いた非礼を詫びろ!」

「私の行為に瑕疵があるとすれば……」


 リズィーは意地悪く笑みを浮かべた。


「……あなたを一人前の戦士と見做し、まともな立ち合いが出来ると判断してしまった、そのことでしょうね……。残念です」

「ほざけ!」


 デリックが真剣を振り回した。剣の平が頬を直撃し、奥歯が折れたのを感じた。大量の血が口の中に噴き出してきた。口内の皮と合わせて吐き出すと、デリックが高笑いを浮かべた。


「何もできないだろう! 俺の剣の能力はな、無敵なんだ。相手の活力を奪い、ひれ伏させる。最強の剣士の能力にふさわしいだろう!」


 デリックがなおも剣を振り上げる。さすがに刃の部分をぶつけてくることはないようだ。リズィーはひとまず安心した。ぼこぼこにされるだけで済むなら幸運だ。


「お、おいデリック。ほどほどにしておけよ。そいつ、あの不具なる英雄の娘だぞ……」

 

 また三人組から制止の声がかかった。デリックは鼻で笑った。


「オラフか? どうして皆、あいつのことを恐れているのか分からないね。だってあいつ自分の武器がないんだろ。天稟も発揮できないんだろ。俺のほうが強いじゃねえか。俺の前じゃあ、赤子同然よ。俺の剣は相手を動けなくする。どんな能力者よりも強いじゃねえか」


 そうだろ? とデリックは同意を求めるように言う。


「それなのに父上は! お前は未熟者だと言って! まだ一度しか戦場に立つことを許してくれない! 剣評会の審査員どもも、俺の演武を評価してくれない! どうなってるんだ、こんな女が優秀賞なんて取りやがって。間違ってるだろおおお!」


 一人で話して、一人で激昂していたら世話はない。リズィーは再び攻撃を喰らった。恐らく胴に喰らったと思うのだが定かではない。衝撃で転がった。


 すると躰に活力が戻ってきた。よろよろと立ち上がる。デリックが血走った目で睨んでくる。

 リズィーは落ちていた木剣を拾い上げた。


「なるほど……。あなたの集中が切れると、天稟も機能しなくなるようですね。もう一度かけなくていいんですか、その姑息な術を?」

「黙りやがれこの女……! すぐに動けなくしてやるよ」


 また躰に脱力感が襲ってきた。しかし先ほどのような強力なものではない。相手の集中が切れているのか、あるいは連続使用すると効果が鈍くなるのか。


「最強の能力がこれですか。あなたでは父上の足元にも及ばないでしょうね」

「ほざきやがれ……! 無能の父親を庇ってるのか、クソ女が」


 リズィーは深く踏み込んだ。木剣の切っ先を突きつける。容赦のない一撃に、デリックは反応が遅れた。それでも寸前で躱し、真剣を振るう。


 二人は打ち合った。デリックは刃を立ててリズィーの得物を破壊しようと目論んでいたが、巧みに剣を庇いながら押しまくった。デリックは何度もよろけそうになりながらも、踏みとどまる。


「クソ! クソ! 糞が!」


 リズィーは押し、突き、がら空きになった胴に鋭く叩き込んだ。デリックは呻き、尻餅をついた。とどめを刺してやる。気絶くらいはしてもらう。そう思った瞬間、周囲への警戒が薄れた。


 頭部に衝撃。目の前を火花が散った。転倒し、頭から血を流しながら周囲を確認すると、例の三人組が木剣を持ってそこに立っていた。


「調子に乗るなよ、女」


 蹴り飛ばされた。リズィーは地面を転がり、なおも近づこうとしてくる三人を睨みつけた。


「一人ずつ来なさい……。それでも戦士ですか……!」

「馬鹿か、お前? わざわざ人数を揃えて戦争をするとでも? むしろ戦士の血族なら、絶望的な人数差をひっくり返してもらいたいよな?」


 彼らは笑った。リズィーは意識を失いかけていた。しかしここで気を失えばもう抵抗できない。それだけは剣士としての矜持が許さない。歯を食いしばって立ち上がった。


「分かりました。来なさい。三人でも相手してやる……」

「お前、間抜けか? 分かった、本物の戦争がどんな感じか、教えてやるよ」


 三人がにじり寄ってくる。リズィーは剣を構えた。しかし一人が繰り出した斬撃で得物が呆気なく弾かれ、地面に落ちた。腹に突きを喰らって息が詰まった。隙だらけになったところを一人が抱きついてきた。


「離せ! 離しなさい!」

「戦争を教えてやるっていうんだよ!」


 リズィーは頭突きを喰らわせようと振りかぶった。だが髪を掴まれて引き摺り倒された。まずい。身動きが取れない。


 舌を噛んで死のうか。一瞬本気でそう覚悟した。地面を転がったリズィーは空を見上げた。雲一つない昼下がりの青い空。


 そこに黒い影が一つ。


「戦争を知ってるのか? 俺にも教えてくれよ」


 悲鳴が上がった。リズィーは目を見開いた。すぐに瞼を閉じる。目に何か生暖かいものがかかったからだ。


 リズィーはそれを拭いながら立ち上がった。三人組が一様に悶えながら地面に転がっている。それぞれ手足から出血していた。リズィーは自分の顔に夥しい量の血がかかっていることに遅れて気付いた。


 そこには見慣れない男が立っていた。青い刀身の長剣を杖のようにして佇立し、恐怖に慄くデリックを見据えている。得物の刃とよく似た青い頭髪、ぞっとするような白皙、すらりと伸びた手足――軽やかな印象を受けたが、その表情は冷酷そのものだった。


「よお、落ちこぼれのデリックじゃねえか。こんなところで油売ってたのか。探したぜ」


 デリックは今にも悲鳴を上げそうなほど恐怖に取りつかれた顔をしていた。そして卑屈な笑みを浮かべる。


「ふ、フィランダー……。久しぶりだな、聞いたぞ、十剣匠の候補に入ったって……?」

「補欠だがな。あと三人ほど欠員が出たら、お呼ばれする可能性があるらしい。ま、そんなことはどうでもいい。お前が戦争に詳しいと聞いてすっ飛んできたぜ。是非とも聞かせてもらいたいもんだ。新都の巡回任務をすっぽかして女の子と楽しく遊んでいる理由も併せてな……」


 巡回任務? さっき剣評会に出たとか言っていたが、仕事をさぼっていたのか。まあ、いかにも不良っぽい人間だが。リズィーは少し離れて観察していた。


「デリック。立てよ。どうした、そんな引き攣った顔をして。何を恐れている? そんなに仕事をさぼっていたことが後ろめたいか。俺とお前の仲じゃねえか、誰にも言わねえよ」

「ほ、本当か?」

「子供の頃から一緒にやんちゃしてただろ。忘れちまったのか。さあ、さっさと立つんだ」

「あ、ああ……」


 デリックは立ち上がった。そして彼は何を思ったか、自らの得物を構えた。


「……え」


 驚愕の表情を浮かべたのは、他ならない、デリックだった。フィランダーと呼ばれた男性は大袈裟に驚いてみせた。


「おいおいどうしたデリック。どうして俺に剣を向ける? どういう了見だ。俺はお前の親友だろ?」

「ふ、フィランダー、まじか! やめてくれ! 俺とお前の仲だろう! まじで俺を殺す気なのか!」

「何を言っているのか分からないな……。どうやら錯乱しているようだ。証言者もいることだし……」


 ちらりとフィランダーはリズィーを見た。デリックは奇声を上げていた。顔を真っ赤にし、いかにも狂人然とした様子だった。


「フィランダー! 許してくれ!」

「すまんな、デリック。俺は自衛に専念するよ。お前が俺に斬りかかってくるというのなら、仕方ないな」


 次の瞬間、デリックの首が飛んでいた。


 リズィーには何が起こったのか全く分からなかった。


 しばらくデリックの首から下は、そこに立っていた。大量の血を噴き出しながら、ゆっくりと前方に倒れる。


 悶絶する他の三人は、死んだデリックを見て恐怖し、這いつくばりながら逃げ出した。それをフィランダーは泰然と見送っていた。


「やれやれ、リズィーさん、ご無事かな」

「あなたは……」

「麗しのイングリッドさんから頼まれてね。姫を探していただきたいと。俺はフィランダーという者。狂剣などと綽名されることがあるが……。普段は新都の防衛任務などを手伝っている」


 治安維持も大変だな、とフィランダーはぼやいた。


「姫! 姫ぇ!」


 イングリッドが通りに向こうから駆けてきた。フィランダーはくすりと笑った。


「リズィーさん。今回は助けることができたが、今後は身の丈を知ることだ。もし俺が助けに入っていなければ、最悪、剣士として終わっていたぞ」

「申し訳ありません……」

「俺としては、成人の儀を機に剣を棄てることをお勧めするがな。嫁に来たいというのなら歓迎するよ。あんたの綺麗な顔は希少だ」


 リズィーは血まみれの自分の顔に触れた。


「皮肉ですか?」

「いや。本気だ。所詮あんたは戦場に立てば雑兵。使い捨ての命だろうな。そんな人生、嫌だろう? 俺のところに来れば大事にしてやるよ」

「……フィランダーさん、一ついいですか」

「何だ?」

「助けて頂いて、こんなことを言うのは恩知らずと罵られても仕方ないですが……。あなた、嫌いです」

 

 フィランダーはハハハと笑った。短髪を掻き、転がっていたデリックの頭部を蹴飛ばす。


「なるほど、むかつく女だ。助けるんじゃなかったな。裸に剥かれてから来てやったほうが、もう少ししおらしかったかな」


 イングリッドが息を荒げながら駆け寄ってきた。


「フィランダーさん、ありがとうございました! 無事に姫を助けていただいて――って姫! 血まみれ! 無事じゃない!?」

 

 フィランダーは手を上げてその場から辞去した。


「では、イングリッドさん、俺はこれで。その怪我は授業料と思うしかないですね。あんたのところの姫は、まるで家畜化に抗うケモノだ。きっちり調教するか、手綱を離さないことだ――俺のところに来れば、きっともっとマシな女の子になれるでしょうがね」

「……はあ?」


 フィランダーは歩み去った。イングリッドは今にも倒れそうなリズィーを支えてくれた。


「姫! 少し目を離したらこれですか! わたくしが領主様に怒られます!」

「大丈夫ですよ、イングリッドさん。私がちゃんと説明します……」

「でもですね……」

「それに、私、ちょっと嬉しいんです。思う存分戦えたので」

「はい?」


 リズィーは笑った。


「それと同時に悔しい。あのフィランダーって人は――たぶん、私が十人くらい束になっても敵わないくらい強い。きっとあの人を超えることは一生ないんだろうなって思ってしまいました。身の丈を、知ってしまいました……」

「姫……?」

「だからついあんな生意気なことを。もしもう一度会うようなことがあれば謝らないと……」

「よく分からないですけど、怪我の手当てをさせてください! あああ、歯が折れてるじゃないですか……って、そこにあるのって人の頭ですか? あれ、人形かと思ったのに、まさか死体……」

「ははは。人の死体、初めて見ました」

「笑うようなことじゃないですよお……! フィランダーさんがやったんですか? うわあ……」


 二人は宿に向かった。その日は眠れなかった。死体を見たからではない。怪我が痛んだからでもない。戦いで昂奮していたというのも違う。


 フィランダーに言われた言葉。雑兵。身の丈を知れ。それが痛切に心に響いた。このまま成人を迎えていいのだろうか。稽古のし過ぎで死ぬかもしれないと思ったことは無数にある。これだけやってもまだ足りないのだろうか。いや、足りることなんてあるのだろうか。この出来損ないの器に何を詰め込もうとも、剣士として大成はできないのではないか……。


 苦しかった。剣評会で賞を貰った、その証である銅像が部屋の隅に置いてあった。丹念に磨かれ、金色に光り輝いている。

 あの輝きの何分の一でもいい、輝く瞬間があるのだろうか。剣士として、父に認められるような活躍ができるのだろうか。疑問符だらけの将来を自力でモノにするにはあとどれほど苦しめばいいのだろう。リズィーは左腕の肘に触れた。肘から先がない、このことを言い訳にしたくなかった。いや、言い訳にしたくともできないほどの差を思い知った。


 父はこの差をどのように埋めたのか。不具と蔑まされながらいかにして評価を得たのか。リズィーは苦悶しながらそれをずっと考えていた。







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