人と鬼と桜/弐
家を出てから一人であることを確認。
懐から携帯端末の音楽プレイヤーを取り出して、両耳にイヤフォンをセットして再生する。
流れてる曲に歌声はなく、ギターとベースにドラムと基本の三パートだけで構成された演奏のみが聴こえてくるのは、そういうジャンルではなく、いわゆる作りこみ状態だからだ。
シーケンサーと呼ばれる機器を使い、デジタル楽器を選択し、演奏させる。
打ち込みなんて呼ばれることも多く、もっぱら一人で作曲作業するときなんかは欠かせない。
そうして作りこんだ曲をパソコンに移して、今度は音楽プレイヤーに保存する。
作りこんでいると、やっぱり耳元から聴こえる微妙な音っていうのが重要だったりして。そんな個人的なこだわりで、作った曲を何度も聴き込んで微調整を重ねていくのだ。
今聴いてるのは、アコギとピアノのイントロから一転してハードロックな展開に広がっていく予定の曲である。
仮タイトルは 〝キミはいま何処へ?〟
普段はタイトルとか歌詞とか最後につけるクセに今回作りこんでいる曲に関してはどうにも、歌詞が先行してきてしまったせいで難航しているのも事実なんだけど、終わり方が出来てしまっているせいでなんとしても完成させたいのだ。
最近は引越しの片付けやらなんやらで、聴く時間をあまり割けなかったけれど、ちょっとした時間を見つけては音楽を聴く癖が根付いている。
かき消されていくようなギターの余韻と悲痛な叫びを歌声に乗せていくイメージ。
……イメージなんだけど。
……嗚呼、難しい。
表に出さないように頭の中でメロディを口ずさみながら、周囲に目を配ると春の陽射しと空気が心地良い。
眼下に広がる坂道の先には、薄桃色の桜が見渡す限りどこまでも咲き乱れていた。
蓮花台はいわば桜の名所だ。
中心部には公園と呼ぶには広大すぎる桜ヶ丘公園。
大洞市から隣町まで東西南北へと街を繋ぐサイクリングロードのおかげで桜が枯れようとも、人が絶えず公園を行き来する。
広すぎる事に関しては問題はあるが、その分土地を覚えるのも楽でいい。
桜ヶ丘公園を中心に北が高級住宅街。西には隣町を結ぶ蓮花台の駅があり、アーケードを中心に数々の店もある。
対して東に今日から通う学園以外にも幼稚園から大学まで存在していて。南は俺が住む家があるように一般人が住む街並が広がるわけだ。
桜ヶ丘公園が広すぎる、という難点以外にもう一つ難点があるとすればそれは公園の中心に向かえば向かうほど坂道が急になる。
──そう。公園は低地にあり、そこから広がる道は全て上がり坂なのだ。
今回の引越しが最後。この坂道を少なくとも卒業するまでの二年は最低通わなければいけない。
春である今はよくても冬になればその坂道でスキーも出来てしまうのではないだろうか。
もっとも上がる為のリフトなんて存在しない。バイト代も貯まれば本格的に二輪免許を取るか真剣に考えておこう。
そうして歩けど歩けど、学校はおろか、ずっと変わらぬまま続く桜の樹海に迷い込んだ気にもなる。登校初日にして公園にたどり着くまでに数分。軽く息が乱れているのが自分でもわかっていた。
ああ、運動不足なのは否めない。
バス通学も考えたが、我が家は母子家庭でありながらペットが三匹もいるので決して楽な生活とはいえない。
肝心のバイトも今月は引越しのために数日休んでるので給料に大きく響いている。
節約できるならばなんでもする。その為には『徒歩』から始めるのは基本中の基本だ。
そうして公園前の信号付近に差し掛かると、曲の構成から聴こえる音ではない、違和感──いや不純物のような音がどこからか聴こえてきた気がした。片方のイヤフォンを取り外して、周囲を見渡すと数台の暴走バイクがけたたましい轟音を唸らせながら、暴走車はものすごい速さで近づいてくる。
あまり揉め事は起こさないようにと釘刺されてる俺としては関わりのないように、出来る限り赤の他人を決め込む。
「我関せず我関せず」
──と内心呟いて。
早く赤信号が青に切り替わらないかなと待ち続ける。
数台の暴走車は先頭車が止まったのに合わせて残りも律儀に赤信号で停止していた。
遠くから聞こえてくるパトカーのサイレン。
ああなるほど。追跡者を待ち構えてる状態ってわけだ。
免許取ろうかなと考えてるので、当然バイクにまったく興味がないわけじゃない。
まるでスタート直前のレーサーのような気分で彼らはエンジンを何度も吹かしていた。
車種はよくわからないけれど。四百CCのエンジン音は相当なモノだ。ましてマフラーを意図的に交換。いや全体的に改造したそれはモンスターと呼ぶに相応しいかもしれない。
そのモンスターを飼いならす持ち主の見た目は流れるような長い赤髪に真っ黒のサングラス。ヘルメットも被らずにいる尖った顔立ちは整っていて。男の俺からみても美形だと思う。なんというかヴィジュアル系のボーカルっぽい、そんなイメージ。
……と自分で言っておいて、どこかで見たことあるような気がする。そんな相手が俺に振り向いて尋ねてきた。
「──キミROCK好きかい?」
まるで囁くように語りかけてきた言葉の中に芯の通った低い声。俺のイヤフォンを指でとんとんと示すように、どのジャンルに興味あるのかと訊かれたのだった。
「ROCKが一番。これは譲れない」
訊かれたら答えるしかない。
答えていて俺の莫迦と思う一方で。
音楽好きとゲーム好きに悪い人はいないってのが俺のもう一つの自論。誰にだってそういうモノがあるだろう?
もちろんメロディアスなバラードも嫌いじゃない。
他のジャンルを否定するわけじゃないけれど。
心を揺さぶり全身を躍動させ、毛穴という毛穴から体毛を逆撫でし。
心揺さぶるのはROCK以外にありえない。
俺の解答に満足したのか、そいつは口元の端をわずかに上げて笑った気がした。
「相性最高だ」
言葉をかき消すように、更にエンジンを吹かし、爆音を轟かせ続けた。
一見すると……騒音以外のなんでもないハズなのに。小刻みに、時に大胆に。その流れていくようなリズムはまるでパワフルなドラムか力強いベースのように、みぞおちに突き刺さる。
それは即興によるジャムセッションって言っても過言じゃなかった。
「六道さん」
「来たかい?」
連中の一人が先頭の男に話しかける。
サイレンを鳴らしたパトカーがもはや数十メートルの距離まで近づいていたからだ。
「キミとはまた近いうちに逢える気がするよ。楽器演奏んだろう」
サングラス越しなので視線があったとは思えないけれど。確かにこの男は俺を見てそう呟いた。
音楽をやる人間同士の繋がりってのは、広いようで狭い。上手いヤツは宣伝なんてしなくても、その技術で知名度を上げていくし。あとはなんというか──そう惹きつける何かを持つ人ってのは、自然と名を耳にすることも多かったりする。
そんな俺の沈黙に男は納得したのか。
赤から青に切り替わった信号を皮切りに一斉に暴走連中がスタートしていった。
車道規則なんて気にせず、F1のように誰も彼もが一番を目指して消えていくその姿に、学校に向かう者や近所に住む人たちが、迷惑そうに、少し脅えながら佇んでいた。
……っていうか、つい関わってしまってるじゃないか。俺の莫迦。
誰に聞こえるわけでもなく、頭を掻きながら少しばかりの後悔をするのであった。
──そうして。
あれから十分ほど更に歩いて、ようやく今日から通うことになる蓮花台高等学園にたどり着く。
校門を抜けた先で持参した上履きに履き替える。外靴はとりあえず来客用に閉まっておいた。
転入組みである俺は職員室へ行かなくてはならない職員室のある三階へと上がっていく。
場所は以前にも手続きで来ているので、うろ覚えながら、三階の廊下を進むとそれらしいところで数少ない顔見知りであるちょこ姉の姿を見た。
肝心のちょこ姉は──というと、周囲から好奇の目で見られているのを内心ウザがってるに違いない。なんせ目が据わるからな。
まあこれも転入組みの定めと思って諦めてもらうしかない。
「ちょこ姉。待機中?」
「遅かったなタツ。いま担任を呼び出して貰ってるところだ」
言うや否や開かれた扉から白髪混じりの年配者の姿を現した。
髪は見事なまでのオールバックに。整えられた白髭に額の皺と、男の俺からでも見上げるような高身長は大人の貫禄すらある。
ああ、手続きの時にもお会いした気がした。
「すみません古都さん。担任の渋川先生がまだ到着してないそうで……おや、そちらは蓮白くんですね。おはようございます」
年配者とは思えないほど、一字一句はっきりと聞こえる話し方と渋い声で挨拶されて。
おはようございます──と、こちらもお辞儀で返す。
「ええっと、担任の……先生ですよね?」
「諏訪野です。今日から一年よろしくお願いしますね。お姉さんの担任の先生も、そろそろお着きになると思いますので中で待っていてください」
「──ハイ」
諏訪野先生に催促され、職員室へと入っていくちょこ姉。
「蓮白くんは、そろそろクラス委員の方がお見えになるはずですが……ああ、丁度来ましたね」
先生がそういうと、丁度階段を上りきった一人の女生徒がこちらへ歩み寄ってくる。
艶さえ輪が出来るほどの黒いショートヘアは、真ん中を境にきっちり分けられていて。歩調に合わせてそのふんわりした感じが、揺れ動く。
色白とまでいかなくても、程好い肌の質感と、わずかに頬が桜色を連想させていて。大きな目元とにんまりとした表情と相まって、活発そうな感じだなというそれが第一印象だった。
「ひつじちゃん来たよ~って、この男の子かな?」
「ええそうです」
「そかそか」
もう対面してるのに、彼女ははねた髪の毛がないか、手で何度か押さえ、首下の緑色のスクールネクタイを整え、軽く咳払い。
「初めまして松永真理でっす。いちおクラス委員長なので解らない事があったらドンドン訊いてね」
敬礼するように手のひらを頭に当てて自己紹介する松永のトーンは明るく、本人に合ってるなと思った。
「えっと──蓮白龍。あとで黒板にでも書くから字はそんときにでも。一年間よろしくな」
差し出す右手に、わおっ──と軽くおどけた彼女は俺の手を掴むとぶんぶん上下に振り回す。
「なんだかあ女の子慣れしてる?」
「いいっ──? いやあ上に姉貴いるからかな」
職員室の奥の黒ソファに座ってるちょこ姉を軽く指差す。
当の本人は気だるそうに手をひらひらさせていた。
「転入早々、乱痴気騒ぎ女性問題で事を起こすなよタツ」
「人聞き悪いこと言わないでくれよっ」
「あはは」
俺とちょこ姉の何が面白かったのか、松永は笑って俺たちに合わせるかのように、言葉を紡ぐ。
「大丈夫でっすお姉さん。わたしが責任持ってきちんと監視しますから。それでひつじちゃん……おっと。諏訪野先生もお姉さんもこれにて失礼しま~す」
「蓮白くんのことお願いしますね」
「らじゃらじゃ」
誰が相手でも物怖じしない松永の性格に少しだけ救われる。こう見えてちょこ姉は勘違いされやすいからな。俺の方も軽く礼をして、彼女に着いていく。
階段を下りて二階の踊り場で、一度歩みを止めた松永から話しかけられる。
「ねね。お姉さんから『タツ』って呼ばれてるけど、どうしてかな?」
「ああ──龍って書くんだけど。タツとも読めるだろう? りゅうって微妙に呼びづらいみたいで。姉貴からはタツって呼ばれてるだけ」
なるほどなるほど、と二回口にして納得してる松永に説明する。
どうやら言葉を復唱するのは松永の癖のようだ。
「それじゃあだ名はたっくんかな。それともかわいい系の方がいい?
りゅうりゅう、とか」
これでも男なんで、かわいい扱いされてもあんまり嬉しくないんだが。正直なんと呼ばれてもいい。昔馴染みの先輩にもいろいろ呼ばれてるしな。
「好きに呼んでいいよ」
俺の返答ににんまりと頬を緩ませると彼女の歩く早さが気持ち加速した気がする。
そこで何かを思い出したかのように、くるりと踵を返すと松永はある提案をしてきた。
「あ~……、えとね初日からお願いするのもなんだけど。新学期始まってるのにクラスにまだ馴染めてない子がいるんだよね。わざと人を遠ざけてるっていうか。委員長としての立場もあるけど。あ、その子って女の子でね。同性としても個人的にもなんとなく放っておけなくてね?
もし良かったら転入生の特権ってことで、それとなく接してあげてくれないかな。女の子で美人さんだし。役得ってことで。ね、ね?」
両手でお願いの仕草をしてくる彼女は歳相応で。媚びるわけでもなく、無理強いするわけでもないその態度にクラス委員長ってのも、なるほど合点がいく。
「男の俺で役立つとは思えないけど、出来る範囲でならいいよ。今年一年はクラスでやっていくわけだしな」
「へっへ~ん。はしろくん──おっと、たっくんは良い人だということが今の態度でも解りました。クラスの女の子にもさりげなくアピールしといて、あ・げ・る」
人差し指を口元に当てて。小悪魔的に片目だけウインクする。それは嬉しい出来事かどうなのか微妙だけど。俺は自分のクラスである教室へと松永に案内されながら向かっていった。
「その、馴染めない子ってどんな感じ?」
「う~んとねぇ。壁っていう壁を作っちゃってるんだけど。話しかければ答えてくれることもあるよ。でも──わたしには無関心ってオーラ放っちゃってるの。そのくせ、寂しげな雰囲気だされるとさ。やっぱり人としては放っておけないじゃない?」
敷居高いなあと思わざるをえない。
それでも松永が言うのも事実であって、性格もあってか、気になるんだろうな。
「松永ってもしかして諦め悪い?」
「ああっ! そういうこと言っちゃう? そうよわたしは諦めの悪い女よ。同じクラスになったこと彼女に後悔させてあげるんだから」
そんな彼女の返事に、俺と松永は顔を見合わせ笑い合う。
周囲は何事かと俺たちに視線を配っていた。
「……そう。放っておけないよ」
笑いあった先ほどとはうって変わって少しだけ意味深に。
呟いた言葉に返事してはいけない気がした俺はというと、黙って見守った。
歩みを止めたのは廊下の最奥である2-Eと書かれた教室。そのすぐ近くには談話するための大き目のテーブルと椅子が置かれていた。
「たっくんはそこで待っててね。ひつじちゃん来たら呼ばれると思うから。それじゃあまた後でね」
ただいまあ、と扉を開けて教室へと戻っていく松永を見届けて。
あまり目立ちたくない俺は外を椅子へと腰掛け、一人廊下の窓から外を眺めていた。
二階の窓から見える風景はグラウンドへと続く道と少し離れたところに小さな丘があった。きっとスポーツが行われる際には生徒でごった返しになるであることが予測される。
小さな桜並木が丘の頂上へと続き、天辺には長い年月を掛けて育った樹齢数百年の桜がそびえ立っていた。
蓮花台はどこもかしこも桜尽くしだけど、この学園も、それにあやかるように桜を象徴していた。
外の景色を眺めていると、どことなくやるせない気持ちが込みあげてくる。
通学していた先ほどまでは綺麗だな、なんて思っていたのに、おかしいな。
それと同時に──頭の中に浮かび上がるいくつかの映像と聞き覚えのある声がフラッシュバックしていく。
〝──ら、──して〟
〝必ず──、──出す〟
〝あなた──変わってるわ〟
眩暈のように、視界が暗転して。
まるで全力疾走した後のように、心臓はばくばくと激しく脈打っていた。
最後に耳にした言葉……いや、声には覚えがある。
どこか冷たく、それでいて凛としたその声に……俺は……?
「──くん。蓮白くん?」
気付けば教室の奥から諏訪野先生に呼び出されていた。
「大丈夫ですか?」
「あ、ええ。大丈夫です。日差し温かくて、うとうとしちゃいました」
「今日は無理しなくても宜しいので。何かあれば松永さんに。──さて心苦しいですが、皆さんにご紹介お願いします」
はい、と返事してドアと教室との境を跨ぐ。
緊張しているのか、先ほどの余韻が続いてるのか、心臓は鳴りっぱなしだ。
踏み入れた先にクラスメイトの奇異の視線の中に、松永と眼が合うと彼女は小さく手を振っていた。そして嫌でも目に付く明らかな拒絶反応が、その後ろの席にあった。
教室にこぼれる日差しが影になって、表情は深く読み取れない。
でも何故か、その相手を見たら引き返せないという警告音が、耳の辺りでざあざあと鳴り響く。
逃げ出す俺に──そいつは。
瞬き一つせず、殺気という凶器を振りかざした瞬間が、コマ送りで再生されていく。
俺の首下から、神経がぶつ切りにされたような言い難い痛みが走った気がして思わず首元を手で押さえる。
なんともないじゃないか。
あれは夢だ。たまにみる悪い夢。
正夢であった試しは一度もない。
そう思う一方で、怖いもの見たさで覗かざるをえない好奇心が、恐る恐るその人物へと視線を移す。
クラスメイトの姿はもはや見えていなかった。前列の松永の姿さえ、ぼやけていた。
その真後ろに座っていた、一人の少女の姿と俺の視線が絡み合う。
彼女は──はまるで信じられないといった表情で椅子から立ち上がっていた。
何故、彼女がそのような反応なのかすぐには解らなかった。
でもクラスメイトの様々な反応の中、彼女の唇がそのように動いていたのを見たのだ。
「──どうして、貴方が生きてるの?」
人と鬼と桜/弐 終