優しさ
時は少し遡り、リオンが出ていった時まで戻る。
リオンを追い出したシエルは、落ち込んだ顔をして床に蹲るユエを見て、ふぅと溜息を吐いた。
「あ、あのさ。そんなに気にしない方がいいよ。誰でも失敗はあるから……」
でもこの物体達は捨てるけど、と心の中で続ける。酷いという事なかれ。当然の処置だ。
「……すいません。その、自分が料理が不得意な事は自覚していたんですが、何かせずにはいられなくて」
ユエが申し訳なさそうに言う。ていうか自覚していたのか。最初に言ってほしかった。でも、
「あぁ、うん。そうりゃそうだよね……」
何だかんだで有耶無耶になっていたが、彼は現在進行形で殺人鬼に狙われている身だ。ジッと何もせずに夜を待つのはきっと不安なのだろう。
……正直な所そこまで気がまわらなかった。僕の配慮が足りていなかったせいでもあるわけだ。
「それにしても今まで料理とかした事ある?形だけは最高の出来なんだけど……」
色と味がね……。
「何度か厨房を手伝った事はあるんですけど、……出禁にされちゃいまして」
そう言って照れ笑いをするユエ。
笑い事じゃなかった。ていうかむしろ致命的だった。不得意ってレベルじゃない。
そりゃあ、あの食べられる物なら大体平気な顔して食べるリオンが『不味い』と言うほどだ。僕は口にはしていないが相当の物なのだろう。悪い意味で。
「ほら、誰にでも得意不得意があるし気にしないでいいよ。りっちゃんが帰って来るまで部屋でゆっくりしてなよ。……あんまり気を張ってると疲れるでしょ?」
「――すいません。シエルさんにもご迷惑お掛けしてしまって……」
「いーよ別に。知り合ってすぐに死なれてもこっちも寝覚めが悪いしね。りっちゃんが帰って来たら起こすからさ」
僕はそう言って机の上の料理を片付けようとユエに背を向けた。
もったいないけど捨てるしかないよな……。食べるわけにはいかないし。
「――シエルさんは、優しいですね」
「はぁ?」
唐突なユエの言葉に、思わず振り返る。
優しい……?誰が?僕が?
「リオンさんが大事にする理由、何となく分かる気がします」
「――大事?」
「だってリオンさん、いつも貴女の話ばかりですから。――本当に愛されてますよね」
そう言って、邪気のない顔でユエが笑う。
別に嫌味という訳ではなく、純粋な感想を言った風だった。
――愛されている。決して悪い意味ではないその言葉に素直に喜べない自分が居た。
だって――、
それじゃあまるで、――僕が守られて然るべき弱い存在みたいじゃないか。
「――違う、」
「え?」
「僕は優しくなんかない。僕は只の、臆病なだけの嘘つきだから」
そう、僕は嘘つきだ。自分のエゴを満たす為だけに、リオンに『僕が死んだらリオンも死ぬ』だなんて大嘘をついた。リオンの為にじゃない、――自分の為にだ。
「僕には彼女に大事にされる資格なんてない。それどころか、――僕の方が彼女を守るべきなのに」
「…………。」
彼女を逃亡に巻き込んだのは僕だ。追われているのも、戦う危険があるのも全部僕の責任だ。
僕が後ろに下がってリオンが前に出て戦うなんて認められない。前ならその現実に耐える事しか出来なかったけど、今は違う。今は、力がある。
まだ手探りの状態で、どうすればいいかも分からないけれど、――あの頃のままの無力な僕じゃない。――僕だって戦える。
ラウルさんには『時間稼ぎ』と揶揄されたけど、今思えばそれだけ出来れば十分だ。何も勝つ必要はない。確実に逃げられればそれでいい。
「リオンは僕をお姫様みたいに扱うけど、そんなの僕は望んでない。僕は、僕はただ」
――――彼女と対等にいたいだけだ。
何も見たくなくなり、俯く。ああ、駄目だ。こんな事彼に愚痴っても仕方ないのに。
スッと白い手が僕の両手を包む。
ユエの手だった。突然の事にビクッと肩が上がる。
「……貴方達は、不器用ですね」
「え……、」
「……貴女とリオンさんの関係に口を出す気はありません。でも、一つだけ言わせてください。
――貴方達の間には何の柵もない。立場も何もかも含めて。
だから、壁を作っているのは貴方達自身です。だから、ちゃんと話せばいいじゃないですか。きっと、それだけで十分伝わると思います。
――貴女もリオンさんも、嘘がつけない人ですから」
「…………。」
話せば伝わる、か。
……そんなの、分かってるし。
「な、何も知らない癖に……。――てか、手。離して」
「あ、すいません。つい」
パッと両手を放し焦った顔をするユエに、なんだか毒気を抜かれた。
あーもう、悩んでる僕が馬鹿みたいだ。
「優しいのはアンタの方でしょ。……こんな時に他人の事ばっかり心配して。もっと自分の心配しようよ。
――まぁでも、何かあっても手助けくらいはするし……、その、――い、いいからもう休んでなよ!!もう!!」
「はい。――ふふっ」
そう言ってグイグイとユエの背を押して奥に追いやる。
クスクスと押し殺したような笑いが聞こえた。完全に子ども扱いされている。
う、うぅ。ちょっと年上だからって馬鹿にして。恥ずかしい。
――この時の僕は考え付きもしなかった。
命を狙われてる人間が、こうも落ち着いているなんてありえないという事を。
ただでさえ、彼は狙われた人間がどうなるかを、その目で見ている。取り乱さないほうがどうかしている。
冷静に考えてみれば、それが『ちょっと落ち着かない』くらいで済むはずがないのだ。
結論から言うと、僕は彼の真意に気が付く事が出来なかった。
――――最後まで。
◆ ◆ ◆
「それでさー、何人かの憲兵と十人くらいの傭兵でこの辺固めて警備してるからあんまり外出しないようにね。――あ、そこのから揚げもらいっ」
「それはありがたいんですけど、勝手に食べるの止めてもらえます?3人分しか用意してないんで」
「えー、シエルちゃんのけちー」
昼食の筈が何だかんだで夕食になってしまい、さぁ食べようとした時に先輩が襲来した。
勝手に皿の料理を取っていく先輩をシエルが咎めるが、先輩は何処吹く風といった所だ。うん、いつも通りだ。
「それにしても……、大丈夫なんですか?」
「何が?」
「いえ、その程度の人数で足りるのかと思って」
目撃証言もない、強力な魔法使い。言ってはなんだが数十人の人間相手でどうにかなるとは思えない。
「まぁね。でもそれがどうかしたの?」
「え……」
事もなげに先輩が言う。
「別に直接戦う訳じゃないんだし。時間稼ぎさえできればいいんだよ。最悪今日の夜を無事に乗り切ればいいだけなんだからさ。そうしたらあと一週間時間が出来るわけだし、その時に戦力揃えれば問題なくない?」
……確かにそれも一理ある。
「……わかりました。とりあえず私達は此処で待機という事でいいんですね?」
「いや、お前は俺と一緒に見回りだから。出る準備しといてよ」
「ちょっと待ってください!!」
先輩の言葉に、シエルが机を叩いて立ち上がる。
「なんでリオンがそんな危ない事しなきゃいけないんですか!!」
「シ、シエル。落ち着いて……」
「だって……、」
はぁぁ、と先輩が大仰にため息を吐く。
「ユエ君を助けたいって言い出したのはリオンなんだぜ?――少しくらい身を切るのが当然だろ」
「……そうですね。先輩の言うとおりです」
……確かにその通りだ。言い出したのは私なのに安全圏で胡坐をかいているだけなんて何様のつもりだろうか。
「それに、――ユエ君。君も変な事考えないようにね。君はここでゆっくりしてなよ」
「…………はい」
ユエは何か言いたげに口を開いたが、直ぐに目を伏せて頷いた。
それでもシエルは不満げに先輩を睨んでいる。
私が認めてしまった手前、何も言う事ができないのだろう。
……ごめん。出来る限り気を付けるから今回は許してほしい。今回の件はほとんど私のわがままみたいなものだから。
「それに、――シエル」
「……なんですか」
先輩がシエルに話しかける。それに応対するシエルはというと、不機嫌度が最高潮だった。
私は、――あ、先輩きっと煽るな、とは思ったがここで私が口を出しても余計に悪化するだけだと知っていたため、口を噤んだ。
「もしも此処まで敵が来たら、――――いくら直情型の君でもそれくらい分かってるよね?」
「『想定されたルートを回避し、迅速に集合地点にまで向かう事』、です。……言われなくても分かってるし」
「それだけじゃないだろ。――『戦闘は絶対に避ける』これが抜けてる」
「…………大丈夫です。覚えてます」
「なら、いいけど」
…………えー、リオンですが幼馴染と先輩が修羅場すぎて本当にどうしたらいいかわかりません。冗談抜きで。
前々から仲が悪いとは思っていたがここまでとは……。
まぁ、何にせよ。
「明日、」
皆が押し黙っている中、口を開いた私に注目が集まる。
「明日また、皆で夕飯でも食べましょうよ。――もちろん、皆五体満足の状態で。ほら、明日って私の誕生日じゃないですか。お祝いしてくださいよ、ね?」
そう、無理に明るい調子で言った。
この空気を変えるのには流石に無理があるかななぁ、とは思ったが他に話題もないし。
「……あー、うん。リオンそれなんだか知ってる?巷では『死亡フラグ』って言うんだよ?大丈夫なわけ?」
「折角の気遣いが台無しにされた!?……もういいですよ。先輩は抜きにして三人で集まりますから」
「えー!!りっちゃん今年は僕とずっと一緒に居てくれる約束だったのに!!……ユエは、まぁ100歩譲って許すとしてもラウルさんとか要らないし。ケーキだけ置いて帰って下さーい」
私の言葉に即座に二人は反応してくれた。二人ともノリがいい。
……まぁ何だかんだで乗ってくれる分、空気を読んでくれているのだろう。多分。きっと。……口喧嘩は変わらないけど。
やれやれ、と肩を竦めると、隣から押し殺したような笑い声が聞こえた。――ユエだった。
「っふ、いつもこんな感じなんですか?」
ユエが聞き、私は頷いて答えた。
「うん、だいたいね。先輩も一々シエルを挑発するからなぁ。それさえなければ結構相性いいと思うんだけど」
「……そうでしょうか?」
ユエの疑問符のついた言葉に、もう一度二人を見る。ぎゃあぎゃあと子供の口喧嘩を続ける二人を見て、先ほどの言葉をちょっと疑問に思ってきた。
喧嘩するほど仲がいいとは言うけれど、これは流石にいきすぎかもしれない。
「……どうかなぁ。
――でも、ちょっとユエが元気になったみたいで安心したよ。今朝はあからさまに落ち込んでたみたいだし」
「あ、すいません……」
「いいって別に。――でも、今日さえ乗り切ればきっと何とかなるから。頑張ろうね」
「――――はい」
そう返事をすると、ユエは綺麗に笑った。
一瞬その笑顔に違和感を覚えたが、別に無理をしているという訳ではないようだ。
「――――その、」
「あーもうしつこいなぁ。リオンー!!もう出発するよ。さっさと準備してよ」
「あ、はい。今すぐに」
そして準備を終え、軽い感じに再開の約束をし家を出た。
この時、誰もが現状を楽観視していたと言ってもいい。
少なくとも私は知っていた筈だったのに。
――追い詰められた獣が、どれだけ規格外の力を発揮するのかを。
◆ ◆ ◆
リオンとラウルが出て行って早数時間、シエルとユエは取り留めもない話をしながら向かい合って座って居た。
別に交代で睡眠を取ってもよかったが、念には念を入れた方がいいだろう。と、思った結果だった。
シエルは紅茶を飲みながら、辺りの気配を探っていた。女神に呪術の記憶を戻されてからちょこちょこと使ってみたりはしているのだが、実際に実用するのは初めてだった。
シエルが使える呪術には攻撃の手段はない。あるのはほとんどサポート系のものだけだった。気配察知もその一つだ。
――このまま誰も来ないんじゃないかなぁ。そう思った刹那、背筋に悪寒が走った。
「――……!!?」
「どうしました?」
ユエが不思議そうに首を傾げる。
ざわざわと言いようもない不安感が募る。
何か、――とんでもない物が近づいてきている予感。僕の感が告げている。――此処に居てはいけないと。
「――立って」
「え、」
説明をしている暇すら惜しい。……相手の速度は歩くような速さだが、着実にここに向かっている。――正しくは、ユエに向かって。
「――――――逃げるんだよ!!」