★第六部★
研究日誌 123○×日
ナルミの復元に成功し、二週間が経った。彼女は身体的には予後良好で、日常生活を送るのには何の支障もない。残るは、社会適合のみ。すでに彼女にこの実験の被検体である旨を伝える段階に来ていると言える。では、どうすればその意図をスムーズに理解してもらえるか。私が直接、話すべきか。それでは混乱を招かないか。三十年後に蘇らされ、一人取り残されたとは絶対に思ってほしくない。それでは私のこれまでの研究が無意味なものだったと証明されることになる。私の願いは一つ、彼女に幸せになってもらいたいだけだ。その為には心の平穏を保ちつつ、生活に戻る必要がある。三十年前に成しえなかったことを、時を超え、二人で成してほしいと思う。
「資料はこれで全部か」
目の前に座る自分は、ひどく興奮しているようだった。昨夜、第二号としてメビウスループシステムによって作り出された復元体は、若かりし頃のマツナミ本人だった。
「とにかく落ち着け」
「これが落ち着いていられるか」
資料に貪るように目を通しながら彼は言った。
「しばらく時間をくれ、今は事実しかわからない」
生き返った事実は受け入れられても、その方法のほうが気になる性分。当たり前だが、昔の自分そのものだとマツナミは思った。きっと自分も同じ状況であれば同じ行動をとるに決まっていた。しかも、まだ研究に携わって間もない、初期経過しか把握していない復元体が、現在の状況を一刻も早く知りたい気持ちは痛いほどわかった。
「お前を復元させた意味はわかるか」
そう問うと、復元体のページを捲る手がにわかに止まった。マツナミは当時、どういう考えで自らの遺伝子情報を保存したのか、詳しく思い出せなかった。が、今では自分の用心深さに感謝すらしていた。
「お前には使命がある」
復元体は黙ってマツナミを見た。人の心を見透かすような眼差し。相手の思考を読み取ろうとする純粋さの裏返し。若い人間のギラツキがそこにはあった。
「お前は第二号だ」
そう告げても、若いマツナミは動じなかった。わかるまで説明しろという意思表示だった。
「第一号は、成美だ」
ベッドに腰掛けた復元体は、その意味を推し量るように視線を宙に漂わせた。
「お前はどうして成美を被検体に推した」
マツナミは三十年間書き溜めてきた研究日誌を最後の資料として黙り込む若かりし頃の自分に渡した。
「残念ながらお前が当時抱いていた悪い予感は的中したよ」
遠い過去に思いを馳せながらマツナミはベッドの脇にあったパイプ椅子に腰掛けた。
「お前は未来を変えるんだ。変えてくれ」
そして切実な願いを過去の自分に託した。
「俺はどうすればいい」
しばらくして日誌に目を落としたまま復元体はそう訊いた。
「簡単なことだ。彼女に自分達の状況を理解させ、その上で日常の生活に戻ること、それだけだ」
「俺は彼女になんて伝えたらいい」
「理由はいくらでもあるだろう」
どうしてナルミと自分が復元したか。理由など、彼女が納得できるものなら何でも良かった。マツナミの目的はそこにはなかった。彼はただ、二人の人生が幸せに全うされていくのを見届けたかっただけだ。
「同じことをしたら、同じ結果を生むことにはならないか」
「同じ状況にはなり得ない。なぜならまず、ここはお前達にとって未来の世界であり、その世界に二人だけで産み落とされているからだ。お前は成美の唯一の拠り所として生きていくことなる。そして今、お前にはかつてなかったゆとりある時間が用意されている。これからは二人の幸せのためだけに時間を費やせる」
今日に至るまでの過程を掻い摘んでマツナミは説明した。
「要するに彼女の異変は、お前が傍にいることで解消されるはずなんだ」
そう告げられた復元体は日誌に落としていた視線を上げた。
「三十年前のように、時間の自由が利かない研究にとらわれる必要はない。ここを出たらお前達を縛るものは何もない。お前は成美と一緒に暮らし、人並みの幸せを築いてくれれば、それだけで私は本望だ」
若い自分にマツナミはそう訴えた。彼は身体機能のモニターをチェックし終わると立ち上がった。
「うまくやれよ」
別れ際、そう告げるとマツナミは部屋を後にした。
明日、ナルミは若かりし頃の自分自身によって復元体であることを打ち明けられる。