生贄
――――生贄。
神への供物。
俗にいう人身御供。
彼らはそれにシエルが選ばれたというのだ。
彼らの話は混乱しているのか要領を得なかったが、端的にまとめるとこうなる。
一週間前の深夜、村長の家に銀狼が現れ一枚の手紙を残していった。
そこには《次の満月までに、成人の儀を迎える者を我らの祠に捧げよ。さもなければこの村の未来はない》と書いてあったそうだ。
この手紙を見て村長は非常に混乱した。大狼様達は今までそんな要求をしたことがなかったし、何よりも調べた結果、満月まで――つまり明日の事だ。その時までに成人を迎えるのは二人きり。それもその一人は彼の死んだ兄の娘、つまり彼の姪だったからだ。
村長は村の為に涙をのんで姪を拘束した、との事だがそれは嘘だろう。彼女と村長はかなり折り合いが悪かったと聞いている。体のいい厄介払いになったとしか思っていないだろう。
ここで村長の人間性を語るのは止めておこう。前にも触れたように彼らの家族には碌な人間がいないのだ。彼の兄である前村長の死も本当に病によるものだったかすら怪しい。
だがしかし、それで問題が解決したわけではない。
ハティ様とスコル様の祠は東西に分かれている。
――つまりだ、生贄は必然的に二人必要になってくる。
シエルの誕生日は明日。
――条件を満たすのは、あの子だけだった。
その手紙の一件は、直前まで伏せられていた。無理もない、逃げられては元も子もないからだ。
シエルとその両親は家の中に立て籠もり、つい先ほどまで抵抗をしていたのだが無残にも玄関を破壊され、あの子を連れ去られてしまったらしい。
その破壊行動の面子に親しくしているご近所さんの姿もあったというのだから、それこそやりきれない。
村のため、――否、自分たちの保身をしたいという気持ちは分かる。だけど、それでも……。
私は泣きながら謝罪を繰り返す小母さんの背をさすりながら、頭の奥が急速に冷えていくのを感じた。
……そんな、そんな下らない理由でシエルは連れて行かれたというのか。
村の為?
たまたま運が悪かったから?
――ふざけるなっ!!
何が生贄だ!何が供物だ!
何故シエルが死ななければならない。あんな優しい子がなんで、どうしてっ……。
小母さんをさすっていた手が、思わず止まった。
ギリッ、っと唇を噛みしめる。その拍子に切れたのか少し鉄の味がした。
そんな私の様子に気づいたのか、小母さんは私に泣きながら縋り付いた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、わたし達がもっと強ければ、しっかりしていれば、シエルは連れて行かれなかったかもしれないのに。わたしが全部悪いの、わたしがこんな日にあの子を産んでしまったから。あ、あぁ、泣かないでリオン……。貴女は何も悪くないのに、」
小母さんに言われて、ようやく自分が泣いてる事に気が付いた。
あぁ、私は泣いているのか。
それにしても、自分の方が酷い状態だというのに、こんな時まで私の心配なんてしないでいいのに。頼むからもっと自分を大切にしてほしい。
いつも気丈な貴女が辛そうにしているところなんて、心が痛くて見ていられないんだ。
――どうしようもないこの現実が悔しくて、悲しくて、自分の無力さに吐き気がして、私はついに地面に座りこんでしまった。
私が物語の勇者のように強ければ、きっとあの子を助け出す事も可能だったろう。
私が特別な人間だったなら、あの子の運命を覆す能力が備わっていたことだろう。
――そんなのは所詮夢物語だ。
私が大狼様に挑んだところで、虫けらのように殺されるのは目に見えている。相手は神代の獣なのだ。勝てるわけがない。
今の私にできる事なんて、自分の無力に嘆くことぐらいしか――――、
――本当に?
――――本当にそれだけ?
何一つあの子のためにしてやれなかったのに、私の方が救われてばかりいたのに、このまま馬鹿みたいに座り込んでいるままでいるつもりなのか?
私にやれることは何一つないというのか?
このまま、シエルが死ぬのを黙って嘆いているつもりなのか?
「――駄目だろ、それじゃ」
そう、それじゃあ駄目なんだ。
私はシエルに死んでほしくなんてない。
できる事なら私があの子の代わり死ねばいいと思うし、あの子が死ぬくらいならこんな村滅んでしまえばいいとすら思っている。
――きっとこの村の誰もがあの子の生を望んでなんていない。みんな自分が大事なんだ。
なら、私がやらなくちゃ。私がやらないで、他の誰が動くというのだ。
……ああそういえば、私はずっと主人公を夢見ていたんだった。
強くて、格好良くて、ヒロインのピンチに颯爽と現れる。――そんな主人公に。
この世界に転生して、ほんのちょっと期待してみたりなんかして、すぐに現実に打ちのめされたっけ。
自分の心に蓋をして、強さなんて望んでない振りをして、名誉なんて下らないと斜にかまえて、人付き合いは嫌いだとずっと避けてきた。……昔と何一つ変わりやしない、ただの屑だ。
それは全部、私の心が弱かったからだ。
所詮人生なんてこんなものだと勝手に決めつけて、自分の限界を決めてしまった。
私が私を信じることが出来なかったからだ。
自分を信じられない者に、運命の女神が微笑んでくれるなんてあるはずがない。
そのつけが今頃まわってきたというわけだ。本当に私は救えないほど愚かだ。
でも、――それでも構わない。
ただ、今だけ立ち上がる勇気が欲しい。
勝てなくたっていい。死んでしまったって構わない。ただ、あの子の事だけは助けよう。
きっと私にだって、出来ることはあるはずだ。
――あの子のためなら運命くらい変えてやる。
あの子は冷たい祠なんかで死んでいい人間じゃない。
私と違ってあの子は本当にいい子なんだ。絶対に殺させたりなんてしない。絶対にだ。
そのためなら、――命なんて簡単に投げだせる。
私はそっと小母さんの手を取り微笑んで言った。
「大丈夫」
そう、大丈夫。貴女が心配することなんて何一つないんだ。だから泣かないでいいんだよ。
「きっと私が助けるから」
あの子、今頃怖がって泣いてるだろうから早く迎えに行ってあげなきゃね。
……なんでそんな顔するの小母さん。私は何も変な事は言ってないよ?
「絶対に生きて連れ帰るから」
たとえ私が死んだとしても、あの子だけは何としても逃がすから。
でも、もしもの時はこの村から逃げてほしい。
もしかしたら、大狼様に逆らったものの身内として処分されるかもしれない。
「だから」
だからどうか信じてほしい。今だけは、私を主人公にしてほしい。
「――信じて待っていて」
お別れは言いません。
小父さん、小母さん。
今までありがとうございました。
――――行ってきます。