謎の女性、マダムK
オキャーマ南部第2の都市、グラシキ。都市部には古代の遺構が残り観光で栄え、セトナイ海に面するミズシマ臨海地帯には大企業のプラント群が立ち並ぶ、二面性を持つ街である。そのため、税収ではオキャーマシティを凌ぐとさえ言われている、非常に繁栄している街である。
ミキを乗せた車はグラシキの街外れにあるマンションへとたどり着いた。
「マダムKが、お前に会いたいと言っている」
「そうなんじゃ。そりゃあ助けてくれた礼を言わんとなあ」
「その前に、そいつを渡してもらおうか」
ミキは男に、マガジンを抜いた拳銃を渡した。
「弾は預かっとくで。後ろからズドンとやられたら嫌じゃけえ」
マンションの一階は南側がガラス張りになっていて、真夜中なのに灯りがこうこうと点いているのが外から見ても分かる。
「マダムにくれぐれも失礼の無いようにな」
男はミキに念を押すと、部屋のドアをノックした。
「マダム、連れて参りました」
「お入りなさい」
男がドアを開けると、そこはフロア一面をぶち抜いたダンススタジオであった。そしてその奥には、シックな黒い服に身を包んだ、細身の上品な中年女性がソファーに腰掛け、長いシガレットホルダーでこれまた長い煙草をくゆらせている。
「ようこそ、お会いしたかったわ!『青い稲妻』」
シガレットホルダーを置き、ソファーから立ち上がったマダムと呼ばれていた中年女性は、ミキに抱きつかんばかりの勢いで駆け寄る。
「噂には聞いていたけど、これだけのルックスなら間違いなく通用するわね」
「憲兵隊から助けてもろうた事には礼を言うけえど、あんたは一体何のつもりでこんな真似を?」
ミキが中年女性を睨みつけると、
「それは追々お話しますから……ダイ君、ミキさんにシャンパンをお持ちして!」
中年女性の命じるまま、ダイ君と呼ばれたさっきの男が、むっつりとした表情でシャンパンとグラスを持って来る。
ミキがシャンパンのラベルを見ると、ミキの働いていた店では到底置いていないような、高級銘柄であった。
「軍の上層部には話を付けたから、もう憲兵隊の事は心配しなくていいのよ、さあ、乾杯しましょ!」
酒が入ると、マダムKはいきなり饒舌になった。しばしの世間話の後で、
「……実は私、S機関の責任者なの、ミキさんもS機関のことは聞いたことがあるでしょ?」
「S機関……なんなら、あんたスパイか?スパイの親玉が、ワイに何の用なら」
ミキもS機関の名前は、軍人時代に聞いていた。なんでも軍のスパイの仕事を専門に下請けしている機関らしく、ミキが作戦で使用していた地図等のデータの中にも、S機関から提供されたものが数多くあったと聞いている。
「実は今回、うちではAAを使った傭兵部隊養成の仕事を落札しちゃったんだけど、うちはスパイ専門でやってきたから、実戦部隊の経験者がいなくって……そこで、
南軍の英雄『青い稲妻』のミキさんを私達の実戦部隊のリーダーとして招きたくて、ここまで来てもらったのよ」
「……要は、ワイをまた戦場に送りてえ言う事じゃな、そういう相談ならお断りじゃ」
ミキがいら立ちまぎれに吐き捨てると、
「それは半分正解で、半分外れ」
「何が言いてえんなら?」
「ミキさんには、戦闘に参加するかたわらで『慰問団』をやってもらいたいのよ」
ミキはそれを聞いて更に怒りに火が付いた。
「慰安婦になれじゃと!ワイは夜の女にはなったけえど、酒は売っても身体はいっぺんたりと売った事はねえわ!」
「ミキさん、『慰安婦』じゃなくて『慰問団』よ」
マダムKが深いため息を付く。
「ミキさんには、もちろん戦場で戦ってもらうけど、それはあくまで裏の顔。表の稼業としてまっとうな歌手をやってもらって、前線の兵士を励ましてもらおう、と言ってるの」
「なんでまたそんなやっちもねえ事を?」
「うちはスパイの機関だからね。スパイってのはみんな世を忍ぶ表稼業を持っているものなの、あなた達には、表稼業として旅芸人をやってもらうというわけ」
「せえでも、ワイが歌うとうても、たかが知れとるで?」
「何言ってるの、ミキさんは酒場で働いていたから、歌もダンスも人並み以上に出来るのは調査済みよ」
「でも、ワイはもう年じゃし、今から歌手ちゅうのは……」
「いやいや、ミキさんにはその経験を生かしてもらって、若い子達のグループのリーダーになってもらいたいの!」
「若え子に混じって唄えて、ごじゃあ言うなや!」
「それともこのまま、夜の女で一生を終わる気なの?」
マダムKの言葉に、ミキは一瞬戸惑いの表情を見せた。
「この戦争もいつかは終わる。いや、終わらせないといけない。ミキさんには傭兵と歌手の二足のわらじを履いてもらって、この戦争を一日も早く終わらせるため、協力して欲しいの」
「都合のええ事を……。」
「もちろん、戦闘の報酬は支払うし、歌手としてのギャラもそれとは別に出すつもりだし、戦争が終わったらミキさん達には歌手に専念してもらって、正業を持って働いてもらおうと思っているのよ」
ミキはシャンパングラスを鷲掴みにし、グイッとシャンパンを飲み干した後、
「……一晩、考えさせてもらえんかのう?」
「ええ、ミキさんにはお部屋を用意してあるから、今夜はそこでゆっくり考えてお休みなさいな」
マダムKは自信ありげな笑みを浮かべ、ダイ君と呼ばれた仏頂面の男にミキを寝室へと案内させた。