2.『ミラ・ガルマを抜けて』
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都市『エルタナ』のルルドルフの事務所を出て、マリアはずんずんと東側出口に向かってゆく。人と魔物達が成す人混みの間をすり抜け、それはもう威風堂々と、何の迷いも無く進んでいく。
そんなマリアにルルドルフが追いついたのは、東側出口の大きな門の前である。追いついたルルドルフはマリアの腕を引っ張ってマリアの歩みを止めた。
「おい、マリア!!」
「何よ、早速出発よ、仕事のキャンセルは認めないわよ」
「そうじゃなくて!いきなり火山地帯に足を踏み入れるのは危険だろ!情報を集めないで行くつもりか!?」
「そのための貴方じゃない、キッチリ仕事してもらうわよ」
ルルドルフはそっとマリアの腕を離し、ため息をついた。その様子を見てマリアは顔をしかめた。
「流石の俺でも、昨日今日の火山の状況がわかるわけじゃない……ギンヌンガガップ火神山は天候の変化も激しい、下手に足を踏み入れたら命を落とすぞ」
段々と表情が普通になって、マリアはなるほど、と呟いた。
「……そう、ね。ルドも神様ってわけじゃないよね」
決まってるだろ、とルルドルフは呟いて腰に手を当てる。
「ねぇルド?情報を集めるって言ったけど、貴方以外にこの街で情報屋をしてる人っているの?」
「ギンヌンガガップ火神山は、麓には登山道があるんだ。そこは北の国スノウ・ウッドとここエルタナを繋ぐ安全な道路で、そこを通ってエルタナにやってきた商人達なら火山の状況もわかるだろう」
「そうね、尚且つ昨日今日エルタナを訪れた商人なら詳しい状況もわかる……それじゃあ早速商業区へ向かいましょう」
そう言うとマリアは東側出口の門から周れ右をし、早歩きで歩き始めた。
「あ、おい!マリア!……ったく!」
ルルドルフは、マリアを見失わず後を追うのに必死だった。
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エルタナの中心、そこは商業区と呼ばれ世界各国から集まった商人達の商売をするバザールである。このバザールは契約書にサインをすれば誰でも営業をする事が出来るが、基本的には傷薬やマジックアイテム、珍しい魔道書や武器を取り揃える商人達の独壇場となっている。
「はぁ……はぁ……くそ、マリアめ、何処行ったんだよまったく……」
普段から運動不足のルルドルフは商業区の入り口で膝に手をつき、荒れた呼吸を整えている。少し時間が経過してから顔を上げると、そこには人人人人……まさに人間と魔物が成す海である。この中からあのおてんば勇者を探すとなると骨が折れそうだ。
とりあえず商業区に入り、周りを見渡すと……大きな赤肌のオークが経営する商店に、すっかり見慣れた赤髪の女性、マリアが居た。
「ねえ、一つ聞きたい事があるんだけど」
「なんだ?」
優しそうな顔つきと言うか、ニコニコと人当たりの良さそうなオークがマリアの問いかけに答えている。ルルドルフは様子を見る事にした。
「貴方、何処からやってきた商人さん?」
「オレっちか?スノウ・ウッドのオウカ・ブルム商店から、新鮮な氷と雪下薬草のポーションを売りにきただ」
「それならギンヌンガガップ登山道を通ってここに来た事になるのかしら?」
「そうだ、全くこっちの国は暑くてたまらんわい!」
がっはっは、と大口を開けて笑うオークに、クスリと乙女っぽく微笑むマリア。
「それで……えっと、商人さん、私、これからギンヌンガガップ火神山に向かうのだけれど……その時の状況でいいの、教えてもらえないかしら?」
「あぁいいぜ!オレっちが登山道を通ったのはつ2時間前の事なんだけどよ、いつになく穏やかな気候で、これ以上はないんじゃないかってくらい良い天気で平和だっただ、だけど……」
そこまで言うと、オークの商人は口を開くのを躊躇った。
「だけど?」
「よくわからねぇんだがよ、嫌な予感がしたんだわ。周りに居た人間の商人達は何とも思ってない様子だったけんど、オレっち背筋がゾゾッとしただ」
「どういう意味?」
「わからねえ、とにかくいやーな感じだっただ。登山道の番人のエルフの姉ちゃんも嫌な感じがするって言ってたから、気をつけたほうがいいだど」
「嫌な感じ、……わかった、ありがとうございました、それでは」
「おう!毎度有り~……にしても、何処かで見たことある顔だ……」
オークの商人に背を向けて歩き出した所で、マリアはルルドルフの存在に気づいて歩み寄ってきた。
「ルド!情報が手に入ったわよ!」
「あぁ、聞いてた……嫌な予感か……それは、向こうに到着してみないとわからないな」
「それじゃ早速向かいましょう!」
「そうだな、あーでもマリア、せめて俺が追いつける速度で歩いてくれ……」
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都市エルタナの東に位置する『ミラ・ガルマ草原』は一年中暖かい気候に恵まれ、自然が豊かな草原である。ここは北国スノウ・ウッドから来る観光客や商人が行き来する道路でもあり、数々の自然を見るために各地の人間や魔物達が訪れる。
「ねぇルド、貴方はどう思う?」
「んぁ?」
歩きながら地図と睨めっこしていたルルドルフが顔を上げ、マリアの方を向く。
「どう思うってのは、嫌な予感の事か?」
「そう、私はよくわからないけど……何か目星はある?」
「俺もまだ推測の域でしかないが……【緊張感】じゃないかと思うんだが……」
感情系統魔法の入門魔法であるプレッシャーは、術者からその周辺に存在する人間と魔物に緊張感を与える魔法である。これにより戦闘で相手に緊張感を持たせ、思う行動が取りづらくなる。
「でも……緊張感は魔物達にしか伝わってなかった……魔法なら、人間にも伝わるはずなのに……どうしてだろう」
マリアがそういうと、同じくルルドルフも顎に手を当てる。
「とりあえず今は進みましょう、考えてても仕方のない事だってあるわよ」
「それもそうだな……」
2人が歩き始めようとしたその時、エルタナの方角からパカラパカラと小気味のいい音が聞こえてくる。その音は段々と大きくなり、一台の馬車が姿を現した。黒くて大きな馬2頭がこれまた大きな馬車を引っ張り走っている。マリアとルルドルフの存在に気づいた馭者は馬を止め、ちょうど2人の前で止まった。馭者は気前のよさそうな若い男性だ。
「そこのお二人さん!どちらに行くんだい?」
「私達はギンヌンガガップ登山道へ行くんです」
「そうかい!この便はスノウ・ウッドまで行くんだが……途中下車もできるぜ!よかったら乗ってくかい?」
「馭者よ、乗車賃はいくらくらいだ?」
ルルドルフが言うと、馭者も笑顔で答える。
「大特価の2人で4コルトだ!乗ってくかい?」
マリアはルルドルフを見る、ルルドルフはマリアの意図を汲み取り頷いた。
「よし決まりだな!それじゃ早速乗り込んでくんな!」
馬車に2人が乗り込んだ事を確認すると、馬は高らかに前足を上げ、走り始める。馬車の中もガタガタと揺れて安定しない。
「きゃー涼しい!風が気持ちいいー!」
「今日は最高の天気だな、風も涼しいし天気もいいし」
マリアは立ち上がり、両腕を広げて全身で風を感じている。ルルドルフは馬車の椅子に座ってそれを眺めていた。
「ねぇ、そういえばルドって歳いくつなの?」
「あぁ?俺か?そうだなぁ……いくつに見える?」
うーん、と唸り考えるマリア、そんな考えるほどの事か?ともルルドルフは言いかけたがグッと言葉を飲み込んだ。
「20歳後半くらい?」
「バカヤロウ、俺はまだ19だ」
えーっ!?と驚愕を隠せず大声を出すマリア。
「うそ、それじゃあ私と3つしか変わらないの!?」
「そうだ、俺はまだ成人もしてねえんだぞ?よく老け顔って言われるけどよ」
「部屋に篭もりすぎなのよ、きっと」
「うるせえ」
ルルドルフがそう言うと、マリアはコロコロと笑った。
「私、貴方の事気に入ったわ」
「……そりゃどうも」
その時、ガッタン!と大きな音を立てて馬車が急停車した。
「うおぁ!?」
「きゃっ!」
突然の事にバランスを崩した2人が、馬車の床に倒れこむ。
「何事!?」
マリアはそういうと馬車を飛び出していった、起き上がって頭を抱えていたルルドルフも恐る恐る馬車の外に出た。
「ゴ、ゴブリンだぁ!」
人間の腰あたりほどの小さい身長、剥き出しのキバからは彼らの凶暴性が十分に伺える。蛮族とも言われる彼らゴブリンは、人間の言葉が通じない危険な魔物の一種である。ゴブリン達はこうして、2,3匹のグループで馬車や商人達を襲い荷物を奪ってゆく。ゴブリンの数は2匹、一匹は馭者を真っ直ぐ見据えている。
「ぎゃあっ!」
ゴブリンが高く跳躍し、馭者に向かって棍棒を振り下ろす。刹那、ゴブリンは吹き飛んだ。馭者は馬車の方を見ると降り立ったマリアがいた。マリアの手から天に向かって煙が立ち込めている。マリアが放った【射撃】系統の中級魔法【垂直閃光】はゴブリンに十分なダメージを与えた。
「早く安全な所へ!」
「あ、ありがとう!」
馭者が馬車に隠れた事を確認すると、マリアは腰の剣を抜き放つ。細い刀身は突く事を特化したレイピアである、斬る事も出来るが突きの方が攻撃力があり、繊細な戦いが出来る。マリアはもう一匹のゴブリンを捉え跳んだ、レイピアを真っ直ぐ構えて繰り出す強烈な突きはゴブリンを貫いた。貫かれたゴブリンは地面に倒れ、オレンジ色のガラス片のように砕け散った。バーチカルボルトの直撃を受けたゴブリンは起き上がり、森の中に逃げていった。
「なるほどね」
「!?」
馬車の影から現れたルルドルフがマリアに声をかけたが、マリアは一瞬虚を突かれたと思いルルドルフにレイピアを向ける。……が、すぐに下ろしてレイピアを鞘に収めた。
「強いな、マリアは」
「どうも」
「いやぁ~~驚いた!何処かで見たことある顔だと思ってたけどお姉さん、勇者マリアじゃねえか!?」
馬車の奥から顔を出した馭者が、マリアを見てそう言った。
「あ、はい……そうです」
「こりゃ驚いた!本物をこの眼で崇める時が来たとは!」
「あの……すまないが、俺達急いでるんで……」
「おおっとすまねえ、さぁ乗りなお二人さん。もうすぐ登山道に到着だ!」
東の空を見ると、黒く大きな山が何十にも連なり、その中でも一際大きい山をルルドルフとマリアは見つめた。
「あれが……」
緊張を隠せないマリアを見て、ルルドルフも思わず固唾を飲み込む。
「あぁ、ギンヌンガガップ火神山だ」
火山はもうすぐそこまで迫っていた。