剣の血族(4)
若い頃は旅が好きだった。旅先で仕事を見つけてくることもよくあった。今でこそ評議会の権限で派遣先が決まる傭兵稼業も、当時は異なる氏族間での戦いも珍しくなかったし、制度的にも隙が多く、緩かった。実績の少ない若い頃だったので色々と無茶が出来たというのも大きい。
普通、傭兵と言えばその場限りの補助的な兵力であり、正規軍からは蔑まされたり疎まれたりするのが常だが、戦士の氏族においては違った。生まれついての戦士、当人のみが扱える強力無比な武器を携えた彼らは畏敬の念と共に迎えられることが多かった。
「えっ。オラフさんって、自分の武器がないんですか」
素っ頓狂な声を上げたのは、旅先で知り合った魔道士見習いのラディスラスだった。魔道士という職業への理解は深くはなかったが、摩訶不思議な術を行使する彼らを積極的に軍団に取り入れている国もあるという話は聞いている。
ラディスラスは師の命令で独り各国を遍歴している若者で、旅先の宿でたまたま同室となった。
「そうだ。だからこれはただの鉄剣だ」
「はえー……。戦士の氏族は全員特別な武器を使うと思っていました。そういう人もいるんですね」
「勉強になったか?」
戦士の氏族であると明かしてしまったがゆえに、オラフの武器が見たいとラディスラスがしつこく言うので、自分の秘密を話してしまった。本来ならぺらぺら喋るべき性質の事柄ではない。
「ええ。しかしオラフさんの噂は聞いていますよ。最近この一帯で山賊退治に精を出されたそうですね。たった一人で山賊団を潰滅させたとか」
「俺一人ではない。村の者の協力もあった」
「ご謙遜を。村を見てきましたがろくに弓も扱えない農民ばかりでしたよ。特別な武器がなくとも、凄まじい強さを誇るのですね。一度その戦いぶりを拝見したいところです」
「見て面白いことは何もないぞ」
「いえいえ、とんでもない。きっと戦士の強さは武器の優劣だけでは決まらないのでしょう。オラフさんは本物の戦士なのですね」
その言葉が無性に嬉しかった。何年か経って、ふとしたときその言葉を慰めに自分を奮い立たせたこともあった。剣の血族の中で微妙な立場にいるオラフには正直な感想というものが届きにくかった。門外漢のラディスラスの言葉だからこそ、心に残ったのだ。
二〇年ぶりに会ったラディスラスを一目見て、彼だとすぐに分かったのも、その辺りが原因だろう。彼はリズィーが剣評会を見物しに新都へ出かけた翌日、朝早くに館を訪れた。
「ラディスラス……? ラディスラスか」
たまたま門前で朝の散歩をしていたオラフが、彼の姿に気付いた。もし他の者が彼を最初に発見していたら、追い返していたかもしれない。なにせ彼はぼろぼろの道衣を着て、靴も履いていなかった。髪もぼさぼさで、髭も剃っていない。
「オラフ様……、まさか私のことを憶えておいでとは」
「俺自身驚きだが、お前のことははっきりと憶えている。こんなところで何をしている」
「あなたに会いに来たわけではないのです。しかし……、正直に言えば、あなたにこそ会いたかった」
よく分からない言い回しだった。オラフは不審に思いつつも、館の中を指し示した。
「とにかく中に入れ。何だそのみすぼらしい恰好は。湯浴みをしていくか?」
「結構です。それより、オラフ様、私の話を聞いてくださいませんか」
その眼差しの強固なこと。オラフはただ事ではないと察して、頷いた。
「分かった。誰にも聞かれたくない話か?」
「恐縮ながら……」
「応接間に――いや、俺の部屋に案内しよう。そこでなら落ち着いて話ができる」
「お心遣い感謝いたします」
オラフはラディスラスを連れて館の中に入った。使用人が何人か現れて怪訝そうに突然の客人を見たが、オラフは呼ぶまで俺の部屋に来るなと申し付けておいた。
オラフは自室にラディスラスを招いた。かの魔道士はきょろきょろと部屋の中を見渡した。
「そんなに剣士の部屋が珍しいか」
「いえ……。思ったよりもモノが多いですね。もっと殺風景かと」
「俗っぽい人間で悪かったな。まあ、座れ」
長椅子を指し示すと、ラディスラスはそこに腰を落ち着けた。そして小さく咳払いした。
「疲れているみたいだな。まだ旅を続けているのか」
「いえ、二〇年前に修行の旅は終わりました。オラフ様と会ってすぐ、見習いを卒業したんですよ」
「そうか。で、今はどこかに仕えているのか」
「最近までは」
オラフはラディスラスの陰のある表情に嫌な予感がした。
「職を失ったのか。ラディスラス」
「というより自ら棄てました。オラフ様、北方の島嶼地域で内乱が起こったことをご存知ですか。この辺りでは全く話題になっていないようですが」
「いや、知っている」
答えながらもオラフは動揺していた。ドウェインが持ってきた話がここで持ち出されるとは思っていなかった。ラディスラスの表情が明るくなる。
「ご存知でしたか。流石です。私は知己を頼りヘリンズ政府に召し抱えられたのですが、北方の島嶼地域で海賊被害が拡大し、その対策として傭兵を雇うこととなりました。法剣隊と銀弓隊といえば、戦士の血族の中でも随一の戦功と優秀さで有名です。彼らを無事に連れてくることができたときは安堵しました」
「待て、ラディスラス」
大体、ラディスラスの言いたいことが分かってしまったオラフは話を中断させた。魔道士は不思議そうな顔になった。
「どうしました」
「大体、事情は知っている。海賊征伐には成功したが、現地政府が住民を虐げ、内乱が起きた。その内乱には海賊の残党が加わっていて、征伐に関わった我々にも責任追及の矛が向かっている。内乱の鎮圧に手を貸さざるを得ない状況が出来上がってしまった……」
「そういうことです。私は政府に雇われている人間ですが、今回の件はあまりにも非道、政府高官に意見をしようにも一介の魔道士に過ぎない私の言葉では弱く――傭兵の方々を直接説得して回ったほうが即効性があると判断しまして」
「方々を駆けずり回っているというわけか」
「どうか御力を貸して頂けませんでしょうか」
オラフは黙り込んだ。返答は決まっていた。しかし藁にも縋る姿勢のラディスラスにこれを告げるのは少し勇気の要ることだった。
「……無理だ」
「オラフ様……」
「ついでに言えば、お前は即刻この国から出て行くべきだ。我々戦士の血族の仲間割れを扇動していると見做されても不思議ではない。命が危ないぞ」
「覚悟の上です」
オラフは懊悩した。これは危険だ。これ以上突っ込んで話を聞けば、知らぬふりをしているわけにもいかなくなる。追い返すだけならまだしも、場合によっては身柄を拘束する必要さえ出てくるかもしれない。
オラフはじっと魔道士の眼を見た。自分の行いが正義に属するものだと信じて疑わない真っ直ぐな瞳。この男、もう若者とは言えない年齢だろうに、青臭い。
「……しかし、もう手遅れではないのか。既に内乱のほとんどは鎮圧されたのだろう」
「島嶼地域には無数の拠点があります。海上のゲリラ戦ではけして政府軍には負けていませんよ。戦士の氏族の皆さんが加勢してしまうと、とても勝負にはなりませんが……」
ラディスラスは頭を下げた。
「兵を貸せと言っているわけではないのです、ただ手を出すな、と。要求はそれだけなのです。礼は致します」
「礼など……」
問題ではない。オラフが懸念しているのはこの身の破滅である。オラフとて小さいながらも領土を与えられたれっきとした領主、家臣や住民の生活を守護すべき立場にいるのだ。
「ラディスラス、お前のやっていることはヘリンズ政府への裏切りだろう。お前は自分が可愛くはないのか」
「現地民の苦しみと比べれば私の労苦など。それに勝算はあるのです。理想を言えば戦士の血族の皆さんの力を少しでも借りることができれば、政府軍に決定的な打撃を与えられる知略があるのですが」
オラフはそれを聞く気にもなれなかった。話があまり大きくなっていないということは、それほど大きな内乱ではないのだろう。こちらから積極的に関わろうとしなければ無視できるようなことだ。
「ラディスラス……、悪いが、俺はここで何も聞かなかったことにする。そしてお前はヘリンズに帰れ」
「オラフ様……」
「期待に沿えず、申し訳ないがな。仮に俺が協力する気になったとしても、俺は氏族の中でもそれほど発言力があるわけではない。どうにもできなかったと思う」
「いえ。……この話を他言しないで頂けるなら、それだけでありがたい。早朝から血腥い話を、失礼致しました」
ラディスラスは立ち上がった。
「追い返すようで、悪いが……」
「いえ。気にしていませんよ。御忠告に従ってそろそろ国に帰ろうと思います。そろそろ期限が迫っていますしね……」
期限。それが何なのか少しだけ気になったものの、これ以上話をしたくなかった。そのまま彼を見送った。
部屋の外では使用人が待機していた。盗み聞きしていた気配はなかった。きっともてなす準備をしていたのだろう。しかしラディスラスのみすぼらしい恰好に驚いたようだった。
「お構いなく」
ラディスラスは辞去した。門前まで見送ったが、彼は一度も振り返らなかった。
「お前ら、奴が来たことは他言するな」
オラフは使用人たちにそう厳命した。使用人たちはきょとんとしていた。
「奴のことは迷い猫か何かだと思っておけ。いいな」
オラフの静かな威厳に、使用人たちは萎縮しつつも頷いた。落ち着かない一日になった。朝がこうなると、もう何も手がつかなくなる。ほんの少しだけラディスラスが恨めしかった。
最近は戦場に出ていない。若い剣士を送り出すことはあっても自ら出陣するような立場ではなくなったのだ。
暇、というのとは違う。もどかしい。この力が有り余る躰を上手く宥める場が欲しかった。オラフと模擬戦を行ってくれるような者も領内には希少だった。
数日後、剣評会でリズィーが部門別の演武にて優秀賞を取ったことを知った。使用人たちが嬉しそうに報告しにきたのだ。
あれだけ研鑽を積めば当然のことかもしれないが、少々驚きだった。隻腕でも評価が落ちることはなかったのか。あるいはよほど彼女の実力が図抜けていたか。
「さすが姫ですね、領主様!」
いつになく気安く話しかけてくる使用人たち。そんなに嬉しいのか。それに姫などと。
「これは歓迎しなければなりませんよ。こんなにおめでたいことは滅多にありません!」
彼らは歓迎会をする許可を求めていた。オラフは了承したが、ほどほどにしておけと忠告しておいた。あの娘はそういうことを毛嫌いしそうだ。
オラフは剣評会に出たことがなかった。その資格がなかった。もちろん剣評会での入賞が今後の活動をする上で箔になるというのは知識としてあったが、こんなにも歓迎されるものなのだなと、自らの使用人たちを見ていて実感した。
オラフは騒ぎの中から這い出して、稽古場に向かった。
娘の血と汗が染み着いたその部屋に独り立つ。自然と木剣を握る気になった。
まさか、リズィー。剣評会でちやほやされる為に、この場所で地獄のような稽古を続けていたわけではあるまい。
この館に帰ってきたとき、娘がどのように振る舞うのか興味があった。あまり彼女の感情が発露するところを見たことがなかった。
それを考えるくらいには娘のことを大事に思っているということなんだろうか。ここで娘を剣で殴りつけたことが何度あっただろう。
「私には剣しかありません」
そう話すリズィーを恐ろしく思うと同時に、見てみたい気もする。彼女がどこを目指し、どこに辿り着くのかを。単純な剣の技倆ではそれほど図抜けたものはない。ただ、言葉にし難い気迫のようなものがある。剣士としての器というか、格というか、そういったふとすると親バカの意見として処理されてしまうような曖昧な部分に、輝くものを感じることがある。
更に数日後、リズィーが帰還した。姫が何も話そうとしないので、使用人たちは同道したイングリッドに話を聞こうと殺到した。
しかし本来お喋りのはずのイングリッドまでもが、口が重かった。さすがにオラフがそれとなく尋ねると話し始めた。
口が重かった理由が最初は分からなかった。前夜祭を満喫し、リズィーの演武での動きを絶賛され、様々な血族の多様な武器の演武を見学した。その話のどこに話し難い要素があったのか。
しかしイングリッドの作ったような笑顔を見て、大方を察することができた。
「……イングリッド。後で俺の部屋に一人で来い」
「えっ。あの……、それは、わたくしのような者を……?」
イングリッドがまた誤解しているようだったので、訂正しようとした。しかしその隙もなくリズィーが、
「父上、私がお話します。夕食の後で伺います」
リズィーは無表情にそう言った。オラフは頷いた。
「……そうか」
リズィーは凛としてオラフを見つめていた。覚悟を定めたその顔に、いったい何を見てきたのか興味が湧いた。