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百鬼編/参

 そうして。

 わたしは次の目的地である武蔵学園へと来ていた。

 念のために霊視してみるものの、この瞳に映った情景はどこにでもある平和そのものだった。

 霊視は何も死した相手を見るだけではない。

 血の匂いも物の怪や霊が居たと思われる魂の残滓ざんし

 さらに人の日常に隠された陰の部分。それは人の心の奥ともいうべきものか、表には決して口にしない彼ら彼女らの心の叫び。


 けれどそんな小さなものでさえ、何処にも存在していて。誰もそれに気付かない。

 人の裏側に気がつく人間だけが、その人間の垣間見る本性にたどり着く事が出来る。

 顔色を伺う、なんて言葉はそんな陽に当たらない陰の部分が視えてしまった者から生まれた言葉に過ぎなかもしれない。


 武蔵学園は比較的、真新しい進学校でこの地域では有名だ。建物は一階から四階まであり、うちの学園に比べて一つ多いようだ。

 校門には警察が数名。芙蓉を呼んでも良かったけれど、まず周囲の確認をしてからだと考え、裏門へ移動する。

 通学路にはまだ生徒が立ち並び談笑している姿が目撃できる。

 誰にも見つからないようにグラウンドを遠回りして、非常階段が螺旋を描くその階下に、血の色を漂わせる朱の臭いを──感じる。


 死した青い魂の姿の一人の男子生徒。

 見上げた先には屋上の鉄柵がまるで枝分かれした樹木のように外へと突き出していた。

 『彼』は屋上で揉めて、攻撃された挙句に突き落とされる。

 階下で物言わぬ彼の魂は、また屋上へと戻り、死を繰り返す地獄絵図。


 それが何を意味するのか。

 ここに──鬼の類がいる事に他ならない。

 ならば退治こそ、わたしの棲む領域だ。

 例え相手が罠を仕掛けていようがなかろうが、そんなものは関係ない。階下で物言わぬ彼に近づき、事を終える。そうして振り返ろうとした途端、背後に気配を感じて振り返ると、一人の小柄な少女がこちらを見ていた。

 不思議そうな顔をしながら、何の疑心もなく、短い馬の(ポニー)尻尾(テール)を揺らしながら、こちらに近づいてくる。


「ねえねえ。そこに立ち寄っちゃいけないよ。警察の人とかうるさいんだから」


 制服を見る限り、この学園の生徒なのだろう。そして事件のことも知っているようだった。


「さっきまで人だかりですごかったんだよ。はあ──他校の人にまで知れ渡ってるんだねえ」


 がっかりと項垂れるように肩を落すと、今度はわたしの顔を、いや制服をジッと見つめていた。


「その制服って蓮花れんかのだよねえ。かわいいなあ、私の友達もそこにいるんだよ」

返事をしなくとも相手から一方的に話が進んでいく。余程人見知りのしない性格なのだろうと、その悠々とした話し方と雰囲気から感じ取る。


「ごめんなさい。家が近所なので気になってしまって」


 もちろんそんなのは嘘だけど、やり過ごす為ならば嘘と方便で説くほうがいい。


「そっかあ。ご近所さんならしょうがないよ。怖いもんね、こういうコトが起きちゃうと……雪菜せつなもね、その瞬間見ちゃったから今日は憂鬱で憂鬱で、ご飯は二杯しか食べられないかも──」


 これは思いがけない相手かもしれない。

 事件の目撃者だろうか。訪ねる必要があるようだ。


「その、失礼かもしれないけれど。見たっていうのは?」


 春の夕陽で翳る表情が少しだけ強張る。思い出したくないこともあるだろうけど。多少の犠牲を払ってでも解決する必要がわたしにはある。


「うん──もう警察の人にさんざん聞かれた

から気にしないよ。あのね、今日の四時限目の最中に、えっと十二時と十分回った頃ね。おなか空いたなあって思いながら、お外観てたの。雲でもみてれば少しは空腹も紛れるかと思って。ホラ、雲って綿菓子みたいとか食べ物にみえることってない? そうして眺めてたら窓の向こうの、外の方から悲鳴が聞こえてね。何事かと思ったら、男子生徒がね、その……上から、ね」


 うまく言葉を紡げないのではなく、言い淀むのはそのときの事を思い出してしまったのだろう。悲鳴という時点で自殺ではないことは明らかだ。


「ごめんなさいね、余計なことを思い出させてしまって」

「雪菜のほうこそうまく説明できなくてごめんね。……うう、思い出したらまた気分が。今日はご飯一杯だけかも」


 お腹を擦りながら、空腹を知らせる音がわずかに聞こえてくる。

 その音が恥ずかしかったのか、彼女は苦笑いをして場を和ました。


「えへへ。そんなわけで雪菜はそろそろ──」

「如月くん」


 わざとらしく砂利を鳴らしながら近づいてくる生徒が二人。

 一人は細身で黒ぶちの眼鏡を光らせながら、言葉通りわたしたちを見下す視線を投げつけてくる。この手の雰囲気を持つ人間は得てして権力を持ちたがる輩が多い。

 もう一人の男は眼鏡より巨漢でまるで立ちはだかる岩壁のように、ずっしりと沈黙したまま構えていた。顔のあちこちに残る傷痕がまるで現代のフランケンを印象付ける。


「下校時間はとっくに過ぎているんだぞ」

「わかってますよーだ。具合悪くて保健室で休んでたんだもん。これから帰るから心配しなくても結構ですよう」


 眼鏡の男はわたしに初めから気付いていたのか、他校生であるわたしをターゲットしていたに違いない。


「君は? 部外者のようだが」

「彼女の知り合いです。こんなこともあったので一人で帰るには不安だから一緒に帰ろうと」


 訝しげにこちらを見る男の瞳は冷たく、わたしを疑っている。


「さあ、せつなさん。帰りましょう」

 彼女の手を取り、その場を立ち去ろうと振り返る。


「ふん、まあいい。せいぜい帰り道に気をつけることだな」

「あ、あの──な、直武なおたけクン。また明日ね」


 わたしと彼女は足並みを揃えて、学校を出て行く。


「今の彼らはクラスメイト?」

「うん。直武クンは一年生の頃から一緒してるんだ。でも──お友達が転校しちゃってから、少し様子変わっちゃった。もう一人の大きな人は知らないんだあ」


 それっきり。彼女は喋ることなく、何度かわたしをちらちらと窺っていた。

 通学路らしき大通りと出て、人並みが垣間見える駅周辺まで来ると、彼女は初めて口にした。


「あのね。見ず知らずの人にいきなりこういうのもなんだけど、本当はちょっと助かってたりするの。一人で帰るの怖くて。誰か居ないか捜してたところだったから」


 繋いだ手にわずかばかりの力が込められる。

 こちらの思惑と違えど、結果として少しばかりの不信も抱かれずに連れ出せた事を良しとしよう。


「いいえ、こちらこそ無理に引き出すような真似をしてごめんなさい。それより……もう大丈夫かしら?」


 相手に未だ握ったまま放されない手を見せて、あっ──という声と共に照れながら背中の後ろへと隠してしまう。


「えへへ、雪菜は思っている以上に参っちゃってたかもしれないね」


自分の頭を軽く掻いてから思い立ったように口にする。


「あのね、私は如月きさらぎ雪菜せつなって言うの。ムサシの三年です。直武クン。うちの学校の生徒会長ね……見ず知らずの人には厳しいの。だから気を悪くしないであげて。

 それと……もし良かったらあなたのお名前訊いてもいいかな?」


 三年と耳にして少し疑ってしまった。

 身長はわたしより低く、一人称を名前で呼んでいる様子だったのでてっきり年下だと思っていたから。


「ああ、いま雪菜のことちっちゃいとか、三年に見えないとか思ったでしょ。子供っぽいのは身長だけで胸はきちんと育ってるんだからね」


 背中を反らすように胸を張る姿が少しだけ面白くて笑い声を漏らしてしまった。

 わたしの中では珍しく、興味本意で探ろうとしてこない彼女に好感さえ抱いていた。


「笑ったりしてごめんなさいね。わたしは蓮花台二年の桃木芳埜よ」


 きっとこれから関わることがないだろうと自己紹介をする。


「わわ、同い年だと思っていただけにショックだよ。それにね、さっきも言ったと思うけど、直武クンと雪菜の友達が蓮花にいるんだけどね──」


 彼女の言葉は鳴り響く電子音によって遮られる。わたしは機械類を持ち歩かないので、恐らく彼女のものなのだろう。


「雪菜のだよ、ごめんねえ」


 流れる曲のジャンルもタイトルもわたしにはわからない。世間が興味を持つような娯楽に一切の関心がないからだ。

 会話の返事から察するに電話の相手は彼女の家族のようだった。


「……ごめんなさい。はい、すぐに帰ります」


 携帯越しに何度も頭を下げながら声は呟くほどに小さく。まるで朝きれいに咲いた花が夜には萎んでしまったかのように表情は沈んでいた。話が済んだのか携帯を閉じると重く息を吐き出す。

 視線に気付いたのか無理に笑顔を取繕うとするのさえ、いくら鈍いわたしでもわかってしまう。


「もう桃木さんにはダメダメなところばかり観られてしまって失意のどん底なのです。急いで帰らないといけないので今日はお別れしちゃうけど、この次には浮上した雪菜にぜひともご期待していてくださいませ」


 そのまま軽く敬礼をして駅の方まで彼女は走っていく。

 一度振り返って遠くから手を振りながらまたね、なんて言いながら彼女は雑踏の中へと消えていった。

 なんとも不思議な出会いもあるものだなんて思ってしまう。他人を遠ざけていたわたしが、彼女に対しては邪けんに出来ないでいた。



 ──尤も。

 それも奴等やつらから遠ざけるという最大の目標は達成できたので良しとする。


「それで。いつまでも隠れてないで出てきたらどう? それとも〝見ーつけた〟 と言われなくちゃ分らないほど子供なのかしら」


 大勢の人が帰路へと早足に歩いていく夜の帳に包まれた街灯の物陰から二つ。獲物を囲うように姿を現した姿の一つは武蔵学園で遭遇した眼鏡の少年、直武クンと巨漢な男。直武は眼鏡を掛けなおしながらこちらを睨みつけてくる。


「いつから気付いていた」

 威圧的な態度のまま疑問をぶつけてきた。

「初めからよ、あなた自分で言っていたじゃない。帰り道にはせいぜい気をつけなさいなんてね」


 思い当たる節があるのか。ああ、と相槌をうつ。


「それでわたしに何か用? それとも女性をくどくのに二人がかりでないと話掛ける勇気もないのかしら」


 相手は鼻で失笑し、見下すと。そのまま彼は手を軽く上げる仕種が合図になっていたのだろう。巨漢の男が動き出しわたしの腕を掴み取る。


「随分と手荒な真似をするのね」

「これでも丁重に扱ってるつもりなんだがね。抵抗するのならば、もっと手荒になるが、そのつもりもないのだろう? ボクとしては不本意だが、あるお方が御呼びだからお連れするまでさ」

 

 恐らく百鬼としての存在を知った上で連中の頭に会わせてくれるらしい。

 そういう輩はよほどの切れ者か、ただの阿呆か。どちらにしても探す手間が省ける以上、わたしは抵抗する素振りをみせなかった。


 周囲の人々は目の前で若い女性一人が拉致られる姿をみても、みな我関せずとばかりに視線を逸らしてやり過ごす。

 そう、それでいい。

 介入しようものなら被害をこうむるのは介入した本人で、当然ただでは済まない。誰もが痛い思いをしたい人間なんて居やしない。

 わたしにとって守るものは一つでも少ないほうが良い。

 それなのに、その人ごみの中にふと目が合った人物がいる。わたしの状況に気付いたのか近づいてくる莫迦がいた。

 連れ出そうとする二人よりわたしは彼に対して怒りを覚える。

 突然の闖入者ちんにゅうしゃに不意を衝かれたのか、第三者の体当たりに直武は尻込み、わたしを掴んでいたもう巨漢の男を勢いと共に蹴り飛ばす。


「──こっちだ!」

 差し出された手は一度拒んだはずの右手だった。

 奥歯を噛み締めて躊躇した後、力いっぱいに握り締めて彼──蓮白(はしろ)くんと駆け出す。


「く、そっ……逃がすな! 追えっ!」


 背中に直武の叫び声が聞こえた。

 人の群れをかき分け、後ろを気にしながら何度も紆余曲折した末、トンネルを走り抜けてたどり着いた先に小さな公園に忍び込んだ。 陽も沈みかけた公園に人の気配はない。

 蓮白くんはしばらく様子を伺い追ってこないことを確かめるとベンチへと座り込んだ。

 走っている最中、一瞬だけわたしはこれと同じ経験をしているかのような既視感デジャヴに襲われるものの、肩で息をする彼に対し先ほどまで言えずにいた言葉を吐き出す。


「一体どういうつもりよ、あなた。何を考えてるの!?」

 額に汗を浮かべ、息を整える彼がわたしを睨む。


「はあ──桃木さんこそどういうつもりだ。 あんな連中に掴まってるのに助けの一つも呼ばないなんてどうかしてる。今頃どうなっていたのか想像してみろよ!」


 思考が一時停止される。一瞬、何のことを意味するのか理解するのに時間がかかった。


「わたしが何かされるとでも思ったの?」


 肝心な部分の言葉は濁す癖に、確かに頷く彼の考えにようやくたどり着く。

 呆れてモノが言えない。この蓮白という人間はつまりわたしが拉致監禁の類に遭うのでは、なんて勘違いをしていたのだ。


「信じられない」


 もう少しできっと事件の主犯格と対面し、一網打尽に出来たかもしれないのに。邪魔されたことにぼやいていた。

 事情を知らない人間からすれば当然、誤解もするだろう。

 誰もが他人のフリをする中でただ一人、それも今日知り合ったばかりの相手を助け出そうとする意気込みは買っても、もう一つ許せないことがあった。


「蓮白くん。あなたこの時間までどうしているのかしら」

「それがさっきまで藤沼たちとカラオケに──」


 彼は早く帰るように気をつけるといっていたのが結局は口約束だったのだと実感させられた。

 人なんて上辺だけの生き物だから仕方ないけれど。


「先生の言う事もクラスメイト(・・・・・・)の忠告も受け止めるなんていっておいて貴方、矛盾しているんじゃなくて」

「それを言ったら桃木さんだって──」


 わたし自身、この夜までいるのだから矛盾していると言いたいのは百も承知だ。

 でもそれを。相手もしているから自分は、などと言うのは子供の言い訳と同じだ。


「そんなこと言われなくても判っています。

 でもわたしのことは放っておいてと言ったはずよ。心配される筋合いはありません」

 建前ばかりで本当の事を言わないまま、遠ざけるというのはずるいことだとも理解している。

 誰かに理解して欲しいわけじゃない。

 只、わたしの生き方を邪魔しないでほしいのに。


「──嗚呼。もう、分からず屋だな。そっちがどう思うとこっちは気にするって。他人ならともかく同じクラスで隣人なんだ。初対面でいきなり泣かれて気にしないってのに無理があるって」


 そんなこと、わたしが聞きたい。

今の今まで忘れていて泣いたとさえ自覚していなかったのに、言葉にされたことで不意に思い出してしまった。


「最低」


 その感情(なみだ)すらもこの男に見られたのかと思ったらおもわず口に出していた。相手も口にした後で、やってしまったというような表情を浮かべながら。

 彼と会話しているとひどく疲れてくる。

 これ以上彼と接するのは止めにしようと歩き出す。


「──なあ、桃木さん。どこいくんだよ」


 わたしがその場から去ろうとすると彼は気になったのか訊ねてきた。


「帰るわよ。助けてくれたお礼なんて言わないから」

 振り返って今一度、わたしは彼に対して言い聞かせた。


「それとあんまり同じこと言わせないで。わたしに構わないで。わたしに付いて来ないで。

 あなたが──ううん、わたしの周りに誰かがいると迷惑なの。それと早くお家へ帰りなさい。もし次に見かけたら容赦しないわ」


 わたしが手を出さないとでも思っているかもしれない。あまり暴力は好きではないけれど昼間なら両手打ちでも済ましてやらない。

 もし三度目があるならば。それこそ情けなど掛けてやるものかと、わたしは自分に言い聞かせる。

 本当についてこないのを確かめるために一度後ろを振り向こうかとしてやめた。

 見なくても怒りと不安に満ちた視線がまだわたしに向けられているのを背中に痛いほど感じていたからだ。



 帰るなんていうのはもちろん嘘で、せっかく見つけた相手をわざわざ取り逃がすほど、わたしはお人好しではない。

 先ほどの連中はきっとまだ近くにいる。

時刻も十九時を既に過ぎていて、夜に生きる人々と街は昼間とは違うネオンサインに色付いていた。


 二十四時間うごめく虫のように、蜘蛛(おとこ)は今夜の獲物を探し出し、(おんな)を見つけてはその羽を千切りとり、堕落させるこの街は眠る事を知らない。

 わたしはひとまず先ほどの現場である蓮花台の駅へと向かったけれど、それらしい気配は感じられず、徘徊して捜すことにした。

 近くでは乾いた笑い声と不平不満を呟く誰か。コンビニの明かりに群がる蛾のようにたむろする若い連中。照明は既に落とされもぬけの殻となったビル街。

 欲に色付いた幾人かの視線を無視して歩き繁華街の裏地へと入っていった。


 視線を上げれば、人の住んでいる気配のしない二階建ての一軒家と店の賑わいが、外にまで聞こえる居酒屋の屋根をみて。誰もいないことを確認して地を蹴り飛ばす。

 浮上していくわたしの身体が屋根に足を降ろし、態勢を整えて、制服の胸元から一枚の布を広げる。

 それは闇に溶けるほど極薄でありながら絹よりも滑らかで。月光に照らされ微風にすらはためくほど軽少な羽衣を羽織る。

 屋根の端に片足を掛けて、わたしはこの街の中心にひときわ天高くそびえ立つ摩天楼を睨みつける。


 ──そこを目指して、

 宙に足を伸ばし空を翔け出した。


 闇に同化して、わたしは幾重にも連ねた建物の屋上から屋上へ。飛び移るように羽衣を翼に変えてこの街の空を飛んでいく。

 より高みを目指して、天に届くように。

 そうしてたどり着いた摩天楼の先で、月と星の明かりだけを頼りに眼下に広がるこの街を俯き見た。

 人ごみの中に紛れてたのでは気付かない。

 それならより高い目線で捜す必要がある。

 軽く目を瞑り、集中して再び見開く霊視。

 青く揺らめく眼光で、瞳を凝らして視るのは誰もが持ちいる魂の揺らめき。

 赤と青のネオンを黒く塗りつぶし、建物などの外観はすべてが白黒反転した世界を成していく。

 その中に人魂のように青白い炎が地上に燃え盛る。揺らめく炎の一つ一つが人の生きる証。炎の数だけ、この街は人と動物で溢れている。

 しばらく見続けた視線の遠方に人ではない赤い焔を見つけた。


 ──あそこはうちの学校の辺り。


 赤い色は人間の血肉を喰らった鬼の証。そうした人と関わった相手を『赤鬼』と称する。

 穏やかな風がわたしの頬をくすぐるように撫でていく。

 遥か上空に暗雲が大きく運ばれていくのが見える。それにあわせるように疾走して、大きく踏み出した。


 耳には吹き荒ぶ風の声。

 瞳には幾つもの景色が流されていく。

 長い黒髪と制服のスカートは激しく波打ち、

 羽衣をつまむように握り締めて、大きな風に飛び乗った。

 小鳥が羽ばたくように翼を動かす必要はない。ただ滑空するように風に身を任せればいい。


 月を背負い、星空が浮かぶ街並みを鳥瞰ちょうかんした。小さな街並みが広がる先に、わたしが向かう場所は──この街を象徴する桜ヶ丘公園。


 落下の勢いは殺さず、且つ気配を殺しながら、ふわりと地面へと降り立ち、暗闇に包まれた敷地内を見渡す。深夜の公園に人気は感じず、朝に見る姿は微塵の欠片もない。

 夜は管理の問題で十九時を過ぎると桜ヶ丘は立ち入り禁止のはずなのに。ここに人と赤鬼がいる。


 だが──なぜ、ここに?


 わたしを付け狙わずに、駅からわざわざここまで足を運ぶ理由……武蔵で出会った直武はわたしを誰かに会わせるつもりだった。

 標的を変更してでも、人を狙う理由がある?

 今日それらしき人物と接触した人間を思い浮かべて──まさか、と声を漏らした。

 如月雪菜と名乗った少女は家族に呼び出されて帰宅した。

 もうひとりがそのまま帰宅したかどうかなんて、わたしにはわかりはしない。ただ直武たちの邪魔をした存在には間違いない。

 そして不意に木陰から物音を察知して、思考を中断した。

 

 

 猿のようなケモノの身のこなしで飛び掛ってくる巨漢は駅前で武蔵の少年に付き従っていた傷痕の男だった。


 咄嗟に足元に落ちていた枝を取り、襲い掛かってきた相手に対して 〝刀〟 のように振り抜いた。

 わたしが手にした得物は小枝でしかない。

 恐らく叩きつけるつもりであったであろう両手こぶしを握り締めたその巨腕へ、下段の構えから振り抜く一条の軌跡を描く。言葉で言うのならそれは間違いない一太刀。刃のない小枝かたなで巨漢の腕を切り落とす。


 血潮ちしおの代わりに飛び散るものは何もなく、

腕を斬られた程度で強襲は止まることを知らず、両断するが如く、身体ごと縦真っ二つに

切り裂いた。宙に分かれたソレを振り向き際に、もう一閃。止めの一撃とばかりに頭へと一突きした。

 地へ、ごろんと落ちた肉塊の感触はまるで空洞な人形マネキンのようで、口を魚のようにぱくつくらせながら溶けていく瞬間、何かが焼け焦げたような、生臭いような異臭を放つ。


 まるで蝋人形ろうにんぎょうのようだ。

 溶けていく肢体を見ている間に周囲はその蝋人形の軍隊を作っていた。

 姿形は双子などと呼べるものではない。先ほど倒した巨漢と同じ顔が幾つも見えて、その数は優に二十は超える。


「数だけ揃えても中身が(から)ではね」


 自分の考えで行動できない者など動物以下だ。

 次々と襲い掛かってくる蝋人形を前に、右手に持つ小枝を握り締める力はより強く。一歩を大きく踏み出し加速する。

 目指した一本の桜木を駆け上り、振り向けば地上から跳躍した一体の人形を横一文字に切り払い、後ろに構えていたもう一体の巨漢ともども突き刺したまま、地で浄化させた。

 こいつ等に仲間意識など存在しない。


 自分(・・)()()を討つべくして、あらゆる方向からの奇襲も翔け抜けて一閃する。

 手にしてるのが枝ならば、数多に切裂かれた身体(ソレ)は木の葉か、または花びらの如く、宙を舞う。

 やはり、わたしにはこちらの生活のほうが合っている。誰かに気遣う必要もない。

 百鬼(わたし)桃木(わたし)で居られる場所。

 魑魅魍魎ちみもうりょうを退治するのが百鬼の宿命ならば、


「さあ、鬼退治を始めるわよ」


 誰に言うわけでもなく、わたしは言葉を発していた。



                    ◇


 こうして静まり返った桜満ちる公園で、人知れず、一対多の戦いが繰り広げられた。

 桃木芳埜に夜の闇に溶け込んだ敵の姿はあまり見えていない。

 だが霊視することで、肉眼では捉えられないモノを視ることが出来る。それはてきの姿形は見えずとも内に宿す魂。言わば熱を探知するように見えていた。

 鬼道に堕ちた者は赤い。

 鬼の肌は赤い、という現代のイメージは芳埜と同じように霊視した者が口伝してきたからもしれない。


 姿形は人の形なれど、すでに人間としての生を失った相手は人間ではなく化け物と称される。

 化け物でも生きるという意味では人間や動物となんら変わらない。肉体を傷つければ傷もつくし、心臓や脳を貫けばもちろん死ぬ。

 しかしその傷つける、ということがひどく困難なのである。


 鬼のその身体は鋼。


 腰布一枚という鬼のイメージもまた 〝人間相手に何かを纏う必要がない〟 という自信の現れだからだ。

 鬼の豪腕で殴られれば腹部に穴が開き、人の頭を捻じ切ることなど、果実をもぐよりも簡単なのだから。


 

 それと戦う少女──桃木芳埜の戦い方はあまりにも華麗で。時として大胆だった。

 避ける動作も攻撃する瞬間も。早送りされた円舞のように、動きは最小限でありながら的確に敵を捉えていく。


 てきの攻撃は遅くはない。

 常人であれば決して捉えられぬ。地を蹴り走り抜けるその一歩一歩が砂埃を撒き散らしながら疾走する轟音。それと同時に大木のような巨腕から繰り出される一撃は爆音か、はたまた轟く雷鳴か。

 地を揺らす一撃がひとつ、またひとつと鳴り響く。

 地はひび割れ、大小数多の衝突(クレーター)が作られていた。


 だがどんな強大な一撃であろうとも。それが災害に似て異なるものだとしても。

 相手が災害ならば、芳埜は自然そのものだ。

 芳埜は汗ひとつ流さず、表情ひとつさえ変えない。

 流れる水のように避け、巻き起こる砂埃を散らす一閃は言うなれば風。

 そして止めを刺す一太刀には確かな殺意に似た炎を持ってして、かつ冷静に敵を確実に消していく。


 手にしているのは襲われる際に手にした小枝。

 その長さはほんの数センチにも満たない。

 まして相手は二メートル近い大柄なオトコが相手で、女性である芳埜の腕の長さと小枝を足したところで到底敵わない体格差がある。


 しかし初太刀から現在いまにかけて芳埜が振り払えば、いとも容易く斬り抜いていった。

 弘法筆を選ばず──とあるように芳埜にとって手に出来るものであれば何でもよかった。

 彼女にとって刀を手にした時と同じようにあるはずの刃を心に投影する。手にした得物は僅か数センチも満たない柄。だが芳埜自身が心に内装した刃の長さは約八十センチ。

 刃の見えない心剣(しんけん)で鬼を斬る。

 斬り損なう、なんて素振りは一切見せない贋物にせもの以上の真剣ほんもの

 このような異業を成すことが出来るのは、彼女自身がそれを可能にするほど剣を極めた達人である他にならない。


 いま行われているのは鬼退治という名の殺人儀式。

 鬼に堕ちた者の(ごう)を芳埜は次々と滅していく。

 魑魅魍魎が跋扈ばっこする百鬼夜行に遭遇したものは死すると古来より恐れられた。

 だが──それは人間に宛てたメッセージではない。

 百鬼(ももき)から鬼に対する警告であると同時に戒めである。


 百鬼殺業(ひゃっきやぎょう)


 業を殺す百鬼ももき

 それが一族の者として生きる、

 彼女の唯一の証。

 戦いは月が翳りを見せる前にすでに終わっていた。



                              ◇



                   百鬼/参 終


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